006・ティールの村
「こちらです、お早く!」
謎の奇病から快復した女性——メナド・ブラン・シノートの背中を見つめながら、狩夜は村の中を全力で走っていた。
向かう先はこの村で一番大きな家。そこに村の代表者がいるとのこと。そして、村の代表はなんと王族であり、本物の王女様なのだそうだ。
その王女も、メナドと同じ全身に水膨れができるという奇病に侵されているらしく、メナドは狩夜に「姫を助けてほしい」「とにかく姫に会ってくれ」と、涙ながらに訴えた。
そんな彼女の言葉に頷いた狩夜は、一秒でも早くその王女に会うために、村の中を全力疾走しているというわけである。
更につけ加えると、くだんの奇病に侵されているのは村人全員だそうで、この村は現在進行形で存亡の危機なのだそうだ。
どうやら狩夜は、どえらい時にこの村へ来てしまったらしい。
ほどなくして、狩夜たちは目的地である家の前へと辿り着く。そして——
「このぉ!」
時間が惜しかったのか、メナドは目的の家に一切減速せず駆け寄ると、出入り口を躊躇なく蹴破った。そして「姫様~!」と叫びながら家の中へと突入していく。
狩夜は「見かけによらずアグレッシブな人だなぁ……」と小声で呟きながらメナドの後に続き、その家に足を踏み入れた。
「お邪魔します」
蹴破られた引き戸の上を恐る恐る進みつつ口を動かす狩夜。すると「こちらです! 奥の部屋へいらしてください!」とメナドの声が聞こえてきた。その声に従って、狩夜は家の奥を目指す。
しばらく進むと寝室に辿り着き、狩夜は村の代表である銀髪の女性と対面した。
「はじめまして……だな。光の民の開拓者よ。私がこの村の代表である、イルティナ・ブラン・ウルズだ」
王女改めイルティナは、ベッドに浅く腰かけながら狩夜に挨拶をしてきた。そんな彼女の傍らには、不安げな視線でイルティナを見守るメナドの姿がある。
王女の声を聞いた狩夜は、慌てて頭を深く下げ、こう口を動かした。
「こ、こちらこそ、はじめまして。叉鬼——あ、いえ、カリヤ・マタギです」
覚悟はしていた。予想もしていた。だからこそ、普通に挨拶ができた。だが、それでも狩夜は思ってしまう。
酷い——と。
イルティナの容体は、メナドに負けず劣らず深刻だった。全身はやせ細り、膿の詰まった水膨れに覆われている。顔はいびつに歪み、水膨れのせいで目もほとんど塞がっている。褐色の肌も、銀色の長髪も荒れ放題で、無事な場所を見つける方が難しいというありさまだ。熱も出ているのか呼吸は荒く、喋ることすら辛そうである。
だが、それでもイルティナは気丈であった。村の代表が、王女が弱い所を見せるわけにはいかないと背筋を真っ直ぐに伸ばし、強くしっかりとした口調で狩夜に話しかけてくる。
イルティナには病などには決して負けない強さと、高貴さがあった。強い人だと、そして、大きな人だと、狩夜は心からそう思う。
現代日本ではまず接する機会などない高貴な人間。その存在の大きさに狩夜は視線を泳がせた。そして、こう言葉を続ける。
「あの、この場で跪いたほうがよろしいでしょうか? 何分、こういったことに疎くて……」
「かまわんよ、堅苦しいのは苦手だ。こちらこそ、このような恰好ですまない。着替える時間もなかったものでな」
「いえ、お気になさらず」
イルティナは、裸の上に薄い上着を一枚羽織っただけというかなり際どい恰好であった。平時であるならば、さぞ目のやり場に困ることとなっただろう。だが、さすがに現状の彼女には、狩夜の心はときめかなかった。
「メナドの話によれば、そなたは我が村を蝕む、この奇病を治療する術を持っているそうだが……まことか?」
イルティナの言葉に狩夜は視線を上に向けた。その視線の先にいるレイラは「大丈夫だよ~」と言いたげにコクコクと頷く。
胸中で安堵の息を吐きながら、狩夜は言葉を返した。
「はい。本当です」
狩夜の言葉を聞いた直後、イルティナの閉じかけた両目から涙が溢れた。そして、彼女はこう言葉を紡ぐ。
「そうか、ならば村の代表として……ウルズ王国第二王女、イルティナ・ブラン・ウルズとして、汝に願う。この村を、ティールを救ってほしい。報酬は約束しよう」
このイルティナの願いに、狩夜は大きく頷き返した。次いで口を動かす。
「レイラ」
名前を呼んだ瞬間、レイラが動く。右腕をイルティナに向けて突き出し、先端に棘の付いた蔓を出現させた。
治療は一瞬。レイラはイルティナに向けて蔓を伸ばし、その首筋を棘で一突き。その後、蔓を体内へと収納した。
ほどなくして、メナドの時と同じ変化がイルティナの体で始まる。映像を逆再生するかの如く、イルティナの体が快復していった。
「ああ、姫様」
口を両手で覆いながら、感極まったように呟くメナド。それとほぼ同時に、イルティナの体が全快した。
「奇跡だ……」
目をゆっくりと開いたイルティナが、自身の体を見下ろしながら口を動かす。それにつられて、狩夜もイルティナの全身を確認した。
全快したイルティナは、もの凄い美人であった。絶世の美女とは、こういう女性のことを言うのだろう。
開いた両目は切れ長で、強い意思を感じさせる。病に蝕まれていた時は若干垂れ気味だった長い耳は、横にピンと伸びていた。褐色の肌には張りと活力が戻り、水膨れどころかシミ一つない。そして、薄い上着を下から押し上げる大きな胸が、激しく自己主張を——
「っ!」
ここで狩夜はもの凄い勢いで回れ右をした。そして、次の瞬間には走り出す。
「カリヤ様!? どちらへ!?」
「急にどうしたのだ!? まだ礼が! 報酬も!」
「えっと、その……ほ、他の病人を治療してきます!!」
大声でこう言い残し、狩夜はイルティナ邸を後にする。そして、胸中で己を罵倒しながら走り続けた。
——僕って奴は何て恥知らずなんだ! 病気が治った途端、嫌らしい目でイルティナ様を見るなんて! 男として、いや、人間として失格だ! 生まれてきてごめんなさい!
「どちくしょ~!」
狩夜は、叉鬼狩夜という人間の矮小さに呆れ果て、滝のように涙を流した。そして、胸に渦巻く罪悪感を少しでも和らげようと、レイラを運ぶ馬車馬と化す。ティールの村の家という家に無断で押し入り、かたっぱしから村人たちを治療していく。そんな狩夜の頭上には、狩夜を見下ろしながら「なんで泣いてるの?」と言いたげに首を傾げるレイラの姿があった。
そして、太陽が大きく傾き、空が茜色に染まり始めた頃——
「村を代表して改めて礼を言わせてもらおう。カリヤ・マタギ殿、そなたは我がティールの救世主だ。本当にありがとう。今日という日を、我らは生涯忘れない」
村人全員の治療を終え、念のために自身もレイラの棘で一突きしてもらった狩夜が再びイルティナ邸に赴くと、私服に着替えたイルティナが深く頭を下げてきた。すぐ隣にはメナドがおり、こちらも深々と頭を下げてくる。
二人の私服は緑を基調としたもので、ライダースーツのように体にぴったりと張りつくものであった。そして、更にその上に動物の皮で作られた腰巻と、胸当てを着込んでいる。体のラインはよくわかるが、肌の露出は非常に少ない。
動きやすさが最優先! そんなコンセプトの元に作られたことが丸わかりで、王女のイメージとはかけ離れた服装であった。どちらかというと戦士、もしくは狩人のようである。だが、似合わないということは決してない。スタイルが良く、高身長な二人にとてもよく似合っていた。
「はぁ」
ここで小さく溜息を吐く狩夜。そう、イルティナも、メナドも、とても身長が高いのである。狩夜よりもずっと。
狩夜の身長は二人の肩ぐらいまでしかない。自分がチビであるということを痛いほど理解している狩夜であったが、やはり女性に上から見下ろされるとくるものがあった。
「改めて自己紹介をさせてもらおう。ウルズ王国第二王女、イルティナ・ブラン・ウルズだ。サウザンドの開拓者でもある。二年前にこの辺りを開拓し、このティールを造った。同業者としてもよろしく頼むぞ」
顔を上げたイルティナが、コンプレックスを刺激されて暗い顔をしている狩夜に笑顔で自己紹介をした。それにメナドが続く。
「イルティナ様の従者兼、パーティメンバーを勤めます、メナド・ブラン・シノートと申します。イルティナ様と同じく、サウザンドの開拓者です。以後お見知りおきを、カリヤ様」
開拓者に、サウザンド。開拓者は職業で、サウザンドの方は階級っぽいニュアンスで聞こえた。
どうやらこの二人は、狩夜のことをその開拓者だと思っているらしい。どのような理由でそう思ったのかは不明だが、完全に勘違いである。狩夜はただの中学生であって、それ以上でも以下でもない。
どうしたものかと狩夜は頬をかいたが、イルティナはそのまま話を進めた。
「では、約束の報酬を支払おう。カリヤ殿は何を望む? 遠慮することはないぞ、これでも王女だ。この村では用意できなくとも、都に要請すれば大抵のことはどうにかなる」
遠慮するなと笑顔で告げるイルティナ。とはいえ、狩夜はほとんど何もしていない。病気を治したのはレイラである。
狩夜は視線を上に向け、レイラに「どうする?」とアイコンタクトで伝えた。するとレイラは「カリヤの好きにすればいいよ~」と言いたげな顔で、狩夜の頭をペシペシと叩いてきた。
なんとも無欲な相方である。結局は狩夜次第。とはいえ、あまりに大それたことを要求すると、狩夜の心が罪悪感に押し潰されそうであった。
となれば、やはり——
「では、情報を求めます」
「情報……ですか?」
狩夜の要求が予想外だったのか、メナドが首を傾げて聞き返してきた。狩夜は大きく頷き、意を決してこう尋ねる。
「ここ……どこですか? 皆さんはいったい、何ですか?」
「「はい?」」
「実は僕……この世界の人間じゃないんです。まったく別の世界からきたんです……」
狩夜は慎重に言葉を選びながら、自身の現状を二人に語り始めた。
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