278・消えた川

「齧剋城攻略遠征軍、前進せよ!」


 各国の要人、支援者たちを交えてそれなりの規模の出立式を行い、総司令たるランティスの演説の終わりに放たれた号令を合図に、齧剋城攻略遠征は始まった。


 今回の遠征に参加した人数は、テイムモンスターを含めて五百名弱。第三次精霊開放遠征とほぼ同等の規模である。


 動き出した遠征軍は、エムルトから真東に向かって進軍。現在地はレッドラインを越えた先に広がる不毛の荒野地帯だ。


 先のギャラルホルン探索遠征でも通った場所であるが、狩夜はそのときとの明確な違いを肌で感じていた。テイムモンスターを含めて三十二名の少数精鋭で押し通った際には、魔物にひっきりなしに襲われ難儀したにも関わらず、今回は襲撃自体がほとんどない。


 魔物は世界樹由来の生物、つまり人間を優先的に攻撃するが、その本質はあくまで生き物である。よって、勝ち目のまったくない戦いを挑むものは少ない。人類が絶叫の開拓地スクリーム・フロンティアで長期間活動するには、魔物が攻撃をためらうほどの質と量を兼ね備えた軍を形成するしかないといわれる所以ゆえんがこれだ。


 遠巻きに遠征軍の様子をうかがっていたカンガルー型の魔物、アサルトエカルタデタが「こりゃダメだ」とばかりにすごすごと退散し、ミーアキャット型の魔物、ミズガルズスリカータの家族が慌てて巣穴に逃げ込む様子が見て取れた。ティルフィングを有するフローグが一人先行し、厄介な遠距離攻撃手段を持つタマオシコガネ型の魔物、マンゴネルビートルを排除して回っているのも大きいだろう。


 以上の理由から、怪我人、及び、物資の損耗は今のところゼロ。遠征軍の進軍は極めて順調と言えた。


「動物が群れる理由がわかるな……」


 人数が十倍以上になるとこうまで違うのかと感じ入りながら、狩夜は小声で呟いた。それに対し、周囲のパーティメンバーや開拓者たちは、なんら反応を示さない。


 自身と狩夜が決して離れないよう、狩夜の体に蔓を幾重にも巻き付けて背中にへばりついているレイラは、マナの節約のため一切動こうとせず、揚羽、レアリエル、カロンの三名は、真剣極まる表情で周囲に目を配り、いかなる状況にも即応できるよう努めていた。


 仲間たちのこの様子に、狩夜は慌てて口をつぐみ、いけないいけない――と、かぶりを振る。


 ここは絶叫の開拓地スクリーム・フロンティア。誰もが認めるこの世の地獄。どれほど順調であっても、一瞬後にはなにが起こるかわからないのだ。


 そして、忘れてはいけない。群れるとは弱者の象徴だということを。この世界には、数の力など一笑に付す圧倒的強者がいることを。


 鰯の群れに飛び込むクジラ。蟻塚を踏み荒らすアリクイ。それさながらの蹂躙劇が、ごく普通に起こりえる。


 そんな理不尽極まる脅威に遠征軍が直面したとき、矢面に立つのが勇者であるレイラであり、その相棒である狩夜なのだ。


 狩夜は、気持ちを新たに黙々と歩き続ける。


 そして、半日ほどの時間が経過し、遠征軍の先頭を歩く紅葉が小高い丘を登りはじめたところで、ランティスが声を張り上げた。


「全員聞いてくれ! この丘を越えれば荒野地帯が終わり、その先には草原地帯が広がっている! そこには流れの緩やかな大きな川が流れているが、決して近づくな! 水生魔物のいないユグドラシル大陸において、マナの豊富な水辺は我々人類に優位な地形であったが、マナが枯渇し、水生魔物ひしめく絶叫の開拓地スクリーム・フロンティアではその逆である! エラもヒレも持たぬ我々が、水生魔物に水中戦で勝てるなどと決して思ってはならない! 水辺は死地と心得よ! 繰り返すが川には決して近づくな!」


『おう!』


 遠征前に、耳にタコができるほど聞かされた注意事項であったが、遠征軍の面々は、真剣な表情と声色でそれに応じた。


 水辺は安全。魔物に襲われたら水に飛び込め。イスミンスールの人類は、物心つく前からそう言い聞かされて育つ。それ故に、戦闘中無意識に水辺を背に戦ったり、危機的状況に陥れば条件反射で水に飛び込む開拓者が多くいるのが実状だ。


 だが、それらは絶叫の開拓地スクリーム・フロンティアにおいて、死に直結する悪手となる。水辺は魔物に有利な地形であり、水中など論外だ。


 水の民が【厄災】によってエラ呼吸を失っている今、人類は水中戦で魔物には決してかなわない。水深が十センチもあれば溺れ死ぬのが、人間という生き物なのだ。


 遠征軍、とりわけ第三次精霊開放遠征に未参加の新参たちが、ランティスの言葉を噛みしめるように顔を強張らせながら歩みを進め、丘を登っていく。


 ほどなくして――


「あれ? フローグさんだ。なにかあったのかな?」


 丘の頂上、つまりは草原地帯の入り口で、マンゴネルビートル排除のため遠征軍を離れていたフローグが、丘の向こう側を真剣に見据えながら佇んでいるのが見えた。


 フローグは、草原地帯でも一人先行し、斥候の任に就くことになっていたので、ここでの合流は予定にない。これはつまり、遠征軍の進路上に、看過できないなにかを見つけたということだ。


 遠征軍がにわかにざわめくなか、ランティスが小走りで軍の先頭へと向かい、紅葉と並びながらフローグへと声をかける。


「フローグ殿、どうかされましたか?」


「べらぼうに強そうな魔物でもいたでやがりますか?」


「ああ二人とも、見てくれ」


 フローグはそう言って顎をしゃくり、ランティスと紅葉に丘の向こうを見るように促す。二人は促されるままに顔を動かし、直後、両の目を見開いた。


 そんな二人に遅れること数秒、狩夜とそのパーティメンバーも丘の頂上に到着し、丘の向こう側へと目を向ける。


 そこには、一面の大草原が広がっていた。エムルトの周囲の草原とは比較にならないほどの規模。この世の地獄とは思えない大パノラマに、狩夜は思わず感嘆の息を漏らした。


「……ふみゅ?」


「……んん?」


 不毛の荒野地帯とは打って変わり、生命力にあふれる草原地帯を前にして、狩夜同様初見となる開拓者の多くが圧倒されたように息を漏らすなか、レアリエルとカロンが困惑の声を上げた。


「川が……」


「ありませんわねぇ……」


 少し遅れてやってきたガリムとアルカナが、信じられないといった様子で呟いた。


 そうなのだ。丘の向こう側には確かに草原地帯が広がっていたのだが、つい先ほどランティスが近づくなと念を押した川が、どこにも見当たらないのである。


「フローグ殿、一週間前の単独先行偵察の際に、ここに川は――」


「確かにあった。第三次精霊開放遠征のときと変わらない姿でな」


 イスミンスールの一週間は九日。つまり、九日足らずという短期間で、この場所を流れていた川が、忽然と姿を消したということになる。


 事前情報では、かなり大きな川という話だったので、それが消えたとなれば、確かに異常事態であった。


「普段このあたりを縄張りにしているミズガルズバッファローや、ランスゲムズボックが見当たらないのも気にかかる。ここは慎重に行動するべきと愚考するが、判断は司令官たるお前次第だ。指示をくれ」


「……では、フローグ殿は今すぐ偵察に出てください。まずは、安全を確保するため我々の目の見える範囲。次に、遠征軍の予定進路上をお願いします。他の者は、フローグ殿が戻るまで、この場にて待機を」


「わかった。いってくる」


 ランティスの指示に一も二もなく頷いたフローグは、ティルフィングの柄を手に取り、鞘を展開。四枚の盾をサーフボード状にしてからその上に飛び乗り、宙を駆けた。


 遠征軍の上空を旋回し、ランティスの指示通り狩夜達の目に見える範囲を偵察するフローグ。そんな彼を見上げながら、狩夜はこの異常事態についての考察を進めた。


 ――周囲に魔物が見当たらないってことは、この辺り一帯が主の縄張りの可能性が高い。川が消えたのもその主の仕業かな? 川を消す生き物ってなに? ビーバーとか? 主化したビーバー型の魔物?


 狩夜がダムを造ることで有名な動物を思い浮かべていると、上空のフローグの動きが変わった。遠征軍の上空を旋回するのをやめ、目的地である齧剋城のある東に向かって飛翔する。


 フローグが遠征軍の周囲は安全と判断したからか、開拓者たちのなかに僅かだが弛緩した空気が流れた。その瞬間、誰とはなしにこんな声が漏れる。


「しっかし、一週間前までここに川が流れていたとは、にわかには信じがてぇなぁ? あのカエル野郎、適当言ってるだけなんじゃねぇか?」


 瞬間、狩夜だけでなく、フローグと懇意にしている開拓者たちの視線が声のした方向へと集中した。


「先生を侮辱しやがったのはどこのどいつだ! 前に出やがれ! ぶっ飛ばしてやる!」


 右拳を胸の前で握りしめながら怒声を爆発させるザッツ。しかし、名乗り出る者はいなかった。名だたる開拓者たちの刺すような視線、不幸にもその延長線上にいた開拓者たちは、自分じゃないとばかりに必死に首を振るばかりである。


「ふん……まあ、しょうがない部分もあるとは思うがのう。誰かは知らんが、口には出さず思うだけにしておけ。たった一人、命がけで地獄へと赴き、貴重な情報を持ち帰ってきた男に言っていい言葉ではない」


絶叫の開拓地スクリーム・フロンティアではなにが起こっても不思議ではありません。認識を改めなさい」


「そうだよ! 確かに川はあったんだ! えっと……そう! あの薄紫色の花がたくさん咲いてるあたりに!」


「……薄紫色の花?」


 フローグを擁護しながら草原の一角を指差すレアリエル。彼女が指し示す場所には、薄紫色の奇麗な花を咲かす、丸く膨らんだ葉柄が特徴的な植物が群生していた。


「あれは――」


「妙じゃな? 確かに川は見えぬが、水の流れる音は――ッ!? 上空に超大型の魔物! 羽音からして虫型!」


 狩夜の言葉を遮るように、揚羽がうさ耳を立てながら警戒の声を上げる。狩夜はいったん考察を切り上げ、視線を上に向けた。


 先ほどまでフローグが旋回していた場所のさらに上。雲すら見下ろす高高度に、四枚二対の大きな翅と、黒と黄色の縞模様をした細長い体が特徴的な虫がいた。


「余は、あの魔物は知らんの。レア、カロン殿、情報を」


「わかんない! ボクも初見!」


「私も知りません! 全員警戒なさい!」


 精霊開放軍幹部であったレアとカロンが初見ということは、誰も知らない可能性が高い。


 だが、異世界人である狩夜だけは、その正体を看破する。


 ――あのシルエットと、色合いからして……


「オニヤンマか!?」

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