274・カロンの苦悩

「姫様、お疲れのところ申し訳ありません。少々よろしいですか?」


 ミーミル王国、王都ミーミスブルン。


 世界三大泉の一つ、ミーミルの泉。その上に建造された、地球でいうところの三つ葉葵――徳川家の家紋のような形状をした水上都市である。


 そんな水上都市の中央に築かれた白亜の城、ヴァーラスキャールヴ城のなかで、黒を基調とした漢服――否、火の民の正装に身を包んだ黒曜石の如き角を持つドラゴニュートが、拱手きょうしゅ(両手を胸の前で組み合わせてお辞儀する、中国の敬礼)をしながら、炎の化身のような女性に声をかけた。


 真紅の髪を後頭部でシニヨンにし、ドラゴニュートの証である紅玉の如き二本の角を眉間から伸ばすその女性の名は、カロン。“爆炎” の二つ名を持つ開拓者であり、火の民の王族に名を連ねる者だ。


 今いる場所が場所なので、カロンは開拓者として活動しているときに着用する竜神衣ではなく、赤を基調とした火の民の正装(女性ものの漢服)をまとっていた。


「あなたですか……」


 声をかけてきた男にとある理由で遺恨を持つカロンは、露骨に嫌な顔をしながら「よくもまあ顔を出せたものですね。恥を知りなさい」とばかりに男を睨みつけた。しかし、男はどこ吹く風といった様子で顔を上げ、拱手を崩し、背筋を伸ばす。


「そのような顔をされても困ります。私はただ、王命に従って動いたまで。私を恨むのは筋違いにございます」


「くぅ……」


「それに、上手くやったようではありませんか」


 男の視線は、カロンの左側頭部で美しく咲き誇る、白に限りなく近い赤い花に向けられていた。


 ブライダルブーケに使われていそうな、気品に溢れたその花は、レイラの体から切り離されたものであり、カロンをパーティメンバーに加えるため、狩夜の手によって挿されたもの。


 そして、この世界、イスミンスールにおいて、未婚の女性の頭に男性が自らの手で花を挿すという行為には『あなたのことを誰よりも愛しています。結婚してください』という意味がある。


「正直、奥手で真面目に過ぎる姫様には荷が重いと思っておりましたが、杞憂でありましたね」


 そう言いながら、かつてカロンに『その体と、あらゆる甘言を用いて、カリヤ・マタギを篭絡し、傀儡とせよ』という王命を伝えた男は下卑た笑みを浮かべた。


 狩夜のことを、色香にあっさりと屈した扱いやすい馬鹿とでも思っているのか。はたまた、目の前の美姫がどのようにして男を誘惑したのか妄想を膨らませているのか。


 しかし、ソレは男の盛大な勘違いである。


 カロンの頭に挿された花は、前述したようにパーティメンバーに加えるためのものであり他意はない。カロンと狩夜の間に男女のあれやこれやの関係はなく、もちろん結婚の約束もしていない。


 そして、カロンは自らの口から王命に関する成果を報告してはいなかった。つまり、嘘をついていない。


 花を頭に挿したまま、堂々と登城する。それだけで、誰もが――それこそ、火の民の王であるカロンの父ですら「よくやった」と満足げに頷いてくれた。そして、カロンの気性を知る者たちは、彼女の胸中を慮り、進捗状況について深く踏み込もうとはしなかった。


 すべてはカロンの計画通りである。


 カロンは、頭に挿された花を口実に時間を稼ぎ、火の民の本懐であるムスペルヘイム大陸の奪還と、火精霊サラマンダーの解放を成し遂げ、先の王命をうやむやにしたいと考えているのだ。


 よって、目の前の男の反応は、カロンにとって望ましいもの――のはずなのだが、カロンはうんざりといった様子でため息を吐く。


 まあ、それも無理からぬことだろう。なにせカロンは、半日もの間、目の前の男と似たり寄ったりの視線と笑みに晒され続けたのだ。


 そもそも、カロンが登城した理由は、きたる第四次精霊開放遠征の協力を国元とまとめるためであり、つい先ほどまで火と地、そして、このミーミル王国を統治する光の民の王も同席した、重要な会議の場に身を置いていたのである。


 直接根掘り葉掘り聞かれたわけではないが、他種族の重鎮からの「うまくやったものだな」という含みのある視線が顔に。そして「どう使ったのやら」という好奇の視線が、いまだ胸と腰にまとわりついている気がする。


 数千年前、【厄災】によって祖国を魔物に奪われた人類は、命からがらユグドラシル大陸へと逃げ込んだ。その際、風と水の民は木の民の。闇の民は月の民の。そして、火と地の民は、光の民の統治下に入り、長い時間をかけて、それぞれの国家を構築した。


 しかし、滅びに瀕していた風、水、闇の民と違い、火と地の民は、自主的に光の民の統治を受け入れたわけではない。


 ミーミルの泉に身を寄せた三つの民。当時、それを統べる王を決めた方法は、決闘だったとされている。各種族の王族から選出された一名によるバトルロイヤルだ。


 その決闘の結果は、今の世界情勢を見れば明白だろう。そう、光の民が勝利した。


【厄災】の呪いにより、火の民はブレスを、地の民は腕力を失ったばかりだったので、なにも失わなかった光の民の代表が有利だった――とか。光の民の代表が、二代目勇者が残した魔法武器を使った――とか。本当に公平な戦いだったのかと、専門家の間で日夜議論がされているが、真実はわからない。


 確かなことは、その決闘の結果、火と地の民は、光の民の統治下に入ることとなり、人間同士で争っている余裕はないという理由から、その上下関係が現代まで続いているということだ


 火の民の王族であるカロンと、今売り出し中の開拓者で国持となった狩夜が結ばれたのは、その上下関係を揺るがすかもしれない大事件――というのもわかるが、不必要に期待されたり、警戒されたりで、その気のないカロンにとってはいい迷惑である。


 まあ、当の会議自体は「ミーミル王国は、全面的に第四次精霊開放遠征を支援する」という結論で終わった。


 腹に一物あろうと、精霊の開放が全人類の至上命題であり、遠征先のミズガルズ大陸が光の民の故郷であるという事実は覆らない。順当な結果である。


 無事に一仕事終えたカロンとしては、今すぐ目の前のいけ好かない男との会話を終わらせて、自室のベッドで横になりたいというのが、嘘偽りない本心であった。


「しかし、帰ってくるのならば、カリヤ・マタギも連れてくればよろしかったものを。揃って王にご挨拶でもすれば、二人の関係をより明確にできましたのに」


「カリヤはカリヤで、遠征の準備で忙しいのです。察しなさい」


「まあ、よいでしょう。ですが姫様、あなた様はまだ、アゲハ・ミツキと肩を並べたにすぎません。カリヤ・マタギの寵愛が、ご自身にのみ注がれるよう、これからも励んでいただきたく存じます。相手はかのフヴェルゲルミル帝国の至宝。手段は択ばず、決して油断なさいませぬように」


「それを言うためだけに私を呼び止めたのですか? あなたにそのようなことを言われる筋合いはありません! 立場をわきまえなさい!」


 流石に頭にきたのか、語気を強めて叱責するカロン。今にも火を吐き出しそうな剣幕に、男は「失礼いたしました」と再び拱手の姿勢をとった。


「私のことより自分たちの仕事をなさい! 会議で使用許可は下りたのです! 遠征当日までにを万全の状態にして、エムルトにまで送り届けるのです! いいですね! いきなさい!」


「御意」


 そう言って男は踵を返し、その場を後にした。カロンもまた、鼻息荒く歩き出す。そして、気持ちを落ち着けるべく、きたる精霊開放遠征と、共に戦う戦友たちに思いを馳せた。


「皆、私は約束を守りましたよ。国の上層部は納得させました。アレを使う以上、次の遠征は不退転だと心得なさい」

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