第一章・引っこ抜いたら異世界で……

001・第一章プロローグ 引っこ抜いたら……


——現代日本・某所——


「そりゃないよ、じいちゃん……」


 ぱんぱんに膨らんだ登山用ザックを背負い、山登りに適した服装に身を包んだ小柄な少年、叉鬼狩夜またぎかりやは、とある山の中腹に建てられた、炭焼き小屋みたいな建造物の入口に張られた張り紙を見つめつつ、暗い顔で呟いた。


『狩夜へ。茂さんとこの鶏が熊にやられた。ちょっといってくる。追伸・もしよかったら、庭の草刈りを頼む。やっといてくれたら、とっておきの肉を食わせてやろう。じじい』


 張り紙を何度も何度も読み返した後、狩夜は周囲を見渡した。空になった三つの犬小屋と、雑草が生い茂った庭がその目に映る。


 どうやら、狩夜の祖父が犬を連れて山狩りにいったのは間違いないようだ。事前に遊びにいくと連絡しておいた孫を放り出し、さらには庭の手入れを押しつけ、祖父は狩りに出かけたのである。


「嘘でしょ? 夏休みを使って、遠路はるばる顔を見にきた、かわいい孫に対する仕打ちが……これ?」


 狩夜は、ワナワナと打ち震えながら右手を握り締めた。そして叫ぶ。


「僕も狩りに連れてってよ~!!」


 大木が立ち並ぶド田舎の山脈に、狩夜の声が木霊した。



     ●



「くっそー。じいちゃんの猟銃が熊を仕留めるところ、見たかったな~」


 手にした鉈で無秩序に伸びた庭木の枝を断ち切りながら、狩夜は不満げに呟く。


 狩夜の祖父は凄腕の猟師で、現代を生きる数少ないマタギの一人だ。


 母方の祖父で、当年七二歳。身長は百九十を超える大男。三十貫ぐらいの熊なら、いまだ軽々と担ぎ上げ下山する豪傑。


 狩夜は、そんな祖父に——そして、猟師という職業に憧れていた。


 何が切っかけだったのかは覚えていない。物心ついた頃から、猟師に憧れていた気さえする。


 そんな狩夜が祖父と仲良くなり、その家に入り浸るようになるのは必然だった。駆け落ち同然で結婚し、何かと理由をつけては祖父を避ける両親や、病弱な妹と違い、狩夜は都合がつけば、その都度祖父に会いにいった。


 狩夜が顔を見せる度に、祖父は豪快に笑い、狩夜に色々なことを教えてくれた。狩りに必要な心構え、動物の解体方法、罠の設置の仕方、他にも、他にも……


 そう、マタギである祖父の技術は、世代を超え、孫の狩夜に伝授されたのである。


 ただ、これらの技術が狩夜の人生を左右したり、就職の役に立つかと聞かれれば、答えは『NO』だろう。多くの技術は使われることなく徐々に錆び付き、狩夜の命と共に永遠に失われるに違いない。


 狩夜は猟師に憧れてはいるが、実際になれるとは思っていないのだ。両親が絶対に許さないからである。祖父にしても、狩夜が猟師になるとは思っていないだろう。狩夜に技術を伝授したのは、死ぬ前になんらかの形で俺の技術を——みたいなノリに違いない。そう狩夜は考えていた。


 狩猟生活はあくまで憧れであり、手の届かない夢である。常識や、平均をかなぐり捨てて、猟師という厳しい世界に飛び込んでいけるほど、叉鬼狩夜という男は馬鹿になれはしないのだ。


「さて、こんなものかな?」


 右手に持っていた鉈を腰に下げた鞘に戻した後、狩夜は周囲を見渡した。次いで「よし」と頷く。


 草木が生い茂り、我が物顔で好き放題していた庭は、狩夜の手により見事に生まれ変わっていた。思わず「なんということでしょう」と言いたくなるほどの変貌ぶりである。


 これなら祖父も文句は言うまい。これでとっておきの肉とやらは狩夜のものとなり、今宵の食卓を彩るだろう。


 一ヵ所にまとめた雑草の山に近づき、狩夜は「後は燃やして終了だ」と呟いた。事前にポケットの中に入れておいた百円ライターを取り出そうと手を動かす。が、ふとあることに気がついた。


「っと、しまった。まだあそこがあったな」


 はっとした後、母屋と解体場の間にある細い道に目を向ける狩夜。その道の先にある裏庭。そこにまだ手をつけていない。


 狩夜は「危なかった」と息を吐く。


 あの豪快な祖父が姑みたいな真似をするとは思えないが、半端な仕事をしては肉がふいになりかねない。やるからには徹底的に、だ。


 庭の様子からして、この先も凄いことになってるんだろうな——と、狩夜は腕まくりをしながら気合を入れ、母屋と、血の匂いがする解体場の間を通り抜ける。


 そして——


「何だ、これ?」


 視界が開けると同時に、こう疑問の声を漏らした。


 満を持して足を踏み入れた裏庭。その中央に、何とも不可思議な植物が生えていたのである。


 茎や、花などは見当たらない。大きな——そう、とても大きな葉っぱが二枚、それだけだ。その大きな二枚の葉っぱを、大空を舞う鳥の如く左右いっぱいに広げ、獣の血が染みついた地面を真上から貫くように、そいつはそこに生えていた。


「見覚えのない葉っぱだな? 何て名前の植物だろ、これ?」


 小学生の頃、各種図鑑を読み漁っていた時期があり、人並み以上に動植物に対する知識を有する狩夜にも、心当たりすらない珍しい植物だった。


 好奇心を刺激された狩夜は、小走りにその植物に近づき——あることに気づく。


 狩夜が今立っている裏庭は、くだんの植物を中心に、奇麗な円形をしているのだ。その円の外側は、先ほどの庭と同じように雑草が生い茂っているが、円の内側には雑草一本生えていない。まるで不毛の荒野である。


「この子が、他の植物を根こそぎ淘汰しちゃったのかな?」


 身を屈め、謎の植物を真上から見下ろしつつ、狩夜は呟いた。もしそうだとしたら、凄まじい生命力である。


 いったいいつ頃から、ここはこんな奇妙な場所になってしまったのだろう? 


 狩夜は、前にこの裏庭にきたのはいつだったかな――と、記憶を辿り——


「……あれ?」


 愕然とした。


 この裏庭に、以前訪れた記憶がない。


 あり得るか、こんなこと? 幾度となく、それこそ数えきれないほど訪れた祖父の家。好奇心のままに探検したことのある場所だ。幾度となく手入れを頼まれた場所だ。ここは僕の庭だと胸を張って言える場所だ。目を瞑っても一周できる場所だ。祖父と寝食を共にした思い出の場所だ。


 なのに——


「何で僕は……今までこの裏庭に、一度もきたことがないんだ……?」


 その事実に気がついた瞬間、背筋にすさまじい悪寒が走った。全身から冷や汗が噴き出してくる。


 助けを求めるように辺りを見回す狩夜であったが、周囲には誰もいない。いや、誰かどころの話ではなかった。狩夜が今立っている円形の荒野。その円の内側には、謎の植物と狩夜以外に、一切の命が感じられない。存在していない。虫の一匹すらいないのだ。


 ——やばい! ここにいたら危ない!


 本能が命じるままに、狩夜は屈めていた身を起こした。次いで踵を返し、ここから離れるべく足を前に動かす。


 その、次の瞬間——


「え?」


 狩夜の背後で、根野菜を畑から引っこ抜いたかのような音がした。


 狩夜は恐る恐る首を動かし、後ろを振り返る。すると——


「……なんで?」


 今にも泣きそうになりながらも、狩夜は言葉を紡いだ。狩夜の右腕に、謎の植物の葉っぱが絡まっていたのである。


 右腕に、幾重にも幾重にも絡まった大きな葉っぱ。偶然でこんなふうに絡まるわけがない。葉っぱが自らの意思で動き、狩夜の手に絡まったとしか思えない。


 そして、狩夜はそれに気づかぬまま屈めていた体を起こし、後ろに振り返った。足を前に踏み出した。


 結果どうなる? 答えは一つだ。


 謎の植物は、地面から見事に引き抜かれていた。今は狩夜の右腕にぶら下がり、ゆらゆらと左右に揺れている。


 地面から引き抜かれた謎の植物。露わになったその全容を、狩夜はあますことなく視界に収めた。


 二枚の大きな葉っぱの下には、人の形をした茶色の根があった。


 大きさは三十センチほどで、三頭身。手足に指はなく、卵型。そして、顔に当たる部分には、本来植物には存在しないはずの、ある器官が存在した。


 目である。


 謎の植物には、大きな二つの目があったのだ。そしてその目が、狩夜の顔を、目を、真っ直ぐに見つめている。


「これってまさか……」


 狩夜の脳裏に、ある植物の名前が浮かび上がったとき——


「……(にたぁ)」


 そいつは、笑った。


 次の瞬間、そいつはその小さい体が裂けてしまうんじゃないかと思うほどに大きく口を広げ——


「■■■■■■■■■■■■!!!」


 有らん限りの絶叫を上げた。


 この世のものとは思えない、絶叫だった。


 そして、その絶叫を聞いた瞬間、狩夜の意識が急速に遠のいていく。


 霞む視界。


 弱まる鼓動。


 それらに抗う術はない。もしあの植物の名前が、狩夜が思い描く通りのものならば、その絶叫を聞いた時点で、狩夜の命運は尽きている。


 狩夜の意識は、深い深い闇の中へと沈んでいった。

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