279・アノトガスターエアレイド
【オニヤンマ】
日本最大のトンボ。体長は9~11センチ。最高速度は時速70キロを超え、ホバリング、急旋回、後退すら可能という、極めて優秀な飛行能力を有する。
食性は肉食であり、獰猛かつ大食らい。ときにオオスズメバチすらも捕食する。
そんな、日本昆虫界最強と言っても過言ではない虫の魔物版が、遠征軍のはるか上空を悠々と旋回していた。
「っていうかデカ! 距離がめちゃくちゃあるから、普通のオニヤンマに見えるけど、実際は大型旅客機ぐらいあるだろあれ!?」
その異常な体躯からして、明らかに主。つまりは、ハンドレットサウザンド級以上の存在である。
そんな、このあたり一帯を支配していると思しき主は、縄張りを荒らす不届き者らに対し、先手必勝とばかりに攻撃を仕掛けてきた。飛行機の降着装置を彷彿とさせる六本三対の脚を左右に開き、抱えていたなにかを遠征軍目掛け投下する
近づいてくるにつれ、徐々に鮮明になっていくその物体は――
「でっかい岩!?」
そう、それは小山ほどもある大岩だった。狙われたのは、狩夜やランティスのいる場所からやや後方、遠征軍の最後尾。
「全員、草原地帯に向かって駆け足!」
説明不要の質量の暴力が迫るなか、ランティスが早口で指示を飛ばす。後退での回避では犠牲者が出ると判断し、荒野地帯に戻るのではなく、他の魔物が見当たらない主の縄張りにあえて踏み込むことを選んだようだ。
遠征軍が大慌てで小高い丘を駆け降りるなか、大岩が地面へと落下。轟音と共に大量の砂ぼこりを巻き上げる。
「主の鑑定結果がでました! 種族名は、アノトガスターエアレイドです!」
「エアレイド?」
巻きあがった砂ぼこりから逃げるように走るなか、狩夜は高レベルの鑑定スキルを有していると思しき開拓者の言葉に息を飲む。
エアレイド。その意味は空襲。そして、魔物の名は体を表すことが多い。つまり――
「嫌な予感!」
狩夜の嫌な予感は次の瞬間現実となった。上空のオニヤンマ――アノトガスターエアレイドが、遠征軍を後ろから前へと追い抜くように飛行しつつその口を開き、なにかを大量に投下する。
大きさ50センチほどの投下物。今度のそれは、石ではなく生き物だった。
瓢箪型の体を黄色と褐色の斑紋で彩った、長い触覚と鋭い顎を持つ、その虫の名は――
「ミイダラゴミムシ!?」
【ミイダラゴミムシ】
大柄な体格、派手な色合い、そして、特異的な生体から、ゴミムシ類、俗にいうヘッピリムシの代表的な存在。
ミイダラゴミムシは、過酸化水素とヒドロキノンという物質を体内にため込んでいる。そして、自身に危険が迫るとこの二つを反応させ、それによって生成した100度以上のガスを、腹部後端から爆発的に噴射、外敵を撃退する。
「あれも魔物です! 種族名、ボンバルディアビートル・スレイブ!」
「皆さん気をつけてください! あの虫、高温の毒ガスを噴きますから!」
この注意喚起の直後、ミイダラゴミムシ――ボンバルディアビートル・スレイブが地面に墜落。それと同時に、酷い悪臭と超高温を伴う毒ガスを、大量かつ一斉に噴出した。
「うわ、くっせぇ!?」
「あつ! あっつ!」
「ゲホ! 息ができな――ゲホゲホ!」
「だ、誰か助け――ゲッホ!」
遠征軍を襲う上空からの無差別爆撃。第三次精霊開放遠征を生き延びたベテラン勢はともかく、これが初めての遠征となる新参の開拓者たちは、この不測の事態に阿鼻叫喚の大混乱に陥った。総司令たるランティスが大声を張り上げて指揮を取り、どうにかして落ち着けようとするが、まるで聞こえていない。
狩夜はアノトガスターエアレイドを大型旅客機と評したが、それは誤りであった。あれは、手の届かない高所から大量の爆弾を投下し、相手を一方的に蹂躙する、悪辣極まる爆撃機なのだ。
そして、この爆撃の恐ろしさはまだ終わりではない。投下された爆弾は、屈強な兵士でもあるのだから。
毒ガスを出し切ったボンバルディアビートル・スレイブは、その鋭い顎をカチカチと鳴らし、逃げ惑う開拓者に容赦なく襲い掛かる。
「涙で目が見えねぇ! 魔物はどこだ!?」
「匂いが酷すぎる! 俺の自慢の鼻が……!」
「これじゃ息が続かない! とにかくガスの外に――」
逃げ惑う開拓者たちはボンバルディアビートル・スレイブに追い立てられ、否応なく草原地帯の奥へ奥へと向かう。そんな彼らの行く手には、つい先ほどレアリエルが指さした、薄紫色の花の群生地があった。
狂乱状態にある多くの開拓者は、花を踏み荒らすことも厭わずに、その群生地へと逃げ込む。
そして――
「――っ!? ダメです! そこは地面じゃない!」
近づいたことで姿が鮮明になり、その植物の正体を看破した狩夜が悲痛な声を上げる。だが、時すでに遅し。薄紫色の花の群生地に逃げ込んだ開拓者、それらすべての脚が、ドボンという大きな水音と共に、膝のあたりまで埋没してしまった。
【ホテイアオイ】
湖沼や流れの緩やかな川などの水面に浮かんで生育する水草。南アメリカが原産地であり、日本には明治時代に観賞用として持ち込まれた。
非常に繁殖力が強く、栄養豊富な水域であれば、驚くほどの速度で水面を覆い尽くす。その過程で水の流れを滞らせ、水上輸送や漁業に悪影響を与えることから、『世界三大害草』『世界の侵略的外来種ワースト100』にも選定されている。
日本では重点対策外来種に指定されており、大繁殖によって漁業に深刻な打撃を受けたインドでは『美しき青い悪魔』と恐れられ、忌み嫌われた。
そう、この地を流れていた川は、なくなったのではない。このホテイアオイによって水面が覆いつくされ、見えなくなっていただけなのだ。
そして、
「あ、足が!?」
「な、なんだこりゃ! 動けねぇぞ!」
「いてぇ! 葉っぱが足に刺さりやがった!」
顔を大きく歪めながら、川に足を踏み入れた開拓者たちが苦悶の声を上げる。魔物版のホテイアオイが彼らの足にトラバサミの如く絡みつき、動きを封じているのだ。
そして、身動きが取れなくなり、死に体となった者を見逃すほど、
「っひ!」
ツンツン頭の、イワトビペンギンっぽい風の民の男性開拓者が、ボンバルディアビートル・スレイブに背後から跳びつかれ、バランスを崩した。そのまま前へと倒れ込み、両手と両膝までも川のなかにつけてしまう。そして、それらもまたホテイアオイによって拘束されてしまった。
顔まで水につけて拘束されてしまえば溺死は免れない。それだけは避けるべく、風の民は必死になって顔を上に向ける。そんな彼の背中に今なお張り付くボンバルディアビートル・スレイブは、もう諦めろとばかりに、無防備な首へと鋭い顎を突き立てようとした。
そのとき――
「レアちゃん救急救命キィィィイィック!!」
ホテイアオイの群生地。そのわずか上を滑るように平行移動したレアリエルが、ボンバルディアビートル・スレイブに、渾身のドロップキックを炸裂させ、蹴り飛ばした。
風の民の背中から離れたボンバルディアビートル・スレイブは、誰もいない川のさらに奥へと向かい、着水。そこでホテイアオイに拘束された。ほどなくして溺死するだろう。
一方のレアリエルは、ボンバルディアビートル・スレイブと入れ替わる形でその場に取り残された。このまま落下し着水すれば、ホテイアオイによって拘束され、動けなくなる未来が待っている。
だが、そうはならない。なぜならば――
「羽ばたけ、神鳥!」
神鳥の風切羽。レアリエルが纏う魔法防具である。
その能力は空中二段ジャンプ。レアリエルの呼びかけに応じて羽を模した飾り布が力強く羽ばたき、彼女の体を上空へと押し上げ、地面へと向かわせた。
「ツンツン頭の君! 後で絶対助けるから、もうちょっと頑張って!」
「は、はい!」
同胞の危機をすんでのところで救ったレアリエルは着地と同時に駆け出し、次のボンバルディアビートル・スレイブへと向かった。
身動きの取れなくなった新参たちを庇うように動いているのはレアリエルだけではない。熟練の開拓者が率先して前に出て、ボンバルディアビートル・スレイブを相手取る。
「遠征軍後方を狙った先制の大岩といい、追撃の毒霧といい! こいつら、明らかに紅葉たちを川へ追いやるように動いてやがりますな!」
「あらあら。どうやらわたくしたちは、まんまと罠にかかってしまったようですわねぇ」
「ふん! だったらその罠ごと食い破るのみじゃわい!」
どこか余裕のある声色で己が獲物を振るい、次々にボンバルディアビートル・スレイブを屠っていく遠征軍の幹部たち。しかし、強がってはいても、戦況は明らかに劣勢だった。
全体の三割近い開拓者がホテイアオイに拘束され行動不能。背後は川で逃げ場はなく、動けない仲間を守り、足場に気を配りながらの戦闘を強要される。
そして、翼の持たぬものでは手の出しようのないはるか上空では、大きく旋回してから舞い戻ってきたアノトガスターエアレイドが、再び遠征軍の直上に差し掛かろうとしていた。
刻一刻と不利になっていく戦場で、戦況をひっくり返すことのできる制限時間つきの切り札を持つ狩夜は、苦し気な顔で歯を食いしばる。
切り札を使えば『今』は乗り切れる。しかし、その選択が『先』に続くかどうかは、神ならぬ身ではわからない。
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