248・鉱毒地獄

『――っ!?』


 狩夜の宣言に遠征メンバーの多くが目を見開いて息を飲む中、ランティスは小声で「すまない」と呟き、狩夜の発言が的外れでないことを認める。


 一方の狩夜は、そんな遠征メンバーらを意に介さず、戦いの準備を進めるため、背中に張り付いている相棒に語りかけた。


「レイラ、聖獣との戦いで使った戦闘服出して。それと、厚手の布とでんぷんのり。あと着替えるから、少しの間離れてて」


「……(コクコク)」


 狩夜の呼びかけに応じ、ギャラルホルンに到着した後も沈黙を貫いていたレイラが動いた。


 口を大きく開き “ポン” という小気味の良い音と共に、黒一色のライダースーツのようなものを吐き出す。その後、自身と狩夜とを繋ぐ蔓をほどき、体内へと収納。狩夜の背中から離れ、山肌へと着地した。


 次いで、頭上から生える二枚の葉っぱ、その右側を動かして簡易的な受け皿とした後、左手から百合のような白い花を咲かせ、ティーポットのように傾ける。


 白い花から葉っぱへと零れ落ちるのは、乳白色の液体。その液体は、空気に触れた瞬間粘性を獲得。半固体となり、葉っぱの上で山となった。


 そう、レイラ謹製のでんぷんのりである。


 でんぷんのり。


 主に紙同士を接着する際に用いられる、もっとも一般的な水溶性接着剤。古くは平安時代より利用されており、誰もが一度は利用したことがあるだろう。


 穀物や芋類などの植物からとれるでんぷん質で構成されており、安価で安心安全。食べられることでも有名。


 こうして、一切無駄のない動きで狩夜の要望に応えたレイラは、山肌の上に腰を下ろした後、速やかに節約モードへと移行。両目を閉じ、再び沈黙する。


「さてと」


 狩夜は空中へと吐き出された戦闘服が地面につく前に掴み取り、早速着替えを始めた。


 ――ここでいいか。別に裸になるわけじゃないし。


 そう胸中で呟きながら、ハーフジップシャツとトレッキングパンツを脱ぎ捨て下着姿となり、狩夜はおおよそ四カ月ぶりとなる戦闘服へと手足を通していく。


 この突然の行動に、頬を赤らめる者や、舌なめずりをする者。恥ずかしげに目を反らす者はいても、非難の声を上げる者はいなかった。


 男の着替えに女ほどの価値はない。発展途上の異世界、イスミンスールなら尚更である。この程度のことで不和を起こしていては、命がけの冒険などできはしないのだ。


「に、兄ちゃん!? 一人で戦うってなんだよ!? 俺たちも一緒に戦うぜ! ここまでの道中で見せただろ!? 俺も少しは強くなったんだ! 足手纏いにはならねぇよ!」


 狩夜が半裸なため、女性陣の多くが声をかけあぐねる中、ザッツが胸の高さで右手を握り締めながら叫ぶ。だが、狩夜は即座に首を左右に振り、縋るように反論してくる弟分を突き放した。


「駄目だよザッツ君。強さの問題じゃない。この環境下じゃ、たとえフローグさんでも無理なんだ。最悪の場合、全員が無駄死に。よしんば主との戦いに勝って生き残ったとしても、今後の人生に多大な影響の出る爆弾を抱えることになる」


「環境? 爆弾?」


「それは……あ~、すみませんガリムさん。僕、準備で忙しいんで、代わりに説明してあげてください。にわかの僕より、専門家の方が説得力ありますから」


「うむ、承った。おい、マイオワーンの小僧。お宝を目の前にして緩んだ頭のネジを締め直してよーく聞け。先の話にも出たが、この鉱山は毒性の強い鉱石がわんさか採れる。メタルスケーリーフットどもは、そんな場所で休むことなく、無計画に採掘しとるんじゃ。当然、毒鉱石混じりの粉塵が大量に舞い続ける。そして、それらは総じて空気より重い。ここはすり鉢状の地形じゃ。溜まっとるんじゃよ。人を殺す毒の塵が、奴らの巣穴にはな」


『――っ!?』


 ガリムの説明を聞き、はっとした様子でメタルスケーリーフットの巣穴へと視線を向ける遠征メンバー。


 生きた財宝に目がくらみ、自分たちがどれほど無謀で危険な思考をしていたのかを、全員が余すことなく理解したようである。


「だ、だったらさ、高レベルの〔対異常〕スキル持ちだけでも、兄ちゃんと一緒に――」


「それができんのじゃよ。ほれ、あそこを見てみぃ。石綿いしわたが暴露しとる」


 着替えを終えた狩夜が、背中と両脇腹に穴の開いた戦闘服姿になるのとほぼ同時に、ガリムが巣穴の一角を指差す。


 そこには、大量のメタルスケーリーフットに群がれ齧られる、霜柱の如き鉱石の姿があった。


「あの石は……山の麓にはなかったよな?」


「うむ、石綿は毒ではないからのう。メタルスケーリーフットとしては、巣穴から運び出す理由がない。しかし、あれもまた恐ろしい鉱石なのじゃ」


 石綿。オランダ語ではアスベスト。


 辰砂や雄黄等と並び、地球上で最も危険とされる鉱石の一つ。そして、その危険性は、他の鉱石とは一線を画す。


 先に登場した鉱石は、その化学的性質が毒として作用し、人間の生命活動を脅かす。しかし石綿は、肺の中で機械的な破壊工作を行うことで、人間の健康を害するのだ。


 シリカ、鉄、ナトリウム、酸素で構成された石綿は、小さな繊維状の結晶の固まりである。これが空気中を漂い、肺の中に侵入すると、肺組織に傷をつけ慢性的な炎症を引き起こし、肺癌の誘発要因となるのだ。


 狩夜が先ほど口にした爆弾とは、正にこの石綿による健康被害のことである。


 後に控えるファフニールとの決戦。その戦いでも主力になるであろう遠征メンバーたちに、慢性的な肺の炎症、ましてや肺癌などというハンデを背負わせるわけには、絶対にいかない。


「目に見えん極小の刃で、肺を内側から切り刻まれるようなもんじゃよ。これは物理攻撃じゃからな、〔対異常〕スキルでは防げん。巣穴の空気中には、この石綿が大量に浮遊しとるというわけじゃ」


「……マジかよ」


 専門家からの説明を聞き終えたザッツは、もう反論しようとはしなかった。緩慢な動きでガリムから視線を外し、一歩先に広がるすり鉢状の大地に――つい先ほどまで、この上なく魅力的に見えていたであろう、メタルスケーリーフットの巣穴を凝視する。


「自分からは一切攻撃を仕掛けず……金目の物をこれ見よがしに見せつけながら……毒は持ってませんよ、安全ですよってアピールしといて……全部巣穴に獲物をおびき寄せるための罠じゃねーか!?」


 ガリムの説明と、ザッツの叫びを身震いしながら傾聴し、遠征メンバーは怖気と共に理解した。そして、今日学んだことを死ぬまで忘れまいと、己が脳漿に刻みつける。


 眼前に広がる光景は、決して宝の山なんかじゃない。


 目に映るものはすべて罠。


 主の策謀による必然か。偶然の重なりかはわからない。だが、このすり鉢状の大地は、異形の貝が欲望に目を曇らせた愚者を手ぐすねを引いて待ち受ける、世にも恐ろしい鉱毒地獄である――と。


「全員――特に、遠征初参加者はよく聞いてほしい。最も警戒すべき魔物は、力が強い魔物でも、体が大きい魔物でもない。賢い魔物だ。そして、ここ絶叫の開拓地スクリーム・フロンティアは、我々がよく知るユグドラシル大陸とは環境がまるで違う。その環境が、時に魔物以上の脅威になるということを、心に留めておいてくれ」


 でんぷんのりと布を使い、狩夜が戦闘服に防塵処置を施していく最中、ランティスは言う。


 歴戦の開拓者からの戒め。それを聞いたザッツは、自身の両親を殺し、ティールの村を滅ぼしかけたのも賢い魔物であったことを思い出したのか、顔を俯かせる。だが、直後に響いた兄貴分の声に、すぐさま顔を上げることとなった。


「服の準備はこれでよし。レイラ!」


 遠征メンバーの視線が再び狩夜に集まる中、名前を呼ばれたことでレイラが動く。


 戦闘服の穴という穴と隙間という隙間を、全てでんぷんのりと布で塞いだ狩夜へと蔓を伸ばし、その背中へと張り付く。そして、自身と狩夜とが決して離れないようにしっかりと固定。


 次いで、頭上の葉っぱを変形させて作ったマスクで狩夜の口と鼻を覆ったレイラは、葉柄ようへいを空洞化させ、自身が浄化、精製した空気を狩夜の呼吸器系へと供給し始めた。


 レイラの動きはまだ止まらない。プラントオパールで作った金魚鉢の如きヘッドカバーで狩夜の頭をすっぽり覆った後、ヘッドカバーと戦闘服の接触面から粉塵が入り込まないよう、蔓を幾重にも幾重にも巻きつけた。


『それじゃ、いってきます』


 宇宙服さながらの、完全防塵装備の狩夜が、マスク越しのくぐもった声で告げる。そして「あの鉱毒地獄に足を踏み入れるには、あれほどの準備が必要なのか!?」と誰もが目を見張る中、ガリムが口を動かした。


「小僧、わしだけでも一緒にいってやろうか? わしら地の民は鉱毒に対して高い耐性を有する。むろん石綿にもな。弟子二人は主との戦いでは役に立たんだろうが、わしなら――」


「いえ、ガリム殿たち『大地の系譜』はこの場に残り、戦いの見届け役をお願いします。そして、もしもの時はカリヤ君と勇者レイラの救助を。戦闘が始まり粉塵の量が増せば、我々はこの場で見ていることすらできなくなります」


「むぅ……承知した。もしもの時は任せい」


 ガリムの言葉を途中で遮り、追加の指示を出すランティス。ガリムは不満げな顔をするも異論は挟まず、それを承諾した。


「本当に兄ちゃん一人にいかせるのかよ……」


「この判断には私も思うところはあるさ。でもねザッツ君、ここで仕切り直しても状況は好転しない。主との戦闘に耐えうる防塵装備を今の文明レベルで作ることができると思うかい? 仮にできたとして、それを人数分用意するのにどれほどの時間と費用がかかる? 地の民の開拓者を一から鍛えるにしても同じさ。時間と手間がかかりすぎるよ」


「……ちきしょう」


『いいよ、ザッツ君。ランティスさんの判断はもっともだ。それに、皆のおかげで僕もレイラも万全の状態。今度は僕らが、その頑張りに答えなきゃね。大丈夫、必ず勝ってみせるよ』


「カリヤの兄ちゃん……」


「よし。遺憾ではあるが、我々はここで人員を分割する! 鉱毒に耐性のない者は、この場に残っても戦いの邪魔になるだけだ! 速やかに移動を開始せよ!」


 ランティスの号令に従い、渋々ながら移動を始める遠征メンバー。狩夜とレイラ。そして『大地の系譜』の三人をその場に残し、下山を開始する。


「旦那様、武運を」


「カリヤ! 無理はしないでよね! 勝てないと思ったら逃げる! これ約束だから!」


「レアの言う通りです。勝利よりも、己が身の安全を優先なさい」


 別行動となるパーティメンバーからの激励の言葉に、狩夜は笑顔でガッツポーズを作ることで答える。次いで、メタルスケーリーフットの巣穴へと体ごと向き直った。


 危険極まる鉱毒地獄に単身乗り込み、実力が未知数の主と間もなく戦うことになるというのに、堂々と勝つと明言し、平気で笑って見せた狩夜。そんな彼の背中に向かって、ザッツは羨望の言葉を呟く。


「やっぱカリヤの兄ちゃんはすげぇなぁ……あいて!?」


 突然我が身に走った衝撃に、何事かと下を向くザッツ。彼の視線の先には、脇腹に撃肘を加えるフローグの姿があった。


 叱責の理由がわからないのか、撃たれた脇腹をさすりながら非難の視線を向けるザッツ。そんな弟子を意に介さず、師は無言で右手を上げ、ある一点を指差した。


 ザッツは、無意識にその指を目で辿り――


「あ……」


 あることに気づく。


 ガッツポーズを解き、下ろされた手。


 漆黒の手袋に包まれた、兄貴分と慕う男の手が、小刻みに震えていることに。


「俺は馬鹿だ……」


 悔し気にこう呟き、天を仰ぐザッツ。そして、自己嫌悪をありありと感じさせる声色で、こう言葉を続けた。


「怖くないわけ……ねーじゃねぇか……」

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