266・第七章エピローグ 暗躍する影

「なにをしている!? 今すぐ武器を手放し、魔人から離れろ!!」


「ぐひひ! え、英雄! おおお、おでががぁが、ええぇえいいゆうぅぅううぅぅ!!」


 突如として乱心したパーティメンバーに、ランティスが怒声で命令するが、光の民の男は聞く耳を持たない。二本の魔剣を更にドゥリンへと押し込むべく、両の手に力を込める。


「レイラ! 筋弛緩剤!」


 狩夜からの指示にレイラは即応。先端に棘のついた蔓を右腕から出し、高速で延長させ、男の首筋を一突きした。


 その効果は相も変わらず劇的であり、一瞬後には男の全身から力が抜け、その場へと崩れ落ちていく。だが、それでも男は魔剣から手を離そうとはせず、魔剣に縋りつくようにして座り込み、筋力ではなく体重でドゥリンへと剣を押し込んだ。


「どけい!」


 ガリムは魔剣に縋りつく男を無遠慮に蹴り飛ばし、ドゥリンの顔のすぐ横で膝をつき、その顔を上から覗き込む。


 蹴り飛ばされたことで、ようやく魔剣から手を離した光の民の男が、多くの開拓者によって地面へと押しつけられ、有無を言わさず取り押さえられるなか、レイラは治療用の蔓を出そうとして――やめた。次いで、首を左右に振る。


 ドゥリンの体は、両手両足の指先から徐々に崩れ落ち、灰のようになって消滅しはじめていた。崩れ落ちていく体からは、一切の生気が感じられない。こうなっては、もうなにをしても手遅れなのだろう。


「そんな……」


 レイラでも治療できない。もうドゥリンは助からない。


 突きつけられたその事実に、狩夜は両の手を握り締めながら歯嚙みする。


「ふ……ふふ……素晴らしい……なんという切れ味だ……誰にもわたさない……使わせない……これは……未来永劫……俺だけのもの……だ……」


 自身の胸を貫き、命を啜る二本の魔剣を見つめながら、恍惚の表情を浮かべるドゥリン。すでに両手足を失い、胸のあたりまで消滅した彼に向かって、ガリムが意を決したように問いかける。


「ドゥリンよ、師匠であるわしからの最後の頼みじゃ。お主はどうやって魔人となった? 教えてくれ」


 それは、今日まで衣食住の面倒を見てもらったことに対するせめてもの恩返しか。はたまた、長い師弟関係の間に染みついた条件反射か。ドゥリンは意外なほど素直に、蚊の鳴くような声でこう答える。


「お、女……赤黒い目と髪をした……猟奇的な女……」


 師弟による最後の問答が終わると、肉体の崩壊は頭部にまで達し、その頭部もまた、ほどなくして崩れ落ちる。


 ドゥリンの全身が灰となって消滅し、後に残ったのは、墓標のように地面に突き立てられた二本の魔剣と、魔人と化したドゥリンの核であったであろう、小石大のクリフォダイトだけだ。


 どう見ても人間の――否、生物の死にかたではない。


 ドゥリンが最後に残した言葉は、ソウルポイントで強化された聴覚によって拾われ、この場にいる多くの開拓者が知るところとなり、辺りは一時騒然となる。誰もが近場にいる者と議論を交わし、ドゥリンが言う女が誰であるのかという憶測が飛び交った。


 そして、狩夜もまた思考を巡らせる。


 赤黒いと聞いて真っ先に思い浮かぶのは、濃縮したクリフォダイトである。そして、猟奇的な女と聞いた瞬間に思い浮かんだのは、一瞬で移動し、時間が飛ぶという不可思議な現象に見舞われる直前、勝負を決する斬撃を放つ最中に聞いた、笑い声。


 狩夜の聞き間違えでなければ、あれは――


「女の人の声……だったような……?」


「……(コクコク)」


 独り言のつもりだったが、頭上で相槌があった。


 どうやらレイラもあの笑い声を聞いており、女の声だったというのも同意見であるらしい。


 そして、確信めいた予感が狩夜にはある。


 その女と思しき笑い声の主と、ドゥリンを魔人化した女とやらは、イコールであるはずだ。


 暗躍する影。人間を容易に魔人化し、狩夜はともかく、勇者であるレイラすら手玉に取る得体のしれない敵の出現に、狩夜の背中に冷たいものが走った。



   ●



「あーあ、壊れてしまいましたか」


 エムルトから少し離れた場所、レッドラインの外側である不毛の荒野に点在する高台の一つに、その女はいた。


 ポニーテールにされた赤黒い長髪を持ち、イスミンスールに存在する八種の人類、そのどれとも類似しない紫色の肌をした肢体に、露出が多めで所々が半透明な赤と黒を基調としたドレスと長手袋を纏ったその女は、固まりかけの溶岩のように発光する瞳で、混乱の只中にあるエムルトを見つめている。


「勇者を始末する絶好の機会でしたから、咄嗟の判断で介入しましたけれど、邪魔が入りましたわね……勇者相手に力を使い、仕留め損なったのは痛手ですが……まあ、今回はこれでよしとしましょう。主要な目的である人間の魔人化には成功しましたもの」


 女はここで言葉を区切ると、地面に突き立てられた二本の魔剣を注視する。


「それにしましても、私が力を貸したとはいえ、あそこまで見事に聖獣の角への干渉に成功するとは思いませんでしたわ。クリフォダイトと完全に融合し、もはや分離は不可能。あの風の民といい、地の民といい、人間は稀に予想を遥かに上回る力を発揮するからあなどれませんわね。ただし、こちらは嬉しい誤算。もはやあの剣は、一度抜けば他者を斬り殺すまで鞘に収まることのない呪いの武器。人間には扱えな――い!?」


 突如として女の言葉が途切れ、その体が首を中心にくの字に折れ曲がった。


 何事かと、女が目を見開いて左へと視線を向けると、すでに女の首の半ばまで埋没している剣を両手で握る、世にも奇妙なカエル男と目が合った。


「しぃ!」


 渾身の大跳躍で、高台の頂上まで一息で登ったフローグは、一切の躊躇も慈悲もなく、裂帛の気合と共に剣を振り切り、女の首を切断しようとしたのだが――


「――っ!?」


 突如として、女の姿がフローグの視界から消えた。女の首にめり込んでいたはずの剣は虚空を切り、剣に付着していた血液だけがあたりに飛び散る。


 フローグが、油断なく剣を構え直しながら、女を探すべく視線を巡らせていると――


「やってくれましたわね」


 高台の頂上に立つフローグのさらに上から、不機嫌そうな女の声が降ってきた。


 フローグがそちらに視線を向けると、女が、背中から蝙蝠のような羽を生やし、首から止めどなく血を流しながら宙に浮いていた。闇の民の、どう頑張っても空が飛べそうにない飾り物の羽とは違う、限界まで広げれば、三メートルはありそうな立派なものだ。


 フローグは、女の方へ体ごと向き直る際に周囲を一瞥し、納得したように小さく頷く。


「なるほど。斬撃の直前、口から上空へと吐き出し、時間差で周囲に降り注ぐようにしておいた聖水が、すでに地面へと落ち、俺とお前を濡らしている。そして俺は、その瞬間を知覚していない。ということは、お前のスキルは瞬間移動の類ではなく、時間への干渉。そして止めたのは、俺の体感時間だけだ。加えて、俺を止めている間に殺さなかったところをみるに、二つか三つか、かなり厳しい制約があるとみた。違うか?」


 フローグの指摘に、女は平静を装いながらも僅かに息を飲み、眉を揺らした。どうやら図星を突かれたらしい。そして、この問答の最中でも、フローグは女の観察を怠らない。


 フローグが注視するのは、女の首の傷だ。そこから覗く骨、すなわち脊柱の色が、白ではない。


 赤黒く、鉱石のように輝く骨。そう、濃縮されたクリフォダイトだ。女の脊柱は、カルシウムではなく、クリフォダイトでできている。


 そして、クリフォダイトでできているのが、脊柱だけということはないだろう。おそらく、女の全身の骨格、その全てがクリフォダイトなのだ。


 もし、女の骨格が普通の骨であったのならば、先の奇襲で勝負はついていただろう。世界最強と名高いフローグ・ガルディアスの剣が、無防備だった女の細首一つ、一瞬で断ち切れないわけがない。


 さてどうしたものか――と言いたげに、フローグと女はほぼ同時に目を細めた。


 クリフォダイトの破壊は通常の武器では極めて難しく、不可能といっても過言ではない。となれば、どこを狙うべきか? 首は切れず、脳は頭蓋で覆われ、肺や心臓は肋骨の内側。どれも破壊するのは難しい。


 必殺のはずの一撃が必殺たり得ない状況に、フローグが頭を悩ませるなか、女は速やかに考えをまとめたようだ。己が能力の秘密を知られた以上、生かして返すわけにはいかないとばかり両手を広げ、十指の先から、一メートルほどの赤黒いクリフォダイト製の爪を伸ばし、攻撃態勢を整える。そして――


「――っ!?」


 突然全身を震わせ、肩を跳ね上げた。次いで、弾かれたように遠方のエムルトへと視線を向ける。


 女の視線の先にいたのは――


「……(にたぁ)」


「みつけた」とばかりに凄絶に笑う、当代の勇者の姿。


 女の顔が盛大に引きつった。そして、一瞬の逡巡の後、フローグへと向き直り、意を決したように口を動かす。


「そうですわね……あなたの質問に答える前に、こちらの質問に答えていただけませんか?」


「うん?」


「私が以前、あなたの荷物に忍ばせたダニ二匹。気に入っていただけまして?」


 フローグは目を見開いた。そして、弟子であるザッツの両親が亡くなり、自国の姫であるイルティナが死にかけた、忌まわしき事件の記憶が蘇る。


「貴様か!?」


 突如として明らかとなった事件の真相。そして、目の前に黒幕がいる。フローグは激昂し、その両足が三倍近く膨れ上がった。


 爆発する殺気と同時に、フローグが渾身の力で地面を蹴ろうとした瞬間、女は「きひひ」と猟奇的に笑い、唇の隙間から赤黒い歯を覗かせながら、右手の人差し指をほんの少し上にあげた。


 次の瞬間、膨れ上がったフローグの両足から血しぶきが舞う。


「なに!?」


 驚愕と共に視線を下に向けるフローグ。見れば、植物型と思しき魔物が足に絡まっており、その葉っぱでフローグの両足を貫いていた。


 つい先ほどまでは、絶対にいなかったはずの魔物。そもそもここは不毛の荒野地帯である。あるのは枯れ木と、枯草ぐらいで、生草なんて――


「奴の血か!?」


 剣が虚空を切った際に、周囲に飛び散った女の血。それが、高台の上にあった枯草にかかっていたのだ。


 血液は、骨の中心である骨髄でつくられる。そして、あの女の骨格がクリフォダイトである以上、そこから作られる血液が普通の血液であるはずがない。


 あの女の血液は、クリフォダイトに汚染された水のようなものなのだろう。その血が枯草に力を与え、植物型の魔物へと姿を変えたのだ。


「ちぃ!」


 フローグは、剣を閃かせ足に絡まる植物型の魔物の茎を切断。足に刺さった葉を抜き取り、自由に動けるようになると共に、再び視線を上げるが――


「く……」


 すでに女の姿はどこにもない。そして、相手が空を飛べる以上、今のフローグに追いかける術はない。


 フローグは、悔しさを堪えるように体を震わせながら右足を上げ、先ほどバラバラにした植物型の魔物を踏み潰した。


 その後、気持ちを落ち着けるように深呼吸をしたフローグは天を仰ぎ、決意とともに呟く。


「あの女……斬る」

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