009・異世界のお金と金属事情

「ではカリヤ殿、これが約束の対価だ」


 異世界活動三日目。メナド手製の焼きラビスタと、空豆のスープで朝食をすませた後、イルティナがこう話を切り出してきた。


 テーブルの上に置かれる拳大の布袋。狩夜はその袋を「ありがとうございます」と言いながら手に取り、無礼を承知で早速中をあらためる。


 布袋の中には、光沢を帯びた長方形の物体が十数枚入っていた。


 狩夜は「これがこの世界のお金か……」と呟いた後、右手でそれを取り出し、まじまじと観察する。


 色は白。大きさは横に十五ミリ、縦に三十ミリほどで、厚さは三ミリぐらいである。中央には複雑な模様の印が押されており、妙に軽い。


 狩夜は首を傾げた。軽さ、色艶、手触り。そのどれもが金属と異なっていたからである。


 これは——そう、骨だ。そして、この光沢と手触りからして、原材料は——


「歯?」


「そうだ。この世界の通貨は、ラビスタの前歯を加工して作られている」


「ってことは歯幣しへいですか!? 珍しいですね!」


 世にも珍しい歯でできたお金。つまりは『歯幣』。それがイスミンスールの通貨らしい。


「ラビスタ五十七匹で950ラビス。血抜きがきちんとされておりましたので二割増しの1140ラビスでの買い取りとなります。お納めください、カリヤ様」


 買い取りの内容を懇切丁寧に説明するメナド。ラビスというのは、イスミンスールの通貨単位だろう。


 狩夜は「ラビスタの前歯だからラビスか。うん、わかりやすい」と頷き、次いで布袋をひっくり返した。布袋の中身、そのすべてをテーブルの上に並べてみる。


 布袋の中には、四種類の歯幣が十五枚入っていた。


 太陽の様な光を放つ歯幣が一枚。同じく太陽の様な光を放つが、大きさが半分くらいの歯幣が一枚。先程手に取った白の歯幣が三枚。色艶は同じだが、大きさが半分くらいの白の歯幣が十枚である。そして、それら歯幣には、それぞれ違う模様の印が押されていた。


「陽の光を放つ大きな歯幣が1000ラビス。同じく陽の光を放ちますが、サイズが小振りな歯幣が100ラビス。先ほどカリヤ様が手に取ったものが10ラビス。そして、10ラビスと色合いが同じで、サイズが小振りなものが1ラビスとなります」


「えっと……これらは具体的に何が違うんですか?」


「加工に使用される前歯を持つラビスタの種類が違います。ミズガルズ大陸に生息するラビスタの上位種、ラビスタンの上前歯と下前歯が1000ラビスと100ラビスに。ここユグドラシル大陸に生息するラビスタの上前歯と下前歯が、10ラビスと1ラビスにと、それぞれ加工されます」


 歯幣一つ一つを指さしながら説明するメナド。狩夜は真剣にその説明を聞き、頭の中に刻み込んだ。


 つまり、メナドの説明をまとめると——


 1000ラビス ― ラビスタンの上前歯 ― 生息地・ミズガルズ大陸 ― 特徴・陽の光を放つ。大きい。


 100ラビス ― ラビスタンの下前歯 ― 生息地・ミズガルズ大陸 ― 特徴・陽の光を放つ。小さい。


 10ラビス ― ラビスタの上前歯 ― 生息地・ユグドラシル大陸 ― 特徴・白い普通の歯。大きい。


 1ラビス ― ラビスタの下前歯 ― 生息地・ユグドラシル大陸 ― 特徴・白い普通の歯。小さい。


 こうなる。


「でも、歯幣なんて意外です。なんで貨幣——金属じゃダメなんですか?」


 狩夜は、テーブルの上に並べた歯幣を再び布袋の中に戻しながら尋ねた。すると、イルティナが首を左右に振り、こう口を開く。


「理由は簡単。我々にとって、金属がこの上なく貴重だからだ。ユグドラシル大陸は生物資源こそ豊富だが、鉱物資源は非常に乏しい。通貨に金属を使うなど、できることではない」


 どうやらイスミンスールでは、金属はたいへんな貴重品らしい。確かに、これまで目にしてきた食器類はすべてが木製であり、調理器具は土鍋や石鍋、石包丁であった。


 リビングをぐるりと見回してみても、金属の類はまったく見当たらない。この家、そして家具は、すべてが木と土と石でできている。


 狩夜は、次にイルティナを見た。


 村の代表であり、王族であるというイルティナ。そんなイルティナですら、金属類の装飾品は皆無である。


 どうやら本当に、嘘偽りなく、金属類はかなりの貴重品であるらしい。


「えっと……なら、これって凄い値打ちものだったりします?」


 狩夜は、腰にぶら下げていたマタギ鉈を鞘から抜き放ち、テーブルの上に置いた。その瞬間、イルティナとメナドが目を見開き、生唾を飲む。


「こ、これは……カリヤ殿、手にとってもいいだろうか?」


「どうぞ」


 狩夜の了承を得たイルティナは、恐る恐る手を伸ばし、マタギ鉈を手に取った。一方のメナドは、身を乗り出してイルティナの手元を覗き込む。


 ほどなくして、二人の口から驚嘆の声が上がった。


「ひ、姫様! わたくし、こんな見事な鋼を見たのは初めてです!」


「ああ、見事な鋼だ。私も、これ以上のものは数点しか記憶にない……」


 この言葉に、狩夜は胸中で「えぇ……」と声を漏らす。


 確かにそのマタギ鉈は、現役のマタギである狩夜の祖父が「使い勝手がいい。それに丈夫だ」と愛用するもので、日本の鍛冶師が鍛えたそれなりの業物である。だが、一品ものではなく、金さえ出せば誰でも買える量産品だ。大騒ぎする二人の反応に、狩夜は少々困惑した。


 というか、鉈一つでこの騒ぎ——となると、少し気になることがある。


 狩夜は、興奮した様子でマタギ鉈を凝視する二人に向けて、ある質問を口にした。


「あの、それじゃあこの世界の人達は、どんな武器で魔物と戦っているんですか?」


「うん? ほとんどの人間は、削った石や骨を、短剣、斧、槍などに加工して使っているな。竹の槍や、棍棒で戦う者もいる。私は父上に譲ってもらった青銅の剣を使うが……恵まれているなといつも思うぞ」


「ユグドラシル大陸に現存する金属装備は、そのすべてが国によって厳重に管理されております。金属製の装備を持てるのは、王族、もしくは王族に認められるほどの功績を上げた、一部の者だけですね。金属装備は開拓者の憧れであり、目標の一つであると言えます」


 二人の真摯な言葉に、狩夜は思わず絶句した。


 ——まじか。尖った骨や、石の斧、竹の槍や棍棒が、この世界の主力武器だというのか? 王様から銅の剣でも貰えれば、感動に打ち震える世界だというのか?


 狩夜は、どうしてこの世界の人類が、数千年もの長きにわたり停滞していたのか理解した。『厄災』の呪いと、魔物だけじゃない。圧倒的なまでの金属不足も、人類停滞の理由の一つなのだ。


 十分な量の金属がなければ、人類の発展速度は亀の如く鈍化する。それは、地球の歴史を振り返れば一目瞭然だ。


 武器もない。情報もない。ついでにいえば魔法もない。


 イスミンスールの魔法は、精霊の力を借りる精霊魔法なので、精霊が封印されると同時に使えなくなってしまったそうだ。


 そう。この世界、イスミンスールは、劣悪なまでに人類が生き辛い世界なのである。


「っと、すまない。つい興奮してしまった。これは返そう」


 そう言って、マタギ鉈をテーブルの上に置くイルティナ。狩夜はそれを受け取り、鞘の中へと収納する。


 このマタギ鉈は、イスミンスールではかなりのお宝のようだ。盗まれないように気をつけたほうが良さそうである。


「で、カリヤ殿はこの後どうするつもりだ? 私は村民を一堂に集め、今後のことを話し合うつもりだが」


「あ、そのことなんですけど、レイラと一緒に魔物狩りにいこうかと思います」


 狩夜は、部屋の隅でラタトクスとにらめっこをしているレイラを一瞥してから言う。一見仲良くしているように見えるが、ふとした切っ掛けでレイラがケージごとラタトクスを食べてしまうのではないかと、正直不安であった。


「ほう、狩りか」


「はい。イルティナ様に養われているだけでは心苦しいので……それで相談なのですが、僕たちが狩った魔物の肉を、また買い取っていただけないでしょうか? 僕にはお金が必要なんです。きちんと自立したいですし……」


 イルティナは「一生ここにいてくれてもかまわないぞ」と言ってくれたが、それを真に受けてずっと居座るわけにはいかない。お金と情報、そして知識を集めて、いつかは自立しなければならないのだ。


 狩夜の言葉を聞いたイルティナは、右手を口元に当てて考えるそぶりをする。次いで、こう言葉を発した。


「ふむ……つまりカリヤ殿は、魔物狩りで生計を立てたいと言うのだな?」


「はい。御迷惑でなければ、ぜひ」


「迷惑? はは、まさか! そのようなことを思うはずがない。カリヤ殿が魔物を狩ってくれれば、ティール周辺の魔物が減り、食料は増える。願ったり叶ったりだ。しかし、そういうことならもっと良い方法があるな」


 ここでイルティナは若干身を乗り出し、こう言葉を続けた。


「カリヤ殿。君は開拓者になるべきだ」


 開拓者。イルティナの口から飛び出したその言葉に、狩夜は若干息を飲む。その言葉が何を意味するのかを、狩夜はすでに知っているからだ。


 魔物をテイムし、ソウルポイントで自身を鍛え、魔物に奪われた大地を人類の手に取り戻し、開拓する。それが開拓者という職業だ。猟師や、食肉生産者とはわけが違う。死と隣り合わせの、過酷な職業なのである。


 開拓者という仕事の過酷さに、内心ビビリまくりの狩夜。そんな狩夜に対し、イルティナは言う。


「昨日の夜も、白い部屋にはいけたのだろう?」


「あ、はい」


 探るような視線向けるイルティナに、狩夜は肯定の言葉を返す。


 昨日の夜も、一昨日と同じく白い部屋の夢を見た。ソウルポイントが0だったので、何一つ強化できなかったが、意味はあった。これで、一つの事柄がはっきりしたのである。


 狩夜がレイラを——マンドラゴラという魔物をテイムしているということ。そしてこれは、叉鬼狩夜という人間が、開拓者になる資格を有していることを意味する。


「開拓者ギルドには、魔物狩りをはじめとした様々なクエストが日々発注される。それらクエストをこなしていけば、生活費は十分に稼げるだろう。それに、異世界人であるカリヤ殿に告げるのは心苦しいが……現状この世界では、魔物をテイムできた人間は、開拓者になることが半ば義務となっている」


「義務……ですか?」


「そうだ。今は大開拓時代。魔物に奪われた大地を人の手に取り戻すのだ! と、皆が声を張り上げる時代だ。魔物がテイムできたのに開拓者にならない者は、恥知らず、臆病者と、白い目で見られてしまう。たとえ王族であろうとも――な」


「そんな理不尽な!」


「申し訳ないが事実だ。もちろん、ティールの村民はカリヤ殿をそんな目で見たりはしないだろう。だが、この村が奇病から解放されたことは、昨日の通信で都に伝わっている。じきに商人や開拓者、開拓者志望の者たちが、この村にやってくるだろう」


 開拓者にならなければ、その者たちから白い目で見られることになる。遠回しではあるが、イルティナは狩夜にそう明言した。


 職業選択の自由は、異世界では通用しないらしい。まあ、魔物狩りのクエストがあるのなら、狩夜のやることは大して変わらないだろう。肩書が猟師か、開拓者かの違いだけである。


 開拓者になるのは正直怖い。だけど、不特定多数の人間に白い目で見られたり、陰口をたたかれるのはもっと怖い。法的保護のない異世界ならばなおさらだ。


 狩夜は「よし、決めた!」と頷いた後、イルティナの目を真っ直ぐに見つめ、次のように宣言する。


「わかりました。僕、開拓者になります!」


「そうか。カリヤ殿がそう言ってくれると、私も助かる」


「助かる?」


「あの奇病のせいで、私とメナド以外の開拓者が村を出ていってしまったのでな。この村は現在、深刻な開拓者不足なのだ」


 苦笑いを浮かべ「カリヤ殿が開拓者になってくれて、本当に助かる」とイルティナは言う。


「はあ、なるほど……それで、開拓者ってどんなことをするんです?」


「それは開拓者ギルドで聞いてくれ。登録の際に、ギルド職員が説明してくれるだろう」


「そうですか。なら、早速いってみようと思います」


 狩夜はそう言いながら席を立ち、レイラのほうへと視線を向ける。


「レイラ、いくよ」


 狩夜の言葉を聞いたレイラは、すぐさまラタトクスとのにらめっこを切り上げ、たどたどしい足取りで狩夜の方へと歩き出した。正直遅い。


 まどろっこしく感じた狩夜は、自分からレイラに近づき、両手で抱え上げ、定位置である頭上へと運ぶ。すると、レイラは嬉しそうにはしゃぎ、ペシペシと狩夜の頭を叩いてきた。


 テイムという事象を知り、その確たる証拠を見たためか、狩夜のレイラに対する警戒心はかなり薄れている。狩夜を異世界に引きずり込んだことを許したわけではないが、それを踏まえつつも、レイラとうまくやっていければいいな——と、狩夜は考えていた。


「それじゃ、いってきます」


 イルティナとメナドにこう言い残し、狩夜はレイラと共に出入り口へと向かう。


「いってらっしゃいませ、カリヤ様」


「ああ、いってこい。開拓者ギルドは、村の入口から見てすぐ右側の建物だぞ」


「はい。わかりました」


 口を動かしながら引き戸を開け、狩夜は家の外へと足を踏み出した。


 目指すは大開拓時代を支える重要機関。開拓者ギルドである。

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