261・神に祈るか 悪魔に縋るか

――エムルト・深夜――


 ビフレストによって運ばれエムルトに流れ込む水は、まずそれを受け止めるために作られた円形石造りの貯水池へと送られる。


 貯水池の周りには、奇麗な花が咲き誇る同心円状の広場があり、住人と観光客の憩いの場となっているのだが、その一角に、ひときわ目を引く場所があった。


 当代随一の石工職人、イムル・ブロンズリバーが手掛ける、世界樹の三女神を模した女神像の制作現場である。


 貯水池を守護するように、正三角形を描く形に安置される予定の女神像。まだ作りかけで、大雑把に削り出されただけの三体が横一列に並ぶその前に、憔悴しきった様子のドゥリンがひざまずいていた。


「女神よ……俺は……とても罪深い人間です」


 はじまる懺悔。迷える子羊となったドゥリンは、涙を流しながら神に罪を告白する。


「俺は……人ならざるものに……恋をしてしまいました……あの剣を思うと……胸が張り裂けそうになります」


 人気のない広場にドゥリンの声が響く。普段は深夜であっても月の民や闇の民がいることが多いのだが、今夜に限ってはなぜかドゥリン以外に誰もいない。


「叶うことなら……今すぐあの剣をこの手で盗み出し……どこか遠くへと逃げ出したい……そして……自分の色に染めてしまいたい……でも……それはできない……あれは魔王の喉元に届きうる剣だ……それを盗むなど……全人類への裏切り……反逆行為に他ならない」


 ドゥリン・ニッケルキドニー個人の感情と、人類が掲げる至上命題との板挟み。欲望と使命感の狭間で、ドゥリンは苦しみ、揺れていた。


「それに……たとえ全人類を敵に回す覚悟であの剣を盗み……逃げたとしても……俺にはあの剣を使いこなせない……その資格がない」


 そう、ティルフィングを使いこなせるのは、聖獣・ドヴァリンの魂を吸収した者のみだ。つまりは、狩夜、レイラ、揚羽の三人しかいない。


「俺は……あの剣に相応しくない……それはわかっています……今後の人生と人類の未来……なにより……剣の幸せを願うなら……身を引くべきです……それが最善なんです」


 ドゥリンでは、どれほど努力を重ねてもティルフィングの力を十全には引き出せない。半端な使い手に振るわれては剣が泣く。それは、わかる。頭では理解できる。ドゥリンは鍛冶師であるからなおわかる。


「でも……諦めきれない……あの剣が愛しいのです……俺はあの剣に出会うために生まれたのです……あの剣がない生活なんて考えられない……なぜ俺じゃダメなのですか? ああ、羨ましい……妬ましい……口惜しい」


 だが、それで割り切れるのならば苦労はない。すべての人間が理性で感情を御することができるのならば、世にはびこる悲劇はもう少し減るだろう。


「こんなふうに思ってはいけないと……わかっています……なのに……思わずにはいられない……だから神よ……お力を……俺に答えを……進むべき道を……お示しください」


 もはや、自分ではどうしていいかわからない。だから神に願う。縋りつく。いや、もう神でなくてもいい。今の自分に答えを授け、道を示してくれるなら、たとえ相手が悪魔でも――


「その願い。叶えてあげましょう」


「え……?」


 唐突に聞こえた声にドゥリンは顔を上げた。


 涙に塗れた瞳で見つめるのは、眼前の女神像のさらに上。作りかけの写し身とはいえ女神の頭を足蹴にし、不遜にもその上に直立する人影だ。


 そして――



   ●



「兄弟子……」


「おお、ドゥリンか。やっと帰ってきたんか、心配したでぇ」


 スミス・アイアンハート、エムルト支店の鍛冶場。深夜にもかかわらず作業をしていたナッビが、出入り口が開くと共に部屋に響いた声に陽気に答えた。


「聞いたでぇ。なんや、師匠に噛みついたみたいやな? あんま褒められたことやないが、自分は見直したでぇ。普段は覇気のないお前の胸ん中にも、あっつい職人魂があるんやなぁ」


 ナッビは喋りながらも作業の手を止めない。作業台の上に置かれたダーインスレイヴに以前はなかった部分、みずからが手掛けた黒を基調とした柄に、丹念に装飾を施していた。


「まあ、お咎めなしならなによりや。気ぃ落とさんと、これからも一緒に修行頑張ろうやないか」


 鍛冶場へと足を踏み入れたソレは、そんなナッビにゆっくりと近づき、そのすぐ後ろに立つ。


「よっしゃ、待ち人も帰ってきたし、自分も今日はこのぐらいにしとこか。ほれ、見てみぃドゥリン。こっちはもうすぐ完成やで。鞘もこの通りや。明日にでもカリヤはんに――」


 ナッビは、すぐ後ろにいるはずの弟弟子に、この一週間の成果を見てもらおうと、ダーインスレイヴを手に笑顔で振り返る。


 直後――


「誰や、お前?」


 驚愕に染まった顔で、そう呟いた。


 そして、ソレはいつのまにか手にしていた大金槌を、一切の躊躇なく振り下ろす。


 鍛冶場で、なにかが潰れる音がした。



   ●



「師匠……いますか?」


 自室にティルフィングを持ち込み、羽ペン片手にデザインを練っていたガリムは、部屋の外から聞こえた声に手を止める。


「む、ドゥリンか。長い散歩じゃったのう。それで、頭は冷えたか? なら、とっとと寝てしまえ。明日から営業再開じゃ。わしとナッビはまだ手が離せんが、お前と他の弟子たちで――」


「いえ……やっぱり……赤です……ティルフィングには……赤が似合います……だから……師匠にも納得してもらうために……実際に試してみようかと」


「まだ言うか! いい加減に――!」


 弟子の物言いに激昂したガリムが振り返る。そして、先の言葉と共に許可なく部屋に入ってきた、ドゥリンと同じ声をしたソレの姿を直視した。


「ドゥ……リン? お前、その姿は――」


「師匠の……血で」


 直後、ガリムの自室に漆黒の虹が描かれ、鮮血が舞った。



   ●



「――っ!?」


 家の自室で眠っていた狩夜が飛び起きる。枕元で狩夜の寝顔を見守っていたレイラも目を見開いていた。


「なにが起こった!?」


 自身とティルフィングとの間にある目に見えない繋がり。それが、つい先ほど切れた。


 狩夜は胸騒ぎと共に大急ぎで準備を済ませた後、レイラを頭に載せて部屋の引き戸を開け放つ。すると、ちょうど部屋から出てきた寝間着姿の揚羽と遭遇した。持ち前の超聴覚で、狩夜の異変を察知したのだろう。


「どうしたのじゃ旦那様? なにかあったか?」


「揚羽! 皆を起こして! ティルフィングに――スミス・アイアンハートになにかがあった! 僕はレイラと先にいくから、準備を整えてから合流して!」


 狩夜はそう言うと、返事も聞かずに駆け出した。家を飛び出し、跳躍。立ち並ぶ家から家へと飛び移り、最短距離でスミス・アイアンハート、エムルト支店へと向かった。


 そして、ものの数秒で目的地に到着した狩夜は、迷うことなく店へと押し入り、廊下を駆け抜け、その現場に遭遇する。


「――っ!?」


 狩夜は目を見開き、息を飲んだ。


 うつ伏せに倒れる血まみれのガリムはもちろんだが、そのすぐそばで、人に極めて近い形をした異形が、ダーインスレイヴとティルフィングを手に佇んでいたからである。


 一切混じりけのない白一色で、陶器のごとき光沢を帯びた、体毛一本生えていない体。


 ――知ってる!


 白目も黒目もない赤褐色で、鮮血のごとき赤い光を放つ、活性化したクリフォダイトを連想させる眼球。


 ――知ってる!!


 忘れもしない、聖域での死闘。そこで、最後の最後に立ちはだかった強大な壁。


 魔物化した人間。


 すなわち――


「魔人!?」

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