013・意外な武器

 狩夜とレイラが開拓者ギルドの外に飛び出すと、二、三時間前に狩夜も森の中で遭遇した猪型の魔物、ボアの姿が目に飛び込んできた。


 体長一メートルほどであるそのボアは、威嚇するように唸り声を上げながら地面を後ろ足でかいており、畑を守るように布陣したティールの男衆を睨みつけている。


 一方のティールの男衆は、耕されたばかりの畑の前で陣形を組み、ボアを迎撃する構えだ。


 イルティナから聞いた話では、今のティールには狩夜とイルティナ、メナド以外に開拓者はいない。つまり、あそこでボアと向き合っている男衆は、ソウルポイントでの強化がされていない一般人であるはずだ。


 一般人ではボアにはかなわない。魔物でない普通の猪ですら、人間が真正面から戦うのは自殺行為である。


 ——助けなきゃ!


 そう思った狩夜は、腰の鉈に手を伸ばしながら足を前に踏み出した。だが、時すでに遅し。狩夜が前に出るよりも早くボアは駆け出し、ティールの男衆に向けて突撃を開始した。


 間に合わない。今から全力で走ったとしても、間違いなくボアのほうが早い。


 レイラならどうにかなるか? そう思った狩夜が、レイラの名前を口にしようとした、その時——


「全員、構え!」


 男衆の中でも特に厳つい風貌の中年男性が、威厳のある声で叫んだ。その声に従い、男衆が一斉に筒状の細長い物体を手に取り、それをボアへと向ける。すると、再び中年男性が叫んだ。


「まだだ! まだ撃つな! もっと引き付けろ! 無理に狙おうとするなよ! ただ前に飛ばせばいい!」


『はい! ガエタノさん!』


「あれは……まさか!?」


 ボアへと向けられたとある武器の姿に、狩夜は目を奪われ、驚愕する。


 間違いない。狩夜の世界、地球にもある武器だ。その名は——


「よし。撃てーーー!!」


 水鉄砲。


 ガエタノと呼ばれた厳つい中年男性の号令と共に、男衆が木の棒を筒の中に押し込む。次の瞬間、竹製の筒がうねりを上げ、火——ではなく、水を勢いよく吐きだした。


 ティールの男衆による、ボアへの一斉放水。でかい図体で突進をしていたボアは、当然それを避けることができず、真正面から水をひっかぶった。


「ぶひぃぃいぃ!?」


 何の変哲もないただの水。にもかかわらず、その効果は抜群だった。水に触れた瞬間、ボアは悲痛な叫びを上げ、苦しみ、もがく。水をかぶった部分からは、黒い煙の様なものが上がっているのが見て取れた。


 体が溶けている? いや、血は流れていないし、傷ついてもいない。おそらくこれが、マナで魂が浄化されるという現象なのだろう。


 男衆からの放水は止まらない。苦しみ、もがくボアに向けて、夏の夕立のように水が降り注いだ。


 ほどなくして「こりゃたまらん」と言いたげにUターンするボア。ティールを飛び出し、森の中へと消えていく。


 ボアの姿が見えなくなると同時に、ティールのあちこちから安堵の溜息が聞こえてきた。狩夜も小さく息を吐き、マタギ鉈から手を放す。


「出番なし」


 一次はどうなることかと思ったが、怪我人がでなくてなによりである。あれがこの大陸の水、つまりはマナの力。本当に魔物はマナを嫌がるらしい。


【厄災】後の人間たちは、こうやって魔物を退け、その命脈をなんとか繋いできたのだろう。


「水鉄砲、侮りがたし」


 魔物との戦闘を避けるという意味では、十分以上に有効な武器だ。粗悪な鈍器などよりよほど効果的である。


「よし、全員仕事に戻れ。水の補給を忘れるなよ。作業再開だ」


 厳つい風貌の中年男性——ガエタノの声を聞き、陣形を組んでいた男衆が動き出した。村の中央にある泉で水鉄砲に水を補給する。


 直系五センチ、長さ三十センチほどの竹製の水鉄砲。よく見れば、ティールの村民全員がそれを常時携帯していることがわかる。しかも一本ではない。一人の村民が、三本か四本の水鉄砲を腰にぶら下げていた。ガエタノにいたっては、十本以上の水鉄砲を、全身の至る所に装備している。


 水の補給を終えた男衆は、木製の鍬や、骨でできたと思しき白い斧などを手に取り、鍬を持った男衆は畑へ、斧を持った男衆は、村のはずれへとそれぞれ向かった。


「随分と重武装ですね」


 狩夜は歩きながら口を動かし、ガエタノに話しかけた。


「ん? おお! これは救世主殿。見ておられたのですかな?」


 笑顔のガエタノから放たれた「救世主」発言に、狩夜の顔が引きつる。狩夜は、すぐさまこう言葉を返した。


「救世主はやめてください。狩夜でお願いします」


「はは、わかりました。では、カリヤ殿とお呼びしましょう。私は、ガエタノ・ブラン・マイオワーン。イルティナ様より、このティールの防衛を任されている者です」


「はい。よろしくです、ガエタノさん」


 ガエタノの名前を口にしながら、狩夜は改めてその容姿を観察する。


 線の細い人が多い木の民だが、ガエタノは違う。しなやかな筋肉の鎧を纏った細マッチョだ。エラの張った四角顔で、美男美女揃いの木の民では珍しく、かなり厳つい顔をしている。耳は横に長く、ブランの名が示す通り、褐色の肌をしていた。露出が少なく、森の中でも動きやすそうな服装なのは他の村民と同じだが、革製のガンホルダーで全身の至る所に水鉄砲を携帯し、魔物の襲撃に備えている。なかなかに重そうであった。


「凄い数の水鉄砲ですね。重くありませんか?」


「はっは! なーにこのくらい、この村と村民を守るためなら軽いものです。それに、これからキコリの皆と木を切らねばなりませんからな。これでも足りないくらいですよ」


「木を……」


 狩夜は、開拓者ギルドで見た二つの依頼を思い出した。


 そう【村の拡張】と【木材採取】である。


 双方ともイルティナからの依頼であり、報酬は出来高払いであった。そして、とある共通の注意書きがあったはずである。


 この森では、木を切るのも命懸け。


「木を切るって……あれですか? 命懸けっていう?」


「おや、ギルドで依頼をご覧になりましたかな? はい、そうです。この森では木を切ることすら命懸けの仕事ですな」


 この言葉に狩夜は「そうだよなぁ……」と小声で呟く。


 人間を躊躇なく襲う魔物が我が物顔で闊歩する場所での作業。しかも相手は見上げるような巨木と、その巨木すら小さく見えるビルのような大径木だ。一本切り倒すのも一苦労——いや、一苦労なんて言葉ではすませられない労力と、危険がつきまとう仕事である。


 命懸け。その言葉には誇張はない。嘘偽りもない。この森での伐採作業は、文字通り命懸けなのだ。


「過酷な世界だなぁ」と狩夜が胸中で呟くと同時に、ガエタノは小さく溜息を吐いた。そして、こう言葉を続ける。


「しかし、だからといって切らぬわけにはまいりません。このティールを、ひいては人間の領土を広げなければなりませんし、なにより我々には木材が必要なのです。あれをご覧ください」


 こう言いながら、ガエタノは村を囲む柵を指さした。背が低いうえにスカスカの、あの柵である。


「あれでは畑で作物を作るどころか、安心して眠ることすら叶いません。泉のおかげで村の中まで入り込むことは稀ですが、先ほどの様に腹を空かせた魔物や、住むところを追われた魔物などが、餌を求めてやってくることがありますからな」


「なるほど」


「ですから、早急に木材を確保し、頑丈な柵を造り直さなければなりません。私には、この村の住人を守る義務があるのです!」


 胸を張り、誇らしげに宣言するガエタノ。その瞳は、己が使命をまっとうしようと燃えていた。


「作り直すということは、以前はもっと大きな柵が?」


「はい。以前は見上げるほどに立派な柵があり、この村を守っておりました。今は……この有様ですが」


「それで、その柵は?」


「とある魔物にことごとく破壊され、泣く泣く薪に。あれは——そう、あの奇病が村に蔓延する少し前でしたな」


「そうですか。魔物に……」


「巨大な蟲の魔物です。イルティナ様や、メナド。もちろん私たちも懸命に戦いましたが、まるで歯が立たず……あれは、間違いなく主でありました。まあ、人的被害が少なかったことが、不幸中の幸いです」


「そんな凄い魔物に襲われたのに、よく皆さん無事でしたね」


「ええ、泉に飛び込んで難を逃れました。さしもの主も、水の中までは追ってきませんからな。その後は、泉の淵で悔しげに我らを睨む主に向けて、村民全員で一斉放水です。ほどなくして、かの主は我々の放水に屈し、森の中に消えていきました」


「はあ、なるほど」


 主であっても魔物は魔物。マナの浄化作用にはかなわないということか。


「奇病が蔓延していた時にあの主が襲ってきていたらと思うとぞっとします。カリヤ殿には本当に感謝しております」


 こう口にした後、狩夜に向かって深々と頭を下げてくるガエタノ。狩夜は気恥ずかしくなり、右手で頬をかいた。次いでこう口を開く。


「そんな魔物がいるなら、なおさら柵が必要ですね」


「はい。我々は今すぐ防備を整えなければならないのです。本来ならイルティナ様に作業中の護衛をしていただきたいところなのですが、生活必需品等の手配で忙しいご様子。今日のところは、我々だけでどうにかしなければなりません。そろそろ作業を始めたいので、これにて」


 踵を返し、斧を手にした男衆の後を追おうとするガエタノ。そんな彼に、狩夜はこう声をかけた。


「あの、僕も見学していいですか? 後学のために見ておきたいんですけど。イルティナ様の代わりってわけじゃありませんが、なにかお力になれるかもしれませんし」


「おお! それは願ってもないことです! カリヤ殿が一緒なら心強い!」


 ガエタノは二つ返事で狩夜の見学を了承すると「では一緒にいきましょう」と、狩夜と並んで歩き出した。


「あ、そういえば……今更ですけど、その武器の名前は水鉄砲でいいんですよね?」


 狩夜は、ガエタノが所持する水鉄砲の一つを指さし、尋ねる。


「え? ええ、もちろん」


「名前が水鉄砲ってことは……普通の鉄砲もあるんですよね?」


「ああ、鉄砲ですか。【厄災】以前はあったそうですよ。地の民の資料に記録が残っているそうです。もちろん、実物はおろか、その資料すら見たことはありませんが」


 どうやらイスミンスールにも、【厄災】以前には鉄砲があったらしい。


「地の民が統治していたニダヴェリール大陸。もしくは、ニダヴェリール大陸と交流が盛んだったという、ミズガルズ大陸になら実物が残っているかもしれませんが……【厄災】からすでに数千年。今も使用できる状態の鉄砲など、もうイスミンスールには存在しないのでしょうな」


「まあ……そうですよね」


 狩夜とガエタノ、そしてレイラは、そんな会話をしながら村の外れへと向かう。ほどなくしてキコリの男衆と合流し、村を囲む柵を越え、ティールの外へとくり出した。


 開拓地と森。人の領域と魔物の領域。その境を狩夜は目指す。

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