281・笑い声

「それではハングマン。お願いいたしますわぁ」


 アルカナがこう指示を出すと、彼女のテイムモンスターである蝙蝠型の魔物、ホーンバットのザ・ハングマンが、翼を広げて飛び立った。


 後ろ脚で太いロープをぶら下げながら懸命に翼をはためかせるザ・ハングマンが向かう先には、尻もちをついた態勢でホテイアオイに拘束されているルーリンがいる。


 ほどなくしてルーリンのもとにたどり着いたザ・ハングマンは、ルーリンの体を器用に這い回り、ロープを幾重にも巻きつけていく。そして「準備完了」とばかりにキーキーと鳴いた。


 その鳴き声を聞いた狩夜は、すぐ隣にいたザッツ、レイリィ、リースと視線を重ね、大きく頷き合う。彼らの手には、ルーリンに巻きつけられたロープが握られていた。


「よっしゃ! いくぞルーリン! 歯ぁ食いしばれ! せーの!」


 ザッツの掛け声に合わせて、狩夜たちはロープを引っ張った。ルーリンの体が弓なりとなり、彼女を拘束しているホテイアオイからブチブチという鈍い音がする。


 狩夜たちの腕力と、ホテイアオイの耐久力。一瞬の拮抗の後に敗北したのは、ホテイアオイの方だった。


 拘束から解放されたルーリンは、スリングショットから放たれたパチンコ玉のように川から地面へと向かい、あわててロープを放り出したザッツに抱き留められる。


「おっとと! 大丈夫か、ルーリン!?」


 上から覗き込むようにしながらザッツがこう呼びかけると、今なお全身を強張らせているルーリンが、錆びたブリキ人形のようなぎこちない動きで顔を動かし、ザッツと視線を重ねた。その両目には、大粒の涙がたたえられている。


 ルーリンの涙目上目遣いを至近距離で目撃したザッツが目を見開き、ほんのりと頬を染めた。次の瞬間――


「いったぁぁあぁぁあぁい!!」


 ルーリンが、あらん限りの声で絶叫。ザッツの抱擁を力任せに振り払った後、人目もはばからずに地面を転げ回り、びったんびったんと跳ね回る。下着が見ようがお構いなしのその姿に、ザッツは「さっきのは気の迷いだ」と頭を抱えた。


「だーもう! みっともなく騒ぐんじゃねぇよ! 俺たち『不落の木守』は全員がテンサウザンドのパーティで、遠征軍の主力の一角なんだからな! 先に助けたリースは平然としてたぞ! しゃんとしろ!」


「全身が鎧に守られてるリッスンと一緒にしないでよ! すっごい痛かったんだからね! ほら! 両手両足がミミズ腫れだらけ! お尻もきっとすごいよ! 見る!?」


「やめろ馬鹿! パンツに手をかけるな! それぐらいで済んだんならいいだろうが! サウザンドの人たちなんて血だらけだぞ!」


 そう言ってザッツが指さすのは、現在進行形でホテイアオイの拘束から解放されていくサウザンドの開拓者たちであった。


 テンサウザンドのルーリンはミミズ腫れで済んだが、サウザンドの開拓者たちの両脚は、膝のあたりまで擦り傷だらけで血まみれである。窮地をレアリエルに救われたイワトビペンギンっぽい風の民にいたっては両腕もだ。見ているだけでも痛々しい。


「ううぅ、あにぃ……レイラッチの力で治してぇ……」


「ごめんルーリン。それはダメ」


「もう忘れたのか!? 勇――じゃなくて、ドリアード様の化身のレイラは、マナが枯渇した絶叫の開拓地スクリーム・フロンティアじゃ長時間動けなくて、溜め込んだマナを節約してんだよ! んでもって、治療には大量のマナを消費するからおいそれと使えねぇんだ!」


「ザッツさんの言う通りですわよ、ルーリンさん。ん~、この程度の怪我に貴重な聖水や回復薬は使えませんわねぇ。はい、塗り薬です」


 レイラが勇者であることを隠すための名目上の設定をザッツが叫ぶなか、アルカナが手製の塗り薬をルーリンへと手渡す。


 もっとも、レイラが他者を治療する際に大量のマナを消費するというのは嘘ではない。事前検証の結果、一度の治療で全力戦闘時の一分に相当するマナを消費することがわかっている。


 現状では使えても三十回。そして、使えば使うほどレイラが戦える時間が短くなるとなれば、気軽に使えるわけがない。


「でも、二人とも無事で本当によかった。総司令が警戒してた水生魔物が出てきたら死んでたかもしれない。他の人たちもそう。不幸中の幸いだけど、あんなに沢山の人間が川のなかに入ったのに、なんで出てこなかったのかな?」


「ああ、それもホテイアオイ、水面を覆いつくしてるあの草が原因だよ」


 レイリィが首をかしげながら呟いた疑問に、狩夜が指を立てながら答える。


「ホテイアオイが水面を覆いつくすと、水面でのガス交換がおこなわれなくなって、水中の酸素濃度が低下するんだ」


 加えて、ホテイアオイは成長のために大量の酸素を消費する。特に、光合成をおこなわない夜間ではそれが顕著だ。意外に思うかもしれないが、どんな植物であっても、夜になると酸素の生産者から消費者へと変わるのである。


 しかも、この魔物版のホテイアオイは、僅か九日で大河の水面を覆い尽くすほどの成長速度を有するのだから、その酸素消費量には察しがつく。水中の酸素濃度は、みるみる低下したに違いない。


「水中に光が届かなくなるのも、水生生物にとっては大問題でね。水中に光が届かなくなると、水草や藻類、植物プランクトンが、光合成不足で死滅する。そうなると、さらに酸素の供給者が減るうえに、水質浄化能力も低下。最終的に、ホテイアオイ以外の生き物にとって、かなり厳しい環境が出来上がって、生態系がめちゃくちゃになるわけだね」


 これが、世界三大害草に数えられるホテイアオイの恐ろしさ、その一端である。


「この説明でわかってもらえたかな?」


「えっと……うん、半分くらいはわかった。ありがとう兄さん」


「すげぇなレイリィ。俺にはさっぱりだぜ」


「どんな生き物でも酸素がなければ生きられないからね。主もいたし、強い水生魔物はもうこのあたりから逃げ出した後なんじゃないかな。残ってるのは、自分の意志で動けないか、よほど動きが遅いか。もしくは、そんな環境にしか居場所のない弱い奴だよ」


「ふ~ん……あ、ほんとだ。ちっこい貝みっけ」


 狩夜の言葉の真偽を確かめるように川岸にしゃがみ込むザッツ。そんな彼の視線の先には、絶叫の開拓地スクリーム・フロンティアの魔物のなかでも、間違いなく最下層に位置するであろう貝型の魔物がいた。


 大きさ一センチにも満たない円錐状の殻を持つその貝は、ザッツのことなどまるで意に介さず、ホテイアオイの葉っぱの上で、のそのそと歩みを進めている。


 ――カワニナかな?


「全員注目! この後の予定が決まった、聞いてくれ!」


 考察を断ち切るかのように響いたこの声に、狩夜とザッツは貝の魔物から視線を外し、声の出どころであるランティスへと向き直る。


「先の主との戦闘で多数の負傷者が出たこと! そして、拘束された者たちの救助が難航していることを考慮し、今日はこれ以上移動せず、この場所で野営をしたいと思う! このまま救助を続ける者と、野営の準備をする者の二手に分かれて作業をしてくれ! テンサウザンド以上の者、飛行可能な魔物をテイムしている者と、そのパーティメンバーが救助担当! それ以外の者が野営担当だ! 主の縄張りだったこの場所には、今しばらく他の魔物は寄りつかないだろうが、十分に警戒して作業をしてくれ!」


『はい!』


「よし! では作業開始!」


「だってさ。いこうぜ、兄ちゃん」


「うん」


 ランティスの指示を受け周囲が慌ただしく動き出すなか、狩夜は『不落の木守』の四人と共に歩き出す。


 ――僕とレイラは絶叫の開拓地スクリーム・フロンティアでの野営ははじめてだな。経験者のレアやカロンさんとよく相談して――


「きひ、きひひ」


「――っ!!」


 不意に聞こえた女性のものと思しき笑い声に、狩夜は両肩を跳ね上げた。狩夜の背中でマナを節約しているレイラも、僅かに身じろぎする。


 その場で足を止め、狩夜は油断なく周囲を見回した。しかし、特に異変は見当たらない。


「兄ちゃん、どうかした?」


「ザッツ君……なにか聞こえなかった? 不気味な女の笑い声……みたいな?」


「え? いや、別に。皆は聞こえたか?」


 ザッツの問いに、リース、レイリィ、ルーリンの三人は揃って首を横に振る。


 弟分たちのこの反応に、狩夜は「そっか、ごめん。きっと僕の気のせいだ」と返し、再び歩き出した。


 ――なんの根拠もなく騒ぎ立てて、遠征軍全体を動揺させるわけにはいかない。後で幹部の皆と相談だ。


 えも言われぬ気持ち悪さを抱えながら、狩夜は拘束された開拓者たちの救助を進めていく。


 そしていつしか日は沈み、夜が更けていった。

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