003・名前
グイグイ。
「あ、次はこっちね」
頭上を占拠するマンドラゴラが「こっちにいったほうがいいよ~」と、右腕で髪を引っ張ったので、狩夜は進路を若干右に修正する。
猪のような巨大四足獣の脅威が去った後、狩夜はマンドラゴラと共に深い森の中を彷徨っていた。進路を塞ぐ草や枝、突然襲い掛かってくるウサギモドキ、馬鹿でかい芋虫やカタツムリなどをマタギ鉈で屠りつつ、狩夜たちは森を進む。
「本当に、こっちに川があるんだね?」
歩きながら尋ねると、マンドラゴラは「うん、あるよ~」と言いたげに、何度も頷いた。
胸中で「ほんとかなぁ……」と呟きながらも、狩夜はマンドラゴラの示す進路に素直に従い、黙々と森の中を進む。
当初マンドラゴラは、肩越しに「あっちあっち」と葉っぱや腕で進行方向を示していたのだが、面倒臭くなったのか、狩夜の頭上を腹這いの体勢で占拠。狩夜の髪を常に両腕に絡め、逐一進行方向を指示するようになった。
タクシー代わりに使われている狩夜であったが、文句は言わない。他にあてもないし、マンドラゴラが自信満々ということもあるが、逆らって機嫌を損ねると後が怖いのだ。四足獣撃退のときにすでにわかっていたことだが、このマンドラゴラ、もの凄い化け物なのである。
狩夜は、つい先程足を踏み入れた、ウサギモドキのコロニーでの一幕を思い返した。
マンドラゴラの指示のもと、川を求めて森の中を歩いていた狩夜たちは、奇妙な場所に足を踏み入れる。
そこには無数の穴が開いていた。木の下、岩と岩との隙間、そして地面。他にも、他にも——
狩夜はただならぬ気配を感じ、マタギ鉈を構えた。そのときである。穴という穴からウサギモドキが飛び出し、一斉に襲い掛かってきたのだ。
三十匹を超えるウサギモドキによる、全方位攻撃。
野生の獣のコロニーに迂闊に踏み込んでしまったと後悔した時には、何もかもが遅かった。すでに逃げ道はどこにもない。
狩夜は目を瞑り、歯を食いしばる。すぐに襲いくるであろう激痛に備えた。
だが——
「あれ?」
いつまでたっても痛みは襲ってこない。それどころか、体には何の異変も起こらない。
不思議に思った狩夜は、恐る恐る目を開く。そして、すぐさま見開くこととなった。眼前に地獄絵図が広がっていたからである。
狩夜の頭上、マンドラゴラの全身から、木の枝のような突起物が無数に伸び、ウサギモドキの群れを一網打尽にしていたのだ。
モズの早贄の様な有様で絶命しているウサギモドキの群れ。それらウサギモドキを、マンドラゴラはまとめて口の中に放り込んだ。あの四足獣との一件で心境の変化でもあったのか、もう狩夜の視線などどこ吹く風である。
そして、捕食を終えたマンドラゴラは「何してるの? 川にいくんでしょ?」と、茫然と立ち尽くす狩夜の頭をペシペシと叩くのだ。
狩夜は、戦慄を覚えながらも足を動かし、ウサギモドキのコロニーを後にした。水を飲むために、喉を潤すために、足を動かす。今後のために川を探す。
そして、その後は特筆するような事件もなく、森の中を歩き続け、今に至るというわけだ。
四足獣のときといい、コロニーでの一幕といい、マンドラゴラの力は底が知れない。狩夜は、とにかくマンドラゴラの機嫌を損ねないよう、素直に指示に従った。
まあ、理由はわからないが、マンドラゴラは狩夜に懐いているようだ。手荒に扱われたことは一度もなく、むしろ狩夜を守ってくれる。食べられそうな果実などを見つけると、蔓を伸ばして取ってくれたりもした。だが、だからといって安心はできない。狩夜の今後はマンドラゴラの気分しだいなのは事実であり、現実だ。警戒するに越したことはない。戦々恐々としながら、狩夜は歩を進める。
それから二時間ほど歩き続け、日がだいぶ傾き、空が茜色に染まりはじめたころ——
「ん?」
僅かだが、水の流れる音が狩夜の耳に届いた。
目を瞑り、耳を澄ます。そして確信した。間違いない。川がすぐ近くにある。
はやる気持ちを抑え、徐々に近づく水の音を頼りに、狩夜は足を動かした。あくまで歩いて川を目指す。
ほどなくして森の終わりが見えた。そしてその先には、大きな川の姿が見て取れる。
「やった、川だ! ようやく見つけた!」
歓喜の声を上げる狩夜。マンドラゴラも嬉しいのか「やったやった」と、狩夜の頭を両手でペシペシと叩く。
川の発見、これには大きな意味がある。飲み水の確保という点もそうだが、この川の存在自体が、人の住む場所への道標になるからだ。
人里というのは川の近くにできるもの。歴史がそれを証明している。この川に沿って山を下れば、人の住む場所に辿り着く公算が高い。もっともこれは、この世界に狩夜以外の人間がいればの話だが……
「わ、すごい」
森を抜け、視界が開けると、丸い石が敷き詰められた、とても奇麗な川原が広がっていた。ゴミ一つ落ちていない。絶好のバーベキュースポットといった感じである。
狩夜は川に近づき、その中に手を入れた。川の水の冷たさを感じながら、両手で水を掬い取る。
奇麗な水だった。これなら大丈夫だろうと、狩夜は水に口をつける。そして——
「おいしい!!」
思わず声を上げて、その水の味を賞賛した。そこらのミネラルウオーターとは格が違う。比べるのもおこがましいと思えるほどだ。体から疲れが抜け落ち、力が溢れ、魂が洗われるかのようである。
狩夜は夢中になって、何度も何度もその水を口にした。
何でこんなに美味しいのだろう? と、狩夜が首を捻っていると——
「ん? 何?」
頭上のマンドラゴラが、右側の髪の毛を引っ張った。
狩夜は「もう川には着いたでしょ?」と言いながら、右側に、川の上流の方に視線を向けた。向けて、度胆を抜かれた。
「何……あれ……?」
川の上流、山の向こうに、巨大な木が——いや、そんなちゃちな言葉では言い表せないほどの大樹が、この大地を貫き、天高く聳えていたのである。
手前の山が小さく見えるほどの大樹だ。現に、その大樹の回りを取り囲む山脈の標高は、大樹の三分の一もない。遠近感がおかしくなりそうな光景である。
夕日を受け、茜色に染まったその大樹の姿は、雄々しく、壮大で、神々しかった。
あまりの存在感に圧倒され、狩夜の視線は大樹に釘づけとなり、無言で立ち尽くしてしまう。
そんなとき——
「うん?」
マンドラゴラが狩夜の頭から飛び降り、川原へと降り立った。次いで、あの大樹を見つめる。
その顔は真剣そのものだった。まるで、決意を新たにするかのような表情で、マンドラゴラは大樹を凝視している。
狩夜は、そんなマンドラゴラの姿をなんとなく見つめていたのだが——
「っは! しまった! ぼーとしてる場合じゃない!」
今しなければならないことを思い出し、慌てて体を動かした。日が暮れる前に、この川原で野営の準備をしなければならないのである。
とにかく火だ。あの四足獣みたいな獣が生息する森の中で、火もなしに夜を越すなど自殺行為でしかない。
狩夜はすぐさま手ごろな石を集め、かまどをつくる。そして、川原に転がっている乾いた流木を拾い集めた。次いで、百円ライターで火をつける。
かまどに火が十分に回ったことを確認し、ほっと一息。
「さて、次は食べ物だけど——」
こっちはどうしよう? と、狩夜は首を捻った。森の中でマンドラゴラが果物を取ってくれたので、さほど腹は空いていない。だが、少し物足りない気もする。やはり肉が食べたい。川原での野営とくれば、やはり肉だ。
狩夜の脳裏に浮かぶのは、あのウサギモドキの姿だった。果物を口にできたし、森では荷物になるからと、道中鉈で屠ったものはその場に捨て置いたが、今になって惜しくなってきた。
日が完全に暮れる前に、もう一度森の中に入ってみようか? そう、狩夜が悩んでいると、
「ん?」
いつの間にか狩夜の足元へと来ていたマンドラゴラが、トレッキングパンツを引っ張った。狩夜は「何?」と視線で告げながら、マンドラゴラを上から見下ろす。
狩夜の視線が自分に注がれていることを確認したマンドラゴラは、その口を大きく広げた。それを見た狩夜は「食べられる!?」と胸中で悲鳴を上げる。
その直後——
「うわ!?」
“ポン!”という音と共に、マンドラゴラの口から何かが吐き出された。
それは、脳天を鉈で割られたウサギモドキ。狩夜が一番初めに屠り、マンドラゴラが丸飲みにしたものである。
マンドラゴラは、吐き出したウサギモドキを両手で抱え、狩夜に向けて「あげる」と言いたげに差し出してきた。その顔はどこか得意げである。
「君の体は四次元ポケットか?」
苦笑いを浮かべながら、恐る恐るウサギモドキを受け取る狩夜。そこで気づく。
軽い?
訝しがりながらも狩夜は鉈を抜き、石の上に寝かせたウサギモドキの腹に刃を通した。次いで、頷きながらこう呟く。
「やっぱり……」
狩夜は、自分の考えが正しかったと確信しつつ、先ほどつけたウサギモドキの切り口を見つめた。
毛皮が裂け、その下にはピンク色の肉と内臓が覗いている。しかしだ、血がまったく出ない。滲みすらしない。
傷口を手で触れてみたが、手は奇麗なままだ。心臓も空っぽのようで、縮みきっている。このウサギモドキには、血が一滴も残っていない。
どうやらマンドラゴラは、腹の中でウサギモドキの死体を保管しつつも、血液だけは美味しくいただいたようである。
マンドラゴラは、処刑場の土に芽吹いて、囚人の血を養分にして育つという。だが、実際は獣の血でもいいのかもしれない。自生していた場所も解体場の裏だった。
「僕は囚人じゃないからね」
狩夜は、すぐ隣で解体作業を見守るマンドラゴラに視線を向け、真剣な表情で告げる。マンドラゴラは「何の話?」と言いたげに首を傾げた。
「まあ、いいけどね。手間が省けたし」
マンドラゴラの吸血性うんぬんはとりあえず忘れることにして、狩夜はウサギモドキの解体作業に取り掛かる。
内臓の摘出は実に簡単だった。腹を裂いて逆さまにしただけで、ウサギモドキの饅頭の様な体から内臓がたれてくる。それを鉈で切り離して終了だ。
次に皮を剥ぎ、頭を外す。こちらは少し手間取った。なぜなら、胴体と頭の境目が非常に曖昧だったからである。そもそも首が存在しない。
どうにかこうにか頭を外した後、狩夜はようやく食べられる形となったウサギモドキの肉に向き直る。手頃な大きさの枝を肉に突き刺し、下拵えは終了だ。
「さてと……」
火傷をしないように気をつけながら、ウサギモドキの肉をかまどにかける。食欲をそそる肉の焼ける匂いが、夜の河原に立ち込めた。
そう、解体作業が終了する頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。空には満点の星が広がり、月が輝いている。
夜だ。名前も知らない世界での、初めての夜。
「星の配置、全然違うな」
川原に座り込みながら空を見上げる。北斗七星も、カシオペア座も、夏の大三角もなかった。月はあるが、地球のモノとは大分違う。こちらの月の方が明らかに大きい。だが、星の輝きだけは変わらなかった。
「さて、これからどうしよう?」
そう言いながらかまどに手を伸ばし、ウサギモドキの肉をひっくり返す。
ようやくゆっくり考える時間ができた。狩夜は今後のことをじっくり考えようとして——すぐに落胆した。肩を深く落とし、溜息を吐く。
情報が足りなすぎる。考えた末に出た結論が「考えても無駄」と「川に沿って下山」だけなのだから、救いようがない。
——いや、救いはあるか、一応。
狩夜は、隣で一緒にかまどを囲むマンドラゴラに目を向けた。マンドラゴラは火が怖くないのか、じっとかまどを見据えている。
一人じゃないというのが、こんなにもありがたいこととは思わなかった。もしマンドラゴラがいなければ、何度死んだかわからない。
だが、感謝するのは違う気がする。確証こそないが、狩夜をこの世界に引きずり込んだのはマンドラゴラのはずだ。そもそも、マンドラゴラがあの広場に生えていなければ、狩夜はこんな目に遭ってはいない。しかし、邪険にはできない。理由はわからないが、マンドラゴラは狩夜を守ってくれる。懐いてくれる。そして、とんでもなく強いのだ。
このマンドラゴラは、狩夜をこの世界に引きずりこんだ悪魔である。だが一方で、この世界で狩夜を守る天使でもあるのだ。
信用できないが、一緒にいるしかない。
狩夜は、躊躇いがちに左手をマンドラゴラに伸ばし、その頭を撫でる。マンドラゴラはその手を拒まなかった。気持ちよさそうに目を細め、狩夜の手にされるがままだ。
「君さ、名前とかあるの?」
ウサギモドキの肉を右手でひっくり返しながら尋ねる。いつまでもマンドラゴラのままでは不便だ。長いし。
この問いにマンドラゴラは、きょとんとした顔を返した。次いで、首を左右に振る。
「ないんだ? なら、僕がつけちゃっていいかな? ちなみに、僕は狩夜。叉鬼狩夜。わかる?」
狩夜が自分の顔を指さしながらこうたずねると、マンドラゴラはコクコクと頷く。
「よし。今度は君だ。そうだな——」
狩夜は、右手を顎に当てて唸った。一方のマンドラゴラは、狩夜にキラキラと光る期待の眼差しを向けている。
うん。マンドラゴラだから——
「ドゴラってのはどうかな?」
実に安直な名前を口にする狩夜。すると、ドゴラ(仮)は、一瞬唖然とした顔をした後「やだやだやだ!」と言いたげに、首を激しく左右に振った。どうやらお気に召さなかったらしい。
「え、なんで? 強そうでいいじゃん。わかりやすいし」
こう言うと、ドゴラ(仮)は、真剣な表情で両手を胸の前へと動かした。次いで、お椀を作るようにその手を動かす。その動きで、察しはついた。
「ああ、レディだったのね。これは失礼」
確かに、女性の名前にドゴラはない。
だったら、別名のマンドレイクから取って——
「なら、レイラってのはどうかな?」
これを聞いたレイラ(仮)は「それだー!」と言いたげに、狩夜に向かって右腕を突き出してくる。どうやら、こっちの名前は気に入ったらしい。
「じゃ、君は今日からマンドラゴラのレイラだ。よろしく、レイラ」
こう言うと、レイラは嬉しそうに何度も頷いた。
「レイラ」
試しに呼んでみると、それだけで嬉しいのか、レイラは名前が呼ばれるたびに飛び跳ねた。なんだか微笑ましい。
「お、そろそろいいかな」
ウサギモドキの肉がいい感じになったので、狩夜は串代わりの枝を手に取る。
きつね色になった肉と、適度についた焦げ目。混じり気のない肉本来の香りが、食欲をダイレクトに刺激してくる。実においしそうだ。
「レイラも食べる?」
狩夜が溢れ出る涎を飲み下しながらたずねると、レイラは「いらな~い」と言いたげに、嫌そうな顔で首を左右に振った。焼かれた肉は嫌いなのかもしれない。
「そう? なら遠慮なく。いっただきま~す!」
大口を開けてウサギモドキの肉にかぶりつく。異世界の肉、その味は——
「うん、おいしい!」
普通に美味かった。肉の味は元の世界と大差ない。
獣のように肉に噛りつき、貪った。手も、口も止まらない。ただひたすらに、食欲を満たす行為に没頭する。
肉は正義だ。うまいは正義だ。異世界でもそれは変わらない。
「ほんとにおいしい! ウサギモドキ最高!」
笑いながら叫ぶ。狩夜の歓喜の叫びが、周囲の山々に木霊する。
こうして、異世界での初めての夜は更けていった。
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