254・聞かなかったことにする

「むぅ……『次領域ミリオン』まではまだ遠いなぁ……」


 ギャラルホルン探索遠征を無事に終えた狩夜は、エムルトの自宅に帰った後に就寝。レイラと共に白い部屋を訪れ、ソウルポイントでの自己強化を行い、今しがたそれを終えたところである。


 現在の狩夜の能力は――


———————————————


叉鬼狩夜  残SP・72286


  基礎能力向上回数・82673回


   『筋力UP・22673回』

   『敏捷UP・30000回』

   『体力UP・20000回』

   『精神UP・10000回』


  習得スキル

   〔ユグドラシル言語〕


獲得合計SP・3417527087


———————————————


 であり、先の宣言通りミリオンへの道のりはまだ遠く、十五億を超えるソウルポイントが必要だ。


 八合目を過ぎてはいるが、そこから先が異様に長い。基礎能力を一つ向上させるために、八万以上のソウルポイントが要求され、テンサウザンド級の魔物を一体倒して、一歩先に進めるかどうかという状況である。


『百里を行く者は九十を半ばとす』とはまさにこのこと。序盤の一歩と終盤の一歩では、その意味合いがまるで違う。


「フローグさんの後に続くには、少し時間がかかりそうだね」


 世界最強の剣士が前人未到の高みに足を踏み入れたことで、開拓者用語で『未到達領域』とされていたミリオンは『次領域』と名を変えた。


 フローグ曰く、ミリオンに到達することではじめて解放されるスキル――ミリオンスキルと呼称――がいくつもあり、壁を破った際の身体能力の向上も、今までの比ではないとのこと。よってその高みは、文字通りの『次領域』だと言える。


 そして当然だが、魔王はその『次領域』に――否、さらに先の場所にいると考えて、まず間違いない。


「よし! 今日も頑張ろ!」


 魔王を打倒し、八体の精霊を解放するため、更なる力を求める狩夜は、決意を新たに白い部屋を後にした。



   ●



「おはよう揚羽。今日は珍しくゆっくりだね」


 目を覚まし、顔を洗って、強化された身体能力を確かめるように軽く運動した後、峰子が用意してくれた懐かしき日本のそれを彷彿させる朝食に狩夜が舌鼓を打っていると、同居中の揚羽が私室から姿を現した。


 日の出と共に目を覚まし、早朝の基礎訓練を欠かさない彼女にしては、かなり遅めの起床である。


「うむ、おはようじゃ旦那様。アイアンハートでの話し合いが随分と長引き、昨晩は床に就くのが遅かったものでの。遠征の疲れもあって、今朝は養生することにしたのじゃ」


 こう説明しながらテーブルを挟んで狩夜の向かいの席に腰かける揚羽。疲れ云々と言う割に彼女の所作に淀みはなく、身だしなみは完璧。絵にも描けないと称される美しさに陰りはない。


 ――僕、昨日この子を振っちゃったんだよな……


 レイラ謹製のプラントオパールがはめ込まれた窓から差し込む朝日を浴びて、新雪の如く儚げに輝く絶世の美女を見つめながら、昨日自身が彼女にしたことを思い出し、狩夜は凄まじい自己嫌悪に苛まれる。


 気を抜けば頭を抱えようとする両手を意志の力でどうにか押さえつけ、朝食を食べ進める狩夜。そして、食べ終えると同時に聞いておかなければならないことを揚羽に尋ねる。


「それで、話し合いの結果は? 今後レイラをどう扱うかは決まった?」


「うん? それはなんの話じゃ? 余や紅葉らがアイアンハートで話し合ったのは、主の討伐を旦那様とレイラに任せたことを不甲斐なく思っての反省に、対策と改善。後は遠征中にフローグが見つけた魔法の装備品の所有権についてじゃ。それ以外のことについてはなにも話しておらぬし、知らんぞ? 旦那様はなにやら勘違いをしておるようじゃな」


 この発言の後、ダイニングには沈黙が訪れた。狩夜は目を丸くして揚羽の顔を凝視し、揚羽は峰子が運んできた自分用の朝食を素知らぬ顔で食べ始める。


 ほどなくして――


「ああ、そういう……」


 合点がいったとばかりに何度も頷きながら、狩夜は沈黙を破った。


 聞かなかったことにする。


 これが、揚羽たち勇者の存在を知った者が下した判断。


 話し合いの場では様々な意見が出たのだろうが、最終的には狩夜と同じく『大開拓時代に特別な誰かは必要ない』と多くの者が考えた。勇者の存在が人心の不一致を招き、むしろ人類の弱体化に繋がるという結論に行き着いた。


 全人類のために。そして、自身が抱く野望のために、勇者の存在は秘匿するが最善。


 だが、知ってしまった以上、上に報告しなければならない立場の者が、今回の遠征メンバーの中には多くいる。揚羽などはその最たる者だ。


 黙秘ではダメ。


 それゆえの忘却である。


 私たちはなにも知らない。聞いていない。ゆえに、話すことはなにもない。


 もしも裏切り者が現れ、勇者の存在が吹聴されたとしても大丈夫。幼生固定された世界樹の種が埋め込まれた聖剣。それを携えた異世界人こそが勇者であるというのが、この世界の人類における共通認識だ。二足歩行の不思議植物が勇者であると触れ回ったところで、証拠がなければ誰も信じはしない。


 事実、ランティスとフローグという、実力と実績を兼ね備えた二人の英傑が、レイラは勇者であると真摯に証言しても、信じようとする者はいなかった。


 レイラが皆の前でその胸を割り開き、世界樹の種を露にするその時までは。


 ――神輿として担がれる心配がなくなって、気はだいぶ楽になったけど、ただでさえ使いづらい布都御種ふつのが、益々使いづらくなったなぁ……


 胸中でこう呟く狩夜であったが、判断を委ねた信頼する者たちがこの道を選んだのだから否はない。


 これからも、レイラが勇者であることは秘匿する。


 それが正しい選択であったかどうかは、今後紡がれていく歴史が証明してくれるだろう。


「そっちはそれでいいとして……遠征中にフローグさんが見つけた魔法の装備品ってなに? 初耳なんだけど?」


「ああそれは――」


「カリヤー! いるー!? 世界一可愛いスーパーアイドルのボクがわざわざ来てあげたんだから、感動に咽び泣きながら今すぐ出迎えなさーい!」


「少年、カロンです。こんな時間に申し訳ありませんが、あなたに折り入って相談したいことがあります。疾くこの扉を開けなさい」


 揚羽の言葉を遮るように、外から聞こえてきたレアリエルとカロンの声。来客に対応するべく慌ててキッチンから出ようとする峰子を、右手を突き出すことで制止し「僕が出るよ」と狩夜は立ち上がり、足早に玄関へと向かった。


 白い部屋での強化を終え、パーティメンバーの証である花を返しに来たのだろうな――と考えながら、狩夜は無警戒に玄関を開け放つ。


 そして――


「ぶふぅ!?」


 レアリエルの姿を視認すると同時に、盛大に噴き出した。


 咳き込むこと数秒、ようやく呼吸を整えた狩夜は、自身の眼前で両手を腰に当て、堂々と仁王立ちしているレアリエルに向けて、顔を赤らめながら大声で叫んだ。


「なにさ!? その胸元が豪快に開いた変形レオタードは!?」

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