272・落とし穴
「はあぁ!!」
気合の掛け声と共に、フルプレートメイルで全身の防備を固めた重戦士、ネル・ジャンルオンが、相対するオンブバッタ型の魔物であるジャベリンホッパー目掛け、全力疾走しながら長大な
それに対し、ジャベリンホッパーは回避ではなく、迎撃を選択。死中に活を求めるかのように、バッタ目の発達した後脚で地面を蹴り、ネルに向かって突撃した。
ネルの突撃槍と、ジャベリンホッパーの槍のような頭部が、穂先を僅かに外して激突。エムルト東部の草原地帯に、甲高い金属音と火花が飛んだ。
その一瞬後、ネルとジャベリンホッパーが互いのすぐ右隣りを通過し、立ち位置が入れ替わる。ジャベリンホッパーは体の右側面と右後脚に大きな傷を負い、ネルの方はフルプレートメイルの肩当てが弾け飛ぶ。
「くぅ!?」
「ガー!?」
どこか負傷したのか、鉄兜越しに漏れるネルの苦悶の声。それを聞き取ったパートナーであるテイムモンスター、怪鳥ガーガーのガルルが、主人を助けるべく駆け出そうとした。
しかし――
「きてはいけません! ガルルは後方にて待機!」
「ガ……ガァ……」
ネルが先ほどの苦悶の声を掻き消すかのような大声で、それを制止する。主人からの有無を言わさぬ厳命に、ガルルはその足を止めた。
「おおぉ!」
大声をあげた勢いそのままに、ネルは再び突撃槍を構えてジャベリンホッパーめがけ突撃。対するジャベリンホッパーも体勢を整えようとしたが、先の攻防で右後脚を負傷したためか、僅かにもたついた。
「せあぁ!」
相手が見せた隙を見逃さず、突撃槍を突き出すネル。次の瞬間、ジャベリンホッパーの体に突撃槍が深々と突き刺さり、そのまま貫通した。
だが、ネルの動きは止まらない。
サウザンド級の魔物、特に昆虫型は、体が串刺しにされたくらいでは死なないと、その迷いのない動きで暗に語りながら、ジャベリンホッパーが突き刺さったままの突撃槍を両手持ちして天高く掲げ、そのまま地面へと叩きつけた。
頭から地面へと叩きつけられ、頭部がグシャグシャになったジャベリンホッパーは、それでも小刻みに動き続けていたが、ほどなくして完黙。そのまま息絶えた。
「……勝った? 私一人で、サウザンド級の魔物に勝てた?」
「ああ、見事な戦いぶりだったぞ、ネル女史」
少し離れた場所で戦いを見守っていたネルのパーティメンバー、褐色の肌と銀色の長髪を持ち、魔物の皮で作られた腰巻と、胸当てで武装している木の民が、拍手をしながらネルの健闘と成長を称えた。
彼女の名は、イルティナ・ブラン・ウルズ。
ウルズ王国の第二王女にして、ネルの所属するパーティ『悠久の森』のリーダーを務める、テンサウザンドの開拓者だ。
「おめでとうございます! ネルさん!」
褐色の肌と銀色の髪。そして、イルティナとほぼ同じ服と皮鎧で武装した女性。メナド・ブラン・シノートもまた、心からの称賛をネルに送る。
「姫様、メナドさんも……はい、ありがとうございます」
「それで、どうだ? 『
王族ということもあり、国と同胞からの第四次精霊解放遠征の支援をスムーズに取り付けることに成功したイルティナは、他の主要メンバーに先んじてエムルトに戻り、己を鍛え上げるべく魔物狩りに勤しんでいた。
その過程で、パーティ内で唯一のサウザンドであったネルが、昨晩テンサウザンドに到達。先のジャベリンホッパーとの一騎打ちは、自身の力を試してみたいとネルがイルティナに提案し、実現したものである。
ジャベリンホッパーはサウザンド級の魔物。つまり、ユグドラシル大陸では
それを独力で打倒したとなれば、小躍りの一つでもして喜びを表現しても、なんらおかしくはないのだが――
「ようやく夫と同じ場所に立てた……これが、英傑と呼ばれたあの人が見ていた景色……そう思うと感慨深いですね……」
ネルの反応は、実に淡白なものであった。
“邪龍” ファフニールの前に散った木の民の英傑、ギル・ジャンルオン。今は亡き最愛の夫の姿を探すように、ネルは空を見上げる。そんな彼女に対しどう会話を続けたものかと、イルティナとメナドは眉を八の字にした。
そんなとき――
「ガー……」
後方で待機していたガルルが、トボトボとした足取りで近づいてきた。パートナーの鳴き声で我に返ったネルは、その意気消沈した様子に慌てて駆け寄る。
「ガルル、どうしたのです? 元気がありませんね? どこか具合でも悪いのですか?」
「ガー! ガァー!」
「え? 自分ももうテンサウザンド級だ? 私たちと一緒に戦いたい?」
「ガー!」
ガルルは、今は亡きネルの息子、ジル・ジャンルオンのパートナーであった魔物である。そして、ジルと死別した時点ですでにサウザンド級だった。
ガルルをテイムするまでは一般人だったネルがテンサウザンドとなった今、ガルルもまたテンサウザンド級になっているのは自明である。
ユグドラシル大陸では指折りの戦闘力を持つ魔物、怪鳥ガーガー。それがテンサウザンド級ともなれば、戦力としては申し分ない。魔物を安全に狩る際は、魔物と同ランクの開拓者が三人以上必要の原則に当てはめるなら、ネルより強いも普通にあり得る。
しかし――
「そんなの駄目に決まっているでしょう。あなたは私たちパーティの支柱なのだから」
ネルは取り付く島もない様子でこう言った。ガルルを戦わせる気は毛頭ないらしい。そして、イルティナとメナドも同意見なのか「うんうん」と首を縦に振っている。
ネルが言うように、テイムモンスターはパーティの支柱だ。
テイムモンスターを失った瞬間、人間は白い部屋にいくことができなくなり、自己強化手段を失ってしまう。そして、よほどの理由がない限りパーティは解散となる。ある意味、人間のパーティメンバー以上に替えのきかない存在だ。
先の理由から、開拓者はテイムモンスターをなんとしても守り抜かなければならない訳だが、それ自体は割と簡単である。そう、戦闘に参加させなければいいのだ。
魔物は、世界樹由来の生物、つまり人間を優先的に攻撃する。そして、その原則はテイムモンスターであっても例外ではない。テイムモンスターの方から攻撃を仕掛けない限り、魔物の矛先がそちらに向くことは、基本的にないのだ。
ゆえに、ほとんどの開拓者は、テイムモンスターを失うことを恐れるあまりに、戦闘に参加させていないのが実状である。
「あなたは魔物で、マナによる治療は効かないどころか逆効果。傷を負ったらすぐには治らないのですよ? 戦闘は私たちに任せて、後ろに下がっていればいいのです」
「ガー……」
「そんな顔でそんな声を出しても、だめなものはだめです。ほら、姫様たちのところに戻りますよ」
ネルは、未練がましく抗議の声をあげるガルルにそう言うと、その頭を優しく撫でてから、イルティナとメナドがいる場所へと歩き出した。ガルルもまた、トボトボとした足取りで歩き出し、ネルのすぐ隣を進む。
そして、ネルとガルルが十数歩ほど進んだとき、それは起こった。
――ピシッ!
「え!?」
「ガー!?」
ネルとガルルが立っていた場所のちょうど真下。そこから不穏な音が響いた次の瞬間、突如として地面が崩落し、地の底にまで通じていそうなほどの大穴が口を開けた。
大穴の中心にいたネルとガルルの体もまた、重力に従って落下をはじめ、なす術なく闇のなかへと飲み込まれていく。
「ネル女史!?」
「ネルさん!?」
遠くから聞こえてくるイルティナとメナドの悲痛な声を、ネルは落下感に包まれながら聞いた。
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