第2話 獲物の双眸

セラ・モンドグロス王女。

当年13歳。

年相応の痩せっぽちながらも見目麗しく品位既に爛漫。

食欲旺盛の二次性徴途上の乙女であった。

その姫君は、騎士団領から落ち延びる悲劇の旅路の途上でもあった。

何とも筆舌に尽くし難い死中求活。哀毀骨立あいきこつりつの可哀相である。


その彼女が、冷たく重い泥に塗れて、立ち尽くしていた。

目の前には付き従うところの万難不屈ばんなんふくつの大丈夫、チャンゴ・ヨルムトギョーム牧師が立っている。こちらは捲り上げた袖口から覗く逞しい腕に、泥炭が絡みついている。


二人とも、肩で息をして、その場にへたり込む。

そこは沼地の真ん中だった。

秋口。山々が生気を失い霧に沈む中、黒々と横たわる沼地は、思い出した様に咲く秋の花以外、褐色の地面に墨で塗りたくった様であった。

苔の生えた土を踏んで歩いていたところ、セラが誤って泥炭の沼にはまり込んだのだった。

それをどうにかチャンゴが引き上げたところだった。

胸から下を地面に吸い付かれた心地がしたセラはパニックで暴れ、余計に沼にはまり込む始末で、ようやくといったところだった。

チャンゴの口が利けたなら、適切な指示も出来たのだろうが、聾唖ろうあとあってはそうもいかない。

「た、助かったぁ……」

セラは生臭い汚泥を滴らせ、呆然としている。死の恐怖に怯えることは旅路の上で幾度もあったセラである。吸い込まれた泥沼の圧力と冷たさから、死の臭いを如実に感じたのだろう。

いつもは自信ありげに振舞うセラ王女の、この有様に、チャンゴは破顔する。

「笑いごとじゃないっ。死ぬかと思ったんだから!」

後でチャンゴから筆談と身振りで聞くことになるが、底なし沼でも底はあるし、それで溺れ死ぬことはまず無いのだそうだ。沼にはまって死ぬ原因は、大抵抜け出せずに餓えてしまうからである。

故に、冷静に対処すればどうにかなるものなのである。

そうとはこの時まだ知らないセラは、顔の泥を落涙で流しつつ、長い髪にへばり付いた、髪より黒い泥をチャンゴに投げつけるのであった。


「クサい」

セラは憮然として言った。

あれから沼地を抜けて森に入り、どうにか川を見つけた。

深さは膝が浸かる程度だが、服と体を洗うには十分だった。

冬が近いとあって、川の水は冷たい。その冷たさにもセラは不満タラタラだったが、と言うか、叫び罵っていたが、泥の臭いが落ちない。

背中を向けたままのチャンゴにいくら愚痴ったところで、耳が聞こえないので伝わりようも無い。

かと言ってこちらを向かれては、嫁入り前の白い玉肌を晒すことになろう。深深たる森の小川に映えたる肢体は我ながら、

「うんうん、なかなか」

と頷く程だが、

「臭いけど」

と表情も曇る。胸や尻など大人のそれには遠く及ばないが、それはこれから身に付こう。と前向きに考えておく。

「ダメだ。臭いまでは落ちないや」

恐らくあの沼には動物の死骸も沈んでいたのだろう。毒々しい臭いが取れない。

チャンゴも腕や服に泥が付いていたが、気にならない程度なのか、本人が気にしていないだけなのか。腐った倒木に潜む芋虫でも平気で食うので、後者かも知れない。

そのチャンゴは服を乾かす為の火を起こしてくれている。背後が煙たいので、そろそろ頃合いのはずだ。

岩の上に置いてあるチャンゴのマントを羽織り、洗った服を絞ると、振り返る。

焚き火越しに、チャンゴとバッチリ目が合った。

おかしい。

何故こっちを見ているのか。

いつからこっちを見ていたのか。

「……ずっと見てたの?」

チャンゴは急に石でも飲んだ様な顔で、コクリと頷いた。

薪の爆ぜる音が小川に響く。


「っはくしょんっ」

聾唖でもクシャミの音はセラ達のそれと変わらない。チャンゴは鼻をすする。

焚き火を、川岸から奥まった岩棚に移した二人は、夜をそこで明かすことにした。既に日は暮れつつあった。

先程までの群青色の空も、今や西に赤っぽい帯だけを残して、殆ど深海へ沈んだ様だった。

松葉の茶を沸かしつつ、雑穀の粥を炊いている。

炊事をしながら、チャンゴもずぶ濡れになった服を乾かしているところだった。

「流の法」

と呼ばれる方術がある。

セラ達の様な特別な地位の人間だけが学べる秘術。それは「方術」と呼ばれており、騎士団領の切札として体系化されている。

「流の法」は、その中でも、水などの液体を操る念力術である。

方術は押し並べて「物を操る術」であるが、その対象物が不定形であればあるほど難しい。

その「流の法」は、固形物を操る「硬の法」ほど容易くない。

現在セラはその「流の法」の修行中である。

それからすると、今日は目覚ましい進歩があったと言える。

怒りに任せて劇的に高まった集中力は、川の流れを止めた。

川面が渦を巻いたかと思うと、蜷局とぐろとなって立ち上がり、逃げ行くチャンゴの背中を目掛けて襲いかかったのである。

これだけ出来れば「流の法」も功が成ったと言えよう。

「っはくしっ」

「悪かったわよ」

手拭いで股間だけ隠して火に当たるチャンゴは何とも寒々しげだ。セラも、カッとなって悪かったとは思うが、デリカシーに欠けるチャンゴも悪いとブツブツ漏らす。

チャンゴは耳が不自由なので、セラから目を離すことがよほど不安なのだろう。それはよく分かる、が、女心という物もあるのだ。

20歳(大抵の者が身を固める歳頃)を迎えるチャンゴからすれば、セラはまだ子供なのだろうが、それにしたってあんまりだ。

そんなことを呟いていると、茶が湧いた。

松葉の茶は、野菜や果物が採れない時に重宝する。松の葉はそこらで採れるし、飲むと病気になりにくくしてくれるのだ。濡れて体が冷えている二人にはちょうど良い。

「はい」

自分のより多めに注いだ茶腕をチャンゴに渡してやる。

二人で、寒空の下、熱い茶を啜る。腹の底に染み渡る様だった。


「美味いな」

マイラ・ヨルムトギョームは今や騎士。久しぶりに飲んだ松葉の茶の味は、彼女に放蕩生活時代を思い起こさせた。

「兄者がよく淹れてくれたものだ」

酒に悪酔いした時には、辛味粉をかけた生卵と、この松葉の茶を、彼女の兄は出してくれた。

「懐かしい味だ」

茶の立てる湯気が夜気に揺れる。

「隊長は何かにつけてお兄さんの話をしますね」

部下のサナグが面白がる。こちらも茶を啜っている。

「お前達にわざわざ教えてやっているんだ。我々が追う相手のことをな」

マイラは少し早口になっている自分に気がつき、取り繕う様に茶を飲むが、熱くて噎せてしまう。

「けへっ。あちち」

「セクメトはやはり、猫舌なんですか?」

尋ねたのは焚き火の向こうのヤッカだった。三人の若き騎士は、火を囲んで車座になっていた。

「知らん。私は私以外のセクメト族に会ったことが無い」

マイラはセクメトと呼ばれる獅子頭族だが、生まれも育ちも人里である。見た目にはハタチ前の娘だが、ライオンの耳と瞳、背な毛と尾を持ち、それこそライオン並の力持ちである。セクメト族は山奥で独自の文化風俗、村落を有し、人目を忍んで暮らしている女傑族だ。

彼女の母親は彼女を産んで間もなく亡くなっている。

察した部下の二人は黙って茶を啜る。

そして今、マイラが剣を携えて追っているのは、彼女の兄だった。

兄はお尋ね者。その兄を追っている。

母も無く、父ランドとは音信不通。

マイラが遠征に出ている間、城で何があったのか?

父と兄が謀反を企て、王を殺した?馬鹿な。

家族の罪咎を自らの剣で晴らすつもりで、この任務を引き受けたが、考えれば考えるほど、茶が苦くなる。

「すみませんでした」

サナグが謝ると、マイラはハッと我に立ち返り、少し笑って頭を振った。

「何、兄妹とは言え、血は繋がっておらんしな。その時が来れば、一思いに……」

「姫君をも?」

ヤッカが問う。

「そうだな。一緒にいるはずのセラ姫に関して、捕縛叶わぬなら最悪首だけでも、という御達しだが……」

セラとチャンゴ。どちらも手強い相手だった。セラには方術があるし、何よりチャンゴが問題だった。耳こそ聞こえないが、読み書きに習熟し(騎士団領の識字率は五割程度)、山森の動植物に精通しており、脚も強い。一度見失ったが最後、捜し出すのは至難の技だ。加えて、組打くみうち、剣術、槍術の腕前がある。

マイラも、その時が来れば剣に手をかけざるを得ないだろう。

「姫はまだ元服も迎えないというのに。その様な惨いこと」

「私も自信がありません」

部下二人の気持ちは、マイラにはよく分かる。セラとマイラは一緒に育ったも同然だった。

「それでも、心を鬼にせねばなるまいよ」

言って、マイラは苦みが出てきた茶を飲んだ。

山の木々が夜風にざわめくのを聞き、ようやくそこが山中であると分かるほどの闇。

セラとチャンゴも、この闇の中の何処かで火を焚き、息を潜めてうずくまっているのだろう。

「斬るか」

誰に言うわけでもない独り言が、茶で温まった呼気と共に口から吐き出され、立ち消えた。


旅籠屋はたごや

旅人が脚を休め、温かい食事で胃を満たし、柔らかい布団で眠ることが出来る、部屋貸しである。

雑魚寝炊出し付きから、個室朝食付きまで様々だが、セラは旅籠を大変好む。特に気に入っているのは、湯船や湯桶を借し出ししている種類のところだ。

宿場町にはこういう旅籠屋が多くあるので、よく選んで泊まることにしている。

しかし、問題がある。

セラは高級志向だが、チャンゴは貧乏性。よく意見が食い違うのである。喧嘩になることもしばしばだが、最近は毎度、お互い気分が悪くなるのに辟易し、初めから二人の好みの中間を行く旅籠を選んでいる。

今回は選択肢がそう多くはなさそうだった。ここは山の麓の小さな町。旅籠は、光沢艶やかなのと、襤褸ぼろ板張りのと、二軒だけ。

どうしても湯に浸かりたいセラとしては、押せば倒れそうな方に湯船が無ければ、上等な方に泊まりたいところだ。その為にこうして町まで降りてきたのだ。

高そうな方となるとチャンゴには頭の痛い展開だが、兎も角は鼠屋を訪ねてみることにする。

ちなみに、二人の手配書が出回っていそうなものだが、保安衛生団の詰所の掲示板には様々な手配書が貼られ、古い物の上から新しい物を何重も重ね貼りしており、最早機能していなかった。次々と新しい手配書が貼り出されるのだろう。余程治安が悪いらしい。取り締まる側の掲示板がこの有様では、取り締まる側にもかなり問題はあるのだろうが、この辺りは街道が近い為にそれだけ賊も出やすいのだろう。確かに、見れば、酔った放蕩無頼の輩が肩を並べて歩いていたり、路地で月見酒をやっている。

道すがら宿泊代が高そうな方の前を通る。杉材を使った木造の二階建て。看板には「旭屋エブルドス」とある。城下にあっても馴染む程上等な造りであった。

思わず足がそちらの玄関先へ向きそうになるが、チャンゴに首根っこを掴まれてしまってはそうも行くまい。

その他、弾ける脂の匂い立つ料亭の戸口や、造り酒屋の利き酒の誘い、屋台に並ぶ炭火焼の肉饅頭。道中誘惑は尽きない。

そういうわけで、セラはあっちにフラフラこっちにフラフラ。なかなか真っ直ぐに歩けないでいた。

鼠が這い出してきそうな粗末な荒屋まで何とか辿り着くと、

「ごめんください」

建て付けの悪いドアを何とか押し開ける。看板に「とまりマリバ」とあるので旅人向けの宿であることは間違いない。

「いらっしゃんせ」

返事があり、主人らしき男が奥から出てきた。


「部屋を借りたいんだが」

マイラは背嚢はいのうを降ろしながら、旭屋の主人に言った。立派な門構えの宿屋だけあって、主人の着物も上等だ。

「三部屋で宜しいですかな、騎士様」

主人は笑い皺の通りに笑みを作りつつ、応対する。

「うん。頼む」

「あい、かしこまりました」

主人の名はマハト。慇懃いんぎんな物腰には年季が入っている。

マイラが通された部屋は、書物机と寝床だけの、簡素だが堅実な部屋だった。表向きのケバさとは趣向が違う。清貧こそ騎士の誉れ、と保守的な騎士は言う。ここは騎士用の部屋なのかも知れない。

「良いな。気に入った」

「ありがとうございます」

「察した通り、鏡や調度品など、我々には不要。心得たものだ」

「恐縮で。今、湯桶を出しますので」

「頼む」

マハトは下がり、小僧の持って来た湯桶で絞った手拭いで、マイラは顔と手を拭う。

「小僧さんよ」

「何でしょう」

「妙な客はいないか?」

「宿改めでございますか?」

「いやな、人を探している」

「風体は?」

「若い牧師と尼だ。もしかしたら他の変装をしているかも知れん。男の方は耳が利かん。接待すれば分かろう」

「さあ、心当たりはありませんが、その様な方がいらっしゃいましたら、お報せ致します」

「頼むぞ。さて、宿貸しはもう一つあるな?」

「ええ。とまり木さんですね。道の先です」

「ふむ、ありがとうよ。湯桶を暫く借りるぞ」

「どうぞ」

小僧が、ごゆっくり、と言って下がると、マイラは鎧を脱ぐ。

革の服も脱ぎ、裸になる。褐色の皮膚の下には、強い筋肉が詰まっている。硬い筋肉ではない。柔軟でしなやかな肉だ。

体を拭く。

髪の中から生えた尖った耳。後ろ髪から首へ続くたてがみ。背な毛。腰から尻の割れ目、下腹部へと毛並みは続く。

セクメト独特の体毛である。

粗方拭いたところで、戸を叩く者があった。

「隊長。宜しいですか?」

「開けたら死ぬぞ」

マイラは手拭いを湯桶に放り込み、服を着る。

「よし、いいぞ」

戸を開けて、ヤッカとサナグが現れた。

「死ぬぞ、とは大仰です」

「私の裸が大したことないと?」

「そういう意味ではありません」

ヤッカが赤くなる。立派な鎧を着ていても、まだ若者だ。サナグは頑張って無表情を装っている。ちなみに、二人よりマイラの方が歳下だ。マイラは元々放蕩者故、こうした洒落には慣れているのだろう。

「いや。死ぬぞ、ってのは、私がだ」

「はい?」

「恥ずかしくて、死んでしまう」

三人で笑ってから、ミーティングとなった。

「食事より前に任務だ」

「はい」

「とまり木、という宿屋を訪ねて聴き込みをする」


「お湯は借りられますか?」

セラの問いに、とまり木の主人は

「桶でございますか?それとも、湯船でございますか?」

と、すきっ歯を見せて笑った。

物音一つしないところからして部屋はガラ空きの様だが、セラの目的は体を洗って臭いを取ることだ。

「出来れば、両方かなぁ、と」

「湯桶でしたら、すぐにお持ちしましょう。ただ、」

「ただ?」

「湯船に関しましては、少々時間がかかります」

「いいですけど、何故?」

主人はへの字に眉を寄せて、

「それが、大釜が割れてしまいまして、湯を一度に沢山ご用意出来ないんです。少しずつ沸かして、湯船に足し湯するので、お時間がかかるかと」

「あらまぁ」

「そういう次第でして」

戸板一つ見ても、この襤褸である。さもありなん。

「向こうの旭屋さんでしたら、すぐだとは思いますよ?」

「でも、宿賃が高そうな門構えで、私達あまり持ち合わせが無いものですから」

セラも殊勝なことを言う様になったものだと、チャンゴは少し感心した。

「旭屋さんは入浴代別で案内してますので、入浴だけそちらで済まされてはいかがでしょうか?」

この主人、湯を用意するのが面倒なだけではあるまいか。

「いくらくらいですか?」

「お一人様一回四銭です」

セラはチャンゴに身振りで御伺いを立ててみる。チャンゴは溜息でも吐きそうな様子で、頷いた。

「ああ、お連れ様はお耳が」

「ええ、不自由なんです」

「それは失礼を致しました。さて、それではまずお部屋へ」


「夜分に御免」

マイラは戸を叩くと押し開けた。

「当地保安衛生団の駐在所責任者はどちらかな?」

保安衛生団は、マール騎士団領内の犯罪取締と治安維持を任務とする、公の騎士団である。

ここはその詰所であった。

「私はシュシアヘッタイトのマイラ・ヨルムトギョーム一等騎士。お目通し願う」

三人の人間が詰めていた。お下りや中古の鎧を身につけ、ほぼ新品の安い剣を携えている。若い騎士達であった。年の頃はマイラ達とそう変わらないはずだが、彼らはもっと幼い印象がある。

「しばしお待ち下さい」

年長者らしき騎士が奥へ消え、すぐに髭を蓄えた中年の騎士と共に戻って来た。

「ラヤンダールです」

髭の中でボソリと自己紹介を呟いた。愛想は無いが、眼だけは真っ直ぐにマイラを見ている。

革鎧の徽章きしょうは、一等騎士を語る剣一文字。マイラと同じだ。

「本陣からいらしたとか?」

ラヤンダールが問う。

「本陣」とは、首都シュシアヘッタイトのことを指すが、そんな昔のスラングを使うのは古い人間だけだ。生やし放題の髭は、昔の騎士の流行り。このラヤンダールという男は、見た目より歳を重ねているのかも知れない。

マイラは再び名乗り、自己紹介する。ラヤンダールも倣う。

詰所の奥は宿直室になっており、マイラ達三人はそこへ通される。

チャンゴとセラのことをすぐに尋ねると、ラヤンダールは、

「通達があってから目耳を尖らせておりましたが、なんもございませんなぁ」

と抑揚無く言った。どうも人物が読めない。真面目なのか不真面目なのか計りかねる。だからして、こうした僻地勤めをさせられているのかも知れない。

「そうですか。我々はとりあえず、これから宿を改めようかと」

マイラも事務的に伝える。初めから有力な情報など期待していない。ここに立ち寄った目的はただの挨拶だ。

「一応、毎朝宿帳を見ておりますが、それでは足りませんか」

「我々は我々でやります」

「そうですか」

筋だけ通しに来たことは、ラヤンダールにも分かっただろう。

「それと、我々は『旭屋』に宿を取っております。何かあればそちらへ」

「御意」

マイラ、ヤッカ、サナグの三人は詰所を後にし、とまり木という宿屋に向かった。

果たして襤褸の木造屋があった。

サナグは裏に回る。ヤッカは表で待つ。

「ご免」

そしていつでも先陣を切るのがマイラである。

「これはこれは騎士様」

すきっ歯を見せて笑う主人が、奥から現れた。着物も襤褸だが、当て布等して大事に使っている様子が伺える。

「ご宿泊で?」

「いや、少し聞きたいことがあってな」

「なんでしょう?」

「二人組を捜している」


セラは湯に肩まで浸かり、息を吐いた。吐いた、と言うより、温まった身体の芯から立ち昇る湯気が、漏れ出す様であった。

「くはぁー」

体は既に香料入りの石鹸水でツルツルに磨いてある。髪も同様だ。

湯室は板で仕切られ、隣は見えない様になっている。

隣ではチャンゴが同じ様に湯に浸かっているはずだ。安全策としては、互いの指先に結んだ紐が、互いの無事を知らせ合う仕組みとなっている。

そんな仕切りと湯船が二、三十は並んだ、浴場だった。

湯船は大きな焼き物で、底に簀の子が敷いてある。並んだ湯船は、セントラルヒーティングによって温められる構造だ。地下の大竈で焚いた火が起こした熱気を、湯船全ての底に吹きつけるのである。

都会でしかお目にかかれない凝った造りである。

この分なら、ここは暖房も完備しているだろう。

「こっちに泊まりたかったなぁ」

チャンゴの耳が聞こえないのを良いことに、心の声を口に出してやる。

湯室全体の音を聴いていると、人で賑わっている感もあるし、隠れた上宿に違いない。飛脚が選ぶ宿は良いという。確かに、飛脚らしき人間と、何回かすれ違った。

「美味しいご飯も食べたいなぁー」

飯も美味いに違いない。

「塩の効いた、子牛の胸腺のグリルとか」

しかし、それは少し上等過ぎるだろうか。

もう少し庶民の味。この土地ならではの味も、堪能したいものだ。

「南の漁港には、銀鮫ぎんざめの頬肉のほろほろ焼きってのがあるらしいのよねー」

「それ、食べたことがありますよ」

チャンゴが居る側と反対の仕切りから、若い男の声がした。どうやら独り言が聞こえてしまった様だ。

「あら、これは失礼しました」

「いえいえ」

少し間を置き、セラは、

「お食べになった?」

と尋ねてみる。

「ええ。あれは美味しいものです」

訛りがない。シュシアヘッタイトに近い地方の出だろう。

「そうですか。羨ましいです。どんな味?」

「歯ごたえ確かながら、噛み締めればハラリと解けて、染み出す脂の甘さたるや筆舌に尽くし難く……」

「良いですねぇ。失礼ながら、訛りがございませんね?どちらから?」

もっとほろほろ焼きの話を聞いていてもいいのだが、これ以上聞くと腹の虫が鳴き始めてしまう。

「本陣、いや失礼、シュシアヘッタイトですよ」

湯が、急に冷たくなった気がした。あの泥炭の沼の様に。

「……本陣?」

「ああ、いや、失礼しました。私は騎士なんですよ」

「そうですか」

追手か。

まさかこんな傍まで迫っていたとは。

セラは、チャンゴと繋がっている紐を静かに引いてやる。もう片手で、湯船の傍らの浴衣を、手繰り寄せる。

「お城勤めの騎士様が、なしてこちらへ?」

どこの物ともつかない訛りで喋ってみても、相手にはもうバレているかも知れない。いや、バレている。油断した。旅人ばかりだと思い、つい独り言など。

「それは機密事項なので言えないのです。申し訳ない」

「いえそんな。さいですか、

お疲れ様ですね」

「そちら様は、どちらから?やはり都ですか?」

来た。何と答えたものやら。

「アンヘムです」

口をついて出たのは、チャンゴの家がある地区名だ。シュシアヘッタイトの近くであるし、不自然ではないだろう。

「ああ、やはりあの辺りでしたか」

「ええ」

向こうがこちらに気づく前に、会話を切り上げ、ここを出なければならない。

静かに湯船を上がり、浴衣を羽織る。

紐からチャンゴの反応が無い。湯当たりでもして、のびているのだろうか。

「それで、今日はこちらにご宿泊で?」

「えー、いやまぁ、そうですねぇ。そんな感じ、じゃないでしょうか」

心構えが事前に出来ていれば、噛み締めずに済んだ演技の難しさよ。

「では、どうですか、酒でも一杯」

「連れがおりますので」

本日只今、普段から酒場に出入りしていて本当に良かったと思う、この未成年であった。

そうでなければ、こうした誘いのあしらい方も、見聞きしていなかったろう。

「ではお連れ様も是非どうです?」

「いや、はぁ、しかしー」

しつこい奴だ。

紐をグイグイ引いても、チャンゴの反応が無い。おかしい。

仕切りの向こうの様子を見ようとした時、反対側の仕切りの影から若い男が顔を覗かせた。

「やあ、これは、思ったよりお若い」

「ちょっと!了承も無く失礼ですよ!」

セラの一喝に怯みもせず、男は湯に濡れた前髪を掻き上げ、笑みを見せる。

「いや、すみません。自制心に勝る好奇心が故。許して下さい」

男は、髭を綺麗にあてたばかりで、人好きがする好青年といった風体だ。

見れば浴衣のみ身につけており、剣は帯びていない様子。

「騎士様のすることではありませんよ」

「失礼しました。お嬢さん」

「貴方、お名前は?」

「ラーグ・シスカンと申します」

シスカン。よくある地名姓だが、騎士団ではあまり聞かない名前だ。騎士団に多い姓は、聖典に登場する人名や精霊の名前を捩った物だ。

恐らくこの若者、ラーグは、世襲でない騎士、ということだろう。

「所属はどちら?文句を言うわ」

「これは手厳しい」

笑って言う。二重瞼を瞬かせる様は愛嬌があるが、セラはどうも好かない。芝居の下手な役者の様だ。

「こら、ラーグ。他人様にご迷惑をおかけするんじゃない」

別の声が、ラーグの背後からかかる。

「ジスファ、固いこと言うなよ」

ジスファと呼ばれた男が、ぬっと現れた。

無精髭に蓬髪。太い体躯をしている。前腕の太さからして、日常的に剣を振る男であるらしい。ラーグの騎士仲間だろう。

浴衣を羽織り、濡れた髪が額に垂れている。

「御無礼した」

と、ジスファはセラに頭を下げると、ラーグに、

「さぁ、行くぞ」

と促す。

ラーグは渋々従い、ジスファに押しやられる様に、浴場の出口に向かって行った。

セラは安堵すると、再び険しい顔をして、隣の仕切りを覗く。チャンゴに文句を言ってやろうと思ったが、

「あれ?」

姿が無い。

指先に結んだはずの紐の先が、着物籠に結わえられている。

「チャンゴ?」

呼んだところでチャンゴの耳には聴こえないだろう。

と、その時、出口辺りが騒がしくなった。

「そこの二人!待て!」

「逃げろ!」

「逃がすな!」

「どけ!」

複数人の声が響く。湿気に強い堅い木材を使った天井は、音がよく跳ねる。

「表に回れ!」

その中の一人の声に、セラは聴き憶えがあった。

少年の声かと思われたが、それにしては険があり、鋭い。

修羅の巷にある女の声だ。

よく聴いた声だった。

夜の城下町、路地で殴り合いの喧嘩となると、この声の主は喜び勇んでいたものだった。

「マイラ⁈」


マイラの眼前に立っていたのは、「怪しい二人組」だった。

若い中肉中背の男と、無精ったらしい筋肉質の男。

とまり木に宿泊している者の中に「怪しい二人組」がおり、その二人組は旭屋の浴場に向かったと聞いたマイラ達は、飛んで来た次第だ。

とまり木の主人が言っていたのは、この二人のことだろうか。出入口で鉢合わせしたこの二人組。妙だった。

掌のタコは鋤や鍬でできる物ではない。剣と槍のそれだ。その違いがマイラにはわかる。

二人は、マイラ達を見るや、ギョッとした様子で足を止めた。

若い方が鎧と剣にビクリとし、年長の方がそのリアクションに対して苦々しい顔をする。

それを察知したこちらの様子に、更に若い方が緊張する。

年長の方が冷静を取り繕おうと、浴衣を正す。

マイラの口が開く。

「名前は?」

すると、二人は屈託無い笑みを見せる。

そして転身、脱兎の如く、二人が駆けだした。

「そこの二人!待て!」

サナグが鋭く叫ぶ。

「逃げろ!」

若い男、ラーグが側の仕切りを引き倒して通路を塞ぐ。

そしてまた転身し、駆けながら風取り窓を指す。蓬髪のジスファも駆けながら、頷く。

「逃がすな!」

「どけ!」

ヤッカが二人を追う。

サナグも続こうとすると、マイラはそれを制し、

「表に回れ!」

と自分は裏口の方へ駆けだした。

風取り窓から脱したとしても、表通りと裏通りに手があっては逃げきれないだろうし、背中を追うヤッカと挟み撃ちに持ち込める。

二人がヤッカに反撃したところで、二人とも素手とあっては帯剣した騎士に敵うわけも無い。

マイラの指示は適切と言える。サナグは表に駆けながらそう思った。

マイラは、泊まり客や女中を驚かしながら廊下を駆け、裏口の戸を撥ね飛ばす様に、裏通りへとまろび出た。

二人が何故逃げたのか、問い正さねばならない。

セラとチャンゴのことを知っているとは思えないが、何も無いのに逃げる奴というのは、つまりはそういう人間なのだ。追って、とっちめてやるに越したことは無い。

角まで走ると、ちょうど当の二人と鉢合わせした。

「よう」

泡を食って立ち止まる二人に、マイラは息も切らさず、声をかけてやる。

「なんで逃げる?」

「追うからだ」

ジスファが答える。ラーグは肩で息をしつつ、肩幅に足を開く。隙あらばまた逃げるつもりだ。

「先に走りだしたのは、そっちだろう」

「おっかねぇからだよ」

マイラは、変に思った。この二人の後ろを追っていたヤッカはどこだ。なぜやって来ないのか。

「女の騎士か。しかも亜人」

ジスファが唇を歪めて言う。

「美人だが、こうあっちゃ気に食わないね」

ラーグが横に、摺り足で、距離を取る。

喋り方、身のこなし、体つき、そして、亜人蔑視。

シュシアヘッタイトでは、優秀ならば女人が官職に就くこともある。亜人も労働許可証を持っていれば、居住権が与えられる。

そういう世に移り変わっている昨今でも、やはりこの界隈には、こういった人間も居よう。だが彼等には、この辺りの訛りは無い。

「地元の人間じゃないな?だが、都会の出でも無い。旅の途中か」

どうやら旅籠に身を寄せている二人に間違いない様だ。

そして露骨な亜人蔑視は、都会以外において、騎士等のトラディションな職種に多い偏見である。

「訛りは無いが、保守的なオツム。騎士崩れの無頼者か?」

マイラは、勘こそ悪いが、相手が自分と同じ穴の狢ならば、すぐにそうと分かる。マイラは無頼上がりの騎士だが。

だから、こうしたお喋りもそう得意なわけではない。マイラは時を稼いでいるだけだ。ヤッカなりサナグなりが駆けつけてくれないことには、剣を抜いてしまいそうで怖いのだ。

「動くなよ。動くと斬っちまう」

ジリ、と、マイラが歩を進める。

ラーグが腰を少し落としたまま、チッ、チッ、と舌を鳴らす。威嚇のつもりなのか、何なのか。不気味だった。

そこで声がした。

「隊長!ヤッカが!」

サナグの声が、二人の背後、浴室の風取り窓の方から聞こえて来た。

その声にマイラが反応、逡巡する間に、ラーグの掌から、何かがポトリと落ちた。

思わずそれを目で追うと、それはただの泥団子だった。

だが、鼠の尾の様な白い煙を立てている。

湯沸かしの煙に紛れていたそれが、マイラの鼻に臭ったのはその時だった。

「火⁉︎」

声を上げるのと、団子が炸裂するのは同時だった。

土色の煙が膨れ上がり、ラーグとジスファを包み、マイラを取り込み、濃い霞となる。

「煙幕か」

ラーグの舌打ちは、手中の火打道具を使う為のカムフラージュだったのだ。

辺りが晴れると、やはり、二人の姿も煙と消えていた。

マイラは膝立ちから、周囲を伺いつつ、立ち上がり、抜いていた剣を収めずにサナグの声の方へ急ぐ。

「どうした!」

サナグが窓の下に立っている。

人一人がどうにか通れる程の風取り窓は、内側から縁が外れていた。ラーグとジスファが窓を破って出た時に壊れたのだろう。

そこから中の浴場がよく見えた。

浴場の中、浴衣の人集りの真ん中で、ヤッカが倒れていた。

「馬鹿な。あのヤッカが返り討ちだと」

「隊長、当の二人は?」

「逃げられた。すまん」

「すると、かなりの手練れなんでしょう」

「わからん。それより、ヤッカの手当てを」

「はい」


「ちょっと、何処に行ってたのよ」

セラは、チャンゴの肩を拳で殴りつける。

脱衣場でサービスの冷水を飲む二人は、まだ浴衣のままだった。

チャンゴは手刀を下向きに下腹部に当て、「小用だ」とジェスチャーする。

もう一発殴りつけたセラは、

「ならそう告げてから行きなさい。あたしがどうなってもいいの?」

と、更に拳を構える。

するとチャンゴは杯の水を、セラの足元にタララっと零す。「漏らしてもいいのか?」

という意味だろう。

「ちょっと!ばっちいわね」

まるで水を小便とばかりに、濡れたつま先をチャンゴの尻を蹴りがてら、拭く。

セラは訝しんでいた。

マイラらしき声が、確かに聞こえた。

そして、チャンゴのこの様子だ。

マイラと接触したのか。

したなら、なぜそれをセラに伝えないのか。

単にセラを慌てさせまいと、気遣ってのことなのか。

それとも、それ以外に何かあるのか。

例えば、妹であるマイラに諭され、里心を覚えた、など。

いや、そこまでの時間は無かっただろう。

だが、これはどうしたことだろうか。

セラにはチャンゴの真意がわからなかった。

まさか、マイラと申し合わせて、セラをシュシアヘッタイトに連れ戻す魂胆がありはしないか。

だからマイラのことを伝えないのか。

いや、そんなはずは無い。

チャンゴはここまで、それこそ命懸けで戦って来たのだ。

そんなはずは、無い。

では、チャンゴはあの時、何処で何をしていたのか。


実際、チャンゴは小用を足しに立っていたのではなかった。

セラに絡んで来たラーグと、ジスファの二人をつけていたのである。

そして、二人が出くわしたのは、チャンゴが最も出会いたくない相手だった。

湯気の向こうの、騎士の出立ち。

マイラと、その部下。

ラーグとジスファこと浴衣の二人もマイラの部下なのかと勘繰っていると、浴衣二人がこちらへ走りだして来たので、慌てて湯桶棚の影に隠れたが、浴衣二人を追って来た若い騎士にその隠れ様を見られてしまった。

若い騎士が、訝しんでチャンゴの前で足を止めた瞬間に、チャンゴはもう相手に飛びかかっていた。

芝居を打って惚けることなど、チャンゴには出来ない。

腰に抱きつき担ぎ上げ、投げ落とす。

鎧は重く、持ち上げるのに万力を込めざるを得なかったが、この前投げ殺したラオに比べれば軽いものだった。

運良くそれで若い騎士は気絶した為、組み付いて締め落とす必要は無かった。

この騎士が目を覚ましても、暫くは前後不覚で要領を得まい。逃げる準備を整える時間はある。

その後、チャンゴはセラと合流し、今に至っている次第だった。

チャンゴは、セラのパンチを背中に受けながら、水を飲み干す。

マイラがこの町に来ている。

早く立たねばなるまい。

食糧を補給したら、すぐにでも。

しかし、今は夜。

問屋も小売屋も閉まっている。

翌朝まで待たねばなるまい。

狭い町ではないが、旅籠は二軒のみ。

息を潜めているには、一晩は長かろう。

今すぐ山へ逃げるにしても、日が暮れていては、シェルターを確保するのも一苦労だ。野獣のうろつく夜の山中で、火もシェルターも無しでは、これも命取りになる。

もはやこうなれば、腹を括る時なのかも知れない。

妹とはいえ、もはや敵同士。

いつかは対峙もしよう。

覚悟を決め、なすがままに任せるしか無いのか。

妹でも、障害となるなら、斬る。

そして、セラ。

彼女にこのことを伝えるべきか否か。

心づもりをさせておかねばならないのは、分かる。

だが、セラにとってマイラは姉の様な存在でもある。

セラはどう言うだろうか。

反対するだろうか。

逃げようと言うだろうか。

しかしセラがどう言おうと、マイラが立ちはだかっていることに変わり無い。

チャンゴは改めて心を鬼にする。

杯を中居に返すと、チャンゴはしきりの向こうへと歩きだした。

「何よ、ちょっと、無視しないでよ」

そのチャンゴの尻に最後の蹴りをくれながら、セラが言う。

チャンゴは蝿でも払う様にセラをいなして、行ってしまう。

「どうしたってのよ」

セラは浴衣を直すと、自分も更衣所へ向かう。

脱衣場は男女で仕切りがあるだけなので、先程の様に紐を使って互いのあり様を知り合うこともできるが、人の多いところでは目立つ。手早く着替えるしかない。


「水をくれ」

中居の返事を待たずサービスの冷水を取ったマイラは、運んで来たヤッカの顔にそれをかける。気つけだ。

「むっ」

ヤッカが朦朧としつつ、目を開ける。

「ここは?」

「脱衣場だ」

「どこのです」

「憶えてないのか?」

ヤッカは水に濡れた顔をツルリと撫でて、自分を見下ろすマイラとサナグ、その周囲に出来た野次馬を見る。

「ヤッカ、今日のことを思い出せるか?」

サナグがヤッカの目を覗き込む。目の焦点が定まらない様を見、サナグは溜息を吐く。

「頭を打った様ですね。安静にせねば」

マイラは苦々しく口をへの字に曲げ、周囲に「誰か見た者はいないか?」と問う。

「騎士に手向かった輩がいる。知らないか?」

浴衣の野次馬達は顔を見合わせたり首を捻ったりだ。

と、そこへ、

「何事か」

鎧を身につけたラヤンダールが現れた。

「騒ぎがあったと聞いた」

「ラヤンダール殿。其処許の預かる所で申し訳ない」

マイラが居住まいを正す。

「構いませぬ。下手人は?」

「逃げられた上、この始末」

「ずっと追っておられた輩で?」

「違うが土地の者ではない様子。早急に『とまり木』に戻って、委細訊かねば」

「風体は?」

「若い男と、大柄の蓬髪無精髭の二人組で、若い方は火薬を使う」

「只者ではないな」

二人は頷き合い、ヤッカとサナグを連れて旭屋を後にする。

出る折、主人のマハトに詫びると共に、台帳の提出を頼んでいるが、入浴客の台帳は無いし、件の二名はここに宿泊している客ではないことは分かっている。念の為である。

ヤッカは、サナグに付き添わせて、保安士詰所で休ませることにした。ヤッカ本人は、記憶不明瞭ながらも不満気だった。自分が何か不手際をやったのは確かだと悟っているあたり心配は無さそうだが、万が一ということもある。

とまり木へは、マイラとラヤンダールが臨む。

とまり木の主人は、戸が開くと一瞬営業用の笑みを見せたが、マイラとラヤンダールの姿を認めると途端に難しい顔で「いかがでしたかな?」と尋ねてきた。

「怪しい二人組、確かに風呂屋に居たが、逃げられた」

マイラが答える。

「下手人でありましたか」

「いや、違ったが、何かしらのカドで追われてる輩だな。こっちの姿を見て逃げだした」

「ははぁ」

「それで、詳しく聞きに来た」

「いえ、話した通りですわ。台帳の名前は『ラーグ・シスカン』。二名の宿泊ということで夕刻承り、暫く部屋で休まれてから、先程湯を浴びにあちらへ行かれた次第で」

「どこから来たか言っていたか?」

「いえ、何も」

「互いのことは?ラーグとはどちらが記帳した?」

「若い方が、ラーグと名乗り、記帳を。厳つい方は何もしゃべりませんでしたんで」

「何でもいい。他に憶えてないか」

「そうですなぁ」

主人は顎に手をやり、薄く生えた髭を撫でつつ、

「そういえば、」

と切り出した。

「湯桶を用意して部屋に伺った時、大金がどうのこうのと」

「金?」

「ええ」

「金をどうする?」

「何やら見積もりを出してる様子でしたね。いくら貯めているとか、金が入ったらどうするとか」

「商売をするつもりだったとか?」

「さあ。しかし、荷物も殆どありませんでしたなぁ。商人にしても旅人にしても、荷が少ない点は、私も不審に思ったところで」

「合点が行った」

ラヤンダールも、何やら頷く。

マイラは苦々しげに口を歪め、言った。

「奴ら、盗賊だ」


「ヤバ。やっぱりマイラじゃない」

セラは思わず呟く。

セラは人垣の後ろから、一部始終の様子を見ていた。

昏倒していたらしき騎士と、マイラ、その部下、それに、この土地の保安士。彼らはどうやら、こちらを捜しているのではない様子だったが、それでもここが危ないことに変わりは無い。

それに、マイラの任務はセラを追い捕まえることだ。

マイラとの対決は避けねばなるまい。

マイラはチャンゴの妹だ。

それに、剣の腕前は騎士団一と言って差支え無い程の手練れでもある。

更衣を済ませて、チャンゴと合流する。

「あんた、あたしに隠してること、無い?」

チャンゴに尋ねてみる。

チャンゴは無言で見つめ返して来るだけだ。

「マイラよ」

チャンゴはようやく、顎を引いて頷いた。

「知ってた?」

チャンゴはまた頷いた。

「なんで黙ってたの?もとい、あたしに伝えなかったの?」

セラは怒っていた。

マイラがここに来ているなら、直ちに離れねばなるまい。行動を共にするセラに対して、なぜそれを伝えないのか。

チャンゴは無表情のまま、歩きだした。

「待ちなさいよ!」

その背に言って声が聞こえるわけもなし。

だが、その背中を見て、セラは息が止まった。

見覚えがあった。

『牧師様よ、あんた怖ぇ眼をするなあ』

ラオがそう言った時だった。

チャンゴに倒される直前に、ラオが脂汗を浮かべてそう言った時、セラはこの背中を見ていた。

チャンゴの表情は見えなかったが、ラオが余程の眺めを見ているのは理解出来た。

チャンゴの背から、あの時の陽炎が立っている様だった。

チャンゴはマイラと相対する覚悟が出来ているのだ。

セラの目頭を涙が突き上げる。

かつてヨルムトギョーム兄妹がじゃれ合う様を見てきた。

二人が喧嘩をする様も見てきた。

二人が飯を譲り合う様も。

酒を飲み交わす様も。

土を払い合う様も。

笑い合う様も。

そのどちらかが、死なねばならないと言うのか。

やめて。と、言いたかった。

だが、その言葉は届くまい。

何がチャンゴをここまでさせるのか。

父親から託された任を全うするという責任感で、妹が斬れるのか。そうではないだろう。

では何故。

「なんでよ」

涙を堪え、セラはチャンゴの背を追った。

チャンゴは、とまり木でなく、一軒の騒がしい居酒屋に入った。

造り酒屋の土間にテーブルを並べただけの簡素な居酒屋で、立ち飲み客の多くがそこらに腰を下ろしたり、泥の様に寝そべっていたりする。鼻を突く酒の匂いは奥の醸造槽から漂っているのだろう。嗅いでいるだけで酔っ払いそうだ。

チャンゴは隅のテーブルに着いた。テーブルの上に横たわる酔っ払いの脚を退かし、天板を袖で払う。

セラも向かいに座り、神妙にする。

酒を飲みに来たのではない。

身を隠すなら人の多い処。

そして、マイラを迎え討つには、ここが絶好だ。

マイラほどの飲兵衛も居ない。

任務に窮しているあの様子ならば必ず今夜は一杯あおる。

そして飲むなら喧騒の中と決めている喧嘩好きでもある。

この町ならば、まずこの店だろう。

酔ったところで、やる。

真正面から斬り合えば、五分と五分。

だが、相手に酒が入っていれば、こちらが有利。

方々歩いた末、マイラが辿り着くここで、機を待つ。

チャンゴの腹の内はそんなところだ。

チャンゴは店の小僧を手招きで呼び『葉は問わないから、茶を二つ』と、テーブルの上に零れた酒で筆談し、注文する。

普段ならばセラが口頭で言えば済むところだが、今はそんな気分になれなかった。

いや、むしろ大声で「一番強いのを大きい杯で!」と頼みたいくらいだった。

今夜はこの床に血が零れるか。それとも、当てが外れ、ただ酒だけが床を濡らすのか。

後者を願うのみのセラは、出された茶の湯気の向こうの出入口を、ただ見つめていた。


マイラは保安士詰所を出ると、真っ直ぐ酒場に向かった。

店は決めていないが、どこか適当な処に入って一杯やりたかった。

とまり木で、取り逃がした二人組が盗賊の類だと分かりはしたが、それ以上の進展は無かった。

ラヤンダールは、何やら固い表情で相槌を打つのみだったが、何か心当たりでもあるのだろうか。

この辺りは治安も悪い為、幾人か心当たりの顔が浮かんでいるのかも知れない。

こういう土地で保安士をやるのも大変だろう。

もっとも、相手にするのは、騎士になる前のマイラの様な輩だが。

しかし、先程相対した二人組は只者ではあるまい。

そもそも火薬を扱える程の者が、賊に身を落とすものだろうか。

火薬を調合するには危険が伴う上、読み書きは勿論、算術が最低でも出来なければ、これに能わない。

「貧者の方術」と呼ばれる火薬は、そういう代物なのだ。

それを、ああも簡単な道具に加工し、手慣れた様子で扱うとは。

只の盗賊ではあるまい。

元騎士という予想通りだとしたら、連中は、わた徒士かちということになる。

誰にも仕えぬ騎士。浪人。傭兵。

諸国を渡り腕貸しする者達を、渡り徒士と呼ぶ。

そして彼らは往々にして、食うに困って殺しや盗みをやる。

戦う術を知るゴロツキほど厄介なものは無い。

渡り徒士。不吉な連中である。

件の二人が火薬を扱えるあたり、その可能性が高い。

次に相手取る時には、どう戦うか。難しいところだ。

マイラは一軒の造り酒屋の前で足を止めた。

見れば、土間が居酒屋になっていて、人で賑わっている。これは良い。

亜人で、しかも女。それが騎士の身分を賜っているマイラである。

それを面白く思わず、喧嘩をふっかけて来る輩の一人も居よう。それをやっつけてやれば、少しは気も晴れるかも知れない。

美味い酒には、真っ当な喧嘩。これが一番の肴だ。

マイラは戸口をくぐり、店に入る。

中は混んでいた。

客の内、三分の一がマイラに対して好奇の目を向け、更に三分の一は一瞥しただけで、手元の杯に向き直る。残りの三分の一は、酔って意識が半ば朦朧としているか、倒れたり突っ伏したりしている。

なかなか良い雰囲気の店だ。

「ちょっと詰めてくれるか」

何人かが管を巻いている手頃な長椅子の端にかけて、小僧に注文を投げる。

「お勧めのヤツを、デカイのでくれ」

「かしこまりました!左翼ニ卓新規様、『龍涙りゅうるい』大です!」

小僧が奥に伝える。

マイラは背負った竜馬刀を、たすきがけにした鞘帯ごと外して、両脚の間に立てかける。

耳を後ろに動かして背後の音をよく聴く。

飯時こそ油断しない。ここ暫くの野宿で備わった習性だ。

やはり野生の生き方が、亜人たるマイラには合っているらしい。

ニオイはどうか。

場のニオイをよく嗅いでやる。

酒が運ばれて来たが、酒の匂いなら店中に充満している。

その中に紛れる他のニオイを、嗅ぎ分けるのだ。

マイラの鼻は、耳同様、動物並みに効く。

細かいニオイを嗅ぎ分けることが出来る。

男共のニオイに、土、木、それに火と、火に炙られる干物。時折開け放たれた窓から山の風が流れて来る。

それらのニオイを一度頭から引き剥がし、「龍涙」と呼ばれる酒をあおる。

美味かった。

濁りが無い蒸留酒だ。この田舎では高級な酒だろう。甘みは濃いが嫌味が無い。

「これは何から作った酒なんだ?」

下げ物を運ぶ小僧に問うと、

「アクラ芋です。うちで作った物では無いんですが」

と即答する。出来た小僧だ。

「美味いな」

「有難うございます」

「どこで作ってるんだ?」

「うちが暖簾分けさせてもらったキナンラシオ酒房です」

「ほう」

キナンラシオ。

キナンラシオ伯領にある、大きな造り酒屋なのだろう。父ランドと、戦中、共に戦ったキナンラシオ伯が治める土地だ。

大剣を振るい無双の者と言えば、東のモンドグロス、西のキナンラシオだ。無双と言われつつも並び称される二人は盟友であった。

モンドグロス王が死ぬまでは。

そして、チャンゴとセラは、その王の死に深く関係し、逃亡。委細は調査中とのことだ。

それだけ聞いている。

二人を連れ戻せ。

そう命令された。

命令を受けたのはマイラだけではない。各地の保安衛生団と、遠征中の一部の局地戦闘団が、同じ命を受けている。

関所や街道に監視の目が光り、更には執拗な探索を受けるチャンゴとセラは、これに対し、徹底的に応戦している。そう聞いている。

若い騎士が大勢が亡くなっているらしい。

何が、二人をそこまでさせるのか。

マイラが留守の間に、城で何があったのか。

任務でなく、ただ友として、家族として、聞きたいというのが、マイラの気持ちだった。

だが、二人がマイラに対してどう出て来るのかが、怖かった。

他の騎士に対する様に、敵意を向けられたら。抗われたら。

マイラも対処するしか無い。

覚悟ならしているが、その前に敵意が無いことを示し、話を聞きたいと申し出ることが先だ。

それを許してくれるだろうか。

いや、許してくれるだろう。

セラは幼馴染。チャンゴは兄ですらある。

問答無用などと言うことはあるまい。

そう思っておく。

酒を流し込む。

酔いが回るのが早い。空きっ腹の上、疲れているからだろう。

「塩粥をもらえるか」

雑穀を少し塩っぱく炊いたやつを丼で掻き込む。匙を櫂の如く使い、口へ搔いていく。

丼をテーブルに置いた時には、それは空になっていた。

ゲップをかますと、酒の残りを干す。

胃も気持ちも穏やかになり、一息吐いていると、漂ってくるニオイがあった。

僅かであってもはっきりと分かる、ツンとしたニオイ。

先程嗅いだニオイだ。

火薬。

人間には分からなくても、マイラには分かる。

自分の鎧から臭っているのか?

違う。

爆ぜる前の火薬のニオイだ。

この場に居る誰かの所持する火薬だ。

火薬など扱う輩がこの場に?

居るとしたら、そいつは間違い無く先程の二人組に関係する何者かだ。こんな偶然など無い。

丁度良い。汚名返上する機会だ。

徐に席を立ち、ニオイを辿る。

竜馬刀は、左手で鞘を握る形で、持っている。

鼻の神経を尖らせ、ニオイの濃い方へと歩く。

酔っ払いを掻き分け、果たして一つの小さな円卓を囲む四人組に辿り着いた。

額を寄せ合い話し込んでいた四人組は、労働者風の、垢が食い込んだシャツにズボン姿で、道具入れらしき革袋を下げている。

四人は顔を上げ、マイラを見る。髪や髭は伸ばし放題だ。

眼は、鋭い。酔ってはいない様だ。

「おい」

そいつらに声をかける。

「何だよ」

訛りが少ない。と言うよりは、色々な訛りが混じり、そうなっている様な、不思議なイントネーションだ。

「どこから来た?」

「山向こうで働いてる」

答えたのは別の男だ。

「何をして?」

「木を切ったり獣を獲ったりだよ。俺たちゃヤマンドだ」

やま

猟師や木こり、山師とは、また違う職種の様だが、基本的にはそれらの総称として使われるスラングだ。

大抵は山間の村や町でフラフラしている若者が「山ん人」を名乗ることが多い。

「火おこし道具は?」

マイラは詰問を続ける。

「持ってるが、何故?」

「改める。出せ」

剣を手にしている騎士相手に抗うこともなく、四人は円卓に腰の袋を置いた。

ひっくり返すと、火打ち石とシュロ、枯枝、松の皮等が出てきた。

火薬は無い。

「まだあるだろう」

「ねぇよ」

「火薬が匂ってる。この鼻は犬より利く。誤魔化すな」

途端に四人は黙り、より苦々しげに俯いた。

「席を立つと斬る。素早い動きをしても斬る」

マイラは確かめる様に言い、

「何者だ」

問う。

男達は答えない。

店内にこの緊張が拡がって行く。

何か起こるぞと、次第に、円卓の周りが拓ける様に、人が退く。

マイラは、その固い空気を物ともせず、悠然と立っている。

「大人しく保安士詰所まで来てもらおう」

ばんっ

と、円卓がマイラの方に跳ねた。

角が天井をかすめる程に高く跳ね上げられた円卓を、

「てぇっ」

マイラは左足を深く引き、右手で真上に抜刀。真っ二つに斬り上げる。

硬い木のテーブルを、片腕で、しかも下から縦に両断するなど、並みの芸当ではない。

そして円卓が跳ね上がるのと、マイラが体捌きするのはほぼ同時だった。

亜人たるマイラの反応力と瞬発力が成せる早さである。

しかし、円卓を斬る動きの分、男達の次の挙動が先んじる。

しかも四人がかりで、そう広くない室内だ。

マイラの方が条件は不利だった。

マイラもそれは分かっている。

だが、こうなれば見逃せないし、そもそも勝てる喧嘩だけするのは性に合わない。

宙を落ちる二つになった天板がいよいよ床を打つという時、マイラも地を這う様に低く構えた。

けたたましい音を立てて、天板が転がり、男四人の姿が再びマイラの視界に現れる。

どう来る。

どう来ても、まず後ろに跳んで凌ぎ、端から斬って落とす。

真ん中では囲まれる。

端からだ。

逡巡するマイラの思考が、そこで止まった。

男四人が後ろを向いているのだ。

うち一人は腹を抑えて、屈むように体を折っている。

ぷん、

と血が香ったのはその時だった。

体をくの字にしている男の腹からプリプリと赤い管が這い出し、床にとぐろを巻いて落ち、湿った音を立てた。

わただ。

加えて、夥しい血。

マイラは、その向こうに目をやった。

男達の向こうに立っていた。

血濡れの仕込み刀をブラリと右手に下げた、牧師のマント姿。

男達が見せた鋭い目つきとは違って、眠そうに真っ黒い眼を窄めている。

人を、棒切れと変わらぬ調子で、真っ二つにする目つき。人を人と思わない顔だった。

「兄者……」

チャンゴ・ヨルムトギョームがそこに立っていた。


マイラも呆気に取られている場合ではなかった。

短剣を抜いた残る三人の、右端の奴を袈裟懸けに斬り倒す。

円卓の天板に比べたら醍醐チーズの様に刃応えが無い。

もう一人をチャンゴが斬り殺す様を横目で見、残りは一人。

パンっ

という音と共に、そいつがいきなりもんどり打って倒れてしまう。

よもや死んだフリでもあるまい。

男と一緒に陶器の破片が床に落ち、マイラは理解した。

飛んできた酒瓶が男の頭を直撃したのだ。

誰かが投げた程度ならば、大の男がひっくり返ることもない。

目にも留まらぬ速さですっ飛んできたのである。

見れば、チャンゴの隣に一際小さな人影が立ち、手を合わせて祈りの形を取っていた。

方術式、硬の法。

念力で酒瓶を動かし、宙を飛ばしたのだ。

こんな技が使えるのは、騎士団領では限られる。

それも、こんな小兵は、ただ一人。

「セラ……」

捜し続けて来たセラが立っていた。チャンゴが連れ立っていたので、この場に居るのは当然だが、それでも面食らった気持ちがする。

だが、マイラの顔に喜色は無い。

平らになった男達を足元に、三人は刃を収めず、向き合った。

スルスルと足元を走って行く血溜まりを、互いの目を見つつ、避ける。

この床では、血は踏むと滑る。

血を避ける内、三人は後ろに歩を進めることになり、間合いが空く。

それに従って、場の緊張が溶けて行く。

一呼吸。

マイラとチャンゴは、申し合わせた様に刀を収めた。

セラが息を吐き、マイラも怒った肩を下げる。

その場に居る者達が杯を再び手に取り始めた時、マイラが、

「やっと……」

と言いかけ、それを止めた。

チャンゴがマイラに向かって飛んでいたからだ。

男の屍を踏みつけ、一飛び。

杖から刀を抜きつけて、真一文字にマイラに斬りかかっていた。

たった一歩で、マイラの腹を斬り裂く踏み込みだった。

血の原を瞬息で越え、マイラに兄の刃が肉薄する。

マイラは前に出ていた。

咄嗟の判断。

と言うより、勝手に体が前に出ていた。

チャンゴの刀の軌道が、マイラの後退を予期した描き方をしていたからだ。

それを察して、体が動いていた。

チャンゴの右手首を、伸ばした左手で封じ、次の瞬間、額と額、腹と腹が、ぶつかり合った。

チャンゴの刀を、二人四本の腕が蛇の様に絡み合い、奪い合う。

互いに膝蹴りが出る。

両者の左腹を、両者の右膝が打つ。

マイラ渾身の右掌底打ちが、チャンゴの刀を真横に吹っ飛ばす。

刀が壁に突き刺さると、二人の体は組み合ったまま床に落ちる。

首を取り合い、二転三転。

血の池を転がった二人は、互いに上を取ろうと膝立ちになると、襟と肘を取り合い、引き合う力が拮抗する。

万力を込めたまま、二人は固まる。

睨み合う。

「やめなさい!」

セラの一喝。

しん、と、静まり返ると、聞こえてくる音があった。

くっくっ、

くっくっくっ、

と、マイラが噛んだ歯の間から小さく笑っていた。

見れば、チャンゴの肩も小さく揺れている。

二人で笑っていた。

と思ったら、

ぱしぱしっ、

と互いの肩を叩き合う。

「助かったぞ、兄者」

互いの肘と肩を持って、支え合う様に立ち上がる。

始めから冗談だったのか。

何処からが冗談だったのか。

それとも、無理に冗談にしたのか。

ふざけていた様には見えなかったが。

「なんなのよ、もう」

セラは誰に言うでもなく、さっきより深い溜息を吐いた。


頭の手当を終えた山ん人の男を囲み、ラヤンダールとその部下四名、マイラ、ヤッカ、サナグが、椅子や机に腰掛けていた。

ここは保安士詰所だ。

本来ならば当直とシフトを交代する時刻のはずが、この事態を受けて全員が残業となっているらしい。

ラヤンダールの他の部下は、居酒屋で死体の検分と清掃をしている。

セラとチャンゴは、部屋の隅の椅子に腰掛けていた。

縄もかけられていないし、武器も取り上げられていない。全てマイラの責任の上で、指示されたことだった。

騎士団領で一番の問題であるセラとチャンゴを差し置いて、討議すべき問題がある様だった。

居酒屋での騒ぎはただの悶着でなく、もっと大きな騒動の前触れであると、マイラ達の話を聞いて、セラは悟った。

セラとチャンゴと、マイラは、挨拶もろくに交わしていない。

そもそも呑気に挨拶などしている立場ではないのだが、それでも「ついて来てくれ」と「すまんが、少し座っててくれ」以外に言葉は無いのか。

「一体城で何があったのか?」と尋ねて欲しかった。全部話して、マイラには味方になって欲しかったからだ。

しかし、最初からマイラに敵意は無い様子だったし、チャンゴも刀を交えることで何か溜飲でも下がった様で、大人しい。

そういうわけで、こうして座っている次第だ。

大所帯の中、床に座らされているのは、例の生き残った山ん人を名乗る男だけだ。

セラの方術で救ったも同然だ。

確かに、最悪死んでも構わない程の勢いでやったが、放っておけばマイラかチャンゴの刀の露と消えていた命を助けたのだ。

それを男は分かっているとは思えないが、男は神妙に座していた。

伸びた髪と無精髭、暫く洗いをかけていない衣服からして、まともな身分ではあるまい。

腰帯から取り上げた荷袋の中には、火薬を使った炸裂玉が一つ入っていた。

それを見たマイラとラヤンダールとかいう名前の野暮ったい騎士は、何やら得心が行った様に頷いていた。

それを受けてのマイラ達の質問に対し、男は口を開かなかった。

「名前は?」

「お前のボスの名前と居場所は?」

「何が狙いか?」

「その身支度はどうしたか?」

乱暴なことはしていないものの、この数の騎士に囲まれて、一切だんまりというのも、なかなかだ。

事情の分からないセラにも、この男が只者ではないことくらいは伝わって来る。

そもそも刀を手にした手練れ二人を相手に、短刀を抜いた程だ。

どういう背景があるのか気になる男だった。

丸めた背中に俯いた顔。そこからマイラ達を睨み上げている。

マイラが背中の刀を無造作に抜いた。

切先を男の喉元に突きつける。

無言。

ラヤンダールも咎めるつもりは無い様だ。

男はまだマイラを睨んでいる。

「目か、耳か」

ポツリとマイラが言った。

セラの背中を悪寒が走り、思わず目を覆った。

シンプルでリアルな脅し文句だ。

また沈黙。

セラが指の間から窺う。

男の顔のパーツはどれもまだ無事だ。

その時、切先が跳ねる様に振りかぶられ、同じスピードで振り下ろされた。

「ギル」

男が鋭く名乗った。

刃が男の右耳の上で止まっていた。

耳の上の髪の毛の束が幾らか床に落ち、

「名前はギル」

もう一度、ギルは名乗った。

刀に臆した様子は無かった。やはり、尋常の者ではない。

「何者だ?」

尋ねたのはラヤンダールだ。

「言えねぇ」

ギルが答えると、

ざり、

と音がした。

「ぐぅっ」

ギルが首を右に倒して顔を顰める。その右肩を血が這う。

もう一度顔を起こした時には、ギルの右耳が半分切れて垂れ下がっていた。

マイラは切先の血をギルの左肩で拭くと、今度は左耳の上に切先を乗せる。

「うひー」

セラは自分の耳を抑えて見守るしかない。

「話しちゃいなさいよ」

セラが外野から口を出しても、ギルは一瞥しただけで、重い口を開こうとしない。

「仕方ない」

ラヤンダールが呟くと、マイラが頷き、刀の重さに任せて左耳もやろうとする。

「渡り徒士だ!」

ギルが答える。

「その身形でか」

マイラが片眉を吊り上げる。

「元々はあんたらと同じ騎士だった。本当だ」

やはり。

前述した通り、渡り徒士とは、奉公先を探して彷徨う騎士のことだ。浪人とも言うし、傭兵とも言う。

「ただの山賊だろうが」

マイラが刀を担いで凄むと、ギルは負けじと睨み返す。

確かに、この胆力は騎士団仕込みかも知れない。

「仲間は、あと何人だ?」

ラヤンダールの声はあくまで事務的だ。

「憶えてねぇな。出入りが激しいもんでよ」

「適当ブっこいてっと次は目ン玉いくぞオイ。おおよそを言え」

マイラの無頼口調は頭に血が上った時に出る。

「大体、二十人か三十人」

「十人も開きがあるじゃねぇか。一人ずつ名前言って数えろ」

そこから夜中近くまで尋問は続いた。

残りの仲間は二十人と少し。

炸裂弾は、シュシアヘッタイトの出の仲間が作った手製で、煙幕の他、殺傷目的の物も揃えている。

やはり先程の浴場の二人はこの手の者だったらしい。

そして、彼らの目的は、旭屋の襲撃。

金を貯め込んでいるとの噂が流れている旭屋に押し入る目的で、町に浸透していたという。

盛り場でギル達四人が騒ぎを起こし、その隙に仲間が町に押し寄せる。

さらに、彼らが陽動として町中を荒らす間、ラーグとジスファが旭屋で一仕事するというわけだ。

ラーグとジスファは、山に潜む仲間達に決行の合図を送る役目でもあったらしい。

二重の陽動を仕掛けるとは周到極まる。

計画した頭目の名は、

「トンガネル・ラヤンダール」

と、ギルは答えた。

マイラ一同、保安士達は眉を顰め、ラヤンダールを見やる。

同じ姓。

一体何が起きようとしているのか。

「とうとう、いや、やっと来たか」

そう言って、ラヤンダールはその顔にようやく、笑みらしきものを浮かべた。

マイラは、そのラヤンダールの体が膨れ上がった様に見えた。

焦燥感か、期待感か、何かが、ラヤンダールの筋肉を押し上げた様だった。

(ところであの人だぁれ?)

と、ラヤンダールを指すセラに、チャンゴは(知らん)と頭を振るしかなかった。


岩陰で目立たぬ様に火を焚いていた。

山中。

夜の山は、そこで長く暮らしていても恐ろしくなる。

山の質量が闇で倍加して、襲って来る気持ちがするものだ。

それを祓う様に、火を焚く。

火を囲んでいるのは数十人の男達だった。

「妙な騎士がいやがった」

「女の、しかも亜人の騎士だとよ」

「他は?」

「二人ばかり。他はいつも通りだ」

「やるか」

「大丈夫か?」

「問題じゃねぇよ」

「炸裂弾もたっぷりある」

「今日の為に準備してきた」

「騎士団の遠征隊が通る前にやっちまわないと」

「遠征中はどこも油断してやがるしな」

「どらくらい貯め込んでやがるかな」

「久しぶりの仕事だ」

「カシラ、月の加減がそろそろ……」

岩の横から闇を引きずって現れた大きな影は、毛皮のコートを着ているらしく、遠目には熊の様に見える。

吐く息も獣臭かった。

「行くか」

まるで小用に立つかの如く、歩を進めた。

「しかしカシラ、亜人の騎士は、ありゃ練達ですぜ。バカそうではありましたが」

言ったのはラーグだった。

「本当か?ジスファ」

影が問う。

車座から外れて風に当たっていたジスファが、

「一筋縄じゃいかんでしょうなぁ」

と呻く様に答える。

すると、影は毛皮の下で笑った。

「なあに、囲めば、突き殺せる。亜人の馬鹿力で、しかも腕が立つなら、死人はそうさな、上手くやりゃ三、四人てところで済むか」

誰も臆すること無く、タイミングを合わせてかかれば、そうかも知れない。

しかし、こうやって恐怖を臭わせては、それも崩れてしまう。

億した者が遅れ、呼吸が合わなくなると、連携が崩れる。

何故、影はリスクを口にしたのか。

それは、彼らには恐怖心を打ち消すまじないがあるからだ。

「始めろ」

気分が劇的に高揚し、死を前にしても笑っていられる程のそれは、ただの枯らした葉や蕾にしか見えない雑多な物を火に加えることで、成る。

その煙を胸いっぱいに吸い、留め、吐く。

それを繰り返す。

更に、まだ青い葉を軽く噛んで、唇の裏に含んでおく。

次第に男達の目が血走りだす。

発汗。

鼓動が速くなる。

腕の血管が浮き上がる。

男達の体が細かく揺れ始める。

そして次々に始まる、遠吠え。

狼のそれを模して吠える。

すっかり獣の群が出来上がっていた。

影が言った。

「行こう」

トンガネル・ラヤンダール率いる群狼が、闇の中を動き始めた。


野に盗賊数あれ、この時期に大仕事をするのは稀である。

何しろ騎士団の遠征隊が地方を巡っている最中だ。

遠征は、亜人自治区ナバガルドや騎士団信託統治領などの治安維持を名目として、数年に一度行われているが、その目的は地方有権者達の懐を温めている物だ。

現金、手形、農作物、金物、資源、土地。

不正をしている者達は咎を受ける前にこれらを渡し、そうでない者達も、自らの土地を踏み荒らされる前にこれらを贈ることで、手心を加えてもらおうという算段だ。

そして、お題目でもある治安維持の面に於いても収入がある。

賊の駆除である。

だから、この時期は盗みや殺し、押し込みが減るのである。

だが、例外がある。

「賊が、遠征隊の動き方をよく心得ている場合だ。本隊が何時何処を回るか心得ていれば、その前に急ぎ働きすればいい。果実は落ちる前が最も美味い物だ」

ラヤンダールは宵闇の中を歩きながら言う。

「トンガネルは、俺の弟で、元騎士。遠征に参画したこともある」

「そして、あんたは賊に身を落とした弟を何年も追ってる、と」

マイラが補足する。

マイラが持つ油提灯の火が、歩く二人の行く手を照らしていた。

町は寝静まっていた。

唯一灯りが灯っているのは、旭屋くらいのものだ。

まだ酒盛りをしている連中がいるらしく、雑なお囃子が聴こえている。

火は他に、町の東西南北に立てられていた。

ラヤンダールの部下が見張りに着いているのである。

町の真ん中の十字路に後詰めの騎士達が待機しており、その時に備えている。

今夜襲いに来る連中があるとあっては寝てなどいられない。

ラヤンダールとマイラは遊撃手だ。

更にその後ろを、チャンゴが歩いている。

セラは詰所で、ヤッカとサナグに見張られる形で保護されている。

チャンゴは欠伸を噛み殺しながら、マイラの背を見ていた。

以前から、マイラが騎士として立派に働く姿を見、チャンゴは嫉妬に近い感情を抱いてきた。

あの暴れん坊が、鎧を着て、身分を得ている。

人から遠ざかり、野山で働くチャンゴは、それがどこか羨ましかった。

妹が可愛い一方で、小憎らしかった。

その妹が、今や敵。

憎さに任せて斬るはずだった。

それが、マイラが危ない勝負を始めた途端、兄として咄嗟にその相手に斬りつけてしまった。

幼い頃、妹をイジメた連中に殴りかかった様に。

義務感などではない。習性の様な物だった。

そして、改めてマイラに斬りかかったのだった。

警告代わりの、本気の一太刀だった。

兄は敵であると教えたかった。

マイラが避け切れなければ、それだけのことだと思ったし、そもそも正に目の前で、騎士として危険な任務に挑んでいるマイラを見て、騙し討ちも出来なかった。

真正面から斬りかかることが相当であると断じ、抜きつけ斬りかかったわけであった。

しかし結果、互いに本気になっている可笑しみが、互いの口角を上げさせてしまった。

それでも、今も、互いに隙を作らぬ様にしているあたり、不思議な関係であるな、とチャンゴは思う。

今目の前にしているマイラの背中に斬りつけようと思っても、マイラの耳は後ろを向いてチャンゴの足音を聴いている。

普通に歩いている様でも、常にどちらかの足の裏が全面地面に接している。つまり重心が低い。

歩いている様で、構えているのだ。

これならチャンゴの足音に乱れがあれば、すぐに反応出来るだろう。

「来るかな」

「どうかな」

マイラとラヤンダールはポツポツ話しつつ、歩いている。

「しかし、兄弟というのは、面白いものだと思うよ」

ラヤンダールが言った。

「兄妹か」

「うむ」

「どう面白い?」

「同じ家で、同じ物を食べて、同じ様に育ったというのに、どこかで違う道を歩んでしまう」

「そうだな」

「だが、人の道を外れたことをしてはいかん。それは正してやらねばならん」

「殺してでも?」

「死んでもな」

マイラは少し俯き、

「身内の始末は、身内で着ける、か」

と漏らして息を吐いた。

「左様」

「そこまで非情になれるものか?」

「情を断ち切らねば人は斬れん。誰を斬るのであってもな」

「うん」

「だが、」

「だが?」

「斬った後、情を取り戻さねば、それは人ではあるまいよ」

「泣くのは斬った後、か」

「左様」

互いに背負った使命の重さを分かち合う様に、二人は小さく笑った。

「騎士とは真、嫌なものだな。マイラ殿」

「滅私奉公などとはよく言うが、嫌なものだ」

くっく笑う二人の背中を見ているチャンゴは、自分が何を待っているのか分からなくなりつつあった。

逃げる機会か?斬る機会か?

それとも、話し合う機会か?

どれもが、いずれは訪れるだろう。

だが、訪れる順番は、話し合いが最後だろう。

そうなると、他のチャンスをどうするか。

見送るのか物にするのか。

全ては自在天マールに任せるしか無い。


「んでね、ランド牧師のことを置き去りにして、二人で一晩中走ったわけ!」

セラは息次ぐ間も無く、騎士団領を出た時のことをまくしたてていた。

「ランド牧師は、それでもだってチャンゴにはお父さんじゃない?私にとっても大事な先生だったわけで。辛かったわよそりゃ。でも、『行け!』って、言うんだもん。走るしか無かった」

ヤッカとサナグは、セラの芸人風の調子に片眉を吊り上げていたが、話が佳境に入った辺りからは神妙に聞き入っていた。

「ランド牧師は、その時もう目も見えてなかったのに、敵の手を一挙に引き受けて……」

ヤッカとサナグに、と言うより、大仰な独り言の様だ。

「父上、兄上、先生、その他大勢の方々。みんな一部の謀反人達の目論見の為に死んでしまった。これ以上の血を流さない為にも、私は一度逃げ果せるつもり」

セラの口調に力が込もり、その澄んだ瞳がヤッカとサナグを見据えた。

「お願いです。私を助けて下さい」

詰所の中はガランとしており、彼らだけだった。

ヤッカとサナグは、二人で渋面を見合わせ、頭を掻いたり、居住まいを直したりと、身じろぎする。

セラの話が嘘とは思えなかった。

城での騒ぎは聞いていたが、その時ヤッカとサナグは既に遠征に加わっており、詳細は一切知らずにいたのである。

「もし、姫、いや陛下のお話が本当だとしても、我々には任務が……」

サナグの発言を、セラが、

「何の為の任務?」

と遮った。

「え、それは……」

「教会でも王室でもない。誰による、誰の為の任務?指令書のサインは?」

「騎士団長の、ギユーリー・ダンドー殿のサインが……」

玉璽ぎょくじによる捺印は?」

「そこまでは、ちょっと……」

ヤッカが口ごもると、セラは諭す様に、言う。

「そうでしょ?玉璽は私が持ち出したもの。私が持ってるから、奴らに押せるわけがない。貴方達は、謀反人達の命令で動いているだけなの。騎士団に入る時、内外の敵から王室と教会を護ると誓ったはず。本来の務めを思い出して下さい」

セラの話はどこまでも説得力があった。

「しかし、それならば我々と一緒にシュシアヘッタイトに戻られた方が良いのでは?」

ヤッカが答える。

「それは当初わたしも考えました。でも、戻ってどうなるの?」

サナグが顎に手をやる。

「それは勿論、謀反を企てた連中を糾弾し、弾劾すれば……」

「それを彼らが許すでしょうか?わたしはまだ元服していないし、味方は数える程でしょう?」

二人は黙る他無い。

「貴方達が味方をしてくれれば、それは有難いことだし、助かります。でも、一緒に戻ればきっと殺されるわ。それよりも、わたしはまず後ろ盾を用意しなければならないんです。大勢の、そして強力な味方を用意しなければ、連中にやり込められ、傀儡にされてしまう」

「確かに、そうかも知れませんね」

サナグが額を掌で押さえつつ、呟く。

「わたしをキナンラシオ伯領まで送るか、逃がして下さい。命令ではありません。これはお願いです」

セラはすっかり大人の口調で言い、頭を下げた。

「参ったな」

「ああ、参った」

ヤッカとサナグは、また渋面を作り、顔を突き合わせる。

「どうしたものか」

「隊長の指示を仰ぐしかあるまい」

セラは顔を上げる。

「マイラにも話して、頼むつもり。二人にはその後押しをして欲しいの」

そしてまた俯き、

「父祖達は、騎士の皆さんに忠義を求めましたが、わたしは違います。自らに忠実であって下さい。ご自分の心に、ご自分の正義に、忠実でいて下さい」

と、言った。

「大層なこった」

詰所の隅から声があった。

柱に縛られたギルだった。

「お前さん達の政治に振り回されて俺達がどんな思いしてたかなんて知らねぇんだろ、お姫様はよ」

「控えろ!」

ヤッカが鋭く一喝するも、ギルは止まらなかった。

「俺達にも俺達の生活があるんだ。俺達の守ってる物があるんだ。それをお前らのそれと一緒にすんな」

「黙れ!」

サナグが歩み寄り、剣の柄に手をかけた。

「お前ら二人も同じ気持ちだろ?どうなんだ?お前らの大事な物と、お上の大事な物は違うだろ?」

ギルは既に耳を切られ、四肢を縛られながらも、饒舌に言う。

「言ってやれ。綺麗事とテメエの都合で物を言うなってな。俺の姿を見ろ。お前らもいずれはこうなるぜ」

ギルがどれほどの辛酸を舐めて来たか、その発露とも言える言葉だった。

ギルもかつては立派な騎士だったのだろう。

「一緒にするな、下郎め」

サナグは、斬る価値も無い、とでも言う様に、柄から手を放した。

忌憚きたんの無い意見を、有難うございます」

黙っていたセラが、言った。

「陛下、お耳を貸すことはありません」

ヤッカの言葉に、セラは頭を振った。

「いえ、わたし、騎士としてのお二人のことは考えていても、個人としてのお二人のことを考えていませんでした。皆さん家族や友人が居て、そのみんなが苦労をするのに。許して下さい」

「ほれ、見ろ。そうだろうが」

ギルは言うものの、語気に勢いが無くなっていた。セラの賢たる態度に、いくらか敬服の念が掠めたのかも知れない。

沈黙が訪れた。

四者が言葉を次ごうと、考えを巡らせているうちに、戸が開いた。

「ご苦労。何もないか?」

マイラが入って来た。

それにチャンゴと、ラヤンダールが続く。

「はい、何も」

「外はいかがでしたか?」

マイラは側の椅子にどっかり腰かけ、

「何も無ぇ」

冷めた茶をすすった。

「本当に今夜来るんでしょうか?」

ヤッカがギルを一瞥する。

「さてな」

すると、ラヤンダールが竈の火に薪を足しつつ、

「マイラ殿が追っ払った二人組が、決行を遅らせるよう提言したかも知れんな」

呟いた。皮肉でも何でもない言い方だが、マイラは口をへの字に曲げて、

「余計なことをしたかな」

と頬杖をついた。

「そうではない。態勢を整える時間が増えて、こちらとしても都合が良い」

「あんたがそう考えるとすると、向こうはこちらが防御を固める前にやって来るだろうよ」

「一理あるな」

「やはり、今夜か」

「今夜だな」

マイラとラヤンダールはすっかり阿吽の呼吸で会話している。

「さて」

マイラはようやく、セラの方を向いた。

「久しぶりだな、セラ」

「久しぶり、マイラ」

マイラから見たセラは、どこか大人びていた。

子供っぽさが抜けていた。

それでも、微笑すると、やはりあどけなさがある。

笑みだけは以前のセラと変わらなかった。

「セラ、どうしてた?」

「もー大変」

「兄者は良くしてるか?」

「マイラが思う以上に」

チャンゴは、どういう意味だ、と問いたげに腕を組む。

「城で何があったんだ?」

マイラはやっとそう問うた。


マイラ達が遠征に出て数ヶ月後、バルディン王が暗殺され、その日の内に、腹心のランド牧師も命を狙われ、ラスケン王子も死んだ。

ランド牧師の助けで、セラとチャンゴは辛くもシュシアヘッタイト市を逃れ出た。

という顛末を、ヤッカとサナグに話した様に、セラはもう一度短く語った。

「王とラスケンの訃報は聞かされていたが、そういうことだったのか。お悔やみを言うよ」

マイラは沈んだ表情のまま、立ち上がると、部屋をうろうろと歩きだした。

妙な素振りだ。

落ち着きなく、檻に入れられた獣の様に、行ったり来たり。

「セラとラスケンの兄妹は、領内務省のインフラ費を私的に流用し、それがバレて王である父親を謀殺したと言うデタラメを聞かされていたよ。信じなかったがな。真実は他にあると思っていた。それに、そうだとしたらウチの親父が黙っちゃいないしな」

その拳は固く握られている。

奥歯を強く噛んでいるのか、こめかみがヒクヒクと動いている。

まさか。

セラはそんな懸念はしていなかった。

娘であるマイラに、父親の、ランドの訃報が行っていなかったと言うのか。

確かに、マイラは遠征に出ていたし、しかも本隊から独立した動きをしている。命令書のやり取りだけで精一杯だったろう。

それに、ランドは本陣に背いて死を遂げた、裏切者ということになっている。

だが、だからといって、子に親の訃報を伝えないなどという事があって良いのか。

ランドの死は、マイラには不必要な情報と断ぜられたのかも知れない。

ランドが死んだと知れば、マイラはセラとチャンゴに味方するだろうと、本陣は断じたのだ。

なんという酷薄なマネをするのか。

マイラは父ランドの死を知らなかったのだ。

「マイラ……」

セラが口を開こうとすると、

「一番解せんのは、うちのあの親父が殺されたってところだがな。ハッ、人は死ぬ時は死ぬものなんだな」

マイラは言い、強張った笑みを作って、チャンゴの方を見た。

「親父の杖だよな、それ」

チャンゴは頷く。

「おかしいと思ったんだ。なんでそれを兄者が持っているのか。そうか。死んだか」

やはり。そうだった。

マイラは父の死を受け止めようと、必死に言葉を次いでいた。

「セクメトの母を貰い、その母が死んだ後も、セクメトとして産まれた私を人里で育ててくれた父は、強かった。誰にも何にも負けなかった。苦労している様子も見せずに私達を育て、鍛えてくれた」

速まる呼吸を言葉で抑え込んでいる様だった。

「兄者」

チャンゴは黙って視線を受ける。

「なんで親父を置いて行ったんだ。兄者なら、多少の人数が相手でも戦えたろう!」

マイラの目が赤かった。

「私なら剣を抜いたはずだ!戦ったはずだ!よくも親父を見捨てたな!」

「よせ、マイラよ」

ラヤンダールが宥める。

「事情は察するが、今はそんな時ではない」

マイラは深く吸った息を吐くと、無表情に見つめ返すチャンゴから視線を逸らして、また椅子に座った。

「すまん、皆」

チャンゴもまた同じ様に息を吐くと、戸へと向かおうとするが、サナグに阻まれる。

チャンゴはマイラの方を向くが、マイラは、

「悪いが、勝手に外には出せん。セラだけでなく、兄者も捕縛対象だからな」

と言う。

マイラは立ち上がると、

「私が出るよ。頭を冷やしてくる」

と、戸を開けた。

外の柔らかな風の音が、やたら大きかった。

戸が閉まると、また静かになった。

セラは頭を抱えてしまう。

「知らなかったのね……。悪いことしちゃった……」

「陛下のせいではありません。それに、我々にとって知らねばならないことです」

ヤッカが口を挟んだ。サナグも頷く。

「そうです。それに陛下も、お父上を、王を亡くされておいでです。気持ちを同じくされているではありませんか」

「隊長は陛下にも誰にも腹を立てているわけではないでしょう。悲しんでいるだけです」

セラは少し呆気に取られた様に二人を見、弱い笑みを浮かべた。

「マイラは、良い部下の方を、いえ、友達を持ったみたいね。羨ましい」

チャンゴが戸口の近くでなにやら手を振ってアピールした様だったが、セラはラヤンダールに向き直った。

「こんな時にすみませんでした」

「いえ、そんな、陛下」

ラヤンダールが恐縮する。

「士気を下げる様な真似をして申し訳ない限りです」

セラの態度を改めて見、チャンゴは感心した。一緒に過ごしたこの一月少しで、セラは人の気持ちや立場に対して、気を張る様になっていた。

何度も人に裏切られて来たおかげだろう。功罪おしなべて一目には見難し。

「陛下が話さねばならなかった内容を考えると、ランド牧師殿の死を語らないわけには行かなかったでしょう。それに、マイラ殿が訃報を受けているかいないかは、陛下には量れますまい」

「ご理解有難うございます」

文言の上では丸く収まった様だが、これはいよいよ厄介なことになったと、一同は思っていた。

騎士達には、セラという、守らねばならない対象が増えた上、そのセラとチャンゴは隙あらば逃げ出す動機を抱ている。

そして、マイラ(ヤッカとサナグも然り)は、その真ん中で揺れている不確定要素である。

状況がどう転ぶか、いよいよ見にくくなって来た。


マイラは鋭い双眸で夜風を切りながら、歩いていた。

涙の跡が風で乾くことは無かった。どうせ夜なので、人に見られたところで涙までは見えまい。

ひたすら父ランドの記憶が思い出される。

一つ思い出す度に、瞳から一粒ずつ零れる塩っぱいやつを噛みながら歩いていた。

足を止めれば座り込んでしまいそうだった。

だから、歩く。

そうしていなければ、堪らなかった。

睨んでいるこの闇を自分は一生忘れないだろうな、などと考えている。

兄を想う。兄は真面目な男だ。

信頼していた。

だがもう分からない。

父を見捨てた兄を許せるか。

許さねばなるまい。

辛いのは兄も同じだろう。

だが、そう簡単に行かないのが人の心というものだ。

今は、兄から離れていたい。

兄は、血の繋がりが無いにも関わらず、父によく似ていた。

愚直なところや、それでいて冗談が好きなところ。

兄を見ていると、父を思い出さずにいられなかった。

そして、兄は何を思って、自分に斬りかかって来たのだろう。

戯れではなかった。

本気で斬りつけて来たのだ。

昔から、よく解らないところのある兄だった。

人から離れて過ごし、牧師になってからも、教会に行くより山や森で炊出しの為の薪を取る日々を送っていた。

ものが聴こえず、話も出来ない兄。

そんな兄でも以前は好きだったが、最早解らなかった。

「……クソっ」

北側の見張りの陣に辿り着いていた。

「お疲れ様です」

ラヤンダールの部下が振り返る。

二人一組で、鎧を着込み、長短剣を鞘帯に束さんで、手には槍を持っている。

長い獣脂の松明を三本足に掲げて、その下に椅子を出して陣を張っている。

「灯りは少し向こうにやれ」

マイラが指示する。

「つまり、こちらの目が眩む上に、向こうからは丸見えだからですか?」

「話が早いな」

「しかし、こういう場合、向こうに姿を晒すことで、こちらに迎撃の用意があると向こうに知らせ、即ち防犯の効果があると教わりましたが」

「教科書通りだな」

マイラはフンと鼻を鳴らした。

「いいか?それは向こうがただの賊だった時だ」

すると若い騎士二人は得心が行ったように、

「なるほど」

と呟いた。

「そう。此度、相手は渡り徒士。こちらの手など奴らには見え透いている」

「諒解しました」

立てた松明を二人は道の先へと運ぶ。

マイラはやれやれと首を振る。

「ラヤンダールも苦労する」

相手はこちらの一枚上。

そう思って構えを取らねばやられてしまうだろう。

マイラはその後、各見張り場を尋ねて同じ指示を出した。

一回りした時には、すっかり気分が落ち着いていた。

血煙が上がる前だというのに冷静な自分が不思議だった。

結局は、自分はそういう人間なのだ。こうしているのが性に合っている。

涙はとうに乾いていた。

「戻るか」

マイラが詰所に戻ると、チャンゴとセラは宿直室で休んでおり、ラヤンダール達も交代で仮眠を取り始めていた。

見張りに立っている者達八人も、順々に交代し、詰所で休み始める。

マイラは詰所でまんじりともせず、とうとう窓の外が白み始めた。


マイラがサナグと共に南の街道口へ見張りに立った時には、白んだ空が少しずつ青みを帯び始めた。

「夜明けか」

「ですね」

拍子抜けとはこのことだ。

きっかけ作りの人間もおらず、要の二人も追っ払われては、諦める他無かったのだろう。

しかしどちらもマイラの手柄と言える。

浴場では、見慣れない亜人の騎士にラーグとジスファが驚いてくれたおかげだし、居酒屋はたまたま入ったに過ぎないが、それでもマイラでなければ、こうして未然に防ぐことはできなかったはずである。

今宵あたりラヤンダールに一杯奢らせねばなるまい。

セラとチャンゴも今や手の中にある。

あとは城に戻るだけだ。

いや、その前にセラの話をもう少し聞かねばならない。

さて、町も目覚め始めたのか、そこらから水を汲む音や、窓を開ける音が聞こえて来た。

その時だった。

マイラが燃え尽きた松明の上げる細い煙をぼんやり眺めていると、町の反対側で、

ドォンッ!

と地響きを伴う爆発音があった。

振り返ると、澄んだ白煙が吹き上がるところだった。

火薬の煙だ。

他の見張り場から警笛の音は聞こえなかったし、町役場の半鐘はんしょうも黙っている。

忍び込まれたか。

いや、敵の人員がギル達以外にも最初から入り込んでいたのか。

「ここにいろ!」

サナグに言って駆けていた。

昇る煙を目指す。

町中央の十字路を右へ。

十字路の後詰め部隊には待機を指示する。

更に走る。

まさか。

果たしてそこは、保安士詰所であった。

煙がもうもうと立ち込める中に、ぼんやりと全体が見えて来た。

表の庇の半分が引きちぎられた様に無くなっており、残りの半分は柱を失い崩れてしまっている。

表の壁は、その半分にも及ぶ大きな穴が空き、煙を吐いていた。

見たところ、建物自体が崩れる程のダメージでは無い。

が、この有様では中の人間は無事では済むまい。

中にはチャンゴ達が居るというのに。

「おい!大丈夫か⁉︎」

中に声をかける。返事は無い。

穴から飛び込むと、中は惨憺さんたんたる様だった。

内側へと吹き飛んだ壁の木片がそこかしこに飛び散り、机や椅子も出鱈目な位置でひっくり返っている。どこかで水瓶が割れているのか、足元を水が濡らす。

煙が立ち込めているので視界が悪いが、何とかそれくらいは分かった。

「おい!誰か!」

もう一度声をかける。

「ここだ」

声が返って来た。

壁板の切れ端を押し退けて、ラヤンダールがフラフラと身を起こす。

「無事か?」

マイラが駆け寄ると、ラヤンダールは、

「すまん、耳がよく聞こえん」

と、土埃塗れの体を払う。

「他の者は?」

二人で注意深く壁板や柱、机や椅子を退かす。

何人か呻き声を頼りに助け出し、何人かは自力で這い出して来た。

爆発音を聞いた町人達が恐る恐る覗き来る中、張り番に立っていたヤッカが駆け込んで来た。

「来ました!北です!」

マイラは怪我人をヤッカと町人らに任せ、ラヤンダールと北の街道口へ走る。

十字路の部隊の大半が居なくなっていた。

セラとチャンゴの安否が気になったが、今はまずこちらだ。

果たして町の北玄関は、目を血走らせた賊と若い騎士達入り混じり乱戦の様相を呈していた。


混戦極まれり。

土煙と血煙が立ち、怒号と悲鳴が飛び交う中、剣、刀、槍が同士が打ち鳴らされる。

矢でのやり合いは既に終わっているらしく、そこかしこに折れた矢や貫かれた死体が転がっていた。

それを踏んづけ躓きながら、男達が奮戦していた。

いずれは槍が折れ、剣が潰れる。そうすると徒手での格闘、取伏となるだろう。

出鱈目に武器を振っている輩が多いせいか、既にそうしたやり合いが一部起こってもいる。

民家の戸や窓を破り、路地へと入り込んで、前線が拡大して行く。

こちらが押されている。

何故だ。

何故、向こうはあんなにも臆さず突っ込んで来れるのか。

彼らの血走った目が、全てを語っていた。

敵は覚醒薬を使っているのだ。

数も向こうの方が若干多い。

旗色が、かなり悪い。

「マイラ殿!あんたは旭屋へ!」

「わかった!」

ラヤンダールはそこへ斬り込んで行った。

無口なラヤンダールの背に鬼神が宿った様だった。陽炎たなびかせ、土埃の中へ消えた。

マイラが身を翻す。

敵の本丸は旭屋にあり。

また道を急ぐ。

まさか夜が明けてから仕掛けて来るとは思わなかったが、ギルから聞き出した情報を、こちらが握っているとは向こうは知るまい。

しかし、先ほどの爆破による陽動は誰がやったのか。

考えている暇も無く、旭屋に辿り着く。

静かだ。

戸も窓も閉じられている。旅籠屋は逗留した旅人の出立に合わせて、朝早くから開いていることが多いのだが。

裏へ回る。

昨夜マイラが体当たりで開けた戸の錠が壊れていた。

鍵穴の窪みが刻まれた板金が戸から外れている。

あの時に壊したのだろう。

それを悪いと思っている暇は無い。

中へ入ることにした。

「御免」

声をかける。

「誰か居ないか⁉︎」

昨夜警告に来た折には、ちゃんと人も居た。

一晩中備えていた為に今眠っているのだろうか。

番帯の交替時間にしても、人が居ないのは変だ。

マイラの頭を過ったのは、先程の詰所爆破であった。

町に浸透しているのが、夕べの連中の他にもいるなら、明け方に旭屋の者達の寝首を掻くのが常套手段だろう。

そして外で仲間が陽動を仕掛け、その隙に金品を運び出す。

ならば、既にここは制圧されてしまっていてもおかしくない。

廊下は薄暗い。窓が一つも開いていないからだ。

背中の刀を抜く。

「誰か居ないのか!」

すり足で歩く。

床板が、めり、と音を立てた時、

「動くな」

廊下の先、お盆と桶が乗った配膳車の影から声がした。

「矢で狙ってる」

マイラは咄嗟に身を低くしていたが、廊下の狭さを考え、矢が飛んで来ても横には躱せないと知り、ゆっくり立つ。

「誰だ」

マイラが問う。

「ここの番頭だ。そっちは?」

「一等騎士のマイラ・ヨルムトギョーム。昨晩にもお邪魔したが、憶えておいでかな?」

「これは、確かに。失礼しました」

配膳車の影から寝間着の男が現れた。手には小弓と矢を携えている。

「連中かと思いまして」

「いや、当然の措置だ」

近寄ってみると、確かに、昨夜見た顔だった。

「何事も無いのか?」

「ええ。先程、外の音を聞いてから、慌てて窓を閉めさせて、構えておりました」

「だから夕べの内に客を他所へやれと言っただろうが」

「言葉もありませんです」

番頭は頭を掻く。これだから商売人は、などと説教している時ではない。

「兎も角、じきここへ奴ら押し寄せて来る。椅子と机で出入口を塞いで、守りを固めろ」

「はい」

「それから、溜め込んでる金品をまとめて、いつでも差し出せる様にしておけ」

「何ですって⁉︎」

「奴らに押し込まれてしまった時に、金か命かとなったら、惜しんでられんぜ」

番頭は渋々肯き、

「わかりました」

奥へと走り消えた。

マイラは外へ出ると、表へ回る。

まだ人気の無い目抜き通りに、一人立つ。

ここが最終防衛線であった。


虚を突かれた騎士達は、その上に無勢とあって、長くは持たなかった。

マイラ達を入れて、やっと三十に届く程の数だ。

それに比べて渡り徒士は、五十近い数。

何より、心身覚醒状態の渡り徒士達は、痛みも恐怖も感じない。

多少の手傷を与えたところで、その勢いは止まらない。

相対する者からすれば、これほど恐ろしい相手も居ない。

騎士達は町角町角でみるみる斬り倒されていった。

町の人間達は取るものとりあえず逃げ惑い、或いは家に錠をかけて震えていた。

ラヤンダールは混戦の中、パニックに陥っていない部下と共に戦いつつ、徐々に旭屋へと後退して行った。

戦線が伸び切ったところで、孤立した騎士達は皆倒れ、残る手勢は、ヤッカとサナグ含む、ラヤンダールの周りの数名のみとなった。

騎士達を蹂躙した渡り徒士が、ぞろぞろと旭屋の前に集まりだす。

「見事だった。ラヤンダール殿」

ラヤンダールの背後に立ったマイラが言った。

「皮肉か?」

ラヤンダールが剣を構えたまま、背中で笑う。

「いや。当地を預かる保安士としての矜恃、見せていただいた。ここからは任せてくれ」

マイラがズイと進み出る。

「ヤッカ、サナグ。ご苦労」

二人にも声をかけ、ぐるりと周りを見回す。

マイラ達を囲みつつある剣陣。

その円、半径二十五歩。

横跳びに駆け出したマイラは、その円周を目にも留まらぬ速さで走った。走りながら、斬った。無駄なステップ一切無く、一歩一太刀。

それが駆け足に見えているのだ。

一周を駆けたマイラが飛去来器ブーメランの如く戻り、ブーツの裏で横滑りする。

刀を大きく血振りすると、地面に赤い線が走った。

敵が十人ばかり、倒れ伏して動かない。

動脈から溢れる血が、目に痛い程、砂上に映える。

「引け!」

誰かの掛け声で、敵がジリジリと退く。

素早い判断だが、マイラにはまだ一飛びの距離。残りも仕留めるつもりだった。

しかし、次の瞬間、マイラ目掛けて拳大の土玉が四つ、投げつけられた。

小石が塗してある。

炸裂弾。

忘れていたわけではないが、四方から、しかも囲む様に放られては逃げ方が難しい。

「危ない!」

ラヤンダールが叫ぶも、声は遠い。

マイラの体が動いていた。

耳を劈く炸裂音が四回、間を置かず空を打ち、煙が爆ぜた。

爆発がマイラを襲ったかに見えたが、直前、マイラは真上に跳んでいた。亜人の有する脚力と習性が、反射的に跳び上がらせていた。

二階建てを飛び越す程の高さで、一瞬滞空。

真下の煙に冷汗が溢れる。

そして、次には別の冷汗が出て来た。

跳んだ以上、着地点は知れている。

敵にそこを打たれたら、ひとたまりも無い。

しかし重力は無情である。

落下。

着地するより他無い。

脚を伸ばして、地面を両足で捉える瞬間、横合いから衝撃を受ける。

巨大な鉄板で張り倒された様だった。

地面が覆い被さり、頭を強か打ち付ける。

火薬が香る。

炸裂弾だった。

四方から、しかも、二段構えとは。

開けた場所で相対したのが間違いだったか。

腕や脚、腹を痛みが襲う。背中を丸めて、痛むところを確認する。

小石が鎧にめり込んでいる。

革の服を破いて皮膚に刺さっているのもある。

しかし問題は全身を襲う圧痛だ。

どこを押さえても痛む。

爆風に体を叩かれ、打撲傷の様になっているのだろう。

痛がっている場合ではない。

体を起こす。

と、足元にまた煙をたなびかす土玉が転がって来た。

咄嗟に蹴り返す。が、そいつが直ぐに爆ぜた。

真正面から丸太で殴られた様なショックで、後ろに飛ばされた。

腕をクロスして顔を庇わなければ顔が潰れてしまっていただろう。

飛ばされ、背中で地面を擦り、旭屋の表戸に叩きつけられる。

もっとも、それが戸であると分かったのは、頭がハッキリする数瞬の後だったが。

マイラ殿。

そう呼ぶ声がする。

ラヤンダールだろう。

隊長。

そう呼ぶのは、ヤッカとサナグか。

爆発で耳がやられている。

荒い息を吐くと、耳から温かい息が漏れているのが分かる。

周囲の音が、真綿でくるんだ様にボンヤリしてしまっている。

鼓膜が破れているのだろう。

目は何とか無事だ。

兄者はきっとこんな感覚で過ごして来たのだろう。

兄者。

どこにいる。

無事なのか。

そろそろ助けに現れても良いタイミングだぜ。

なぁ、兄者。

「やるなぁ。亜人の騎士よ」

野太い、よく通る声がした。

一際体躯が太い男だった。分厚い刀身を持つ鉈を手に、ブラリブラリと歩いて来る。

なるほど。目が同じだ。ラヤンダールと同じ目だ。

こいつがトンガネルだろう。

その背後に見憶えのある顔が並んでいる。昨夜追いかけ回した挙句、逃げられた二人。

「頑張ったね、お姉さん」

ラーグが言う。腰から下げた炸裂弾は、隠し持つ量ではない。建物一つくらいなら吹き飛ばせそうな程に鈴生りの火薬玉が、コツンコツンと歩調に合わせて揺れている。

隣のトンガネルに引けを取らない体格の、蓬髪男は、目を引く大きさの剣を携えている。

こうして見ると、改めて人相が悪い男だ。昨夜声をかけたのも我ながら頷ける。

マイラは、体中から煙を吹きながらも、刀を杖代わりに立ち上がる。

「マイラ。よせ」

ラヤンダールが制止する。

トンガネルは、その姿を見とめ、

「てめえら!止まれ!」

マイラ達ににじり寄る手下らを一喝した。

狼狽する一同を余所に、トンガネルは鉈を弄びつつ、悠然と歩を進める。

「これはこれはこれは……」

ラヤンダールを見据える。

「おうよ」

ラヤンダールがマイラを座らせ、振り返る。

ついに邂逅した二人。

その距離は六歩半。

互いに、大股一歩踏み込んで手の物を振れば、斬り合える距離だった。

「久しぶりだな、兄者」

トンガネルがドスの効いた調子で言った。


暫く不穏な空気が流れた。

そもそも修羅の巷と化していたが、互いの残党が睨み合ったまま瞬きもせず、風が火薬の香りをどこかへ運んでしまう中、剣や刀、棍棒を握る手に汗をかいていた。

「何年ぶりかな」

「九年と一月だ」

その真ん中で、トンガネルとラヤンダールが向かい合っている。

「そんなにか。俺を追っていたのか?」

「まあな」

「何の為に。今更、俺を殺したところでどうにもならんぜ」

「それは承知の上。けじめよ」

二人は武器を手にしてはいるが、構えは取っていない。

だが、その目に油断は無い。

「兄者、あの事なら、あれは仕方がなかった」

「人を殺していい理由があるというのか。世話になった人間を」

「そうだ。あいつが先に剣を抜いたのよ」

「どうかな。抜かせたのはお前だろう」

二人には混み入った事情があるのだろう。その場に居る者には何の話か皆目見当がつかない。

「兄者がどう思おうが、今、あんたの命を握ってるのは俺だ。どうするよ」

「どうすると思う」

「降参する気は無ぇか」

「俺とお前、一対一。それが望みだ」

「そう都合良くも行かねぇな」

お互い手下を連れているし、ここまで血を流しておいて、仕舞いというわけには行かないだろう。

ラヤンダールは半歩下がり、首だけで振り返る。

部下達は、険しい顔で頷く。

覚悟なら出来ている。

そういうことだろう。

これほど迄に逞しい騎士達だったのかと、マイラは思った。

騎士達当人も、自分で驚いていた。若者達は、実戦の中で、初めて勇者になれたのだ。

ラヤンダールは、同じく眉間に皺を寄せたまま、トンガネルに向き直る。

「こちらも、退かぬ」

髭の中で、口元が僅かに笑っていた。

「そうか」

「おう」

再び、空気中に鉄が張り詰めるが如く、きな臭くなる。

ヤッカとサナグの横に、身を起こしたマイラが並ぶ。

「騎士になった時にな、父に言われた」

マイラは竜馬刀を担ぎ、二人と同じ方を睨む。

前には、敵。敵。敵。

そしてマイラは満身創痍。

味方は、怪我人と若人。

持ち得るのは、刃こぼれた剣と、騎士としての心意気のみ。

騎士冥利に尽きるというものだ。

「死ぬ時は、死ね」

マイラがズイと前に出る。

ラーグが炸裂弾の導火線を、人差し指と親指の皮ヤスリで挟んで、腰を落とす。

ジスファも長剣をグルリと回して、構えを取る。

戦闘態勢の波紋。

マイラが一歩目を駆け出そうとしたその時、横あいから何かが空気を裂く音を聴いた。

そちらを見る間もなく、途端、マイラの頭部に何かがぶつかった。

背筋が凍る様な硬い音が立つ。

マイラは地面に這いつくばってしまう。

一同は驚き、出足を止める。

マイラの頭に、輪っか状の布が巻きついていた。

その布から、拳大の焼成煉瓦が二個、ごろりと転がり出る。

投擲武器の一種だ。

この辺りでは、「サミィ」などと呼ばれていたか。

誰がこんな物を。

「ぐぉぉ!」

「むむぐっ」

それが飛来した方から、苦痛を吐き出す様な、くぐもった叫びが二つ。

見れば、渡り徒士が二人、爪先立ちになり、今しも、ゆっくりと宙に浮かんとしているところだった。

二人の水月から、血を絡ませた長い刃が生えている。

二本の剣が、二人それぞれの腹を貫き、体を持ち上げる様に抉っているのだ。

肋骨に引っかかって、二人の体が浮き上がる。

腹から飛び出た剣を片手で抑えるも、手が切れてしまう。

もう片手で、零れたわたを探す様に下腹部から続く傷を押さえる。

二人はあっという間に絶命。

剣が下を向くと、二人の体は真赤な地面に落ちる。

血濡れの双剣を手に、焼け焦げたマントを着たチャンゴが、歯を剥いてそこに立っていた。


一同は狼狽した。

騎士達からすれば、チャンゴはお尋ね者ではあるが、それでも、元々聖堂騎士であるし、マイラの兄でもある。

何故マイラにサミィを放ったのか。

渡り徒士らからしても、チャンゴは怪人であった。

殺生を禁じられた牧師が、両の手に剣を持って立ちはだかっている。

そして、何故マントがボロボロなのか。

チャンゴは逆八の字に吊り上った眉の下から、血走った眼で一同を睨みつけている。

視線が合えば、後ろ足を踏みそうになる様な眼だ。

髪と服が焦げている。眉毛も燃えたと見えて、ほとんど無くなっている。それが凄まじい形相を作っていた。まるで地獄から這い上がって来た様な、そんな姿だ。

手挟む仕込みの智杖ちじょうも合わせて、三本も武器を持つ牧師は、ゆっくりと歩を進める。

いきり立つ渡り徒士らを、剣先と視線で牽制しつつ、ラヤンダールのところまで来ると、トンガネルと向き合う。

足元にはマイラが昏倒している。

「チャンゴ牧師、何を……」

ラヤンダールが口を開くと、チャンゴはやおら左の剣でラヤンダールに斬りつけた。

ラヤンダールの胸が斬り裂かれ、鎧の肩紐が切れ、胴当てが外れる。

「なんだテメェ!」

トンガネルが叫んでいた。

チャンゴはトンガネルに向かって右手の剣を飛ばす。

トンガネルの太腿に剣が突き刺さる。

騎士達も、渡り徒士達も、皆一斉に何事かを叫んで、チャンゴに襲いかかった。

チャンゴはかかり来る両陣営に対して、渡り徒士側へと斬り込んだ。

騎士はそうなると手近な渡り徒士に斬りかかり、渡り徒士も応戦する。

乱戦再び。

チャンゴも交えた三つ巴だ。


「なんてこと!」

その様子を遠目に見ていたセラは

声を上げる。

爆破の後、瓦礫の下から助け出されたセラは、他の騎士らの救護作業を手伝い、救護所に当てられていた町営の荷置き場から、一部始終を見ていた。

チャンゴは、爆破の直前にセラを庇ったのを最後に、姿を見ていなかった。

だというのに、突然どこからかフラリと現れ、あれよあれよと事態を拗れさせてしまった。

チャンゴにとって、両陣営共に居ない方が都合が良い。そして愚かにも両方を相手に戦うつもりだ。

馬鹿者だ。

両方が潰し合い、残った方を叩けば良いものを。

などと考えているセラは、チャンゴの悪い癖が移ったとばかりに頭を振り、

「そうじゃなくてっ。なんとかしなきゃ!」

この場を治めるにはどうすれば良いか。

セラは、荷馬車の陰で考えを巡らす。

セラは非力だが、方術を使える。多少。

だが、それをどう活用するか。

「よぉ、お姫様」

突然の声に振り向くと、跛を引く男が立っていた。

耳以外にも、あちこちに包帯を巻いている。

「なかなか大変なことになってるじゃねぇか」

ギルだった。


単身暴れ込んだチャンゴは、逃げつつ追手を斬り、立ち塞がるのを突き殺し、囲まれない様に注意していた。

大勢と戦う時は、下を向く。

すると、地を踏む敵の足元が、真後ろ以外全て見える。

そして、常に動いていること。

いずれも父から教わったコツであった。

それでも敵は二手数十人。

いよいよ危険な局面を迎えた。

四方を取られた。

刃が鈍くなってきた剣を、構えに腰が入っていない騎士に投げつけ、怯んだ隙に仕込み刀を抜きつける。

右足で地面を蹴って左足で前に踏み込み、二歩目を踏み込むと見えた右膝を、胸に着く程振り上げ、勢いで跳び上がる。

敵を頭上から斬る。

人間というものは、低い位置の物を打ったり突いたりすることは容易いが、自分の頭より高くを狙うことは難しい。

それを利用した技だ。

チャンゴの必殺技の一つだった。

踏み込んだ勢いで跳ぶのに独特の要領がある。

相手からすれば見たことも無い技だろう。

剣を操るのに腕を鍛える人間が多い中、チャンゴはひたすら脚を鍛えて来た。

勝負を決めるのは足捌きだと、父やマイラとの地稽古で学んでいた。

だからして、常人の脚でも、こういう技が出来る。

つむじの辺りを、かつん、と斬ってやる。

それだけで相手は死ぬ。簡単だ。

それで敵の輪を抜ける。

更に駆け、敵を斬って引っ掻き突き刺す。

被った僅かな手傷など構っていられない。

爆破の際に目立った傷を負わなかったのは、殆ど奇跡的と言える。

まだまだ、体は動く。

目の前に立ちはだかるジスファの姿を捉えるや、チャンゴは鞘を投げつける。

鞘を剣ではたき落とすジスファ。

しかし、それがまずかった。

払った剣を正眼に戻すまでの僅かな瞬間を、チャンゴは逃さなかった。

ジスファから見て、チャンゴの踏み込む右脚と上体が、倍近く伸びた様に感じられた。

手首の骨をガツンと断たれたジスファは、剣を落とすしかなかった。

噴き出した血の勢いからして、もはや戦うこと叶わず。

チャンゴは更に走る。

と、前方の光景を目にしたチャンゴは、駆け足を止めた。

「騎士ども!降参しろ!」

皆も、チャンゴに倣う。

彼らの先には、セラの細い首にナイフを突きつけたギルの姿だった。

「エモノを捨てな!」

ギルが町中に聴こえる声で、叫ぶ。

王座を失っていても、セラは騎士達にとって守るべき存在であるし、何よりか弱い少女である。

こうなっては騎士達も手の物を捨てるより他無い。

渡り徒士らは戸惑った。

マール騎士団領の騎士は、人質を取られようが何をされようが、敵を最後の一人までやっつける様に教育されている。人質が自分の親であってもだ。それが騎士なのだ。

騎士が絶対的な存在になるには、そういう理念が必要であることは、元々騎士だった渡り徒士達もよく知っている。

だから、騎士達が武器を捨て始めたのを見て、変に思ったのだ。

「ギル」

ラーグが剣に付いた血を袖で拭きながら、

「その子供は、何者だい?」

問うた。ラーグは落ち着き払っている。飄々としているが、この男の胆力はチャンゴやマイラと同程度だろう。

ギルは得意気に笑みを浮かべ、

「聞いて驚くな。セラ・モンドグロス王女様よ」

ギルがナイフを持ち上げ、セラが顔を上げる。

チャンゴが見違うわけもない。

そして、シュシアヘッタイトの出の渡り徒士らも居るらしく、セラの顔を知っているのか、動揺は全員に広がる。

何故こんな所に。

嘘ではないか。

いや、あれは間違いなく姫だ。

口々に言い合う。

「君、お姫様だったのかい?」

ラーグが唖然としつつも、どうにか開いた口で、問う。

セラは無言で見つめ返す。

気丈な眼だ。

ギルのナイフに億していない。

その様子が益々、セラの身元に信憑性を与える。

それにしてもよく人質になる娘である。と、チャンゴは腰が砕けそうになる。セラ本人も辟易しているのか、眉の角度が憤っている。

「降参してはいけませんっ」

セラは一喝した。

「私は失権した身。皆さんが命を賭ける価値などありませんっ」

セラは精一杯の厳しい調子で言い放つ。

「おい、黙れ!」

ギルがセラの髪を掴み上げ、喉にナイフを食い込ませる。

「騎士なら最後まで戦って下さいっ」

ギルはセラを地面に引き倒して、声が出せない様、膝でセラの背中を圧迫する。

セラはじめ一部の人間が方術を使えることは、その場に居る全員が心得ている。

セラがその気になれば、術を使って形勢をひっくり返すことも可能かも知れない。皆そう思っている。

だから、ギルは一切油断の無い態度で臨んでいるわけだ。

こうなっては騎士達も手出し出来なかった。

戦って死ぬ分には良い。あるいは生き残ることも出来よう。

降参すれば、不名誉な死が待つ。

しかし、かような立派な姫の為であるなら、死も受け入れよう。

渡り徒士とて、元騎士。

素直に従えば、セラの命まで取るまい。

そこら中で剣が土を打つ音が響く。

観念した様に膝を着く者までいる。

若い騎士達が、忠義の為に死に向かい合っている。

何と言う眺めか。

セラはこれを見て、どう感じて良いか分からず、堪らなくなった。

渡り徒士らは皆歓声を上げ、手のエモノを突き上げる。

ギルを賞賛する声も聞こえる。

彼らの勝ちだった。

ラーグが相変わらずの笑みをたたえたまま、

「ようし、騎士様方、こっちに来てもらおうか」

と宣った。それから近くの者に、

「カシラは?」

と問う。

「傷は深いですが、命に関わるもんじゃねぇです」

答えた渡り徒士も剣、を仕舞う。

渡り徒士らが丸腰の騎士達を旭屋の前に並ばせていると、旭屋の表戸がガタガタと揺れた。

マイラが激突した為、戸が歪んでしまったらしく、誰かが中から開けようと試みているらしい。

やがて痞えが取れたのか、戸が突然開いた。

中から主人のマハトが現れ、背中越しに、

「はよう持って参れ」

と、中の者に言い、一同に首を垂れた。

シワの無い正装。

綺麗にあてた髭。

「旭屋の主人、マハトでございます」

マハトは名乗った。


マハトの佇まいからして、この修羅場に死を覚悟の上で姿を晒したのは、言うまでもなかった。

渡り徒士らが、野良犬が餌の周りをうろうろする様に、マハトを遠巻きに探る。

まだ彼の何が目的なのか分からない。

「これだけの血が流されてしまった以上、もはや覆水盆に返らず。手前ども守銭奴の懐の為に、命をかけて下さった騎士様方々には御礼の術もございません」

マハトは辞世の言葉を吐く様に、述べる。

「騎士様方々の名誉を汚す真似だけはしまいと黙しておりましたが、手前どもは御客様を預かる身。こうなっては潔く差し出す物を差し出して、御客様を守らねばなりません。どうか御容赦下さい」

マハトは初めから、客の為なら財産を投げ打つと決めていたと言う。

この身支度からして嘘ではないだろう。

だが、解せないのは客を他所へ逃がさなかったことだ。

それについては、セラは何となく心得ていた。

『危ないから適当な町人の家に泊まれ』と追い出された客は旭屋の悪口を言うかも知れないが、客を泊め、しかも守ったとあれば良い噂も流れよう。旭屋はまた流行ることとなる。皆殺しの憂き目にあわなければ、だが。

美談の様に聞こえるが、客を巻き込んでギャンブルするマハトの強かさに、セラは不信感を覚える。

それでもかように、修羅の巷に正装で現れたからには、マハトもまた死に臨んでいる。

見上げた商人根性である。

ラーグが進み出る。

「どういう形で、持ってんだ?」

財産は、現金か手形か宝石か、どういう物か、問うた。

持ち去る彼らとしては、持ち運びも考慮せねばならない。

重い物であっても、馬や車を奪って運んで行くだろうが。

マハトは頷くと、表戸を三回叩いた。

錠と用心棒が外れる音がして、戸が開く。

中から番頭の音頭で使用人達が、湯船を運び出して来た。

セラも浸かった、浴場の物の一つだ。

それが一つ二つ三つと運び出されて来る。

一つを四隅四人で万力を込め、持っている。中に何が入っているのかは、上蓋で見えない。

金か、銀か、宝石か。

渡り徒士らが測りかねていると、その蓋の中から、水音が聞こえることに気付く。

精製油か?

ここいらでは貴重で、高額で取引される。かつ、持ち去るのが難しい品だ。

だが、換金が厄介な代物ではある。それに、この量では少な過ぎる。不信感は拭えない。

湯船が十二個、並べられた。

使用人達は逃げる様に退がり、主人の背後に隠れる。

ラーグがその一つに近づき上蓋を外す。

液体がなみなみと、たたえられている。

「これは」

怪訝な顔で、臭いを嗅ぐ。

目尻の皺をきつくしながら、指先を浸して、舐めてみる。

「……水⁈」

どう吟味してもただの水だ。

と、ラーグが前にした湯船の水面が揺らいだ。

中には何も居ない。

透き通って底が見えている。

ゆらり。

また揺れた。

ぽこん。

今度は泡だ。

次には、水面に細かいさざ波が立ち始める。

何だ。

他の渡り徒士らが、ラーグの様子に好奇心を起こし、覗き込みに寄って来る。

さざ波が途端に止んだ。

正に止水。

恐る恐る覗き込む無精髭の顔、顔、顔。顔が映っている。

これは何だ。

冗談か。

マハトを問い正そうと、ラーグが振り向いた瞬間、その背後を水柱が立ち上がった。

湯船の水が、巨竜の如く背を伸ばし、皆の頭上で球になって撓む。

それが飛沫を上げて、ラーグの方へ斜めに落ちた。

湯船一杯の水でも、その質量と速さだ。ラーグの体を、通りの反対側の割烹まで吹き飛ばすには十分だった。

ラーグは背中から地面に落ちて転がり、割烹の看板に激突し、大量の水と共に地面に落ちて、泥の一部の様になる。

炸裂玉はこれで使えない。

「皆、すまねぇ」

渡り徒士らが、セラの方を振り返ると、ギルがセラの横に並び立っていた。

セラを放し、ナイフをジスファらに向かい構えている。

「このお人に、命を救われちまったんでな」

冷徹な笑みで、ギルは言った。

ギルは詰所爆破の際、騎士達と一緒に巻き込まれ、助け出された後、セラの手当てにより、命を永らえたのだった。

セラに恩義を感じると共に、義侠心に駆られたギルは旭屋と申し合わせ、芝居を打ったのである。

全てはセラに術を使わせ、事態を治める為だった。

そして今、セラは手を祈りの形で合わせ、何事か唱えている。

儀礼詠唱だ。

方術、「流」の法。

液体を操る念力術式。

こうなっては小娘一人も一騎当千。

「ギル!裏切ったな!」

誰かの叫びと同時に、次々と湯船の上蓋が吹っ飛ぶ。

十本の水柱が螺旋を描いて交わり、巨大な水弾となる。

金色の朝日を透過する柔らかな水の球。

そこから降る霧粒は、渡り徒士達に死神の接吻を思わせた。

「破っ!」

セラの呼気で、水弾が爆発した。

衝撃波が、地面や建物を打つ。

それに打ちのめされた渡り徒士達は、平手で打たれた蝿の様に地面に押し潰された。

見ていた騎士達も、顔を背けなければ目を針の様な飛沫でやられるところだ。

爆煙の様な霧が晴れると、まるでそこだけ洪水が襲った様な有様だった。

湯船の幾つかが割れている。

大量の水が霧消した為か、陽光照る中、みっしりとした湿気が辺りを包んでいた。

大気に虹が煌めく下、セラは一筋鼻血を流しつつ、まるでずっと息を止めていた様に深く息を吐いた。

「顔を洗って出直しといで」


暗い意識の中で、頭痛と、頬を濡らす水気を認識したマイラは、瞼をやっと開くことが出来た。

朝日が高い位置まで来ていた。

体を起こすと辺りは水浸しで、すぐ向こうに渡り徒士らが転がっている。

ノビた彼らを騎士達が縛り上げている最中だった。保安士は常に鞘帯に捕縛縄を備えている。

「放せ!痛えだろうが!」

側で声がした。

騎士三人に引っ立てられたトンガネルが脚から血を流している。傍らには胸から血を流すラヤンダールが立ち、それを見送るところだった。

「直ぐに手当てしてやれ」

ラヤンダールはトンガネルを気遣っている。

「俺ぁ大したことねぇ」

トンガネルはあくまで虚勢を張りながらも、引っ張られて行ってしまった。

「馬鹿が」

ラヤンダールは誰に言うでもなく呟き、傷が痛むのか顔を歪めながら地面に腰を下ろした。

マイラは一体何が起こったのか把握しかねて、キョロキョロと辺りを見回すも、やっぱり分からない。

「ラヤンダール、何があった?」

ラヤンダールはマイラに向かって笑みを見せた。

「マイラよ、気がついたか。いやなに、終わったところだ」

そこへ騎士数名がやって来てラヤンダールを担いで手当てに連れて行ってしまった。

何がどうなったのか。

「……なんなんだ?」

「マイラ」

目の前にセラが立った。ギルが背後に控えている。

「お前ら」

何か言おうとして、マイラは口を閉じた。そして息を吸い、

「やったな」

と労った。

取り繕ったわけではない。勝利の余韻に水を差すのは無粋な気がしただけだ。

「何とか収拾は着いたかな」

「私は見逃したか」

「そうね」

セラは笑っている。

「見て」

セラは向こうで縛られている渡り徒士の中の、チャンゴを差した。

一人二重縄に縛り上げられたチャンゴは、ムッツリと胡座をかいて居る。

「兄者め。無事だったか」

チャンゴの無事に安堵した束の間、

「マイラをノックダウンしたのはチャンゴよ」

「何⁉︎」

マイラは片眉を吊り上げ、声を上げる。

「ラヤンダールさんを、斬ったのも」

「何故そんなことを」

「他の騎士も何人か。勿論、渡り徒士もね。無差別に」

「……」

チャンゴが狂ったとは思えない。

ラヤンダールの傷は、見たところ浅かった。皮膚を斬っただけだ。

マイラが昏倒したのも、常人なら頭が割れていたろうが、何か鈍器の様な物を使ったわけで、五体無事に済んでいる。

チャンゴは手加減をしたのだろうか。

「マイラ、私、チャンゴって馬鹿なんだと思う」

セラがマイラの視線を辿り、言う。チャンゴは騎士達に蹴たぐられ、泥塗れだ。

「どっちにも味方したくないからって、どっちも相手にやり合っちゃうんだから。どっちかに加勢した方が良いって計算くらい立つくせに」

「セラが居るのにな。馬鹿だよ」

「ほんと」

呆れた様に二人は言った。

「ま、命懸けだったのは確かね」

「だろうよ。皆が命懸けだった」

「でも、チャンゴは逃げることも出来た」

「お前もな」

「そう。でもさ、でも、そうしなかった」

「そうだな」

「見過ごせなかったし、それに、逃げても同じことの繰り返しだし」

マイラは息を吐いた。空が矢鱈青い。

「方術か?」

「うん、上達したのよ」

セラは鼻血を拭ったばかりの顔で、笑う。

湯船が並んでいるのと、辺りの泥水を見るに、「流」の法を用いたのは分かった。

なるほど。水を使って火薬を封じたわけだ。

「上手くやったもんだ」

マイラは少し悔しそうに言い、よっこらせと立ち上がる。自分の刀を拾うと、

「そいつは?」

ギルを見やる。ギルはマイラをじっと睨んでいる。

「味方してくれたの」

「こっちの?」

「うーん、と言うか、あたしの」

「どうして?」

ギルが、

「テメエにゃ関係ねえ」

と凄む。耳があった所に滲む血の色は、まだ赤い。

「まあ、いいさ。この子の助太刀感謝する」

「礼を言われる筋合いも無ぇ」

マイラは可笑しくなって噴き出す。

「愛想の良い野郎だ」

「ケッ」

「だが、お前の頭を瓶でやったのは、この姫様だぜ?」

セラはあらぬ方を向いて口笛を吹こうかとも思ったが、

「知ってる」

というギルの言葉に胸を撫で下ろし、マイラの屈託ない笑顔を見やる。

一緒に笑って、

「で?マイラ。どうする?」

と問う。

「どうとは?」

「マイラも味方してくれる?」

マイラは刀を背中の鞘に戻しつつ、眉間に皺を寄せた。

「どうしたものかな」

「ちなみにね」

セラは、にんまり笑みを浮かべた。

「あの湯船の水、もう一杯残してあるの」

舌舐めずりするような笑い方である。

「私を脅すのか?」

「ううん。尋いてるだけ」

自嘲気味に笑う顔が大人びていた。

「そうか。とりあえず、それを武器にして、兄者の縛を解いてやれ」

マイラがそう言うと、セラは、ふっと肩を落として、そうする、と呟き踵を返した。

マイラの迷う気持ちは、セラにもよく分かっていた。こうなれば、待つしかあるまい。

セラの後ろ姿を見つつ、マイラは、

「おい」

と、ギルに声をかけた。

「なんだ」

「お前、セラに着いて行くのか?」

「馬鹿言え。トラブルの種に着いて歩く気はねぇよ」

「貸し借りだけか」

「今回限りのな」

「仲間を裏切ったが、良かったのか?」

「世話にはなったが、烏合の衆だ。他所に似たのがゴロゴロいるさ」

向こうで、

どーん、

と、水柱が上がっているのを見ながら、二人は会話を続ける。

「恩赦は出るかな?」

ギルが問う。

「多分な」

マイラが答える。

騎士達が逃げ惑っている。

「口添え頼むぜ」

「耳を貰ったんだ。口くらい構わん」

「有難い」

「いいさ」

騎士達が襲い来る水と戯れているのが見える。これが夏なら涼しげな眺めだったろう。

「なぁ、保安士詰所を吹っ飛ばしたのは、お前じゃないんだろ?」

「違う。もしそうだったら、こんな有様ではあり得ん」

「そうだよな」

では、あれは一体誰が。

やはり渡り徒士の本隊の一部が町へと浸透していたのか。

だとしたら何故、夜明け前に旭屋に忍び込まなかったのか。

それが出来ない理由があったのか。

考えはとりとめ無い。

だが、頭にこびりつく疑問よりも、今は疲れがひどかった。

あちこちの内出血も甚だしい。

体を休めたかった。

それに腹も減っている。

そんなことを考えていると、

「さて、俺は行くぜ」

ギルは適当な渡り徒士の死体から銭袋を剥ぎ取ると、歩きだした。

「おい、行くのか?」

マイラが呼び止めると、

「今度のことは赦免されるとしても、面倒なことが多い。今の内に行く」

保安士達も、ギルをそのまま放免して良いかは、処置に困るだろう。彼らの為にもそれが良い。ギルはそう判断していた。

マイラがその背に向かって、

「そうか。今度会う時は……」

と言いかけると、

「今度は」

ギルが振り向きもせず言った。

「俺がその耳を貰うぜ」

そのまま、歩き去る。

マイラの楽しみが一つ増えたところで、背後の騒動も一段落したのか、静けさが戻って来た。

火薬と血が香る、朝であった。


こじんまりした居酒屋。

造り酒屋でなく、店主個人で仕入れた酒や葉っぱを出す、民家の土間にテーブルを置いただけの簡素な店だった。

酒瓶が並んだ土間の奥に、竈が二つ並んでおり、その一つで火が薪を舐めている。

客が沢山入ると竈を二つ使って、食事の煮炊きをするのだろう。

今はマイラとその連れ、一組だけだった。

「酒は傷に障ると言うが、今日は飲まずにおれんよな」

マイラは杯を干して言う。

平服だった。短刀だけは帯びているが、市井の服を着て山菜炒めを肴に酒をやる姿は、セラにとって懐かしかった。

シュシアヘッタイトに居た頃、セラも夜な夜な平服で城を抜け出し、皆で酒盛りに興じたものだった。

「憶えてる?最後の夜、マイラが遠征に出る前の晩に、四人で飲んだよね」

セラは赤ら顔で手元の杯に視線を落とす。

「ああ、よく飲んだなぁ、あの夜は」

「あたしとマイラがベロンベロンでさ」

「そうそう」

「兄様とチャンゴが、それぞれ負ぶって帰ったのよね」

「そうだったな」

「チャンゴ、憶えてる?」

セラがチャンゴの方を向くと、チャンゴは店の番犬に脂の着いた指を舐めさせていた。

「聞きなさいよっ」

「だから、兄者は耳がだな」

「わかってるわよ。だからこそこっちの口を読んでてって言ってるのに」

「大丈夫。あれでいてよく見てる」

三人はそんな調子で飲んでいた。

夕刻。

ついさっき、飲み始めたばかりだ。

マイラとセラは既に二杯程飲んでいたが、チャンゴは食事のみで、水ばかり飲んでいる。

三人ともあちこちに怪我をしている。軟膏のツンとしたニオイが店に満ちているのはその為だ。

マイラとセラは、一口飲む度に、身体中の傷がズキズキと痛んだが、構わず飲っていた。

痛みも勲章の様な物だ。味わってしまえば良い。

セラとチャンゴを釈放することについては、ラヤンダールはじめ騎士達の諒解を得ている。

セラが方術で脅さなくてもそれは叶ったことだが、彼等に上から咎めが行った時に言い訳出来るようにしたまでのことだ。

セラに脅されたとあれば、彼等も首をつなぐことが出来るだろう。

チャンゴに斬られた騎士達の傷は何れも浅く、それもあり二人は放免と相成った。

騒ぎの大きさから、町の人間にはセラの存在が知れている。

だがそれで大騒ぎする人間は居なかった。

むしろ面倒事に関わるのが好ましくないのか、淡々と事後処理をしていた。

それだけ商売人が多い町なのだろう。

「酔っ払わないうちに聞いておきたいんだけどさ」

セラが口を開く。

「うむ」

マイラが頷く。

お互い何のことかは承知している。

「マイラ、私達と行く気はない?」

「それなんだがな、逆に訊きたい」

マイラが空の杯を掲げて、主人におかわりを要求する。

「私達と本陣に戻らないか?」

「何を言うのよ。それがままならなくて、こうなってるのに」

「まあ聞け。シュシアヘッタイトは人口密度が高い、東で一の都市だ。そこで身を隠しつつ、味方を集めるんだよ。その方が理にかなってるだろ?こんな僻地を彷徨うよりも良いと思うね」

マイラは腕を組む。マイラなりに考えているらしい。

セラは自分の杯を傾け、一口呷る。

「そうかもね。でも、誰が敵で誰が味方か分からない所より、周りが大体敵って所の方が、わかりやすいわ。それに、キナンラシオ伯なら間違いなく味方してくれるし」

「そういうものか」

「ええ」

「しかしなぁ」

マイラは三杯目を受け取り、一口で杯の半分近くを飲む。

「私も、部下が居るんだよ。二人だけだが」

「ヤッカさんと、サナグさんね」

「うむ。私みたいな者によく着いて来てくれる。有難いことだよ」

「それよ」

セラが一際高い声で言った。

マイラは怪訝な顔で持ち上げた杯を下ろす。

「何?」

「私も、そうなの」

かつてモンドグロス王室を支え、今でも支持してくれる人間達に対して、たった一人生き残ったセラは責任がある。

「ふむ」

「私にもそういう人達がいる。いると信じてる」

「そうだな」

マイラは三杯目を軽々干すと、

「しかしまぁ、兄者が誰より説得が難しい」

「無理ね」

チャンゴは食事を終え、口と手を拭いて、水を飲んでいた。

マイラは、

「なあ、兄者」

手をヒラヒラと振って合図し、身振りを交え言う。

「この場でケリ着けて、セラをふん縛って連れ帰ってもいいんだぜ?」

耳が聞こえる聞こえないの話以前に、チャンゴ相手に話し合いは功を奏さない。こうと決めたら意地でも曲げないのがこの兄だ。選択肢を与えるくらいで丁度良い。

チャンゴはどういう表情も作らない。店主は青ざめているが。

マイラは竜馬刀を携えていないが、腰には短刀を差している。

この狭い店内では短刀の方が有利かも知れない。

マイラの言葉はただの脅しではないだろう。

チャンゴもそれは解っている。

チャンゴが腰掛けた自分の足下を指す。

マイラが見ると、チャンゴの足下に、店の犬が擦り寄っている。

先ほどからチャンゴが蒸し鶏を手で毟って与えていた犬だ。チャンゴに餌を与えられ、手懐けられている。

マイラの様な亜人は、動物とは折り合いが悪い。彼等も半分が獣なので、元来縄張り意識を持つ者同士、馴れ合うことは稀である。

この犬は店で飼われているので、人を噛むことはないにしろ、それでも番犬として機能する大型犬だ。

こうした町で飼われている犬は、錠がわりにされていることが多い。

家犬は必ず、その家に合った役割を持っている。

愛玩の為に飼われている犬など、偉い騎士や貴族の、役宅、屋敷に行かなければ拝めない。

この犬は明らかに、乱暴な客への抑止力と、留守を守る為の、番犬だ。

マイラが仕掛ければ、間違いなく障害となるだろう。

チャンゴが餌で慣らしてしまった今、二人で剣呑なことになった場合、まず噛み付いて来るのはマイラの方からに違いない。

こうなると地の利は五分五分。

それに、チャンゴはいつもの様に仕込み杖をマントの下に握っている。

やはり、攻めるのは難しい。

「ちぇっ」

マイラは面白くなさそうにテーブルに向き直る。

「ほらな、こっちの話の流れが解ってるだろ。兄者には」

「どういうこと?」

セラには、犬が蹲っていることと、マイラが竜馬刀を持っていないことくらいしか把握出来ていない。

「なんでもねぇよ。まあ、どっちが折れるか、お前らがここを出る時にハッキリするだろうな」

あくまでマイラは二人に立ちはだかるつもりだ。

「そうね。夜明けに立つことにするわ」

マイラは八の字に眉を寄せ、

「つまり、夜更けにコッソリと?」

と、問う。

「どうかしら」

セラは酒をすする。

嘘を吐いてマイラを騙すつもりは無い。できることならその場で、着いて来て欲しいと、もう一度頼みたい。

セラとチャンゴが出立する時、その場にマイラが現れれば、それが叶う。

しかしそれは同時に、対決の時でもあり得る。

どう転ぶかは、その時だ。

「一晩よく考えな」

「そっちもね」

セラとチャンゴが店を出ると、店前に控えたヤッカとサナグ、他数名の保安士が、油断無く二人を迎える。

皆、鎧と脚絆、篭手を身に付けている。勿論、剣も鞘帯に差している。

抜剣こそしていないが、さりとて友好的な出で立ちではない。

マイラから「何があろうと手出しするな」と言われている彼等だが、こちらとしても油断禁物。

チャンゴのリードで、その場を去る。

後ろ向きにすり足で歩いていたチャンゴが、ようやく仕込みの柄から右手を放したのは、とまり木荘に着いてからだった。


二人は、交代してそれぞれグッスリと眠った。

ちなみに、昨夜は詰所に泊まったが、宿代二泊分をキッチリ払わされている。


翌朝、真横から頬を差す朝日に目を覚ましたセラは、既に身支度を終えたチャンゴが窓の外を睨む様を、目にした。

チャンゴがセラの起床に気付き、水と麦パンを出してくれる。

それらを口に詰め込みつつ、セラは靴下巻を足に施し、ブーツを履いて、寝床を出る。

準備は昨夜の内に済ませていた。

炒り雑穀、干し肉、塩。それぞれ袋に入ったのを背嚢に収めてある。

水はチャンゴの担当だ。革袋と竹筒に清潔な水を入れ、こちらも背嚢に詰めている。

二人は各々、背嚢を担ぐ。

「行こっか」

玄関へ向かう。

チャンゴが先頭だ。

「ご出立ですか?」

とまり木の主人が炊事場から出て来た。

「お世話になりました」

「いえいえっ。これでうちも王室御用達のお墨付きです。むしろ、碌なお世話も出来ずに申し訳ありません」

ちゃっかり一日目の宿代を取っておいてよく言うわね、とセラは思ったが、飲み込んでおく。

「そんなことありませんわ。屋根と壁があるだけ有難いです」

皮肉を言うくらいは構わないだろう。

「しかしこの度は災難でしたな」

主人は表戸を開けつつ、言う。

見送りに出るつもりなのだろう。

それくらいはさせても良かろうと考えておく。

「よくあることです」

などと嘯きつつ表に出ると、やはり、待ち受けていた。

「おはようさん」

灰色竜の鱗の鎧に、背負うは竜馬刀。

ひっつめにした髪が寝癖でハネている。

「マイラ」

日の出を背に、立っていた。

目が眩む為、こちらから仕掛けるには難しい位置取りである。

心得たものだ。

「答えを聞こうか?」

マイラが問う。

「同じよ、昨日と」

セラは答える。

「そうかい」

「私も、答えを聞きたいわ」

「変わらんな、私も」

お互い気が強いのは知っている。

チャンゴがゆっくりと前に出た。

「兄者」

マイラは小さく溜息を吐いた。

「あんたは、嫌な奴だ」

チャンゴはその唇を読んでいる。

「人が良いから人好きがする、かと見せかけて、その実、人を憎んでいる性悪だ」

マイラは続ける。

「キグニ、ラプト、タラカン、ハルド、シーマー、グルム。それにラヤンダール」

背中の竜馬刀を、抜く。

チャンゴは背嚢を下ろす。

「私が知っている、あんたに斬られた騎士の名だ。怪我で済んだ者もいるが、死んだのもいる」

ここに来るまでに斬った中に、マイラの知り合いが居たらしい。

大勢を斬った。

むしろ、知り合いがそれだけしか居ないのは少ない方だろう。

「人殺しが好きだろう、あんた」

マイラは決定的なことを口にした。

「人が死ぬのを何とも思ってないな?そうだろ?」

チャンゴは、仕込み杖の柄を握る。

鯉口を切り、ゆるゆると、仕込み刀を抜く。

鏡の様に美しい刀身が現れる。

「私が死んでも何とも思わないんだろう?セラのこととは関係無く、ここでケリをつけようや」

マイラは歯を剥いて、言う。

チャンゴが憎かった。

かつては恋心を抱いたこともある。

今でもその想いは燻っている。

だが、チャンゴはこの通り何を考えているか分からない男だ。

耳と口が利かないのとは関係無く、コミュニケーション自体が不自由な男だ。

今回の、今現在の、チャンゴの行動が分からなかった。

何を考えているのか。

斬ってしまえば、残るのは思い出と悲しみだけ。

幾分スッキリするだろう。

「あんたは反逆者。斬るのが私の仕事だ。悪く思うな」

大義名分を口にして、自分を説得する材料にする。

兄妹は白刃を手に、向き合った。


セラが口を差し挟む余地が無いことは、セラ自身にもよく分かった。

これは、初めからこの兄妹の問題だったのだ。

マイラは、チャンゴのことが信じられなかったのだ。

セラだけならば、嫌も応も無く付き従ってくれたに違いない。

マイラはほとんど、チャンゴを追っていた様なものだったのだろう。

兄を問い正すことこそが、マイラの目的だったに違いない。

だが、チャンゴは何も答えず、ただ敵意だけを向けて来た。

他の敵に対した時と同じ様に。

狂ったのか、妹のことを何とも思っていないのか。

こうなれば最早斬る他無い。

「行くぞ」

マイラが、

ジリ

、と、前に出る。

チャンゴは動かない。

「そんな、店先で困りますっ」

とまり木の主人が眉をへの字にしている。

その時、チャンゴが動いた。

マイラに背を向け、仕込み刀をとまり木の主人に振り向けた。

「ひっ」

チャンゴは主人ににじり寄ると、物打ちを主人の首にピッタリと当て、マイラの前へと引っ立てた。

この期に及んで人質でもあるまい。

「何だ」

マイラが窮していると、

「そうですよ、何なんですっ」

主人も声を荒らげる。

「チャンゴ、どうしたってのよ」

セラも狼狽している。

この中年男が一体何をしたというのか。

「ご主人、よほどサービスが悪かったと見えるな」

「そんなことはっ、いえ、決してっ」

「ちゃんと立ってみろ」

マイラは主人の衣服を刀の峰でポンポン叩いてやる。

喉にはチャンゴの仕込み刀。

これでは生きた心地がしないだろう。

マイラは鼻を使ってみる。

垢、脂、埃。

他に臭う物があった。

ほんの僅かだが。

「ご主人、名前は?」

「か、カチェムと申します」

「カチェムさん、昨日、着物を洗ったり干したりしたかな?」

「いえ、一昨日から着たままでございますっ」

「火はどう起こしている?」

「火打石と松の皮を使いますっ」

マイラは、ふむ、と唸った。

「お前さん、どこで火薬を扱った?」

「火薬?でございますか?」

火薬の臭いだった。

しかも、渡り徒士らが使っていた物と同じ調合の具合だ。

「服から臭ってる」

「そんな、まさか」

カチェムはいよいよ困った様子で、

「それでしたら、多分昨日の騒動で煙を浴びたんでしょう」

と言葉を次ぐ。

「燃えた火薬の臭いではない。見たところ、煮炊きもようやくといった様子。毎日着物を煮て干してと洗濯する身分ではあるまい。何日か着っ放しにしたその着物から、何故火薬が臭っているのか」

「そ、それは」

「それはな、お前が保安士の詰所を爆破した犯人だからだ」

そこでセラは手を打った。

「そうっ、そうよっ。ラヤンダールさんが言ってたわ。連中以外の手の者が居ないと、あの爆破はあり得ないって。そうでなかったら、旭屋を直接、コッソリと狙ったはずだもの」

「そうだ。私が二人組について聴き込みに来た時、お前さんは『荷物は持ってなかった』と答えたが、実際は違った。荷物はあったんだ。二人組が追われてると知ったお前さんは、ネコババするつもりで荷物を盗り、そこから炸裂玉を見つけたんだ」

「ち、違う!」

「火薬の臭いが何よりの証拠だ。言い逃れてみろ」

マイラが竜馬刀をカチェムの腹に突きつけた。

「違うんだ聞いてくれっ」


詰所の壁の一部は薄い板切れで応急手当てされていた。

隙間風はひどいが、無いよりマシな程度に壁の役割を果たしている。

そんな内装にした張本人であるカチェムは、一同を前に全てを白状した。

聞けば、犯行自体は、マイラの推察した通りだという。

動機は、商売敵である旭屋を疎んでのことらしいが、ラヤンダールはこの経緯の根の深さを突いた。

「旭屋が財を溜め込んでいるという、ゴロツキ連中の間で流れた噂。その噂の元は、お前ではないか?」

縫った傷が開かない様、寝たままのラヤンダールではあるが、その洞察力は流石だった。

「何だと?」

声を上げたのは奥の檻に繋がれたトンガネルだった。足の包帯は、今朝巻き直されたばかりだ。

他の手下達は、医師宅が半分に、もう半分は馬場の柵の中だ。勿論、皆四肢を拘束されている。

「出鱈目だとすりゃ、俺達ゃとんでもねぇ糞ヤマ踏んだことにならぁ」

格子越しのトンガネルは、まるで獣だ。

「どうなんだ?」

ラヤンダールが尋ねる。

カチェムはこうなればと全て吐いた。

とまり木荘は安かろう悪かろうの宿ではあるが、それなりに集客があった。

つまり、身分の高くない人間や、ヒエラルキーの外に居る輩が、その大半であった。

無頼の輩等だ。

立派な門構えの宿が軒並み潰れてしまったのは、こうした客層によるのだという。

そうした客が一人でも来ると、本来の善良な客が離れてしまい、売上は落ちる。

残ったのは結果として、とまり木荘の様なボロ宿である。

だが、旭屋は違った。

建物に金はかかっているが簡素。セルフサービスは多いが、基本的に待遇が良い。

それゆえ客層が厚い。

町の温度に合った商売が出来ている。

それはとまり木も同じだが、とまり木は消極的なやり方だ。

儲からない。

やり方を変えようにも資本が無い。

鬱屈した思いが、カチェムには常にあった。

そして、とまり木を訪れる客に、とある話を吹き込んでいた。

旭屋が金を溜め込んでいる。

そういう噂を流していた。

あんな旅籠、押し込みにでも遭えば良い。

それくらいの気持ちだったが、とうとう、それらしいのがやって来た。それが一昨日だった。

ラーグとジスファがとまり木に来た時、カチェムは怖くなったのだと言う。

無頼漢ばかり相手にして来たカチェムから見れば、ラーグとジスファが只者でないことは瞭然だった。

軽い気持ちで流した噂が、賊を呼び寄せてしまった。

マイラの「怪しい二人組を知らないか」という問いに対して素直に答えたのは、そういう自らの未必の故意への罪悪感からだったらしい。

だが、心のどこかで、旭屋で物騒なことが起きないか期待していた。

そして、いざ件の二人が追い払われてしまったと聞き、今度は落胆した。

彼らの荷物が惜しくなり、開けてみれば中には火薬の玉がゴロゴロ。

二人に罪を被せ詰所を爆破するまでは考えなかったが、何かしらに使えるのではないかと思ったと言う。

そして、騒動はどんどん大きくなった。

翌朝には、カチェムは火縄と炸裂玉を手に詰所の前に立つことになる。

旭屋を狙わなかったのは、保安士の人数が減れば、恒常的に町の客層がとまり木寄りになると踏んだからだ。

「馬鹿な」

ラヤンダールが吐き捨てる。

「お前とは数年来の顔見知りだが、欲深さとは無縁の男と思っていた」

トンガネルはすっかり消沈して横になってしまったが、膝が苛々と揺れている。

「欲が無い人間なんかいやしません」

カチェムは言う。

「欲の為にバカなこともします」

「それで人が死ぬことがあってもか」

「私は、しました」

その辺りで、チャンゴとセラは、静かに席を立った。

誰も、それを制止しない。

居ないものとして、見もしない。

静かに行かせてやることこそが、セラへの礼。

それ以上はできない。

セラもそれは分かっている。

しかし、建て付けの悪くなった表戸にセラが手をかけた時、

「陛下にっ」

ラヤンダールの声が隙間風を裂いた。

セラが驚き振り向くと、

「敬礼っ」

皆が胸に右手を当て、顎を引いた、騎士の礼を、一斉にセラに送った。

マイラとヤッカとサナグだけは、起立しただけだった。

ヤッカとサナグは礼をしかけて、マイラが従わないのを見、慌てて手を下ろした様子だった。

トンガネルは表情こそ苦々しげだが、立たないまでも身を起こして腕組みし、見送る構えだ。

今は賊に身を落とすとも、幼いセラの姿を知る、元騎士である。

彼も彼なりに思う所があるのだろう。

皆のこの様は、セラの口角を上げてくれるのに十分だった。

セラも礼を返す。

「有難う」

少し泣きそうだったのは内緒だ。

そしてサッと踵を返し、詰所を出る。戸を開けるのにやや苦労したが、女王らしく、なるべく格好良く。

外に出て、町の外へと歩き始めたところで、

「おい」

背後から声がした。

聞き間違うわけもない。

振り向くとマイラが立っていた。

ヤッカとサナグを従えている。

三人とも背嚢を引っ掴んで来たのか、片方の肩にかけている。

「どうするの?」

セラが問うと、マイラは矢鱈に怖い顔を作り、

「どうするだと?」

と肩を怒らせる。

「どうするもこうするも無ぇ。お前らを追うのが、私の任務だ」

「そう」

セラは諦め半分の溜息を漏らしかけ、その妙な台詞を反芻した。

先程までケリを着けると息巻いていたマイラだが、「追う」と言う。

溜息を飲み込み、

「え?」

と聞き返す。

「追いかけるぞ。どこまでもな」

「つまり?」

「それには、ついて歩くのが早いな」

ヤッカとサナグが怪訝な顔を見合わせる。

「隊長……」

マイラは二人の方を振り向く。

「お前達」

彼らの隊長は、いつもの様に、ニッと笑って見せた。

「私はこれから目標を追う。本陣に寝返ったと誤解されかねんことだ。お前達は家族がある。だから、別行動で最寄りの伝令隊とコンタクトを取り、本陣に報告せよ。私の独断専行だとな」

マイラの、乗せるつもりの無い口車は、二人を納得させるだけの働きをした。

三人でセラに従えば、三人は三人とも裏切り者扱いを受けるだろう。

だが、マイラ一人ならば、ヤッカとサナグが報告の際に弁護、否、達意も出来よう。

ひいては、ヤッカとサナグの名誉と命を守ることにもなる。

セラの行く先には危険が待っている。

マイラがし得る最善の選択だった。

「隊長、俺を斬って下さい」

サナグが俯く。

「何を言う」

「隊長一人にそのようなこと、させられません」

ヤッカも進み出て口を開く。

「俺もです。せめて俺達どちらかでも連れて下さい」

二人を宥める様に、マイラは二人の肩に手をかけた。

「お前達は何を聞いてる?三人が三人の家族を想って行動するなら、それしかない。そうだろ?」

セラは、チャンゴに背中を向けているマイラのこの言葉が、チャンゴに伝わったなら、どんなに良いかと思った。

そして同時に、マイラは、セラのことも実の妹の様に想ってくれていると知り、また目頭が熱くなって来た。

「お前達は立派な騎士だ。亜人で、年下の、しかも女の私に従ってくれて、有難う。逆に頭が下がるよ。世話になった」

マイラは、二人の肩を握る手に優しく力を込めた。

ヤッカとサナグはその肩を少し震わせたが、涙は零さなかった。

「そんなことありません。貴女の下で働けて光栄でした」

今度こそ泣いてしまった。三人でなく、セラが。

「有難うよ」

マイラも何かを噛み殺すように、こみ上げて来るものを抑えている。

チャンゴはそんな様をただ眺めている。

むしろ、彼らの向こうでやっている、昨日の騒動で亡くなった町人の葬列の方が気になる。

彼らからしたら、とんだとばっちりだ。ラヤンダール兄弟を仲良く殺してしまえば良かったとすら思う。

亡くなった騎士達の遺体は安置され、それぞれの郷里に還された後、その地で葬儀が行われる。

チャンゴは一応牧師なので、安置された遺体に、鎮魂の祈りを捧げることもできるが、争った相手方という立場もあるので、当然ながら呼ばれもしなかった。

ベタベタした三人ヨガリな挨拶など知ったことではないチャンゴは、さっさと行きたかった。

人里はやはり苦手だ。

「じゃあ、後は頼んだぞ」

マイラはヤッカとサナグの肩を力強く叩くと、背嚢を背負い直し、踵を返した。

「さ、行くぞ!」

セラの手を引いて、大股で歩き始める。

「ちょっとっ、追うとか何とか言ってなかった?なんで率先してんのよ」

セラは涙が乾かないうちに笑いだしていた。

「細けぇこと言うな」

マイラもカラカラと笑っている。

ムッツリとしてそんな二人を見ていたチャンゴに、ヤッカとサナグは敬礼して、

「我々に言われるまでもないことと存じますが、隊長を宜しくお願いします」

と頭を下げた。

気の利いた簡潔な文句に、見上げた騎士達だと感心したチャンゴは、自分が投げ飛ばしたヤッカに、「あなたを、気絶させたのは、わたしです。すみませんでした」というジェスチャーをする。

受けたヤッカは、少し目を丸くしたサナグを余所に、

「そうだろうと思ってましたよ」

と笑った。

「次はそうはいきませんからね」

チャンゴはもう一度頭を下げた。

それから、セラとマイラを追って歩きだした。

町の出口辺りで、二人に追いつく。

セラとマイラは、『衛士行進曲』を口ずさみながら、歩いている。

この調子では騎士団団歌まで歌いだすだろう。

ただでさえ目立つ三人組だというのに、これは堪らない。

「遅いぞ」

「遅いわよ」

こいつらは二人だと更に声が大きい。

「兄者は気難しいのに、よくやって来たもんだ」

「あれで結構いいとこあるのよ?」

「どうだかな」

怪我も殆ど治っていないが、元気なものだ。

二人を追い越すと、

「クソ兄、いつかそのうち、ケリ着けてやる。おぼえとけ」

「先が思いやられるね」

後ろで何やら言っている。

こっちの耳が聴こえないと思って好き勝手言い放題だ。

どいつもこいつも黙って無視をしていれば、こちらを聾唖だと思いやがる。


耳なら、昔から聴こえているというのに。


続く

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