005・ファーストコンタクト

「およ?」


 レイラと共に川に沿って下山することおおよそ半日。狩夜は、その川に流れ込む細い支流を発見した。


 発見した支流は、狩夜から見て左側の森、その奥へ奥へと続いている。森の中になんらかの水源、湧き水だの泉だのがあるのだろう。


 それだけなら別段気にする必要はないのだが、その支流には見過ごすことのできない特徴があった。なんと、支流に沿う形で、人の足で踏み固められたことでできたと思しき道があったのである。


 狩夜は慌ててその道に近づき、次いで周囲を見回した。人の痕跡を、この世界に狩夜以外の人間がいるという、確固たる証拠を探す。


 やがて、狩夜はそれを見つけた。刃物によって断ち切られた、奇麗な断面の切り株を。


「いるんだ……」


 切り株の断面を右手で撫でながら、小さく呟く。


 この世界には、狩夜以外の人間が、間違いなく存在する。


「レイラ、予定変更。この道を進んで、森の中に入るよ」


 狩夜がこう言うと、レイラは「いいよ~」と言いたげにコクコクと頷いた。レイラの賛同を得た狩夜は、やや早足で森の奥へと歩を進める。


 道は支流に沿う形でずっと続いていた。そして、そこかしこに人の手が入った形跡が見て取れる。人がいるという確信を深めながら、狩夜は黙々と歩みを進めた。


 ほどなくして——


「見えた!」


 ついに木造建築の民家を発見する。


 次の瞬間、早足は駆け足となった。狩夜は走ってその家へと近づく。


 近づいていくうちに、視線の先の民家——いや、村の全容が見えてきた。


 そう、村だ。支流の終着点であろう小さな泉。その泉に寄り添うように、小さな村が形成されている。


 民家の数は二十ほどで、全てが木造。二階建ての建造物はなく、平屋ばかりだ。畑もいくつかあるが、種まき、もしくは収穫の直後なのか、作物の姿はない。


 村の周囲には、民家と畑を守るように木製の柵があり、村をぐるりと取り囲んでいた。だが、柵は背が低いうえにスカスカで、設置する意味があるのか正直疑わしい出来栄えである。


 狩夜たちが進む道は、村を囲う柵が唯一ない場所、村の出入り口らしき場所に繫がっていた。狩夜は徐々に走る速度を落とし、歩くのと変わらない速度でその出入り口を通り、村の中へと足を踏み入れる。


 そう、異世界の人里に、狩夜は初めて足を踏み入れたのだ。


 村に入る際、誰かしらに呼び止められるかとも思ったのだが、別段何もなかった。素通り、フリーパスである。というか、門番や、見張りといった人の姿が一切ない。


 思わず首を傾げる狩夜。そして思う。


 ——人を躊躇なく襲う野生動物や、巨大な昆虫が跋扈する森の中に存在する村なのに、見張りがいない?


 狩夜は「不用心だな」と小声で呟きながら周囲を見渡して——


「……あれ?」


 あることに気がついた。


 人がいないのだ。見張りどころの話ではない。畑にも、共用だと思われる井戸にも、誰もいない。何度周りを見渡しても、人っ子一人確認できないのだ。


「すみませ~ん! 誰かいませんか~!?」


 焦りを含んだ声で呼びかけてみるが——返事はない。


 ——あれ? ひょっとして廃村……とか?


 脳裏を過った嫌な予感に、狩夜は思わず途方に暮れそうになる。その瞬間——


「旅の……お方ですか……?」


 近くにあった民家、その引き戸がガタガタと音を立てて動いた。次いで、女性のものと思しき声が聞こえる。


 狩夜は「神は僕を見捨てなかった!」と胸中で叫びつつ、声のした方向に即座に顔を向けた。そして、愕然とする。


「光の民……魔物連れということは開拓者……あの、お願いします……」


 光の民とか、魔物とか、開拓者とか、なにやら意味ありげな単語が聞こえてくるが、頭に入ってこない。


 異世界人とのファーストコンタクト。狩夜が初めて出会った異世界人は、褐色の肌で、線が細く、銀髪で、耳の長い女性であった。


 ダークエルフ。そんな言葉が脳内を駆け巡る。平時の姿であるならば、さぞ神秘的で、美人であろう女性。しかし、そんな女性の全身は——


「お薬を……お持ちではないですか? お持ちであるならば、どうか……どうかお恵みを……」


 膿を溜めこんだ夥しい数の水膨れに覆われ、醜く変質してしまっていたのである。


「うぁ……」


 いけないとわかっていても、口からは嫌悪の声が漏れてしまう。体を引きずるように歩き、引き戸に寄りかかりながら民家から顔を出した女性の容体は、それほどまでに酷かった。体はやせ細り、髪も、爪も、ボロボロである。


 狩夜は、目を見開きながら絶句する。次いで思った。


 ——え? 何? この状況?


 病気。病気である。それは間違いない。だが、その病名がわからなかった。水疱瘡では断じてない。この症状は、そんな聞きなれた病気の比ではない。正直、直視するのも辛かった。今すぐ目を背けて——いや、この場から逃げ出してしまいたいくらいである。


 人がまったく出歩いていない村。まさか、村人全員が?


 パンデミック。そんな物騒な言葉が、狩夜の心をかき乱す。


「薬……薬を……どうか……」


 女性は、そう口にしながら引き戸から手を離し、狩夜に近づこうと足を一歩前へと踏み出した。しかし——


「あ……」


 足に力が入らなかったのか、女性はその場で転んでしまう。それと同時に、なんとも耳障りで生々しい破裂音が狩夜の耳に届いた。そして、濃密な膿の匂いが辺りに立ち込める。


「ぐ! ぐぎぃ……いぃいぃ!」


 歯を食いしばり、両手で自身の体を抱きしめるようにしながら痛みを堪える女性。どうやらあの水膨れは、潰れた時に激痛が走るらしい。


「だ、大丈夫ですか!」


 女性のあまりの痛がりように、狩夜は声をかけると同時に足を前へと踏み出した。だが、すぐに立ち止まる。


 進めたのは、たったの一歩だけだった。


 目の前に、苦痛に喘ぐ人がいる。助けを求める人がいる。なのに……なのに……


 これ以上先に、進めない。感染という二文字が、どうしようもなく怖かった。


「薬……薬を……ひめ……助け……」


 激痛に身悶えながらも、薬を恵んでくれと懸命に訴える女性。だが、常備薬は紛失した登山用ザックの中で、手元にない。いや、たとえ手元にあったとしても、店売りの薬品では、この病気に対して効果は望めないだろう。


 見たことも、聞いたこともない、異世界の病気。そんなものに効果がありそうな薬があるとすれば、それは——


「レイラ」


 狩夜は、名前を呼びながら頭上にいるレイラを両手で持ち上げた。次いで、胸の前へと運び、真正面からその顔を直視する。そんな狩夜に対し、レイラは「何?」と言いたげに可愛らしく小首を傾げた。


 レイラの顔を見つめながら、狩夜は生唾を飲み下す。次いで、こう口を開いた。


「君の体って、磨り潰したりしたら、いい薬になったりしない?」


 マンドラゴラは、精力剤、媚薬、霊薬、はては不老不死の薬になるとさえいわれている。ならば、どんな病も吹き飛ばす、奇跡の万能薬だって作れるかもしれない。


 昨日は毒にしようとしていたレイラを、今日は薬にしようとしているのだから、僕って勝手だな——と、狩夜は思った。だが、現状を打破できそうな手段はこれしか思いつかない。


 己の無力を痛感しながら、狩夜は言葉を紡ぐ。それを聞いたレイラは、言葉の意味がすぐには理解できなかったのか、曲げていた首を反対方向に傾けた。


 その後は互いに無言。狩夜とレイラの間に、重苦しい沈黙が訪れる。


 そんな沈黙が五秒ほど続いた後、事態が動く。


「!?!?」


 ようやく言葉の意味を理解したのか、レイラが両の目を見開いた。次いで激しく身を捩り、狩夜の手を跳ね除ける。


 狩夜の手から逃れ、地面に着地したレイラは「えらいこっちゃ! えらいこっちゃ!」とでも言いたげに、狩夜の周囲を走り回った。そして、走り回りながら「どうしよう!? どうしよう!?」と頻りに周囲を見回し始める。


 あ、こけた。


 地面に転がったレイラは、すぐに立ち上がろうともがくが、焦っているせいかうまくいかない。何度も起き上がろうとして、それと同じ回数失敗した。


 そんなレイラを見つめながら、狩夜は右手を腰に伸ばし、マタギ鉈を鞘から抜き放つ。


 瞬間、レイラの体が激しく震えた。そして「じょ、冗談だよね? ね?」とでも言いたげな顔で、狩夜を見上げてきた。


 そんなレイラを見下ろしながら、狩夜は言う。


「レイラ、まずは僕の質問に答えてくれないかな? 君は薬になるの? ならないの? 大丈夫だよ。もし薬になるとしても、先っちょだけ……先っちょだけだから……」


 狩夜はレイラを殺そうと考えているわけじゃない。というか、そんなこと怖くてできるわけがない。本気で抵抗されたら狩夜の方が死ぬ。狩夜はただ、葉っぱの先とか、腕の先とかを、ほんの少し提供してほしいだけなのだ。


 しかし、狩夜の真意は正しく伝わらなかったらしい。レイラの表情は益々悲愴なものに変化した。マジで泣きだす五秒前といった感じである。


 レイラはこの状況を打開すべく、大粒の涙を湛えた瞳で再度周囲を見回した。そんなレイラの瞳が、地面に横たわる女性のところでピタリと止まる。


 レイラは女性をしばらく見つめた後、右腕を勢いよく突き出した。


 直後、レイラの右腕から一本の蔓が出現。その蔓は、女性の首筋に向かって高速で伸び、うなじを一突き。


 制止の言葉をかけることすらできなかった。この一連の動作にレイラが費やした時間は、一秒にも満たないだろう。それほどの早業だった。狩夜が口を開こうとしたときには、くだんの蔓は既にレイラの手元に戻っている。


 狩夜はその蔓を凝視し、つぶさに観察した。そして気づく。


 女性を一突きしたレイラの蔓の先端には、何やら棘のようなものが生えていた。そしてその棘には、倒れた女性のものと思しき血液が付着している。


 レイラが女性に何をしたのか? ことの詳細は不明だが、その効果は劇的であった。


 女性の全身にできた水膨れは瞬く間に縮んでいき、最終的には痕一つ残さず奇麗に消えた。女性の肌には血色が戻り、張りも出たように見える。傷んでいた髪や、爪すらも、見違えるように奇麗になった。


 目の前で起きたこの現象に、狩夜は口をあんぐりと空け、胸中で「すっげーーーー!」と絶叫する。


 ——何これ? ありえないでしょ。奇跡じゃん。レイラの奴、なに当然のように奇跡起こしてんの?


 狩夜が感心を通り越して呆れていると、女性の回復を見届けたレイラが、狩夜の右足に抱きついてきた。次いで狩夜の顔を見上げ「これでいいでしょ? もう磨り潰さないよね? ね?」と視線で訴えてきた。


 狩夜はマタギ鉈を鞘に収めながら苦笑いを浮かべ、「しないよ」と告げながら右手で頭を撫でてやる。すると、レイラは安堵したように笑顔を浮かべ、そのまま右足をよじ登りはじめた。どうやら定位置である頭上に戻るつもりらしい。


「あ、あれ……?」


 病から解放された女性が、困惑の声と共に顔を上げた。そして、呆けたような顔で周囲を見回す。状況の変化に頭がついていかないのだろう。


「あの……大丈夫ですか? 気分は?」


 狩夜は、女性に近づきながら声をかけた。すると、胸のあたりが締めつけられるような感覚に襲われる。


 ——病気だったときは近づけなかったのに、治ったらこれ?


 そんな声が聞こえた気がした。罪悪感が強まり、更に胸が締めつけられる。ともすれば吐いてしまうかもしれない。


「あ、貴方様が、あの奇病を治療してくださったのですか?」


 身を起こしながら尋ねてくる女性。尊敬の眼差しが、狩夜の心に突き刺さる。


 やめてくれと叫びたかった。叉鬼狩夜という男は、そんな目を向けられていい人間じゃない。


「えっとですね、俺というか……こいつがですね——」


「お願いします!」


 狩夜の言葉を遮るように女性が叫んだ。次いで両手を伸ばし、狩夜に縋りついてくる。


「わたくしにできることでしたら何でもいたします! ですから、ですから! 姫様を……この村を救ってください!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る