004・白い部屋
「ふぁあ~」
手製のかまどに乾いた流木をくべながら、狩夜は大欠伸をした。次いで言う。
「眠い……」
狩夜は今、かつて幾度となく死闘を演じた仇敵と再び相対している。
敵の名前は、睡魔。
ウサギモドキの肉を食いつくし、残った骨を内臓、皮と一緒に森に捨てた後、凄まじい眠気が狩夜を襲ったのである。腹の皮膨れば目の皮緩むとは、まさにこのこと。
「始発の電車に乗ったから、昨日はあんまり寝てないしなぁ……」
加えて、森の中を歩き通した疲労もある。
満腹、寝不足、疲労のトリプルパンチが、睡魔となって襲い掛かっているのだ。狩夜の意思は陥落寸前である。
しかし、未知の獣が徘徊する森の近くで眠るわけにはいかない。火の番だってしなければならないのだ。
狩夜は「いけない、いけない」と頭を振る。次いで、あることに気がついた。レイラが服の袖を引いているのである。
レイラの方へと眠気眼を向ける狩夜。すると「心配だよ~」と言いたげな顔をしたレイラが目に入る。そして、そんなレイラの傍らには——
「おお!?」
いつの間にか、巨大な葉っぱの敷布団があった。
その葉っぱの敷布団は、レイラの頭部と繫がっている。どうやらレイラは、二枚ある大きな葉っぱの片方を更に巨大化させ、寝床を作ってくれたようだ。
服の袖から手を離したレイラは「無理せずここで寝た方がいいよ」と、葉っぱの敷布団を両手で叩き、狩夜に眠るよう促してきた。
狩夜は困ったように表情を歪めた。レイラの気遣いは嬉しい。嬉しいのだが——
「いや、でもさレイラ。僕は火を見てないと……」
眠気眼のまま狩夜がこう言うと、レイラは「私に任せて!」と言いたげに、右腕で自身の胸を叩いた。
「あ~でもさ、レイラは植物だろ? 火の番なんてできるの? 本当に大丈夫?」
狩夜の確認の言葉に、レイラはコクコクと自信満々で頷いた。
「任せて平気?」
コクコク。
「……」
狩夜は、しばしレイラの顔を見つめながら考えた。そして——
「わかった。悪いけど、任せる」
今はレイラの好意に甘え、睡魔に屈することを選んだ。
——だって、なんかもう、色々なことがどうでもよくなるくらい眠いんだもん。
狩夜は、すぐに葉っぱの敷布団に横になる。次いで驚いた。葉っぱなのに弾力に富み、本物の布団の様に柔らかいのである。すぐ下が石だらけの川原とは思えなかった。
「レイラ~、君の葉っぱすごいね~」
すでに半分眠りながらも葉っぱを褒める狩夜。とても素晴らしい寝心地だった。
——これなら……ぐっすり……ね、むれ……
●
明晰夢、という言葉がある。
睡眠中に見る夢のうち、自分で夢であると自覚しながら見ている夢のことである。誰もが一度くらいは経験したことがあるのではなかろうか。
狩夜は今、その明晰夢を見ているようだ。なんとなくわかる。しかし、なんとも珍妙で、奇妙な夢だ。
まず、白い部屋がある。真っ白で、正方形な部屋だ。出入り口もなければ、窓もない。その部屋に狩夜がいて、狩夜の頭上にはレイラがいる。そして、狩夜とレイラの前に、狩夜がいた。いや、正確には、狩夜の形をかたどった、何かがあった。
その何かは、3Dポリゴンな狩夜である。点と線と面で構成された、ローポリで半透明な狩夜。そんな狩夜が、部屋の中央で足をそろえて直立し、両腕を地面に対し水平に広げながら、全裸で立っている。
「ん~?」
狩夜は、真っ白い部屋をぐるりと見回してから、困惑顔で首を捻った。
随分と現実味の薄い光景である。いや、夢なのだから、現実味が薄いのはむしろ当然であった。気にするだけ無駄だなと、狩夜は気にするのをやめる。次いで、なんとなく口を動かした。
「レイラ、ちゃんと火の番やってる……よね?」
この言葉にレイラは「やってるよ~」と言いたげにコクコクと頷いた。そのレイラの反応を見て、狩夜は安堵の息を吐く。だが、すぐに頭を振った。
これは夢。夢の中のレイラに何を言っても無駄である。
——あ、そういえば、現実のレイラに、交代するから四時間ぐらいで起こせって伝えるのを忘れた。大丈夫だろうか?
狩夜は、しばらく考えた後「ま、いいや。後で謝ろう」と結論を出し、無警戒にローポリな狩夜に近づいた。目の前の不思議な光景に興味が湧いたのである。
「どうせ夢だし」と、軽い気持ちでローポリな狩夜に右手を伸ばし、左肩に触れた。その瞬間“ポーン”という、小気味の良い電子音が白い部屋に鳴り響く。
そして——
「うわぁ!?」
ローポリな狩夜の胸から、極薄の板のようなものが突然飛び出し、狩夜はその場を飛び退いた。
「び、びっくりしたぁ……」
高鳴る胸に右手を当てながら、再度ローポリな狩夜に近づく狩夜。そして、出現した極薄の板を上から覗き込む。
極薄の板には、日本語で『ソウルポイントを使用しますか? YES NO』と書かれていた。
「何……これ?」
狩夜が、極薄の板を覗き込みながら固まっていると——
「レイラ?」
頭の上にいるレイラが動いた。右腕から蔓を伸ばし『YES』をタッチする。すると、極薄の板の画面が切り替わった。どうやらこれは、タッチパネルに近しいものらしい。
狩夜は、レイラの行動を別段咎めようとはせずに、極薄の板——タッチパネルを再度覗き込む。
「これって……」
そこには、メニュー画面のようなものが表示されていた。
左上には『叉鬼狩夜』という名前。その右隣りには『1003・SP』という謎の数字。そして、それらの下には『筋力UP・1SP』『敏捷UP・1SP』『体力UP・1SP』『精神UP・1SP』『次へ』『戻る』の、六つの項目がある。
この画面を見た瞬間、狩夜はある程度の予想というか、仮説を立てることができた。しかし「いや、さすがにそれは……」と、首を左右に振り、即座にその仮説を否定する。
狩夜が「ないない」と首を左右に振っていると、レイラが再び動いた。蔓を動かし『筋力UP・1SP』をタッチ。するとタッチパネルに『ソウルポイントを1ポイント使用し、叉鬼狩夜の筋力を向上させます。よろしいですか? YES NO』と表示された。
レイラは、迷うことなく『YES』をタッチする。すると——
『叉鬼狩夜の筋力が向上しました』
と、事務的でテンションの低い声が白い部屋に響き渡った。タッチパネルはすでにメニュー画面に戻っている。だが、若干の変化があった。
まず、名前の横の数字。これが『1003・SP』から『1002・SP』に減少している。そして、先ほどは『1SP』で選択できた項目が『筋力UP・2SP』といった具合に、軒並み値上がりしていた。
「あ~」
「ひょっとして、この仮説は正しいのか? いやいやこれは夢だ」と、狩夜が頭を抱えている最中でも、レイラの動きは止まらない。
今度は『体力UP・2SP』の項目をタッチ。続いて『YES』。
『叉鬼狩夜の体力が向上しました』
事務的でテンションの低い声が、再び響く。
メニュー画面に戻ると、謎の数字が『1000・SP』に。そして『2SP』で選択できた項目が、今度は『3SP』に値上がりしていた。
「は、ははは……よ、よくできた夢だな~」
と、狩夜が引き攣った笑みを浮かべていると、レイラは『次へ』をクリックした。すると、初めて見る別の項目が現れる。だが——
「あれ?」
そこには『〔光属性魔法Lv1〕・1000SP』『〔闇属性魔法Lv1〕・1000SP』といった具合に、『光』『闇』『月』『火』『水』『木』『風』『土』の八つの魔法項目と、先程と同じく『次へ』『戻る』があるのだが、魔法項目はすべて灰色になっていた。どうやらこれらの選択肢は、現在選択できないらしい。
狩夜が「なんでだろ?」と、タッチパネルを覗き込みながら首を捻っていると、頭の上から“ギリギリ”と、大きな歯ぎしりが聞こえてくる。
「レイラ?」
名前を呼びながら、狩夜は頭の上に両手を伸ばす。レイラの胴体を左右から掴み、その小さい体を胸元へと運んだ。
狩夜の目に映ったレイラは、とても悔しそうな顔をしていた。歯を食いしばりながら、その選択できない八つの魔法項目を見つめている。
「レイラ、どうしたんだよ?」
再び声をかけると、レイラは、はっとしたように体を震わせた。次いで、気持ちを切り替えるように顔を左右に振り、蔓で『次へ』をタッチする。
その後、レイラの動きに迷いはなかった。何か目当ての項目でもあるのか、もの凄い速さで『次へ』を連続タッチする。狩夜の目の前で、選択肢が表示されては消えていく。
しかしまあ色々な項目があった。
『〔長剣Lv1〕・1000SP』とか『身長を1cm高くする・1000SP』とか、凄いものになると『1歳若返る・10000SP』とか『性別を変える・10000SP』なんてのもあった。
さすが夢。常識なんて糞食らえ、である。
ほどなくして、レイラの連続タッチは止まった。そこには『〔ユグドラシル言語〕・1000SP』の項目がある。
「ユグドラシル言語?」
当然だが、聞いたことのない言語体系であった。
レイラは、その『〔ユグドラシル言語〕・1000SP』の項目をタッチ。するとタッチパネルに『ソウルポイントを1000ポイント使用し、叉鬼狩夜の魂に〔ユグドラシル言語〕スキルを転写します。よろしいですか? YES NO』と表示された。
一度狩夜の方に視線を向けた後、レイラは『YES』をタッチする。
『叉鬼狩夜の魂に〔ユグドラシル言語〕スキルを転写しました』
白い部屋にお決まりの声が響いた。メニュー画面に戻ると、謎の数字がきっちり『0・SP』になっている。
レイラは蔓を伸ばし、タッチパネルの右上にある×印、閉じるボタンをタッチする。するとタッチパネルに『ソウルポイントの使用を終了しますか? YES NO』と表示された。レイラは迷うことなく『YES』をタッチする。すると、ローポリな狩夜の胸の中に、タッチパネルは消えていった。
狩夜の両手の中で「ようやく終わったよ~」と言いたげに、レイラは全身から力を抜き、右腕から伸ばしていた蔓を収納した。そして、体を大きくのけ反らせ、狩夜の顔を見つめてくる。
目が合うと、レイラは笑った。次いで「またね」と言いたげに、右手を振る。
そのレイラの行動に、狩夜が訝しげに首を傾げた瞬間、唐突に明晰夢が終わった。
●
「ん? あれ?」
何やら浮遊感のようなものと共に目を覚まし、狩夜は掛布団を持ち上げながら上半身を起こした。
「って、あれ? 掛布団?」
狩夜が掛布団だと思ったものは、よく見ると巨大な葉っぱであった。そして、狩夜の下にある葉っぱの敷布団と同じく、レイラの頭部に繫がっている。
どうやら狩夜が寝入った後に、レイラは残ったもう一方の葉っぱも巨大化させ、狩夜の上にかけてくれたようだ。
そのレイラはというと、火の入ったかまどの前で体育座りをしていた。右手には乾いた流木を持っている。そして、狩夜が目を覚ましたことに気がついたのか、首だけで振り返り、狩夜の方に顔を向けた。
「おはよう」と言いたげに右手を上げるレイラ。狩夜も葉っぱの敷布団から立ち上がり「おはよう」と返す。すると、レイラは巨大化させていた二枚の葉っぱを収縮。いつも通りの大きさへと戻した。
「火、ちゃんと見ててくれたんだな」
手製のかまどには、レイラが一晩守った火が入っていた。レイラは誇らしげな顔で、コクコクと頷く。
頑張ったレイラを労うために、右手で頭を撫でてやる。レイラに対する恐怖心を払拭しきれていないので、少しぎこちない動きになってしまったが、それでもレイラは嬉しそうだ。
気持ちよさそうに目を細めるレイラ。狩夜は、そんなレイラに向かって口を開く。
「えっと、その……レイラ。一晩中火の番をさせて……ごめん。すごく眠くて、途中で起こしてくれって伝え忘れてた。ほんとにごめん。辛かったでしょ?」
狩夜が大変申し訳なく思いながらこう言うと、レイラは笑顔で首を振り「全然平気だったよ!」と胸を張った。確かに疲れは見えないが、それとこれとは話が別だ。
「そっか……すごいな、君は。でも、次はちゃんと僕もやるからさ。今度は交代制で、ね」
狩夜がこう言うと、レイラは「私がやるから狩夜はちゃんと眠ったほうがいいよ」と言いたげに、首を左右に振る。
「いや、でもさ、さすがに悪いって言うか……」
再度口を動かす狩夜であったが、それでもレイラは譲らなかった。「狩夜は眠らないとダメなの!」と、厳しい表情で何度も首を左右に振る。
狩夜は首を傾げた。レイラがこんなにも頑ななのは初めてだ。何か理由があるのかもしれない。
思い当たるのは、昨日見た奇妙な夢。レイラも登場した、あの夢。
『叉鬼狩夜の筋力が向上しました』『叉鬼狩夜の体力が向上しました』『叉鬼狩夜の魂に〔ユグドラシル言語〕スキルを転写しました』
狩夜の脳裏に、夢の中で聞いたあの声が蘇る。
とりあえず、腕を曲げて力瘤を作ってみたり、両手を開いたり閉じたりしてみたが——別段変わったようには感じなかった。レイラも「何してるの?」と言いたげに、狩夜を見つめながら首を傾げている。
狩夜は恥ずかしくなって、レイラから顔を背けた。そして思う。
——馬鹿か僕は、夢を本気にするなんて、どうかしている。
赤くなった顔をごまかすために、狩夜は川に向かった。両手で水を掬い、顔を洗う。次いで喉を潤した。
「おいしい!」
——やっぱりおいしい。この川の水は最高だ!
顔を洗った後は朝食作りである。昨日と同じようにレイラにウサギモドキを出してもらい、解体。レイラが守った火とかまどで、その肉を焼き上げたら完成だ。もちろん美味しくいただく。
「よし。それじゃいこう!」
朝食と火の始末を終えた後、気合を入れるように叫ぶ。レイラも「おー!」と言いたげに、両腕を突き上げた。次いで狩夜の背中に飛びつき、頭の上へとよじ登る。
目指すは川下。人里を探しにいざゆかん。
気持ちを新たに、狩夜たちは川に沿って山下する。そうやってしばらく歩くと、川辺に佇む大きな岩の姿が目に入った。夢の中で聞いたあの声が、再度狩夜の脳内で蘇る。
『叉鬼狩夜の筋力が向上しました』
狩夜は大きな岩をじっと見つめた。次いで、歩きながら右手をきつく握り締める。そして——
「おりゃあ!」
大きな岩のすぐ横に差し掛かると同時に右腕を突き出し、巨大な岩を殴りつけた。狩夜の頭上では、レイラが目を見開き息を飲む。
しばしの沈黙の後——
「いってぇぇええぇ!」
狩夜は、有らん限りの絶叫を上げた。
——痛かった。すんげー痛かった。やっぱり駄目だった。全然強くなんてなってなかった。僕はなんて馬鹿なんだ!
狩夜はすぐさま川に駆け寄り、川の水で右手を冷やす。問題なく動くので、どうやら骨に異常はなさそうだ。
狩夜の頭から飛び降りたレイラが「大丈夫? 大丈夫?」と言いたげに、狩夜の回りをちょこまかちょこまか走り回った。なんだか非常に申し訳ない気持ちになってくる光景である。
川の水で冷やし続けていると、どうにか痛みは治まった。狩夜は安堵の息を吐いてから、ゆっくりと立ち上がる。レイラもほっとした様子で、狩夜の体に跳びついた。
再び川下に向かって歩きながら、なんとも馬鹿なことをしたと後悔する狩夜。そして、やっぱりあれはただの夢だったんだなと、再確認。
あんな風に——ゲームのように強くなれるのなら、苦労はない。
今はとにかく人を探そう。そして情報を集めよう。そう狩夜は心に決めた。
そんな狩夜の背後で、何かが割れるような音がしたが——狩夜は気にせず、前へと進む。
川下を目指して、狩夜たちは歩き続けるのであった。
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