014・ワイズマンモンキー
「よし、準備はいいな! 始めるぞ!」
ガエタノの号令に、四人のキコリが『おう!』と返事をして、骨でできた斧を振りかぶる。
この斧は、ユグドラシル大陸に稀に打ち上がる鯨や海竜の死体、その骨を加工して作られるものらしい。一般人でも購入可能だが、かなりの高級品であるとのことだ。
その斧が、直径二十センチほどの、この森ではやや小振りな木に叩きつけられる。小気味の良い音が森に響いた。
二本の木に二人ずつ配置されたキコリが、交互に斧を振るう。小気味の良い音が一定のリズムで刻まれ、木の幹が徐々に削られていった。
そんな木の周囲には水鉄砲をかまえた六人の男衆がおり、鋭い視線を森へと向けている。彼らの中央にはティールの村から運んだ巨大な瓶が置かれており、マナを含んだ水が並々と湛えられていた。
「魔物発見! ラビスタです!」
男衆の一人が叫ぶ。彼の視線を辿ると、確かにラビスタがいた。六メートルほど先の茂みの中から、斧を振るうキコリを睨みつけている。
「構えよし! 撃ちます!」
発見した男衆が水鉄砲をかまえ、すぐさま発射。水鉄砲から放たれた水はラビスタの手前の地面に着弾し、地面を濡らす。すると、マナを嫌ったラビスタが、脱兎のごとく逃げ出した。森の草木に紛れ、あっという間に見えなくなってしまう。
「ラビスタ逃走! 見失いました!」
水を放った男衆は大声でこう報告した後、巨大な瓶に水鉄砲を入れ、水を補充。再び周囲に視線を巡らせる。
「よーし、よくやった! 皆も聞け! 魔物を無理に倒す必要はないぞ! 森に追い返せばそれでいい!」
『はい!』
ガエタノの言葉に大きな声で返事をする男衆。何度も繰り返された訓練の跡がうかがえるやり取りだ。
ガエタノの統率は見事であり、全員から信頼られていることがよくわかる。魔物発見の報告がされた後、斧が木に叩きつけられる音が一切途切れることがなかったのがその証拠だ。
優秀な指揮官に、高い士気と練度。そして信頼。狩夜の目には万全の布陣に見えた。
これなら危険なことなんてないのではないか? と、狩夜が迂闊なことを考えた、その瞬間——
「っ! ガエタノさん! 遠方の木々から、一斉に鳥たちが飛び立ちました!」
男衆の一人が、焦りを含んだ声でこう叫んだ。ガエタノを含むすべての人間に緊張が走り、斧から発せられていた小気味の良い音が初めて途切れる。
「まさか、もうこっちに気づきやがったのか!?」
「くそ! 作業を始めたばかりだってのに!」
「狼狽えるな! 警戒態勢!」
ガエタノの号令に男衆が一斉に上を向き、水鉄砲をかまえた。キコリも斧を放り出し、水鉄砲を構える
男衆の緊張と不安は狩夜にも伝染した。狩夜はしきりに周囲を見回す。
——いったいどうしたんだ? 何が起きている?
「魔物発見! ワイズマンモンキーです! 数多数!」
「くそ、やっぱりか!」
「作業中断! 全員構えろ! 対空戦闘用意! カリヤ殿もお気をつけて!」
——ワイズマンモンキー!? 魔物か!? というか対空戦闘!?
「きました!」
男衆の一人がこう叫んだ直後、そいつらは狩夜たちの頭上に現れた。
チンパンジーの様な顔をした、黒い毛並の猿である。手足が長く、両手をいっぱいに広げれば二メートル近くありそうだった。
「あれが、ワイズマンモンキー?」
ワイズマンモンキーは、長い両手を器用に使い、森の木々を次々に飛び移りながら、高速で狩夜たちに近づいてくる。しかも数が多い。十匹以上は確実だろう。
この辺りで一番の大径木。その枝、高さにして二十メートルはありそうな場所から、ワイズマンモンキーの群れが狩夜たちを見下ろしている。あっという間に頭上が制圧されてしまった。
一匹のワイズマンモンキーが「キーキー」と、耳障りな鳴き声を上げながら狩夜たちを指さしてくる。ずいぶんと興奮——いや、怒っているようだ。
「縄張りの木を少し傷つけただけでこれか。相変わらずだな」
ガエタノが小さく呟く。どうやらワイズマンモンキーは、縄張りの木を傷つけられることを酷く嫌うらしい。
「が、ガエタノさん……」
「数が多すぎる……か。全員、村まで後退。だが、背中は見せるなよ。敵の目を見ながら、ゆっくりと後退だ」
ワイズマンモンキーを刺激しないように、小声で後退を宣言するガエタノ。男衆は一斉に頷き、すり足でゆっくりと後退を始めた。狩夜も異論は挟まず、後ろ歩きでゆっくりと後退。気分的には、森の中で熊と遭遇した時のそれだった。
徐々にだが、確実に広がるワイズマンモンキーとの距離。だがワイズマンモンキーは、狩夜たちの撤退を黙って見過ごしはしなかった。
一匹のワイズマンモンキーが、右手を豪快に振りかぶる。そして、その直後——
「うわ!?」
「ひぃ!」
地面の一部が、轟音と共に爆発した。
巻き上がる砂埃。その中心には、地面にめり込む拳大の石の姿があった。
狩夜は叫ぶ。
「投石!?」
凄まじい投石であった。速度が半端じゃない。狩夜が学校の球技大会で体験した、野球部のエースより速かった。あんなのにもし当たりでもしたら、普通に重傷。最悪即死である。
狩夜と、ガエタノ、男衆の間に戦慄が走った。
「ちくしょう! いつもいつも邪魔しやがって、猿どもが!」
キコリの一人がワイズマンモンキーを憎々しげに睨み、悪態をつく。どうやらこのような妨害は、一度や二度じゃないらしい。
生唾を飲む狩夜。そして、この作業が命懸けであるということを再確認した。いくら対策を立てても足りないくらいである。開拓者ギルドに依頼がいくのも納得であった。
「キキャァアァァ!」
先ほど投石をしたワイズマンモンキーが、甲高い雄叫びを上げた。それを合図にしたかのように、頭上のワイズマンモンキーの群れが一斉に投石を開始する。
最初の一匹ほどの速度はなかったが、十分に人間を殺傷しうる攻撃が狩夜たちに降り注ぐ。ただ、コントロールは悪いようで、投石に命中した者はまだいない。だが、死傷者が出るのは時間の問題だろう。しかもワイズマンモンキーの群れの中には石を大量に抱えた補給係が二匹おり、そいつらが他の猿に石を手渡しているので、弾切れの気配がまるでない。
ワイズマン。賢者という名前だけあって、頭もいいようであった。
「くそったれがぁ!」
やられっぱなしでたまるかと、先ほど悪態をついたキコリが前に出た。次いで水鉄砲を構え、ワイズマンモンキー目がけ水を発射する。しかし——
「きゃっきゃ!」
届かない。射程が絶対的に不足していた。水鉄砲から発射された水は道のりの半ばで失速し、地面と木の幹を濡らすだけに終わる。それを見たワイズマンモンキーが「無様、無様」と言いたげに、男衆を見下ろしながら笑い声を上げた。
「畜生! 馬鹿にしやがって! 弓矢さえ使えればてめーらなんかなぁ!」
「馬鹿野郎! 下手に傷をつけたら、もっと厄介なベヒーボアがくるだけだろうが!」
「くそ、撤退だ! 全速後退! カリヤ殿も!」
ガエタノがこう叫ぶと、男衆が我先にと逃げ出した。大きな瓶も、高級品である斧もその場で放棄し、すり足をやめて走り出す。
逃げ遅れたのは——
「うえ!?」
一緒に訓練をしていない狩夜だけだった。
走り出すのが遅れて、その場に取り残される狩夜とレイラ。そして、ワイズマンモンキーの視線が狩夜に集中する。その視線には、純然たる殺意があった。
——ま・ず・い!
狩夜がそう思った瞬間、ワイズマンモンキーが一斉に腕を振りかぶり、躊躇なく振り抜いた。十数個の投石が狩夜に向かって飛来する。
大半は外れたが、三個が命中コース。しかも、うち一個が顔面直撃コースだった。
——やばい、死ぬ。
異様に長く感じる時間の中、狩夜が漠然とそう思った直後、拳大の石が顔面に直撃。
ワイズマンモンキーの頭部が、無残に歪んだ。
「え?」
頭部が変形したワイズマンモンキー三匹が、力なく地面に落下する光景を見つめながら、狩夜は間の抜けた声を漏らした。直後、視界の両端で揺れる、レイラの蔓の存在を確認する。
そう、レイラが蔓で投石を弾き、狩夜を守ったのだ。しかも、その弾いた三つの石で、三匹のワイズマンモンキーを仕留めたのである。
レイラは蔓を伸ばし、落下するワイズマンモンキーの死体が地面に着く前にキャッチ。次いで、頭上から肉食花を出現させ、そこにワイズマンモンキーの死体三つを放り込んだ。
肉食花でワイズマンモンキーを咀嚼しながら、頭上に布陣する群れを見据えるレイラ。一方のワイズマンモンキーたちは、不意の反撃に思考が追いついていないのか、呆然と狩夜とレイラを眺めている。
レイラは、その隙を見逃さない。
石の補給係をしている二匹のワイズマンモンキーに向けて、レイラは蔓を伸ばした。左右の蔓で補給係の眉間を貫き、二匹同時に絶命させる。
補給係が抱えていた無数の石が地面に向かって落下する中、レイラは蔓を動かし、補給係の死体を回収。肉食花の中へと放り込む。
レイラの動きは止まらない。右手の蔓を再度振るい、地面に対し水平に動かした。
今度のレイラの狙いは、ワイズマンモンキーが足場としている大径木。レイラの蔓がその幹に接触し、埋没。そのまま速度を落とすことなく通過し、突き抜けた。一瞬の静寂の後、大径木が他の木を巻き込みながら倒れ始める。
——レイラの奴、直径二メートル近い大径木を、あっさり切り倒しやがった!
愕然とする狩夜の視界の中で、ようやく我を取り戻したワイズマンモンキーたちが、一斉に動いた。倒れゆく大径木から我先にと離脱し、別の木々へと飛び移る。だが、全てのワイズマンモンキーが離脱を成功させたわけではない。三匹のワイズマンモンキーが離脱に失敗し、大径木に押し潰された。
数を減らしたワイズマンモンキーが、怒気をはらんだ視線で狩夜とレイラを睨みつける。だが、レイラはそんな視線を無視し、倒れた大径木に向けて蔓を伸ばし、潰れたワイズマンモンキー三匹を力ずくで引っ張り出し、回収。うち一匹にはまだ息があったが、レイラはかまわず肉食花の中へと放り込んだ。
追加された三匹を咀嚼しながら、レイラは視線を動かし、ワイズマンモンキーの群れを見つめる。そして——
「……(にたぁ)」
口裂け女のような顔で、凄惨に笑った。
直後、怒りに歪んでいたワイズマンモンキーの表情が、恐怖一色に染まる。そして、躊躇なく逃走を開始した。見事な引き際である。勝てない相手とは戦わないということだろう。やはり頭がいい。
ワイズマンモンキーの撤退を見届けたレイラは、頭上の肉食花を引込め、表情を元に戻した。すっかりデフォルト状態である。
——終わり……かな?
「はぁあぁ~」
狩夜は深々と息を吐き出し、硬直していた全身を弛緩させた。
また死にかけた。というか、レイラがいなかったら絶対に死んでいただろう。
正直、あんな高い所から投石で攻撃されたら、狩夜では打つ手がない。竹製の水鉄砲などでは絶対に届かないし、木をよじ登るなどは論外だ。有効な攻撃手段があるとすれば、せいぜい弓矢ぐらいなものだろう。もっとも、木の上を高速で移動するワイズマンモンキーに矢を当てるには、とんでもない技量が必要な上に、下手に傷をつけて血をまき散らしてしまうと、この森で最も警戒すべき魔物であるベヒーボアを呼び寄せてしまう。
「ワイズマンモンキー。厄介な魔物だなぁ」
魔物は常にこちらの土俵で戦ってくれるわけではない。その厳しい現実を、狩夜は先ほどの戦闘で嫌というほど味わった。
「ありがとね、レイラ」
狩夜はそう言って右手を頭上へと運び、レイラの頭を撫でてやる。レイラは嬉しそうに目を細め、狩夜の頭をペシペシ叩いてきた。
「カリヤ殿! ご無事ですか!」
退避していたガエタノが、大声を上げながら狩夜のもとへと駆け寄ってくる。それに少し遅れて、ティールの男衆も狩夜のもとへとやってきた。
「あ、皆さん。はい、とりあえず五体満足です」
「それはよかった。しかし、見事な戦いぶりでしたな! あのワイズマンモンキーをああも容易く撃退するとは! このガエタノ、感服いたしましたぞ!」
子供のように興奮しながら狩夜を褒め称えるガエタノ。狩夜としてはレイラに助けてもらっただけで何もしていないので、なんとも身につまされる展開である。
「さすがは村の救世主!」
「カリヤ殿がいれば、この村は安泰だな!」
ガエタノに負けじと他の男衆も狩夜を賞賛した。こうなってくると、狩夜としては愛想笑いを浮かべるしかない。
「お連れの魔物も凄かったですな! 前々から気になっていたのですが、それはいったいなんという魔物なのです?」
「えっと、マンドラゴラって名前の魔物です。僕はレイラって呼んでますけど」
「ほう、マンドラゴラ。初めて聞く名前です。ですが——なぜでしょうな。どこかで見たことがあるような気がするというか、親近感がわくというか……」
「え? それはどういう——」
「ドリアード様ですよ、ガエタノさん。レイラちゃんは、ドリアード様に似てるんすよ。だからそんな気がするんじゃないですかね」
狩夜の言葉を遮るように男衆の一人が声を上げ、その言葉にガエタノが「ああ、なるほど」と頷いた。
「そうか、ドリアード様か! なるほど、言われてみると確かに!」
他の男衆も同意見なのか「ほんとだ、よく見ると似ている」「そっくりだ」と声を上げた。
ドリアードとは、木の民が信仰する木精霊のことである。その精霊の姿が、どうやらレイラに似ているらしい。
「そんなに似ているんですか?」
「ええ、似ています。気になるようでしたら、後でイルティナ様に教典を見せてもらうのがよいかと。ドリアード様の姿絵が載っておりますので」
「これは偶然じゃないですよ、ガエタノさん。きっとドリアード様が、俺たちを助けるために、カリヤ殿とレイラちゃんをこの村に導いてくれたんですよ」
この言葉に他の男衆も沸き立った。そして「ドリアード様が俺たちを助けてくれたんだ」「ドリアード様は、封印された今も私たちを見てくれているんだ!」と声を上げる。
「あの、皆さん? ちょっと落ち着いて……」
狩夜が窘めるようにこう言うが。誰も聞いていない。
最終的には、男衆は両手を複雑な形に組みつつ、レイラに向けて頭を下げ始めた。そう、拝んでいるのである。
これにはさすがに狩夜の顔が引きつった。たまらずこう口を開く。
「み、皆さん、レイラを拝んでないで、早く柵を造りましょうよ! 木材だって沢山手に入ったんですから! ね!」
レイラが切り倒した大径木を指さし、狩夜は叫ぶ。直径二メートル、高さ三十メートルはあろうかという大径木だ。これだけで相当な量の木材を確保できたはずである。
狩夜の言葉に男衆は顔を上げ、視線を大径木へと集中させた。
「ふむ、確かにそうですな……しかし、これだけの大きさですと、加工どころか運ぶのも大仕事ですぞ」
どうしたものかと腕を組むガエタノ。確かにこれだけの大きさだと、運ぶのも、加工するのも一苦労である。チェーンソーも、電動鋸もない世界だ。こんな大径木、どうやって——
「って、簡単じゃん」
狩夜はこう呟いた後で、視線を上に向けた。次いでこう口を開く。
「レイラ、あの大径木、細かく切り分けてくれない?」
狩夜がこう口にした瞬間レイラが動いた。両手から蔓を伸ばし、高速でそれを振るう。
『おお!』
ティールの男衆が感嘆の声を漏らす中、瞬く間に切り刻まれていく大径木。見事なまでの拍子木切りだ。見上げるような大径木も、レイラからすれば大根と大差ないらしい。
「レイラちゃんすげぇ!」
「すぐさまティールは復興だ!」
やんややんやと声を上げる男衆を尻目に、黙々と大径木を切り分けていくレイラ。そんなレイラを頭に乗せながら、狩夜は思う。
【村の拡張】と【木材採取】のクエストもなんとかなりそうだ——と。
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