271・アルカナの憂鬱な一日 下

 アルカナは弾かれたようにそちらへと顔を向け、足早に食道の出入り口へと向かう。そして、対応している受付嬢、バニーガール姿の闇の民を相手に、顔を横に向けながらしどろもどろになっている狩夜と、その頭上にいるレイラの姿を視界に収めた。


「まぁ、まぁ、まぁ! カリヤさん! わたくしに会いにお店にまできてくださるなんて、感激ですわぁ!」


 アルカナは目を輝かせて足早に狩夜へと近づく。そして、舌なめずりをしながら鼻息を荒げ、今にも狩夜に飛び掛かりそうな受付嬢との間に体を割り込ませ、怒涛の勢いで言葉を続けた。


「ようやくわたくしの想いに応えてくださるのですね!? 今は業務時間外ですが、カリヤさんならいつでもどこでも大歓迎ですわぁ! さあ、さあ! 今すぐお部屋の方に――」


 これも嘘だ。


 精霊解放遠征関連の仕事が立て込んでおり、流石に今日ばかりは都合が悪い。同郷である鹿角紅葉からは「色狂い」と揶揄されるアルカナであるが、人類の今後を左右する仕事よりも私事を優先するようなことはない。


 先の言動は、狩夜に心配をかけまいと普段通りの振る舞いをしつつ、欲望のままに狩夜に襲いかかりレイラに返り討ちにされそうだった同胞を救うためのものだ。


 なので、ここで狩夜が誘いに乗ってくると、非常に困ったことになる。だが、そこは狩夜を信じることにした。アルカナの知る叉鬼狩夜という男がこういう状況でとる行動は――


「だぁあぁぁあぁ! 違いますよ! 僕は開拓者としての仕事できたんです! はいこれ! ご依頼のラビスタンの生け捕り、三匹です! 確認をお願いします!」


 アルカナの期待通り、狩夜は顔を真っ赤にして夢魔の誘惑を拒絶してくれた。そして、両手で抱えていたラビスタンを胸の前で少し掲げて見せる。


 一見ただのラビスタに見えるが、毛皮の色が黄色ではなく白。間違いなくラビスタンである。白目をむきながら動かないが、呼吸はしており、ときたまピクピクと痙攣するので、生きてもいるようだ。


「なぁんだ、お仕事でしたの。残念ですわぁ……無念ですわぁ……あら? でも、なんでカリヤさんがお届けに? 宿泊施設等の建設でお忙しいのでは? 報酬もギルドに預けていたはずですが?」


 内心ほっとしながらも、さも意気消沈した様子でアルカナは小首をかしげる。


 数日前、ここエムルトにも開拓者ギルド職員が派遣され、通常業務が開始された。アルカナは、これ幸いにと『ラビスタンの生け捕り』のクエストを依頼した訳だが、それをまさか狩夜が受け、直接店に届けにくるとは思わなかった。


「建設作業だけじゃ体と勘が鈍るので、毎日少しでも魔物と戦うようにしてるんです。依頼はそのついでですね。それと、これの説明も必要かと思いまして」


 ラビスタンを受付カウンターの上におろした狩夜は、右手でトレッキングパンツのポケットをまさぐった後、アルカナへと差し出す。その手のひらの上には、植物の種と思しきものが三つ乗っていた。


「これは?」


「解毒剤です。今回の生け捕りには、レイラ謹製の麻痺毒を使用しましたので、解毒の際にはこの種を潰して、出てきた汁を飲ませてください。使えばすぐに動き出しますから、気を付けて」


「そのためにわざわざお店まで? これはこれはご丁寧に、心よりお礼申し上げますわぁ。はい、依頼したラビスタンと解毒剤、確かにお受け取りいたしました。では、これでお仕事は終わりということで、少しこちらでご休憩でも――」


「じゃ、僕はこれで! アルカナさん、お互い遠征の準備頑張りましょう!」


 アルカナの更なる誘惑を振り払うように狩夜は叫び、脱兎のごとく駆け出した。店を飛び出すなり人込みに紛れ、あっという間に見えなくなってしまう。


 そんな狩夜を、アルカナは微笑を浮かべて見送った。


「あらあら、残念ですわぁ。今日こそはと思いましたのに」


 これまた嘘だ。


 すぐ後ろで恨みがましい視線を向けてくる受付嬢がいるので口にこそ出さないが、狙い通りの結果である。初対面の受付嬢に対する狩夜の初心な反応からして、同棲している揚羽、カロン、レアリエルともなんら進展はなさそうだ。


 焦る必要はない。勝負はまだまだこれから。自分に言い聞かせるように胸中でそう呟きながら、アルカナはカウンターの上のラビスタンへと手を伸ばす。


「巣穴に飛び込んできた最高の獲物をむざむざ逃がしてしまうなんて……お姉様も案外不甲斐な――」


「なにか言いまして?」


「い、いえ! なんでもありませんお姉様!」


 手を止め、ニッコリと笑うアルカナ。瞬間、受付嬢の顔が盛大に引きつり、両肩が跳ね上がった。


 人の獲物を横取りした挙句、無様に逃げられた――とでも思い憤慨しているのだろうが、とんだ思い違いである。むしろ助けてあげたのだから感謝してほしいくらいだ。


 レイラがいる限り、力ずくでの無理矢理など成功するはずがない。だからこそ、多数の女性が狩夜に思いを寄せているのにもかかわらず今だ進展がなく、膠着状態が続いているのだ。


 受付の担当日で欲求不満なのはわかるし、強くて若くて国持ちの男を手籠めにしたくなるのは闇の民として至極当然のことだとも思うが、あれはさすがに相手が悪い。


 アルカナは、レイラが勇者だとは夢にも思っていないであろう受付嬢に胸中で嘆息した後、ラビスタン三匹を抱え上げて歩き出す。ほどなくして自室へと戻り、抱えていたラビスタンを作業台の上に放り出した。


 三匹のなかから一匹を選び、円形のガラス板の上に仰向けに寝かせ、口を大きく開かせる。そして、解毒剤だという種を右手の人差し指と親指で潰し、出てきた汁を口の中へと垂らして、無理矢理飲み込ませた。


 次にアルカナは、クローシュ(主に西洋料理で用いる、食べ物の温かさや鮮度を保つために皿にかぶせるドーム状の覆い)によく似たガラス製の装置を取り出す。


 その装置には二か所小さい穴が空いており、そこには漆によって絶縁処理された銅線が通っていた。装置内側の銅線の末端には、ハサミのような形状をした電極が取り付けられている。


 このハサミ型の電極をラビスタンの両頬に取りつけ、ラビスタンを閉じ込めるように装置を上からかぶせれば準備は完了。後は解毒剤が効いてラビスタンが動き出すのを待つばかり――


「……チュ?」


「え?」


 アルカナが電極をラビスタンの頬に取りつけようとした、まさにその時、ラビスタンが唐突に鳴き声をあげた。白目をむいていた両目にはいつのまにか光が戻っており、目の前にいるアルカナをまじまじとみつめている。


 アルカナが目を見開き、彼女らしからぬ間の抜けた声を口から漏らした、次の瞬間――


「ヂュウゥゥウゥウゥーーー!!」


「きゃぁあぁぁあぁぁ!?」


 ラビスタンの電撃が、無防備なアルカナを容赦なく襲った。



   ●



「ひ、酷い目に遭いましたわぁ……」


 自室の外の階段手前。げんなりとした様子で、アルカナは壁にもたれかかっていた。


「流石は勇者……レイラさんが作った毒と薬を、自分の物差しで測ってしまったわたくしの落ち度ですわねぇ……」


 使えばすぐに動き出す。解毒剤を渡す際、狩夜は確かにそう言ったが、まさかあそこまでの即効性があるとは思わなかった。


 この手の麻痺毒は、たとえ解毒剤を使っても再び動き出すまでには時間がかかる。そう経験則で決めつけ、時間を有効活用するべく、準備を終える前に解毒剤を使ったのが失敗だった。


 ラビスタンはどうにか撃退したが、部屋のなかは滅茶苦茶である。さて、なにから手をつけたものか――


「お姉様? そんな場所でなにをしているのです?」


 唐突に声をかけられ、アルカナは慌てて壁から離れた。声の出どころに顔を向けてみれば、ティーセットとお茶菓子の乗った木製のトレイを手に、階段の上からアルカナを見下ろしている秘書然とした闇の民の姿あった。


 逡巡は一瞬。次にアルカナが取った行動は――


「いえいえ、なんでもありませんわぁ。お気になさらず」


 優雅に微笑み、平静を装って言葉を返すこと。


 ――弱い所は見せられません。わたくしは、闇の民を代表する英傑なのですから。


 アルカナは、自分が持っていない側の人間だと自覚している。アルカナを特別視し、完璧超人の如く憧れる闇の民は数多くいるが、それは彼女の外面しか見ていない者が抱いた勝手な幻想でしかない。今日のような失敗は日常茶飯事であり、本当の自分を知ったら皆幻滅すると、彼女は本気で思っていた。


 持っていない側の人間がゆえに、彼女は力を内ではなく外に求める。薬、爆薬、銃、そして、多くの科学知識。それらはすべて、足りない部分を必死に補おうとした結果であり、成果なのだ。その成果によって、今彼女は持っている側の人間たちと肩を並べ、ときに頼られる立場にいる。


 “百薬” のアルカナ・ジャガーノート。彼女は大開拓時代に舞い降りたブラックスワン。


 そのありようと立ち居振る舞いは、優雅かつ淫靡。ときに自由奔放にも見えるが、水面下では厳しく自身を律し、人一倍――否、数十倍の努力と準備をしている。


 要するに、実はとっても頑張り屋さんなのだ。

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