第六章 黒死蝶


   1


『待ちなさい』

 まさに薫子が、マリアの手を取らんとしたとき、べつの声が頭に響いた。

 かぐわしい香りとともに、大量の桜の花びらが風に舞った。

 千年桜の精?

 薫子は直感的に声の主を悟った。

『目で見てはだめ。耳で聞いてもだめ。甘い花の匂いも、心地よい風の感触も錯覚かもしれない。もうひとつの目で見て判断するのです』

 もうひとつの目?

 いつの間にか、薫子の右手には木刀が握られていた。

 千年桜の精は、自分を使えといっている。自分を使って、彼女たちの霊体を見ろと。

 薫子の体は、とっさにあのときの感覚を思い出した。

 五感をすべて絶ち、千年桜の力だけで霊体を見たときのことを。

 そのとたん世界は激変した。

 無限に敷き詰められていたはずの草花の霊体など、ただのひとつも感じられなかった。

 それどころかあれほど神々しいオーラを放っていたように思えたマリアの霊体など存在しなかった。

 マリアが浮かんでいたところにはなにもない。完全な虚無だ。

 では香坂は?

 彼女の霊体は存在した。霊体は目の前で彼女自身の体を形作りながら、ゆらゆらとどす黒い炎がその体を包んでいる。

 その炎の一端は細長い糸状に伸び、薫子の頭部に入り込んでいた。

 幻覚。すべてはこの女が作り出した幻覚だ。

 あの無限の楽園も、それを蝕む人間と文明も、それを元に戻した神の子のようなマリアも。すべて幻影。香坂の霊体が作り出した夢幻のごとき物語に過ぎない。

 そう悟ったとき、薫子はすべてを思い出した。

 この女は、あたしに薬液を注入した。

 薬のせいだ。それにこの女の催眠暗示。

 幻覚を見たのも、その幻覚に心を奪われ、従おうとしてしまったことも。

 おぞましい。

 薫子は心底そう思った。

 これ以上、心をいじくり回されてたまるか。その汚らわしい霊体を断ち切ってやる。

 薫子は千年桜をふるった。

 香坂と薫子を結んでいたどす黒い霊体の糸は簡単に断ち切れる。

 次の瞬間、薫子の見える世界はもう一度激変した。


   *


 香坂の顔が目の前にあった。

 しかしその顔は、ちょっと冷たいながらも美しい香坂のものとは思えなかった。

 理知的なはずの口元は淫らに歪み、知性の輝きを持った目は、もはや人間のものというより獣のそれに近かった。

 薫子は、豹変した香坂にのしかかられ、喉にその爪を突きたてられていた。そればかりか髪の毛の一部がまるでゴルゴンの蛇のように蠢き、その針のように細い先端が薫子の頭部に数本、浅く刺さっている。おそらくこれを通してあの幻影を頭に送りつけたのだ。

「ば、馬鹿な……、なぜ、効かない?」

 香坂ははき出すようにいう。

 薫子は無意識のうちに、はじき飛ばされた千年桜を、ふたたびアポートで取り寄せていたらしい。しっかり右手に握られていた。香坂もそれに気づいたようだ。もう一度、剣を奪おうとする。

 二度とこれを手放すわけにはいかない。

 のしかかられた状態のまま、薫子は剣を振るう。千年桜はうなりを上げて、敵の体を砕かんとばかりにせまった。

 香坂は喉から手を離し跳躍すると、その一撃をかわし、ひらりと両手両足で着地した。まるで猫科の猛獣のように。

 薫子は跳ね起きると同時に、剣先を香坂に向け、構える。

 少し体がふらついた。きっと爪から注入された薬のせいだ。薫子はそれをさとられないように、必死で剣先の揺れを押さえつつ、香坂を睨み付けた。

 香坂はその状態を嫌ってか、横に走りながら薫子に向かって手の平を突き出した。

 そこから放射状に広がるどす黒い霊体が見える。

 なにかやばい。

 相手の攻撃が正確には読めなかったが、おそらく機械的な攻撃。それも広範囲に被害を及ぼす武器だ。

 薫子は派手なサイドステップで大げさにかわす。

 香坂の手の平からは霧が吹き出した。

 完全にはかわしきれず、一部が制服の袖にかかると、布地がぶすぶすと音を立て焼けただれる。

 溶解液の霧?

 薫子の後ろにあったベッドのカーテンにはまともにかかったらしく、もはや原形をとどめていなかった。プラスティックの溶ける異臭を放ちながら、ぼろぼろになっていく。

 今度は香坂は、両手を突き出した。しかも手の平は薫子のほんの一メートル先。おまけに今いる場所は部屋の隅。後ろは壁だ。

 霊体が示す攻撃範囲はきわめて広い。横にも後ろにも逃げ切れない。

 薫子はかいくぐるようにして、香坂の懐に飛び込んだ。

 まさに超高速の体当たりに似た攻撃。しかし敵にぶち当てるのは肩や肘ではなく、体と一体化するようにしっかり握り込んだ『千年桜』の切っ先。それには薫子の全体重と飛び込んだ勢いが乗っている。

 鳳凰院流奥義十二形剣の中でも強大な威力を誇る突き技、砲牛角ほうぎゅうかく

 その威力は、木剣といえど、人間の肉体をも貫通させる。ましてや今薫子が持っている剣は霊剣『千年桜』。とうぜんのように香坂の体を貫いた。

 しかもその場所は心臓。

 さすがに即死だったらしく、香坂は断末魔の叫び声すら上げず、動かなくなった。

 しまった。

 敵とはいえ、校内で保険医を殺すのはまずすぎる。

 殺したこと自体を後悔したわけじゃない。実際に経験したのははじめてだが、任務で敵を殺すことは子供のころから覚悟してきた。ましてや相手はどうしようもない悪党。

 だがやるときは十分計画を立てておこなうべき。初任務の上、計画外のできごと。このままではどんな証拠を残すか知れたものではない。暗殺剣が本来の姿である鳳凰院流の継承者とは思えないミスだ。

 しかもこの女からは聞くべきことがたくさんあったはずなのに。

 しかしやってしまったことをあれこれ悔やんでもしょうがない。

 とりあえず、返り血だけは浴びるわけにはいかない。薫子はベッドのシーツを香坂の胸に当てると、血が飛ばないように注意しながら霊剣を抜いた。

「本気で世直しをする気だったの? 自分を化け物にしてまで? 薬と催眠で生徒を洗脳することが正しいことだとでも?」

 薫子は霊剣の血を拭いながら、自分の精神を犯そうとした女を見下ろし、問いかける。

 もちろん香坂は答えない。死に顔には後悔や懺悔の色はなく、ただ無念の相のみが浮かんでいた。

「ふふ、校内で人殺しかい、薫子さん?」

 保健室のドアが開いている。廊下から薫子のやった一部始終を見ていたらしい男がいた。それも天使のように美しい顔に、いやらしい笑いを浮かべながら。

 いうまでもなく、藤枝だった。思った通り、こいつらはグルだ。

「べつに心配しなくたって誰にもチクらないよ。こっちだって困るからね」

 それは香坂の死体を調べられると困るということだろう。どう考えても普通の人間ではない。

 だがこの死体をいったいどうやってごまかす気だ?

 薫子がそういおうとしたとき、異変が起こった。

 香坂の死体が溶け出した。まるで濃硫酸の海にでもつっこんだかのように異臭を放ちながら崩壊していく。流れ落ちた内蔵の中に、小型のポンプと人工の管のようなものが混じっていた。その管は両手の中に通っている。

「こ、これが……」

 これが機械化テロリストというやつか?

 体内に変な薬剤や溶解液を仕込んであったことからまともな体ではないと思っていたが、ちょっと武器を仕込んでいるといったレベルではない。まるで改造人間だ。こんなことが現代科学の力で可能なのだろうか?

 おそらく体が溶け出したのも、仕込んだ溶解液の入った管が破け、体内で流出したのだ。

 香坂だったものは腐ったような異臭を放ち、泡立ちながら完全に液状化していく。溶解液は骨すらも溶かし、わずかに機械の部品が残るだけ。証拠として取り上げた注射器はいつの間にか床の上で割れていた。そして洗脳をしていた実行犯である香坂が消えた以上、『楽園の種』の陰謀の証拠は一切なくなる。

 いや、ある。自分の血液に入れられたあの得体のしれない薬。三月に調べてもらえばやつらの洗脳計画が明るみに出るはず。

 一時引こう。

 藤枝の能力がわからない。しかも薬のせいで体がふらついている。今は戦うべきじゃない。

 薫子は窓に向かった。窓を開け、外に飛び出そうとしたとき、はじめて自分が囲まれていることに気づいた。

 藤枝の取り巻き連中。その中に見知った顔が混じっていた。

「七瀬?」

 やはり、七瀬はすでに洗脳されていた。あの人なつっこい笑顔ではなく、刺すような視線で薫子を見つめる。

 七瀬を含む、彼らは全員で六人。男がひとり、女が五人。全員が無表情のまま、手にはサイレンサー付きのオートマティック拳銃を持っていた。

「戻るのよ、薫子。逃げるなら撃つ」

 七瀬が声を荒げる。

 問題ない。

 おそらく彼らはたんに洗脳されているだけ。香坂のような得体のしれない機械を埋め込まれた化け物ではないはず。ならば多少体調が悪くても、拳銃を持った素人六人などものの数ではない。よほどの射撃訓練を受けない限り、動く的になど当てられるものではないのだ。七瀬を倒すのはちょっと気が引けたが、手加減する余裕はあるはず。

 薫子は窓の下枠に足をかける。

 そのときはじめて気づいた。目の前を数匹の蝶が飛んでいる。真っ黒な蝶。カラスアゲハ。

 薫子は隣のクラスの担任、篠原が死んだときのことを瞬時に思い出した。

 心臓麻痺で死んだとき、まわりに舞っていたといわれているのがこいつらだ。

 直感的に、素人の向ける銃口よりもはるかに危険だと思った。

 薫子は外に出るのを躊躇し、振り返る。

 室内にもいた。薫子は知らないうちに、十数匹の蝶に囲まれている。

 そういえば香坂が溶け出したとき、そっちに目を奪われていたが、こいつらが香坂のまわりを飛んでいたのかもしれない。

 香坂が溶け出したのは体内に仕込んだ溶解液のせいかもしれないが、薫子が突いたのは心臓だ。そのせいで溶解液が流れ出したとも思えない。

 おそらくやったのは藤枝だ。そして攻撃の鍵は飛んでいる蝶にある。篠原が死んだときと同様に。

「篠原先生を殺したのはあんたね? しかも武器はこの蝶」

 薫子の問いに、藤枝はにっこり笑って答える。

「ピンポーン。大正解」


   2


 ここはどこだ?

 目を開け、はじめは霞がかかったようだった視界が戻ったとき、慎二はそう思った。

 どうも自分はパンツ一丁の姿でベッドに横たわっていたらしい。頭には包帯が巻かれている。

「気がついたようだな」

 ライオンのたてがみのように髭もじゃでぼさぼさの長髪の中年男が語りかけながら、ベッドの側にやってきた。東平安名の持ち駒のひとつ、医療および科学研究担当の黒森くろもり博士だった。

 慎二は現場で気を失ったあと、『鴉』の地下治療室に運び込まれたことを理解した。

「それにしても丈夫な体だの。車がひしゃげるほどの衝撃を受けてもたいした怪我をしとらん。だてに鋼のような筋肉してらんな」

 この白衣を着た肥満体の医学博士は、ダルマのような腹を揺すりながら「がはははは」と笑った。

「博士、……彩花は?」

 一瞬の間ののち、黒森は真面目な顔になり首を横に振った。

 わかっていた答えだった。しかしいざ聞くと、激しい衝撃が襲う。

 彩花を洗脳したやつ。そして焼き殺したやつはこの手でぶち殺してやる。それがこの俺にできるせめてものはなむけ。

 慎二は爪が食い込むほど拳を握りしめた。

「……博士、彩花は脳はいじられたり、機械のようなものを埋め込まれたりしていたのか?」

 慎二は上体を起こすと、荒ぶる心に鞭打って質問する。敵を倒すには正確な情報が必要だ。

「機械などはなかった。脳の一部が削除されたなんてこともない」

「じゃあ、あいつはどうして洗脳されたんだ? 薬も催眠も効かないやつなのに。しかも洗脳されるかもしれないと身構えていたのに。ありとあらゆる洗脳の手段を知っているはずの彩花がどうして抵抗できなかったんだよ!」

「それは俺にもわからんよ。薬も催眠も使わずに、深層意識の中に入り込む手段を持っているのかもしれん。『楽園の種』のやつらはな」

 いったいやつらはなんなんだ? それほどまでの洗脳技術を持っていて、いったいなにをしようとしているんだ?

 それに薬も催眠も使わずに、深層意識の中に入り込むだって? それじゃあ、まるで……。

「シン、起こったことをすべて報告しろ」

 いきなりドアが開いたかと思うと、東平安名が入るなり命令した。その顔は悲しみを押し隠すかのように無表情だった。

 慎二は盗聴していたが洗脳を行った形跡などなかったこと、彩花の様子には直前まで変わったことがなかったこと、そして慎二を殺そうとしたことなどすべて話した。

「アヤカがおまえを撃った? しかも運転中のおまえを」

「そうだ」

 東平安名は唇を噛んだ。目が血走っている。本気で怒っている。

「やつらの命令でアヤカはおまえと一緒に死ぬ気だったんだな?」

 握りしめる拳は震えていた。

「やろう、ぶち殺してやる」

「おいおい、東平安名さんよ、穏やかじゃないな。いったい誰に怒りをぶつける気だ?」

「黒森博士、そんなこと決まってるだろうが。アヤカを洗脳し、そんな命令を下したやつだ。黒幕は黒死館とかいうやつに決まっている。シン、今から研究所に乗り込んで、やつをぶち殺せ!」

「いわれるまでもねえ」

「おい、馬鹿なことをいうな、ふたりとも。なんの証拠もないんだぞ」

 黒森は呆れ顔でいう。

「証拠? そんなものはいらないね。あたしが責任を取る」

「いいんだな。捜査じゃなくて、叩き潰していいんだな?」

 全身に血がたぎってくる。敵を殲滅させる龍王院の皆殺しモードの血が。

「そうだ、戦争だ。一切躊躇する必要はない。戦闘準備にかかれ」

「いや、しかし……」

 博士が無駄な説得をしようとしたとき、部屋にセットされたスピーカーから放送が聞こえた。緑川が司令室からマイクを通して話しているのだ。

『隊長、情報屋から情報が入りました。都内に大量のネズミ発生。まるでハーメルンの笛吹に先導されるかのように行列を作って集まろうとしています』

「なにい? どこだ。ネズミはどこに集まろうとしているんだ?」

 東平安名は壁のインターホンのスイッチを押し、叫んだ。

『シミュレーションの結果、曙学園高校と思われます』

「なんだって?」

「ふん。知ったことか。俺はもう止まらないぜ。そっちはべつの誰かをやってくれ」

 もうネズミなんかとじゃれてる暇はない。

「かまわん。なおさら研究所を叩く必要がある。ネズミをコントロールしているのはとうぜん黒死館に決まっている。コントロールシステムを潰せ。狂ったネズミを止めるにはたぶんそれしかない。学校のほうにはどっちにしろ誰かを送り込む気でいた。篠原教師の件があったからな」

「篠原教師の件?」

「篠原教師はただの心臓麻痺じゃなかった。殺されたんだ」

 黒森が口を挟む。

「心臓の内側の一部にかすかに火傷のあとがあった。それで心臓麻痺を起こしたんだな」

「心臓の内側? それ以外は火傷していないってことか? どう考えてもそんなことは不可能だろうが」

「電磁波だ」

「電磁波? つまり電子レンジなんかで使うマイクロ波みたいなやつのことか? 体全体がゆであがるならともかく、どうして心臓の内側だけが……」

「電子レンジで使うマイクロ波と同じものかどうかはわからないが、たぶん大差はないだろう。ただちがうのは四方八方からレーザーのように絞り込んだ電磁波を放って一カ所に集中させることができる。そうすると通過しただけのところはたいして温度も上がらないが、集中したところだけが急激に温度が上がる」

「そ、そんなことが……」

「できるんだろう、やつらには。篠原教師の場合、心臓の内側に集中させた。血液を沸騰させるまでもない。急激に温度を上げれば簡単に心臓麻痺を起こす」

 そういえば、事故があったとき篠原のまわりには蝶が飛んでいたという話だ。

 つまりその蝶が電磁波を出す武器だ。それを操るやつが学園の中にいる。

「心配するな、シン。『二号』は、敵の武器が蝶であることもわかっている」

 おいおい、よりによって送り込むのはあいつかよ。

「そっちは『二号』にまかせろ。おまえは一刻も早く黒死館研究所に向かい、ネズミのコントロールを阻止しろ。もちろんやつをぶち殺すことを忘れるな」

「途中で中止命令なんかよこしたらおまえからぶっ殺すぞ」

「誰が止めるか、馬鹿」

 ちなみに二号とは『ハンター二号』の略。『ハンター』とは『楽園の種』のテロリストを狩るハンターの意味で、一号はもちろん慎二。二号は慎二の妹だ。

 慎二はベッドから立ち上がるとそのまま治療室を出る。この地下にはさらに、普段東平安名や緑川がいる司令室の他、研究室、武器庫などいくつかの部屋がある。慎二はそのうちの小さな一室のドアの前に立った。ここは慎二専用の更衣室だ。

 慎二はドアに付いているのぞき穴のようなものを覗き込んだ。機械が慎二の網膜をスキャンする。もちろん本人確認のためだ。ドアはロックが解除された。

 中に入ると、今度はロッカー扉に付いている指紋照合スキャナーにひとさし指を合わせる。横一本の光の線が指の腹をなぞるように移動すると、ピピッという電子音とともにロックが解除された。ロッカーを開けると、身につけていたただ一枚のトランクスを脱ぎ捨て、ハンガーにかかっていた黒い全身レオタードのようなものに足を通す。

 薄く柔軟な素材でできているが、衝撃を大幅に緩和することができる耐衝撃スーツだ。防弾性能まではないが刃物で斬りつけても簡単に切れることはない。さらに電流をも絶縁する。

 その上から股間にファールチップ、さらに腹と胸にプロテクターを着ける。これらはどんな銃弾でも通さない。

 さらに黒の革パンツと革ジャンを身につける。肘、膝、肩にはプロテクターが付いているタイプだ。靴はブーツタイプの安全靴。皮のグローブには拳の部分に鋼鉄製のナックルガードが装備されていた。さらに顔の半分を覆うスキーに使うようなゴーグルは、サングラスのように黒いがこれは敵が急な発光で目くらましすることに対応してのことだ。もちろん防弾仕様になっている。その上からやはり黒いヘルメットを被った。頭部だけでなく両耳を覆うタイプのもので、マグナム弾だろうとライフル弾だろうとはじき返すのはいうまでもない。

 二挺拳銃用のガンベルトを閉める。ロッカーの中にさらにある金庫の上のテンキーに暗証番号を打ち込んで扉を開けると、中から大型の銃を二挺取りだした。

 日本はもちろん、世界中のどこでも市販はされていない特別仕様の拳銃。

 スミス&ウエッソン社で開発した、通常のマグナム弾を遙かにしのぐ破壊力を持つ500S&Wマグナム弾を撃てるオートマティック仕様になっていて、マガジンには十二発装填できる。全身真っ黒で銃身もグリップも異様に長い無骨な銃、通称『龍の牙』。黒森博士の自信作だ。

 慎二は『龍の牙』を二挺ともガンベルトに入れた。

 これが慎二の戦闘服だ。これを着るときは、『楽園の種』のテロリストどもを追い、仕留めるとき。つまり『ハンター』だ。

 廊下に出ると黒森博士、おまけに緑川までが出迎えていた。

「シンさん、虹村さんの敵討ちをお願いします」

「ふん、まかせておけよ。……隊長さまはどうした?」

「おこもりしました。トラップを仕掛けるって」

「マジかよ?」

 おこもり。東平安名にしか使えない特殊能力を今こそ使う気らしい。

 逆にいえば、使わなければ黒死館を倒せないと判断したということだ。

 心強い限りだぜ。

 慎二は大きく頷くと一歩前に出て、目の前のドアに向かっていった。

「開け」

 慎二の声に反応してドアが開く。

 中には大型のバイクが置かれてあった。これは慎二の戦闘用バイク、『飛龍』。この部屋は『飛龍』の専用ガレージだ。

 慎二は『飛龍』にまたがり、エンジンをかけた。とたんに爆音がとどろく。

 ターンテーブルがまわり、目の前にトンネルの入り口が来た時点で止まった。これは緩やかなスロープになっていて、地上に向かう長い長い通路だ。出口はここからかなり離れ、しかも一見わからないようにカモフラージュされている。

「うおおおおお」

 慎二の雄叫びともに、『飛龍』はロケットのような勢いで飛び出していった。


   3


 非常にまずい。

 篠原が死んだとき、黒い蝶が舞っていたという予備知識なしでもそう思っただろう。薫子のまわりをひらひらと飛ぶ蝶の群れは異様な雰囲気を持っていた。

 いや、それは雰囲気などという曖昧なものではなかった。

 千年桜を手にした薫子には、生物の霊体が見える。外で待ち伏せしている洗脳された生徒たちはもちろん、ここにいる藤枝も霊体の形ともいえるオーラを放っている。化け物じみていた香坂でさえそうだ。

 しかし、この死を運ぶ黒い蝶からはそんなものは一切放たれていなかった。

 作り物。

 そうとしか思えない。どう見ても生きている蝶としか思えないが、これは機械だ。さらにいうならば兵器に違いない。

 機械ならば、千年桜といえど攻撃を読むことはできない。機械は殺気など放たないからだ。

「只者じゃないとは思っていたけど、鳳凰院一族だったとはね」

「え? なにをいってんのよ、あんた」

「今さら隠したってしょうがないだろう? 顔色ひとつ変えずに人を殺して普通の女子高生だっていい張る気? っていうか、催眠中に自分ですっかり白状したよ。君が三月グループに雇われた鳳凰院薫子だってことはね」

 あちゃ~っ。自分の正体や雇い主を敵に語るとは間抜けもいいところだ。鳳凰院失格。もうなにがなんでもこいつを倒すしかない。

「ふん。正体がばれたのはお互い様。あんたも『楽園の種』の化け物なんでしょう?」

「化け物? 君だって大差ないだろう? その化け物を倒したんだ」

「あたしはこれでも生身の人間。訓練のたまものってやつよ」

 あえて霊剣の力を教える気はない。

「まあそんなことはどうでもいいさ。問題は君がいろんなことを知りすぎてしまったことだ。雇い主に報告される前に、篠原先生同様、死んでもらうよ。やっぱり心臓麻痺がいいかい?」

「若い女性がふたり続けて心臓麻痺なんて不自然すぎるって」

 藤枝はその言葉を鼻で笑った。

 同時にオーラの質が変わった。

 体からゆらゆらと赤い炎のようにくすぶっていた霊体は、どす黒く濁り、投げ縄でも投げたかのように細い紐状になり、薫子の方に向かって飛んだ。それも一本ではなく、十数本の炎の紐だ。

 攻撃的な霊体は薫子ではなく、まわりの蝶に当たった。蝶たちがそれを反射する。そしてそれらは薫子の頭部に集中した。

 やばい。

 これは藤枝の殺意。機械は殺意を放たなくても、それを操る人間はべつだ。

 薫子はとっさにサイドステップで狙いを外す。だが蝶たちは豹のような薫子の動きに後れを取ることなく付いてきた。まるで黒い風が薫子に向かって吹いてくるようだった。

 薫子は体術の限りを尽くし、蝶を振り切ろうとする。でたらめな方向に走り、急激にしゃがんだかと思えば、ジャンプして壁や天井を蹴った。

 それで短期間、蝶を振り切ることはできた。しかしそれはほんのつかの間のこと。すぐに追いつかれた。

 ただでさえ正体不明の薬を注入され、体がふらついているとき、これはつらい。瞬く間に、薫子の息は切れ、全身汗みどろになった。

 それでも藤枝の放つどす黒い殺意のオーラが一瞬消えた。薫子は動きを止め、藤枝を見据える。

「さすがだね。僕の狙いがわかったのかい?」

「頭を狙った」

「はっはっはっは。いやあ、どうしてわかったのかな? やっぱり君だって化け物じゃないか? 僕と同類だよ、君は」

「いっしょにしないで。虫ずが走る」

 薫子の怒りを、藤枝は鼻で笑って受け流した。

「まあ、正確にいえば、心臓麻痺がお気に召さないようだから、脳を焼こうとしたのさ。脳の内部をね。僕たち『楽園の種』には脳のどの部分が、どういう機能を備えているか正確に理解している。薫子さん、君はどこを破壊すればどうなるか、知ってるかい? どういう死に方が望みかな。体が動かせなくなって徐々に死ぬのがいいか、恐怖を感じないようになってから死ぬのがいいか、あるいは狂い死ぬかい?」

「好きにすればいい。ほんとうにそんなことができるならね」

「はっはっは、気が強いね。そうはいっても、ちょこまか逃げ回れると狙ったところを攻撃できない。じっとしていればご褒美として楽に殺してあげるよ。逃げ回れば、そこまでピンポイントで狙えないからね。どうなるか、保証はできないよ」

 藤枝は楽しそうに話す。

「馬鹿にするのもいい加減に……」

 いいかけて薫子は気づいた。蝶の数が増えている。それも大幅に。

 この狭い保健室の空間は埋め尽くされていた。まるで黒い雲の中に入り込んだかのように、どこを見ても重なり合った蝶の姿が目に入る。

 とくに逃げ口となる窓の周辺にいる数は尋常ではない。そしてもうひとつの逃げ口になるドアの付近には藤枝が立っていた。

「気づいたようだね。君があんまり跳んだりはねたりして面倒だから、数を増やさせてもらったよ。もうどこに逃げようと無駄だ。蝶は君を追う必要さえない。逃げ回って疲れ切って無様に殺されるのは惨めだよ、薫子さん。じつはもう事故死に見せかける必要なんてないんだ。これ以上逃げ回るなら肺を焼くよ。そうなれば地獄の苦しみだよ。呼吸ができなくなって、のたうち回って、胸を掻きむしりながら死んでいくんだ。いやだろ、そんなの? 剣を捨てて、僕の前に正座しなよ。降伏したと見なして、楽に殺してあげる。脳の一部を刺激してやるとたまらない幸福感を感じるよ。エクスタシーってやつだ。その絶頂の中で殺してあげる」

 藤枝は天使のような笑みを浮かべ、優しくいった。

 優しく殺されるために降伏するなどもとより考えてはいない。藤枝の勧告は薫子の怒りに火を注ぐだけだったが、今の一言の中に気になる台詞があった。

「事故死に見せかける必要はもうない?」

 つまり事件は表面化していいってことだ。

「すでになにか起こってるってこと? 誰の目にも明らかななにかが」

「いやあ、するどいねえ。でもその通りさ。あしたの新聞の一面はこの学校が飾るよ、間違いなく。だってものすごい殺戮が起こるんだもの」

「いったいなにをするつもりなの?」

「ネズミの大群が生徒たちを襲うんだ。全身ネズミに噛まれて血まみれになった生徒たちの屍の山。絶対ニュースになるよ。日本全国震え上がるだろうね」

「いったいなにが目的なのよ、あんたたち! テロ? 国民を人質にして政府になにを要求する気なの?」

「テロ? 恐怖革命? 僕たちはそんなことを望んじゃいない。ラリった君の頭の中で香坂がいっただろう。僕たちの目的は地球をふたたび楽園にすることさ。僕たちは全世界の人間を幸せの元に統治する。恐怖で押さえつけた体制など、いずれ破綻するのは歴史上明らかだからね」

「じゃあ、いったいなにをするつもり?」

「人々を幸福にするにしても、いろいろやり方はあるってことさ。地球を破壊し、自分たちが滅亡に向かっているのにその自覚のない大衆に真実を教える必要がある。人間は自分たちの罪を自覚すべきなんだ。そのために最小限の犠牲を払うことはやむを得ない。この学校の生徒たちには悪いけど、自分たちの死が、それこそ楽園の種になるんだ。そう考えれば幸せだろう?」

「狂ってるの、あんた?」

「狂ってなんかいないさ。マリア様の考えを理解していないとそう見えるかもしれないけどね。いや、僕だってはっきりぜんぶ理解してるわけじゃないさ。だけど信じているからね、マリア様を。難しいことはマリア様に任せておけばいいのさ。それで世界は安泰だ」

 そう語る藤枝の顔は陶酔していた。

「さあ、もう時間がない。まだネズミたちは学校のまわりをうろちょろしているころだけど、すぐになだれ込んでくるよ。そうなったら僕でも止められない。じゃあ、そろそろ聞かせてもらおうか、君の返答を。剣を置くか、向けるか。どっちがいい?」

 考えるまでもない。薫子は剣を構えた。

「あんたたちは間違っている。自然の代弁者のような顔をして人間を殺しても、なんの解決にもならない。どんな大義名分を掲げても、あんたたちのやろうとしていることはたんなる世界征服。そんなやつらには絶対に屈しない」

「了解。快楽に身を包まれて死ぬより、苦しんで死ぬのが趣味ってことだね。いい趣味してるよ、薫子さん。真性マゾってやつ?」

 藤枝の顔は狂気にゆがんだ。

「じゃあ、そんな薫子さんに特別ご褒美だ。肺を一部だけ機能を残して焼いてあげる。そうすれば死ぬほど苦しくてもなかなか死なないよ。ついでに脊髄を焼いて下半身の運動機能を破壊してあげる。のたうち回って絶望しながら、襲ってくるネズミたちに囓られるといいよ。いいだろ? 最高の死に方だろ? 想像しただけでイキそうだろ?」

 なにが可笑しいのか、藤枝は涙を流しながら馬鹿笑いした。その顔は、カリスマを崇拝する信者などではなく、たんなる醜悪なサディストのものにしか見えなかった。


   4


 爆音とともに、慎二は『飛龍』で黒死館総合医学研究所の正門を突破した。そしてそのまま医療センターを目指す。彩花を送り込んだとき、下調べしたから場所はわかっていた。

 おそらく黒死館には、すでに不審なバイクに乗った男が敷地に入ってきたと連絡済みのはずだ。だがかまうことはない。もともと慎二は闇に紛れて忍び込み、誰にも悟られずに暗殺をするなどというのは性に合わないし、そういうことには才能がないともいえる。得意なのは正面突破だ。そもそも今回は時間がない。今すぐにでもネズミの進行を止めないといけないのだ。

 慎二は医療センターのガラス製の扉を開けることもなく、バイクごと、文字通り正面突破した。

 ガラスの砕け散る音に混じって、耳障りな悲鳴が響く。

 慎二は受付前に『飛龍』を止めると、ホルスターの『龍の牙』を抜いた。その間、およそ0コンマ数秒。銃口を向けられた受付の若い女は凍り付く。

「黒死館はどこだ?」

 冷酷な口調でいった。答えなければ女とはいえ撃つ気だった。龍王院は警察ではない。最初から法など超越している。

「た、たった今出て行きましたけど……」

 とても悪の手先には見えない顔をした女は、真っ青になっていう。後ろの方から聞こえる順番待ちの患者たちの叫び声が鬱陶しかった。

「おめえら、今すぐここから出ろ。洗脳されるぞ」

 振り返り、そういうと、患者たちは我先にと出口に殺到した。

 念のため、バイクにまたがったまま、診察室をひとつひとつ蹴破っていく。中に患者らしきものがいれば、同様に追い払った。医師たちは攻撃してこないので、とりあえず無視した。

 たしかに黒死館はいなかった。だが、最後の無人の部屋から慎二の特殊能力は残留思念波を感じ取った。ここから逃げ出した男の思念が波動になって残っている。

 邪悪な波動だ。まがまがしい波形をしている。

 もっとも波形といっても見えるわけではない。五感しか持たない普通の人間にはどう説明しようにも感覚的にはわからない。ただ便宜上波形といっているに過ぎないのだ。

 おぞましい精神は空間自体をいびつに歪め、道しるべを残した。それは窓から外に出ている。

 こいつを追えばいい。そこがやつの居所だ。学校でネズミの逃げだ場所を特定するよりずっと楽だった。

『飛龍』のエンジンを吹かし、窓をぶち破って外に飛び出すと、やつの痕跡を追う。

 慎二にだけ感じられる、海面に残ったモーターボートの波のような残留思念波は、一番奥にある建物に向かっている。たしかあれが第一研究所のはずだ。

 いまごろ逃げた患者たちが警察に連絡しているだろうが、それは問題ない。東平安名がすでに上の方に話を通してあるはず。問題はやつらの方だ。ここまで派手にやった以上、手ぐすね引いて待っているのは間違いない。もはや事態は戦争状態に突入している。

 慎二は第一研究所の建物の前で『飛龍』を止めた。

 目の前の建物は、清潔感溢れる真っ白な近代的な二階建てのビルで、コロセウムを連想させる円形をしている。

 静かで、外見上は平和そのものだ。しかし、精神を研ぎ澄ますまでもなく、中から邪悪な気が漂ってくるのが丸わかりだ。

 慎二を殺そうと待ちかまえている殺気。それも何人もの人間を殺したことのあるやつ特有の殺伐とした思念波がそこら中から出ている。

 身を隠す知恵すらねえのか、おめら。

 慎二は嘲笑した。

 殺気をコントロールすることすらできず垂れ流すやつが相手なら、たとえ百メートル先にいても気づかないことはない。

 やつはどこだ?

 だだ漏れの殺気の中から黒死館を特定するのは難しい。邪悪な思念波がそこら中から出ているため、逃げ込んだ黒死館の残留思念波をかき消している。だが入り口付近のやつらはおそらく雑魚だろう。おそらく黒死館は奥の方で、殺気をわずかといえど放つことなく隠れているに違いない。

 とりあえず、今慎二に向けて殺気を放っている敵の位置を頭にたたき込んだ。こいつらが自分を殺すつもりで武装しているのは間違いない。ならばこっちも容赦する必要がない。ある意味楽だ。

 殺気を向けるやつらは、片っ端から皆殺しにすればいいのだから。

 おそらく黒死館は、モニターで館内を観察しているはず。仲間を手当たり次第にぶち殺されて、動揺した思念波を発するものがいれば、そいつこそが黒死館だ。

 さて、どうするか?

 エントランスの一階部分には敵はいない。そのかわりに二階に四人。おそらくエントランスは吹き抜けになっていて、慎二が入ったとたん、上から一斉射撃するつもりなのだろう。

 相手の武器はわからないが、連射の効く軍用アサルトライフルであっても不思議はない。拳銃ならばともかく、そういう銃ならば弾丸をそれこそ雨のように浴びることになる。そんな雨はいらない。

 ならば答えは簡単だ。不意をついて、一気に殲滅する。

 病院内と違って一般患者がいるわけでもないし、遠慮する必要もねえ。ぶち殺して、ぶち殺して、ぶち殺して、ぶち殺せばいい。

 自分の顔が、無意識に笑っているのに気づいた。そういうモードに入った。

 慎二は必要以上にバイクの爆音を轟かせながら、玄関のガラス戸に向かって飛ばした。だが馬鹿正直にこのままつっこむ気はない。

 ハンドルに付いているレバーを操作する。

 『飛龍』は飛んだ。車体の下部についている四つのロケットブースターによって『飛龍』は文字通り、空に向かって飛んだ。

 そのまま、一階ではなく、二階のガラス窓をぶち破って中に突入した。

 完全に敵の虚を突いたらしい。両サイドにふたりずついる敵からは驚愕の気が波動となって発せられる。

 白衣を着た研究者のような格好だが、手にはアサルトライフル。研究者のふりをした殺し屋どもだ。予想通り、吹き抜けの二階部分に左右にふたりずついたことから、上から下へ囲むように狙い撃ちするはずだったのだろうが、今慎二はやつらの間をほぼ同じ高さで通過していく。この状態でアサルトライフルを撃てば、同士討ちになるのは必然だ。

 やつらはなにもできなかった。予定外の行動をされ、パニックになり、手に持っているアサルトライフルはただの飾りと化した。

 慎二は水平に飛びながら、あわてず腰の『龍の牙』二挺を同時に抜く。そのまま両手をクロスさせた。

 目で狙う必要はない。やつらが放つ気、つまり絶望の思念波の発生源方向に向かって撃てばいい。そうすれば見なくても勝手に当たる。

 左右の引き金を同時に引いた。

 耳をつんざく爆音とともに、やつらの放つ気がふたつ消えた。

「ひやあああああああ」

 残ったふたりは完全に理性を失ったようだ。意味不明の叫び声を上げ、同士討ち覚悟でアサルトライフルを中央にいる慎二に向ける。

「遅せえ!」

 慎二は容赦しなかった。やつらが引き金を引くよりも早く『龍の牙』の第二弾を撃った。 銃声の直後、血の入った肉袋が裂ける音がした。連射されたライフル弾が見当違いの天井に向かって飛ぶ。引き金を引いたまま倒れた死体が撃っている。

 慎二が一階の床に着地したころ、弾がなくなったらしく静寂が訪れた。

 二階から血の雨がぽたぽたと落ち、一階に血の水たまりを作る。

 第一関門突破。

 そのままスロットルを回し廊下を走った。やつらの放つ獣じみた思念波がこっちの方向から発せられている。

 この通りの両サイドの部屋に数匹ずつ隠れている。慎二はバイクで走り抜けながら、左右の『龍の牙』によるマグナム弾を気配めがけてドア越しに撃ち込んでいく。

「おらおらおらおら。それで隠れてるつもりか、薄汚ねえ殺し屋どもが」

 弾は轟音とともに木製のドアを突き抜け、断末魔の叫びを呼び起こしていく。

 左右とも三部屋ずつ撃ち抜きながら通過すると、ようやくこの周辺を覆っていたまがまがしい殺気が消え失せた。ドアの下の隙間から、血がじんわりと廊下に流れ出てくる。

 ドアのひとつが開いた。同時に白衣を着た男が廊下に倒れ込んだ。

 胸元は真っ赤に染まり、大きな穴が開いている。

 手には同様にアサルトライフル。顔には恐怖でも苦痛でもなく、驚愕の表情が張り付いたまま固まっていた。

 何者かが一瞬、動揺と怯えの混じった気を発した。

 急激な感情の変化によって生じた思考波。慎二はそれを逃さない。その波形こそは診療センターからここに逃げ込んだやつの波形。

 いた。やつだ。黒死館だ。

 一度覚えてしまえばもう逃がさない。猟犬としての慎二の能力の見せ所だ。

 波動の発生源は地下。やつはそこにいる。

 慎二は階段を探した。見つけるや否やバイクに乗ったまま駆け下りる。

 階段の最下部には重そうな鉄扉があった。とうぜん鍵をかけているのだろう。しかも鉄扉のすぐ後ろから大仰な殺気がふたつ、少し離れて六つ放たれている。

 慎二は走りながら『飛龍』のターゲットスコープを鉄扉にロックした。そのまま発射ボタンを押す。『飛龍』の前面のライトの両サイドにある穴から小型ロケット弾が飛び出した。

 炸裂音とともに鉄扉は粉砕し、すぐ後ろに感じていた殺気がふたつ消える。

 慎二はドアのあったところに向かいながら、ヘルメットを操作する。左右の耳当ての部分からシャッターのように飛び出た装甲が口元を覆う。さらに戦闘服内に装備された圧縮空気の入った小型タンクからの呼吸に切り替えた。そう長いことは持たないが、それで十分だ。

 そのまま爆発による炎と黒煙の中を駆け抜けた。

 パニックになりながら叫ぶ愚か者たち。この黒煙の中では互いに相手の姿は見えない。そんな中叫び声を上げるのは、自分の位置を敵に知らせることだと気づかない愚か者だけだ。

 もっとも慎二にはそんな耳からの情報など必要ない。

 殺意から絶望に転じた感情の激変によって生じる思考波の発生源に向けて銃口を向けるだけだ。

 半ば正気を失ったやつらが放つ流れ弾の雨の中、慎二は冷静に引き金を引いていった。

 まずは人一倍強い恐怖感によって思念場をゆがめているやつ。

 ひずみの中心に向けて撃った。

 中心のゆがみは消え、ついさっきまで感じていたはずの恐怖が波動となって球状に広がり、次第に衰退して消えていく。

 同様にすぐ近くにいるやつも始末した。さらにその横。後ろのやつも。

 やつらの出す波動が変わった。恐怖から死にものぐるいの殺意へ。

 だがターゲットが見えない悲しさ。弾はとんでもない方向に飛び、慎二にはかすりさえしない。敵のひとりは流れ弾に当たって死んだ。それでも乱射はやまない。

 あわてずに引き金を引く。

 狂ったようにアサルトライフルを撃っていたやつが吹き飛んだ。これで全員片付いたはず。

 ほっと一息ついたころ、ようやく爆発による煙が収まった。

 やつらの死体が目で確認できる。アサルトライフルを持った白衣のやつらの死体が血の海の中に横たわっている。

 だが計算違いの光景がひとつだけあった。

 おそらく黒死館のいる部屋の入り口と思われる扉の前に、白衣の若い男がひとり立っていた。もちろん弾は受けていない。煙にむせこんですらいない。しかもこの男は手に一切の武器を持っていなかった。体はがっしりしていて研究所員らしくはないが、戦闘のプロという感じでもない。むしろ生真面目な体育会系学生といった感じの男だ。慎二はなぜかこの男の気を感知できなかった。

 殺気を押し殺していたか?

「黒死館の野郎はその中か?」

 銃口を向け、質問する。

「そうだ」

 男は脅えるでもなく、慎二の質問を肯定した。

「おまえを通すわけにはいかない」

 男の顔は恐怖に脅えるというより、むしろ楽しそうだ。いや、顔だけでなく、この男の思念波から判断するに慎二を微塵も恐れていない。

 そんなことはどうでもいい。

 慎二は無言で引き金を引いた。弾は爆裂音とともに心臓のあたりにぶち当たった。

 だが男は死ななかった。その体は倒れるどころか揺らぎもしない。胸元から潰れたマグナム弾はころりと床に落ちる。

 こいつは機械化テロリストか?

「誰だ、貴様?」

「『楽園の種』、黒死館部隊の副官、中里少尉」

 中里。聞き覚えがある。確か彩花が潜入したとき、助手として黒死館と一緒にいたやつだ。とうぜん彩花の洗脳にも立ち会っているはず。

 中里は邪悪な気を発散させながら、手を広げたまま両手を慎二の方に向ける。

 次の瞬間、中里の指先から天を突く勢いで紅蓮の炎が発せられた。

 しかもその瞬間、こいつから出る残虐な思念波の形には見覚えがあった。

「彩花を焼き殺したやつは貴様かぁああああああ?」

 十本の指から発せられた火炎は、それぞれ龍のごとく四方八方から囲むように慎二に襲いかかる。


   5


 彼は頭が痛かった。

 ここ数日、ずっとだったが、きょうはとくにひどい。

 なにか知らないが、ここ二、三日、無性に人間に噛みつきたくてしょうがなく、噛みついては振り払われ、棒きれなどで追われる毎日が続いていた。

 その度に人間は、「きゃあああ、ネズミよ」とか叫び声を上げる。もちろん彼には意味などわからないが、その甲高い叫びは彼を不快にさせた。

 いつもならそんなリスクなど負わないのに、なぜか噛まずにはいられなかった。噛みたくて噛みたくてしょうがなかったからだ。

 そしてその衝動はきょう最大限に強くなった。

 噛むだけでは飽きたらない。全身を噛みつくし、血まみれになった人間が踊るところを見たい。

 やってやる。

 なぜならきょうは一匹じゃない。仲間がまわりにいる。それも大量に。

 そう、彼が感じているとおり、大量の仲間が集まっていた。

 下水道の中ならともかく、日中、人目の付くところにこれだけの数が集まることがかつてあっただろうか?

 その数、数万匹。あるいは百万を超えるかもしれない。

 道行く人間たちは、その異様な軍団を見て、絶望の悲鳴を上げる。

 いつもなら耳障りな人間の悲鳴が、きょうは心地よかった。

 今、彼は大量の仲間たちとひとつの建物を囲んでいる。

 それは学校だった。彼は知るよしもないが、これこそは薫子の通う曙学園高校。

 なぜか彼らはここに惹きつけられた。

 何者かが呼んでいるのだ。神の囁きにも似た魅惑的な言葉で。

 その神は彼らを煽る。

 殺せ。殺せ。殺せ。人間を殺せ。

 その鋭い牙をやつらの柔肌に突きたてろ。肉を喰らい、骨をかみ砕き、血をすすれ。

 その破壊衝動が頂点に達したとき、仲間の一匹が校舎の正門の中に突入した。

 それが合図だった。

 数万匹の彼らは我も我もと押し寄せる。

 人間の子供たちの悲痛な叫び声が聞こえる。

 もっと叫べ。

 恐怖に満ちた悲鳴は、彼の破壊衝動を増すばかりだった。

 死ね、死ね、死ね、人間どもめ。

 波のように押し寄せる黒い固まりは、憎悪の念で支配されていた。

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