3. Stop Complete
連絡船がまっすぐに着陸用のプラットフォームに向かっている。展望スクリーンでは宇宙に大きく張り出した漏斗のような形の入口が見えている。肉眼ではまだ見えない。直径300mの大きな口だ。秒速2.4kmで入っていく。超電導磁石に囲まれ壁に接触することは無いとはいえ、恐ろしい話だ。しかし、今まで事故は一度も起きていない。
減速自体は発射時の電磁カタパルトと原理は同じだが、着陸用プラットフォームでは逆の力が働いている。もちろん減速時に生じる電磁的なエネルギーは、発射用の電磁カタパルトに送られている。
ジョディが気が付いた時にはすでにプラットフォームのチューブの中で減速が始まっていた。彼女はこの時の感覚をあまり好きではない。加速時と違い、なにかマシュマロの上でジャンプしているような落ち着かない感じがするからだ。
月では地球のグリニッジ標準時間を使用している。月の表も裏も同じ時間で生活している。昼と夜が半月つづく月ではまったく問題は無い。
調査チームのミーティングまでまだ時間がある。昔に比べ早くなったとはいえ18時間の旅はやはり長旅である。ジョディは少し休むことにした。ルームコンピュータに2時間後に起こしてくれるように頼んだ。チームメンバーとの挨拶はミーティングルームで良い。なにしろ自分は招かれざる客のようなものだから。
2時間後、目覚めたジョディはミーティングルームへ向かった。月面展望台を横切り地下へ降りるエレベータに乗ると、懐かしい顔があった。ベンソン教授がいた。彼女が地球外知的生命の研究をしていた時の恩師である。
彼は気むずかしそうな顔でいたが、ジョディに気が付くと驚き、笑顔になった。
もちろん彼は調査チームの正規メンバーであり、且つサブリーダー的な立場での参加だ。
ジョディは自分がチームに無理やり参加させてもらったことと、1999XS35 の現在のポジションが自分の研究対象かも知れないことを伝えた。そう、1999XS35 の軌道のことを今では「ポジション」と言っている。
ミーティングルームへ入るとベンソンは演壇側の席へ、そしてジョディは末席へと分かれて行った。議長はいない。進行はチームリーダーのカーン博士自らが行った。
ジョディは知った顔を探したが、学者は少なく技術者然とした者がほとんどだった。
皆が席に着くとさっそくミーティングが始まった。挨拶ぬきである。ジョディにとっては小気味の良いスタートである。そして、ホログラム映像が演壇前に現れた。
子供の粘土細工に砂をまぶしたようなごく一般的な小惑星の姿が現れた。1999XS35であるとことはすぐにわかったが、ジョディはなにか違和感を覚えた。
1999XS35長径2km。短径1km。ずんぐりとした葉巻型だ。
1999XS35の異常は、小惑星捕獲艦(Asteroid capture ship)からの連絡で、太陽系内軌道上にある全システムを動員して調査された。フォボスからの画像データが発端で偶然ではあったが、やはりフォボスが位置的に最も近く詳細なデータを採取していた。
ホログラムの回転に合わせるかのように、全員が立ち上がって1999XS35のまわりを取り囲んだ。ジョディは最初に感じた違和感が何なのかを探るべく、目の焦点が合わなくなるギリギリまで近づいて見ていた。いきなり映像が拡大され、彼女はビックリした。
拡大された場所にはハッキリと他の場所とは違う砂地が見えた。いや、それは砂地というより、砂の上の一角にセメントの粉を敷き詰めたような感じだ。
それだけであれば、小惑星やフォボスや月面でも見ることができる。ただ1999XS35が違っていたのは、その粉が完全な円形を造っていたことだ。直径8フィートと表示されている。しかし、それを見せられてもジョディの感じた違和感はスッキリすることなく頭の片隅に巣くっていた。
ベンソン教授が説明した。この様な円形が太陽系内で人類の手に掛ることなく出来る確率を彼は言った。10の64乗分の1。皆はその数値を聞くまでも無くこの円形が自然に出来たものでないことはすぐに理解していた。
調査チームの目的は「ポジション」を取っている1999XS35が天体か否かの解明である。
天体でなかった場合の答えを想像はできても説明はできない。しかし、その前にその「ポジション」を取っている1999XS35にどうやって接触するかが問題だ。
普通に天体らしく堂々と太陽を中心とした軌道を取っていてくれたなら、小惑星捕獲艦(Asteroid capture ship)に任せて木星か火星の基地まで持ってくれば良い。
「ポジション」天体力学的には説明がつかない。なぜなら1999XS35は現在、太陽に対して完全に静止状態なのである。静止衛星のような相対的な静止ではなく、止まっているのだ。にもかかわらず太陽に向かって落下することも無い。完全に静止している。
太陽系内の主だった天文台からの報告では99.999999%太陽に対して静止状態にあるとのこと。
人類の宇宙開発史上試みたことのないことを行わなければならない。ランデブーは出来ない。400mリレーでバトンを渡すようにはいかないのだ。マラソンランナーが給水するのに一旦立ち止まらなければならないのだ。しかし、こちらは止まれば太陽に向かって落下し、水を飲むことができない。
ベンソン教授がひとりのパイロットでもある技術者を紹介した。彼の名はマイケルコーン。マイクは挨拶もそこそこに話し出した。止まっている天体への接触方法である。
1999XS35の現在位置での太陽の重力加速度は月面と同じぐらいだが、それでもイオンドライブのパワーでは静止するのは難しい。そこで考えられたのが化学燃料ロケットを使う方法である。現在は月面もしくはそれより大きな重力加速度を持つ天体からの離脱には電磁カタパルトが使われている。惑星間の移動にはイオンドライブを使っている。
化学燃料ロケットは現在のトリトンのような恒久基地の無い場所や極めて小さな重力加速度下での使用に限られている。
マイクの説明によると、1999XS35は我々の船を留めておくほどの重力を持たない。しかし、幸い静止しているので太陽の重力を使うことが出来る。すなわち1999XS35を太陽方向に見て接近ののち毎秒1.2kmで減速落下を始め軟着陸する。その地点では月面ほどの重力があるが、反対側では太陽に向かって落下してしまう。そう、反対側では何もしなくても1999XS35から空へ向かって飛んで行ってしまうのだ。
そして問題の円形(サークル)の位置は丁度、太陽に対して表と裏の真中あたりにある。その位置へは崖を下るような形で降りて行くことになる。
調査を終えた後はその逆である。1999XS35からの離脱はロケットエンジンを使い太陽に向かって落下をしていくことになる。あとはイオンドライブで月と交差する長円軌道を取ることになる。
質疑応答があった。一人の男性が質問した。「1999XS35が天体軌道から現在のポジションへ遷移したということは、今後また遷移する可能性があるのではないか?」
これにはリーダーのカーン博士が答えた。「確かに可能性としてはある。がしかし、今回の遷移を分析した結果、極めて緩やかな移動であることが分かっている。1999XS35上に居ても気づかないぐらいのものだ。もし、遷移が始まっても離脱に支障をきたすような事態にはならないのでご安心を」質問した男性は納得した面持ちで座った。
あと何人かが質問したが、計画を揺るがすような内容はなかった。そして、1999XS35の愛称が伝えられた。「スミーア」小惑星帯の軌道図面上で一点染みのように存在しているからなのだろう。総行程90日。出発は明後日。早々にミーティングは終わった。
ジョディは部屋を出る時、もう一度振り返ってスミーアのホログラムを見た。彼女は小さく声を上げた「あっ!」今まで感じていた違和感が何であるかがわかった。
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