6. 36 HOURS LOST

 メッセンジャー号での生活も60日が過ぎようとしている。そして、明後日にはスミーア着陸だ。

 途中秒速120kmの峠を越えて、現在減速の最終段階。毎秒12.4km。長径2kmのスミーアが小さな星に見えている。ジョディは火星の軌道より外側へ来るのは初めてだが、何の感慨もない。

 見える景色が変わるわけでもなければ、新たな天体が見えるわけでもない。ただ、出発して32日目に火星の日面通過を見た。と言うより極めて太めの金環日食。ジョディには太陽が白いドーナツに見えた。その日はドクター、セバスチャンの手料理が振る舞われた。出発の時と同じハンバーグだったが、みんな久しぶりの焦げ目に大喜びで盛り上がった。


 ジョディはこの60日間ずっと太陽系内にある天体の重力分布のデータを取っている。スミーアが静止したことによる、他天体の軌道への影響を調べるためである。影響があったとしても微小なものだが、今のところ、太陽系の惑星その他は昔のままでいてくれている。今日も数字との会話に疲れ、後方にある展望室で休んでいた。


 ジョディは出発初日にジースから聞いたスミーアの特徴のことを考えていた。あの後、彼女はベンソン教授にその事を尋ねたのだが、彼自身はスミーアの空洞に関してはひとつの結論を出していた。結論と言うとオーバーだが、ようするに、スミーアは複数の隕石の合体によって今の形があるということだ。スミーアぐらいの質量では球体になれず、合体過程で出来た隙間は埋められることが少ない。その事よりも、彼はコンピュータが不明金属としてしか調べきれなかったことに疑問を抱いていた。この3%に関してはすべて不明。しかし、コンピュータは金属であることだけは断定している。

 ベンソン曰く「とかくコンピュータはNULL値に関しては空白(空洞)処理をしたがるものだ。彼らはNULL値の前後にある金属としての特性を捨てきれないのだろう。私は、わからないなら不明物質3%とするがね。」

 ジョディは教授の見解をことごとく受け入れることができた。しかし、コンピュータの「不明金属3%が原因とされる空洞」についても否定はしていない。


 この話題が食堂でも交わされるようになった頃、エンジニアグループのタケルなんかは、スミーアは擬装されたUFOだ。我々は人類史上初めて宇宙人との対面ができると言って面白がっていた。

 ジョディは彼に「あなたのお国ではペリーが開国のきっかけを作ってくれたのかもしれないが、その宇宙人の目的はなんなの?」と言った。彼は、然もありなんと言わんばかりに訛りを交えてこう答えた「太陽系のみなさん、母星を無くした哀れな我々に惑星を一個お恵みを」それを聞いたみんなは大笑いした。誰かが「冥王星ならあげても良いよ」すかさずタケルが「それはもう惑星ではありませ~ん」ふたたび笑いが起こった。


 さぁ!スミーアまであと36時間。ジョディは気持ちを切り替え自室へ戻ろうと思い、展望窓の方を一瞥した。彼女の表情が一瞬にしてこわばった。


 我が目を疑うとはこのことだ。展望窓の外には視野いっぱいにスミーアが見えた。同時にアンジーの声が聞こえたが、それはパイロットのマイクと会話中らしい。マイクが船内全員に聞こえるように指示したのだろう。マイクの張りつめた声が重なる。

「完了とはどういうことだ!?」


 アンジーはよどみなく答えている。

「スミーアへの軟着陸速度確保完了。現在秒速12mで接近且つ減速中」


 マイクが言葉を続けようとした声のうしろでローラの悲鳴が聞こえた。あり得ない光景が目の前に突然現れたのだ。スミーアが迫ってきている。皆は一斉にブリッジへ集まって来た。ジョディは後方展望室にいたので、ブリッジへ着いた時には既に全員が固唾をのんで状況を理解しようとしているところだった。


 すべてが完了した。何事も無かったかのようにメッセンジャー号はスミーアに佇んでいる。これが現実だ。意味不明の現実だ。

 カーン博士は地球からの「スミーア軟着陸を確認した」の連絡に「こちらすべて順調」と答えた。それは結果だけを伝えたにすぎない。実際すべて異常なし。こちらの状況をそのまま伝えるとかえって混乱を招くと思った。と、地球から「こちらの送信コードで今返事が戻って来た。コードに間違いはないか?」


 惑星間の通信では時間差による混乱を防ぐため送受信時にコードが付けられる。現在のスミーアからだと送信してから返事が戻ってくるまでに40分ほどかかる。どの返事かがコードでわかるようになっているが、通常はコンピュータだけが知っていることで、人間が意識する必要はない。

 しかし、今回の通信で地球側が受けたカーン博士の「こちらすべて順調」があまりにも速かったので確認してきたのだ。

 地球からの返事でカーン博士も異常に気が付いた。その後通常音声でのやり取りに切り替えたが、まったくNewYorkとTokyo間で話すより滑らかな会話が成立した。


 地球では直ちにこの事の調査が始められた。一方メッセンジャー号では別の問題の調査が始められようとしていた。


 博士はなんどもアンジーに確認したが、スミーア軟着陸は予定通り数分の狂いも無く行われた。しかし、メッセンジャー号にいる全員だけは、まだ36時間前の意識だ。36時間が失われた。

 カーン博士はアンジーに、36時間前から軟着陸までのメッセンジャーの軌道をホログラムに出させた。異常は無い。予定通りのコースだ。化学燃料も予定通りの消費量だ。

 アンジーは言った「蛇足ではありますが、現在表示中のデータは98分前に修正されました。」博士は意味を理解しかねるように聞いた「98分前とはどういうことだね?」アンジーはすぐに答えた「98分前に修正されそれ以後のデータは私のサイン入りです。」

 ブリッジはざわついた。全員の心の中にアンジーが狂ったのではないかという思いが芽生えようとしたが、軟着陸している現状を目の当たりにしている五感がその芽を摘み取った。アンジーも船にいる全員誰もが36時間を失ったのか。


 パイロットのマイクが言った「私が異常に気が付いてアンジーに確認したのが97分前となってますねぇ。」ジースが独り言のように「ローラの悲鳴が95分前かぁ。」つぶやいた。

 その時、エンジニアのタケルが口を開いた。「アンジー、昨日の晩飯、オレ何食ったぁ?」アンジーは答えた。「タケルは36時間なにも食べてません」その答えを聞いた瞬間、ブリッジは完全なる静寂に包まれた。ジョディの視界の端に、今まで見たことも無い真剣な表情のジースが居た。

 答えは出ない。

 失われた36時間以外、現状に問題がない以上、今回の調査目的のために行動を起こさなければならない。


 スミーア着陸の感動はなかった。現状の答えを出せないまま作業計画は進められた。そんな中、カーン博士はベンソン教授達に今回のLT(Lost Time)事件の可能な限りの解明を頼んだ。地球への報告は、論理にある程度の落ち着きが見えたら、それからでも良いだろうと考えた。優先事項はスミーアが天体か否かを調べることだ。


 ベンソン教授、ジョディとジース3人は、展望室の一角でアンジー相手に様々なモデルを作っていた。

 他のメンバーは一日の作業が終わると、この一角に集まった。みんな本来の作業よりLT問題の方に興味があるらしい。うろたえるよりも「何故」に興味があるのは前頭葉が活発に働いている証拠だ。


 エンジニアのナブラがタケルに話してるのが聞こえた。「タケル、Lセンサー設置したのは君か?」タケルは「そんなもの作業予定には無いよ」チーフのジェフが言った。「Lセンサー?俺たちがもう居るのになんで設置する必要があるんだ?」


 Lセンサー(ロケーションセンサーの略)。それは小天体や難破船を後日捕獲するため、詳細な位置を知る為に取り付けておくセンサーのことである。

 ジョディはナブラに聞いた。「それはどの辺に設置されていたの?」ナブラは答えた。「設置って言うか、打ち込んだような感じなんだよなぁ、粗っぽく。だからタケルかなぁって」タケルはナブラの頬をグーでゴニョゴニョした。ジョディはじゃれあう二人に構わず言った。「それのシリアルNoってわかる?」ナブラはアンジーを呼んだ。「アンジー、聞こ・・・」アンジーが話し出した「シリアルNo.410000246 小惑星捕獲艦トラストが管理。船長マット・タカハシ」ジョディはチーフのジェフに「そのセンサー外して来ていただけますか?」とお願いした。ジェフはすぐにナブラとタケルに取りに行くよう指示をした。

 ジョディはアンジーに何か言おうとしたらアンジーが「マット船長は現在、小惑星46737 Anpanmanを曳航し月へ向かってます。船内にいるのでお話は可能です。繋ぎました。」ジョディはアンジーとの初対面での印象を破棄した。

 ジョディは簡単な自己紹介と挨拶をした後「スミーアとすれ違う時に打ち込んだセンサーは、当たったが固定できなかったそうですが・・・。」

 マットはそれには答えずこう言った。「おい、待ってくれよ。俺は今スミーアから5700万キロ離れてるんだぜ。何だよこのレスポンス」ジョディは質問を変えた。「どういうこと?この通信レスポンス初めてなの?」「当たり前だよ。今、30分前に月に送ったテキストの返事待ってるんだぜ。その月より君の返事が早いってどういうこと?」ジョディは最初の質問の答えを促した。「わかんねぇ、スミーアから3万キロの位置で打ち込んだんだが、あと1万キロぐらいのところでセンサーからの信号が途絶えたんだ。この仕事して20年になるが、初めてだ。信号は途絶えたが、ありゃ確実に当たってはいるな」

 ジョディはそのセンサーがスミーア上にあったことを伝えた。「だろう。うん?ちょっと待てよ、No.410000246のセンサー信号が入ってきてるよ。テヘッ!どうなってんだ。それに位置表示が時間差0になってやがる。」ジョディはマットに確認した。「船長、信号が途絶えた時のスミーアとの正確な距離はわかりますか?」マットは「全部報告済みだからそちらのコンピュータちゃんに聞いてくれ。」ジョディは礼を言って、通話を終えた。彼女は疲労困憊した。ベンソン教授は納得した表情をしているが、それはあくまでも状況が掴めただけで、状況打開の方法を見つけることが出来たわけではなかった。


 マットとの会話でわかったことは、現在の時間差0での通信は、スミーアのみであること。スミーア以外では通常の時間差通信が行われている。

 そして、マットの打ち込んだセンサーの通信途絶位置とメッセンジャー号のLT問題発生時のスミーアとの距離が知りたかった。

 そこへ、ナブラとタケルがセンサーを持って戻って来た。砂が付着している。やはり打ち込みは成功していた。ジョディは先ほどのマットへの質問の答えをアンジーに聞こうと呼びかけた。アンジーは答えた。「シリアルNo.410000246 Lセンサー。通信途絶地点、スミーアより10982.98475km。メッセンジャー号LT問題発生時のスミーアとの距離、10982.34264km」


 ジョディとベンソン教授、それにジースの3人は、センサーの通信途絶地点とLT問題発生時の位置の2点間で作られるあらゆる図形を見比べていた。

 精神衛生上もっとも安定した図形はスミーアを中心にした場合の衛星軌道に近いものだ。ただし、実際にはスミーアの高度1万mで衛星は物理的に存在しえない。太陽の引力の影響が大きいのでもっと複雑な軌道になる。スミーアの表面での重力加速度は地球の数万分の1だ。今は太陽からの重力加速度でメッセンジャー号は着陸出来ているようなものだ。

 ジョディはひとつのサンプルに執心している。それは、スミーアの中心から長径端片側に330m寄った位置を中心とした時に描かれた図形だ。それは長径約4万キロ、短径約2万キロ。普通に眺めれば衛星軌道と変わらないのだが、この図形にはアンジーの説明で違いがわかったのだ。330mのずれ。

 この図形はほぼスミーアと相似形になっているのだ。スミーアは長径端は両サイド少し平らになっている。図形は綺麗な長円形だ。ジョディはもう1箇所資料が欲しかった。センサーの通信途絶地点とLT問題発生時の位置は、いずれも短径側なのだ。そう、彼女は長径側でスミーアから2万キロ離れた位置での資料が欲しかった。

 今手元にある「シリアルNo.410000246 Lセンサー」をスミーアの長径に対して平行に打ち上げてみようと思った。おそらくセンサーに何かが起こる。その地点がわかればジョディの欲しい3つ目の資料が手に入る。そして何事も起こらなければ、振り出しだ。

 その事をベンソンに話すと、すぐにカーン博士に許可を取ってくれた。

 さっそく打ち上げだ。実行作業はエンジニアチーフのジェフに頼んだ。ジェフも興味深々だ。アンジーにはセンサーの追跡を頼んだ。

 ジョディの予想ではセンサーに異変が起こるのは18090kmだ。そうなれば、長円ではなく、スミーアと完璧な相似形が出来あがる。おおよそ天体軌道ではあり得ない図形が完成する。それが何かは後のことだ。今は打ち上げ成功、いや、センサーに異変が起こることを祈るばかりだ。


 ジェフは目標物がないので射出機から最大速度の秒速14kmで打ち出した。約21分で18090km地点を通過する。アンジーは「受信中」を繰り返している。

 10分経過。「受信中」15分経過「受信中」20分経過「受信中」。その場にいる全員が固唾をのんでいる。21分「受信中」22分「受信中」25分「受信中」・・・。何事も起こらない。ジョディの顔に落胆の色がうかんだ。

 と、その時アンジーが言った。


「21分15秒以後の受信は36時間前の記録です。地点距離18090km」

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