008・あなたは勇者ですか? いいえ、違います
「それじゃあ、イルティナ様たちは初代勇者の子孫なんですね?」
「そうとも。私とメナドの名前には、共にブランが使われているだろう? これは初代勇者の名前の一部なのだ」
狩夜の質問に誇らしげに答えるイルティナ。そして、彼女はこう言葉を続ける。
「我々木の民は、かつては排他的で、かなりの純血主義だったらしい。だが、初代勇者が世界を救ったおり、彼はパーティメンバーの一人であった、木の民の姫との婚姻を望んだのだ」
「ふむふむ」
「時の国王は初代勇者の功績を認め、二人を祝福し、婚姻を許した。やがて二人は多くの子をなし、私たちブランの血族が生まれたと言われている。本来の木の民と違い、褐色の肌が特徴だな」
イルティナは「この肌が初代勇者の血脈の証であり、私たちブランの誇りなのだ」と笑う。
狩夜は初めてメナドを見たとき、てっきりダークエルフかと思ったのだが、どうやら違うらしい。木の民。長く尖った耳といい、整った容姿といい、ほんとにエルフそっくりだが、別の種族のようだ。
そして、狩夜は光の民であるらしい。正確には、地球人に最も近しい容姿をしているのが光の民なのだ。違いはほとんどないとのこと。
「木の民に、光の民か……」
このイスミンスールには、木の民と光の民の他にも六種もの人類が存在しており、それぞれが独自の文化を形成し、別々の精霊を信仰しているという。
火の民が、火精霊サラマンダーを。
水の民が、水精霊ウンディーネを。
風の民が、風精霊シルフを。
地の民が、地精霊ノームを。
木の民が、木精霊ドリアードを。
月の民が、月精霊ルナを。
闇の民が、闇精霊シェイドを。
光の民が、光精霊ウィスプを信仰している。
これらの種族にはそれぞれ身体的特徴があり、見分けるのは容易であるとのこと。特徴はきちんと教わったので、実際に目にすれば狩夜でも見分けられるだろう。
「さて、そろそろ夜も更けてきたが、他にも質問はあるかな?」
「あ、そうですね。えっと……」
狩夜は右手を口元に当てながら考える。が、即座に質問が出てこない。いますぐ聞かなければならないことはあらかた聞きつくしたと思う。聞きたいことは今後いくらでも出てくるだろうが、それはその都度誰かに聞けばいい。
地球に帰る方法も聞いてはみたが、やはりないとのこと。少なくともイルティナは知らないという。
狩夜以外の異世界人、つまりは歴代の勇者たちも、結局は元の世界には帰らず、ここイスミンスールに骨を埋めたそうだ。そのおり、初代勇者は木の民と、二代目勇者は光の民と、三代目勇者は月の民との間に子をなしたという。四代目は【厄災】との戦いの後、行方不明になったとか。
帰れないのならば、狩夜はこの世界で生きていくしかないわけだが——どうすればいいのだろう?
日本の一中学生が、異世界でやっていけるのだろうか? 狩夜が人に誇れる特技など、祖父から教わった動物の解体技術ぐらいしかない。その解体技術にしても、ここイスミンスールでは当たり前の技術である可能性が高いのだ。この状況で、どうやってお金を稼ぐ? どうやって衣食住を手に入れる?
海外旅行すらしたことないのに、いきなり異世界って何? イスミンスールって何? 人生がハードモードすぎやしませんか神様?
「カリヤ殿。そちらからの質問がないようなら、私からいいだろうか?」
「え? あ、はい。もちろん」
イルティナの言葉に思考を中断し、言葉を返す狩夜。すると、イルティナは少し申し訳なさそうな顔をして、こう尋ねてくる。
「そうか。なら……その、くどいようで悪いが、カリヤ殿は本当に……本当に、勇者ではないのだな?」
僅かな期待を含んだこの質問に、狩夜は思わず苦笑いを浮かべる。次いで思った。またその話か。イルティナ様もしつこいな——と。
「違います」
イルティナの顔を真っ直ぐに見つめながら、きっぱりと否定する狩夜。
この質問は、狩夜が異世界人であると打ち明けた直後にイルティナがしてきた質問と、ほぼ同じものである。
叉鬼狩夜が勇者であるか、否か。
この質問に対する回答は、一つしかない。
そう『違います』だ。
事実として違うのだからどうしようもない。叉鬼狩夜は勇者じゃない。普通の中学生だ。
「僕は勇者じゃありません。世界樹の声とやらも聴いていませんし、勇者の証の……世界樹の聖剣でしたか? それも持っていませんし」
異世界からやってくる勇者たちは、みな一様に世界樹の声に導かれてこの世界に召喚され、世界樹の聖剣を携えて姿を現したという。そのどちらも狩夜には当てはまらない。故に、狩夜は勇者じゃない。イルティナの期待には応えられない。
狩夜の言葉を聞いたイルティナは「やはりそうか……」と落胆の声を漏らした。次いで、未練を振り払うように顔を左右に振った後、こう言葉を続ける。
「いや、何度も確認してすまない。カリヤ殿が勇者なら……そして、世界樹の聖剣ならば、この状況も打開できるのに……などという、私の愚かしい願望だ。できれば忘れてくれ」
「はぁ……そんなにすごいんですか? 勇者って?」
異世界人とはいえ普通の人間。一人の人間が世界の命運を左右するなどと、にわかには信じられない話だ。
「正確には、凄いのは勇者様ではなく、世界樹の聖剣のほうです。世界樹の聖剣には、幼生固定された世界樹の種が埋め込まれておりますので」
「世界樹の種?」
メナドの補足説明に、狩夜は首を傾げながら口を動かす。
「はい。世界樹は、世界を支えられるほどの力を有する神樹。種とはいえ、その力は絶大。世界樹の聖剣から無尽蔵に力を引き出し、自在に使うことができる者。それが勇者様なのです」
「なるほど」
要するに、世界樹の聖剣とやらは、平凡な一般人すらも救世の勇者にしてしまうチート武器なわけだ。しかし、だとすれば疑問が残る。
「でも、凄いのが武器なら、わざわざ異世界人に頼らなくてもいいじゃないですか。この世界の誰かしらにその聖剣を使ってもらえば——」
「それは無理だ」
疑問の言葉を遮るイルティナ。そして、彼女はこう言葉を続ける。
「イスミンスールの人間では、世界樹の聖剣は扱えない。なぜなら、イスミンスールに生きとし生けるすべての生物は、世界樹に触れられないからだ」
「え?」
「世界樹は、このイスミンスールを創造し、今なお支え続ける神樹。何人たりとも、神に触れることは叶わない。我々は、聖剣には拒絶され、世界樹には近づくことすらできないのだ」
イルティナは、ここで視線を世界樹へと向ける。
「世界樹の周りを取り囲むように山脈があるだろう? あの山脈を境に円形の結界があり、その結界が全ての生物の侵入を阻んでいる。そして、結界の内側には世界樹しか存在しない。それ以外の生き物は、一切存在しないのだ」
「それは、草木や虫も……ですか?」
「そうだ。初代勇者が記した書物によれば、絶大な力を持つ世界樹を奪い合い、他の生物が争わないように——という配慮らしい。世界樹に触れることができるのは、この世界の外からきた生物だけだ」
「なるほど」
だから異世界人じゃないとダメなのか。
「例外として、世界樹の眷属たる三人の女神と、四匹の聖獣も世界樹に触れることができるそうだが……これらは世界樹の一部のようなものらしい」
視線を狩夜のほうに戻したイルティナは「世界樹の一部なら、触れられるのは当たり前だな」と続ける。
「その情報も、初代勇者の?」
「うむ。あくまで書物からの情報であり、女神も、聖獣も、私が直接見たわけではない。いや、実際に見た人間など、もう一人もいないのだ。今では『女神も、聖獣も、【厄災】の呪いで消えてしまった』という考えが一般的だな」
『厄災』の呪いで世界が崩壊したのが数千年前。今も生きている人間など、いるはずもない。
世界樹と、その眷属である三人の女神。そして、四匹の聖獣。
異世界人である狩夜と、異世界の植物であるレイラなら、結界とやらを越えてそれらに会いにいくこともできる。異世界から勇者を召喚する世界樹なら、狩夜を元の世界に戻す方法も知っているかもしれない。だが、それには危険がつき纏う。魔物が跋扈する森を抜け、遠目からでもわかる険しい山脈を越えなければならないのだ。正直、命がいくつあっても足らない気がする。たとえレイラがいたとしてもだ。
死んだら終わりだ。死んだら負けだ。だから死ねない。死にたくない。だけど、元の世界にも帰りたい。
これからどうするべきなのだろう? 叉鬼狩夜は何を指針にして、何を目標に生きていけばいいのだろう?
見通せない明日。頼りない自分。知らない世界。不安ばかりが積み上がる心。
自然と顔が下を向く。抑え込んでいた哀愁が、今にも噴き出してしまいそうだった。そんなときである。とても優しい、染み入るような声が、狩夜の耳に届いた。
「まあ、カリヤ殿が勇者でなくとも、この村を救ってくれた救世主であることに違いはない。当面の衣食住は私が保障しよう。今夜は——いや、しばらくは私の家で暮らすといい。いくらでも頼ってくれ」
「え? あの……いいんですか?」
「当たり前だ。我々木の民は、受けた恩は必ず返す。なんなら一生ここにいてくれてもかまわないぞ? それくらいのことをカリヤ殿はしてくれたのだ」
俯いていた顔を上げると、優雅に微笑を浮かべるイルティナの顔が見えた。そして、イルティナは身を乗り出しながら右手を伸ばし、狩夜の頬を優しく撫でる。
狩夜は、素直にイルティナの手を受け入れた。すると、ざわついた心が徐々に静まっていく。
「弱気になるな、なんとかなる。そろそろ夕餉としよう。メナド、準備だ」
狩夜の頬から手を離し、イルティナは言う。確かに狩夜は空腹だった。奇病に侵されていた間、まともに食事をしていなかったというイルティナたちは尚更だろう。
イルティナは「久方ぶりに楽しい食事ができそうだ」と嬉しそうである。だが、食事の準備を命じられたメナドの表情は暗い。メナドはその暗い表情を保ったまま、おずおずと口を開いた。
「あ、あの……姫様……食事のことなのですが……」
「どうした? 我々の全快祝い兼、カリヤ殿の歓迎会なのだから、豪勢に頼むぞ」
「いえ、その……大変言いにくいのですが、村民全員が倒れていたため、食料の備蓄がほとんどありません。畑も魔物に荒らされており、壊滅状態でして……」
「あ……」
「そういえばそうだった」とでも言いたげな声を漏らすイルティナ。次いで、狩夜とメナドの間で視線を行き来させる。
狩夜も村に足を踏み入れる時に確認しているが、どの畑も作物の姿はなく、荒れ放題であった。あれはもはや畑ではない。ただの荒れ地である。
「ど、どうにかならんか?」
「なりません。ないものはないですから……」
両肩を深く落としながらメナドはため息を吐く。どうやらお手上げらしい。
「ぐぬぬ……な、ならば! 私が今すぐ森に押し入り、魔物を狩ってくればよい! メナド、供をしろ!」
「いけません! 姫様は病み上がりではありませんか! 今夜は食事を質素に済ませ、日の出を待つべきです!」
意気込むイルティナと、慌てて制止するメナド。だが、それでもイルティナは止まらない。
「ええい止めるな! 私はティールの代表として、村民を飢えさせぬ義務があるのだ! そ、それと、勘違いはしないでくれカリヤ殿。私は村民を飢えさせるような政策はしていない。本当だ!」
イルティナは顔を赤くしながら弁解する。どうやらお客さんである狩夜の目を気にしているらしい。面子というやつだ。村の代表、木の民の王族といった体裁を、狩夜の前で保ちたいのだろう。
狩夜は苦笑いを浮かべながら「王族って大変なんだな……」と胸中で呟いた。その後、頭上のレイラに向けて口を開く。
「レイラ」
名前を呼んだだけでレイラはすべてを理解してくれた。コクコクと頷いた後、レイラは口を大きく開き、小気味の良い音と共にラビスタの死体を吐き出し始める。
「「おお!?」」
驚きの声を上げる二人の女性の前に、瞬く間にラビスタの山が築かれた。その数は、五十を優に超えている。これなら村人全員にいき渡るだろう。
「この村を見つけるまでの道中で仕留めたものです。よろしければどうぞ」
狩夜が笑顔を浮かべながらこう言うと、メナドは目を輝かせながら声を上げる。
「ラビスタがこんなに! 素晴らしいですカリヤ様! これなら数日は大丈夫です!」
「ぐぬぬ……衣食住を提供すると言った直後にこれとは……だが、背に腹は代えられぬ。すまない、カリヤ殿」
「いえいえ。こんなにあっても食べきれませんし、村の皆さんで食べてください」
「感謝する。とはいえ、タダで受け取るわけにはいかん。このラビスタは、正当な価格で買い取らせてもらうとしよう」
狩夜は無償で提供するつもりだったが、買い取りを申し出るイルティナ。買い取り。つまりは魔物の肉と引き換えに、イスミンスールの通貨が手に入る。
その思わぬ事態に、狩夜は目を光らせ、胸中で叫んだ。
——お金! まじ欲しい! 超欲しい! 魔物の肉ってお金になるんだ!
魔物の肉はお金になる。その事実が、狩夜に希望をもたらした。
そう、狩りだ。狩りで生計を立てるのだ。祖父から受け継いだマタギの血が騒ぐ。叶わぬ夢と諦めていた、狩猟生活の幕開けだ。
沈んでいた気分が高揚しているのがわかる。むしろ興奮しているくらいだ。思わぬ形で夢が叶い、異世界生活に希望が見えたのだから、無理もない。
小躍りの一つもしたい気分の狩夜であったが、首を左右に振り気持ちを落ち着かせた。今はお金や夢よりも、先にするべきことがある。そう、空腹を満たすのが先決だ。腹が減っては戦はできぬ。
「イルティナ様、お金うんぬんは明日でいいですよ。今は食事にしましょう」
「そうだな。メナドは村民の皆にラビスタを届けてこい。私たちの分の解体は私がやろう。カリヤ殿はここで楽にしていてくれ」
イルティナはそう言いながら立ち上がり、目の前の山から一匹のラビスタを片手で掴み上げた。一方のメナドは「承知いたしました」と頭を下げた後、持てるだけのラビスタを両手に抱え、足早で玄関を目指す。
席を立ち、台所へと向かうイルティナ。そんな彼女の背中を見つめていると、不意にある質問が脳内に浮かび上がり、狩夜は慌てて口を開く。
「あ、すみません。イルティナ様、ちょっと待ってください」
「ん? 何だ、カリヤ殿?」
「今日最後の質問です。この世界に、マンドラゴラという魔物は存在しますか?」
狩夜は、頭上にいるレイラを右手で撫でながら尋ねる。するとイルティナは、レイラを見つめながらこう言葉を返した。
「マンドラゴラ……カリヤ殿がイスミンスールにやってくる切っ掛けになったという、地球という世界の魔物だな?」
「はい」
「私が知る限りでは、存在しない。マンドラゴラという名を、私は今日初めて聞いたよ」
こう言い残し、イルティナは再び歩き出した。
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