262・魔人

 迫られた刹那の二択。


「ああ……美しい……美しいよ! やはり赤だ! 俺の見立てが正しかった……この剣には赤が相応しい!」


 血に濡れたダーインスレイヴと共に右手に持つ拳大のクリフォダイト、それも、濃縮され赤褐色からほぼ黒となったものを、左手に持つティルフィングに押しつけている魔人。


「うう……」


 うつ伏せに倒れながらも、魔人へと力なく手を伸ばす、血まみれのガリム。


 魔人に攻撃を仕掛け、そのもくろみを挫くか。それとも、瀕死のガリムの救助を最優先に行動するか。


 狩夜が選んだのは――


「ガリムさん!」


 後者だった。


 狩夜は魔人を迂回するように室内を駆け、ガリムの体を両手で抱き上げた。そして、追撃を警戒し、魔人から視線を切らないようバックステップで距離をとる。


「レイラ、壁!」


 この声にレイラは即応し、二枚の葉っぱを閃かせる。狩夜は切断された壁に背中から体当たりし、突き破ってそのまま外へ。


「もっと……もっとだ! もっと美しくなれ! 俺の色に染まるんだ! この剣は俺のものだ! 絶対誰にもわたさない!」


 一方の魔人は、狩夜たちのことなど一切気にせず、恍惚の表情でティルフィングにクリフォダイトを押しつけ続けていた。


 沈むようにティルフィングの中へと消えていくクリフォダイトからは、血管のように脈動する赤いなにかが伸びており、そのなにかは鞘を含めたティルフィング全体へと及んでいる。


 間違いなくよからぬことをしているが、狩夜はそれを歯嚙みしながら見送った。そして、魔人がなにをしてきても対処できるであろう距離まで離れてから、腕の中のガリムを地面へとおろす。


「この傷、ダーインスレイヴか」


 ガリムの左肩から右脇腹へと一直線に走る傷。寒気がするほどの切れ味を感じさせ、ソウルポイントで強化されているにもかかわらず一向に血が止まる気配のないこれは、ダーインスレイヴによってつけられたもので間違いない。


 ダーインスレイヴによってつけられた傷には、不治の呪いが付与される。その呪いを解くことができるのは、世界樹の三女神と、聖獣であるドゥラスロールだけだ。


 しかし、ドゥラスロールを取り込み、その力を我がものとしたレイラならば話は変わる。


「レイラ」


「……(コクコク)」


 狩夜の呼びかけに頷いたレイラは、右腕から治療用の蔓を出し、先端の棘でガリムの首を一突き。その効果は相も変わらず劇的であり、瀕死の重傷だったガリムを瞬く間に回復させた。


 ダーインスレイヴによる不治の呪いも解呪され、傷跡一つ残さず奇麗に消えている。


「――っ!? ドゥリン! あの馬鹿弟子がぁ!」


 治療が終わるなり、ガリムは目を見開き身を起こす。その勢いのまま立ち上がろうとするが、眩暈を起こしたようにふらついた後、片膝をついた。失血のし過ぎで力が入らないのだろう。


 いかにレイラといえど、失った血液まではもとに戻せないのだ。


 狩夜はそんなガリムの体を支えながら、まだ魔人が中にいるスミス・アイアンハートへ顔を向ける。


「ガリムさん、いったいなにがあったんですか? ドゥリンってまさか、あの魔人は……」


「魔人……そうか……やはりあれは魔人なんじゃな……小僧から伝え聞いた【厄災】の特徴から……まさかとは思うたが……」


 ガリムはここで言葉を区切ると、全身を小刻みに振るわせながら右手で顔を覆う。


「あの魔人は……ドゥリンじゃ……間違いない」


「そんな、いったいどうやって魔人に!?」


 人間が魔人になるには、邪気――クリフォダイト動力によって発生する、邪悪の樹の魂を大量に吸収しなければならない。


 だが、稼働できる状態のクリフォダイト動力はここエムルトにはなく、現存する唯一のものは厳重に封印されている。開拓者としても鍛冶師としても、まだまだ無名のドゥリンが手出しできるはずもない。


 【厄災】と呼ばれた男から託された研究成果から推測するに、活性化したクリフォダイトによって汚染された水でも理論上は魔人化できるはずだが、まず不可能だ。世界樹由来の生物にとって、クリフォダイトに汚染された水は極めて有害である。どのような方法であれ大量に摂取すれば、魔物化する前にほぼ確実に命を落とす。


 それに、先ほどティルフィングに押しつけていた赤黒いクリフォダイトも気にかかる。色が変わるほどに濃縮されたクリフォダイトを、ドゥリンはいったいどこで手に入れたのだろう?


「方法は皆目見当がつかん。だが、これだけは確かじゃ……ドゥリンの奴、ティルフィング欲しさに、悪魔に魂を売りおった」


 人の道を踏み外した弟子のおこないを悔やむように、ガリムは何度も何度も右拳で地面を叩く。そして、自身の肩に置かれた狩夜の手を、縋るように掴んだ。


「頼む小僧! ドゥリンの奴を止めてくれ! このままではティルフィングとダーインスレイヴが! 魔王にも確実に通用するであろう武器が魔人の手に――」


「もう遅いですよ……師匠」


 不意に聞こえたドゥリンの声と共に、スミス・アイアンハートの壁と屋根が吹き飛んだ。


 燭台の火が鍛冶に使う可燃物に引火したのか、激しく燃え上がった炎によって、魔人となったドゥリンと二本の剣、そして、宙に浮かぶ四枚の盾の姿が照らし出される。


 ティルフィングの鍔の中心には、クリフォダイトが同化するようにめり込んでいた。刀身は赤みがかった銀となり、柄は真紅に染まっている。柄には見る者の心を鷲掴みにするような美しい装飾が施されていたが、その装飾のことごとくが形を変えたクリフォダイトなのはもはや明白であった。


 先ほど屋根を吹き飛ばした四枚の盾も真紅に染まり、クリフォダイトによる美しい装飾が施されていた。赤い光を放ちながら宙に浮かぶその姿は、鮮血滴る死神の鎌さながらである。


「そんな、ダーインスレイヴまで……」


 ダーインスレイヴの鍔の中心には、ティルフィングと同様、クリフォダイトが同化するようにめり込んでいた。


 漆黒の刀身には血管のような筋が走り、柄はクリフォダイトが金属との共存を拒んだのか、ナッビ手製のものはすでにダーインスレイヴから放逐され、今やそのすべてがクリフォダイトによって形成された赤黒いものになっている。


 刀身も、柄も、まるで生きているかのような、有機的で禍々しい魔剣がそこにあった。


「ナッビ!?」


 狩夜が姿を変えた二本の剣を注視していると、吹き飛んだ壁や屋根の残骸のなかにナッビの姿を見つけたガリムが、悲痛な声を上げた。


 だが、ナッビはガリムの呼びかけに答えない。


 吹き飛んだ勢いそのままに、力無く地面を転がったナッビの頭部は、すでに原型を留めてはいなかった。


「師匠……どうです? 素晴らしいでしょう? 俺は特定の人物しか使えないという……ティルフィングの致命的な欠点を改善してみせました……もう聖獣の魂なんていりません……クリフォダイトの力を使えば……誰でも十全に扱えます……ティルフィングは……青じゃなくて……赤なんですよ……これで認めてくれますよね?」


 かつて兄弟子であったものを一瞥すらせず、ドゥリンは変異したティルフィングを掲げ、宙に浮かぶ四枚の盾を得意げに動かして見せた。


 そして、一歩、また一歩と、狩夜たちがいる場所へと近づいてくる。


「ほら……言ってくださいよ……負けたって……当代随一の鍛冶師は自分じゃなく……俺だって……そのためだけに……生かしておいてあげたんですから……殺すことだってできたんですよ? 兄弟子みたいに」


「ドゥリン、貴様ぁ!」


 激昂したガリムが叫び、ドゥリンはそれを負け犬の遠吠えとでも言いたげな顔で聞き流す。


 そんななか、狩夜はドゥリンの意識が自分に向いていない今がチャンスだと、宙に浮かぶ盾の一枚へ目を向ける。そして、どうにかしてコントロールを奪えないかと意識を集中した。


 だが、盾は狩夜のコントロールを受け付ける気配がまったくない。やはり狩夜とティルフィングの繋がりは、すでに切れてしまったようだ。


 先ほどの「聖獣の魂はいらない」「誰でも十全に扱える」というドゥリンの言葉を信じるなら、おそらくティルフィングを握っている者に、盾の操作権限が――

 

「おい……お前!」


「――っ!」


 ここで、考察に回していた余裕が消し飛んだ。


 狩夜はガリムを支えることをやめて立ち上がると、怒り心頭といった様子で自身を睨みつけるドゥリンの視線と殺気を、真正面から受け止める。


「さっきからなにしてる!? もうティルフィングはお前のものじゃない! 未来永劫俺だけのものだ!」


 ドゥリンはこう叫びながら身を沈め、ティルフィングとダーインスレイヴを構えた。そして、一瞬のための後地面を蹴り、鬼の形相で狩夜へと切りかかる。


「俺とティルフィングの間に割り込もうとするなぁあぁぁぁ!」

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