243・探知能力
「不束者ですが、よろしくお願いいたします」
「ごめん、揚羽。お友達で」
「余としては、子供は四人ぐらい欲しいのじゃが……旦那様はどう思う? そなたが望むのなら、余は何人でも産んでみせよう」
「ごめん、揚羽。お友達で」
「夢が膨らむのう。その子らは、次代の帝か将軍やもしれぬな」
「ごめん、揚羽。時間切れ。その話は後にしよう。レアとカロンさんも、後でお願いします」
狩夜の身の上話が終わり、気持ちを新たにギャラルホルンに向かう開拓者一行。そんな中、狩夜は頻りに話しかけてくる揚羽に対し、同じ言葉を機械的に繰り返していたのだが、もうそれを続けていられる状況ではなくなった。
――後は任せたぞ、未来の僕! 今の僕は結婚云々の話をしている場合じゃない!
『――っ』
狩夜の言葉に一瞬遅れて皆が表情を引き締める。そして、大気中のマナが薄れ、周囲の空気が文字通り変わった瞬間、誰とはなしにこう呟かれた。
「レッドライン」
草原が終わり、眼前に広がるのは不毛の荒野。その上に引かれた、幅一メートルほどの赤褐色の線。
自然界ではまずありえない、明確なまでの世界の区切りが、目に見える死線が、開拓者たちの視界の端を超え、左右に向かって延々と伸びていた。
「以前よりも広がった気がしますね、レッドライン」
「そうだね。体感でしかないが、私も以前より広がったように思える」
「これもビフレストの力じゃな。まあ、絶えず揮発を続け、膨大な量の海水で薄められた後に届いた水と、水道橋で直接届けられた水とでは、差が出るのは当然じゃが」
絶望の時代以前、旧エムルトを拠点に活動していた頃の記憶を思い起こしながら狩夜が呟き、それにランティスとガリムが同意する。
ここは、世界樹がマナを届けることができる限界地点。レッドラインは、マナが存在する環境でしか生きられない微生物と、マナが存在しない環境でしか生きられない微生物、それら双方の死骸が堆積することで形成される。
レッドラインに沿う形で不毛の荒野が広がるのは、その限界地点が天候や風向き、潮の流れ等により日々微妙に変化。変化の度に、レッドライン付近の土壌微生物が死滅するからである。
「ここから先は、この面子でもちょっかいをかけてくる魔物が出てくるぞ」
フローグから発せられた警告に、ザッツたち『不落の木守』四人と、サウザンドの開拓者たちが生唾を飲んだ。
レッドラインの内側と外側とでは、世界が違う。
レッドラインの内側は、生存競争に敗れ、住処を追われた魔物が、マナによる弱体化を承知で仕方なく生息する弱者の吹き溜まり。一方外側は、生存競争に勝ち残った屈強な魔物たちが跋扈するこの世の地獄。マナが完全に枯渇した世界。真の意味での
生息する魔物は、そのほとんどがテンサウザンド級となり、空気中に気体として存在するマナを呼吸によって体内に取り込むことによる運動能力の低下からも解放され、十全の力で人間に襲いかかってくる。
文字通りの超えてはいけない一線。それがレッドラインだ。
「レッドラインを越えた後は、レイラも不必要には動けなくなるのだろう?」
頭上から背中へと移動した後、全身から蔓を伸ばして、自身と狩夜とが決して離れないよう固定していくレイラを見つめながら、イルティナが問う。
「はい。世界樹の種に貯蔵されたマナを、可能な限り節約しないといけませんから。ですので、能力を無制限に使えるレッドラインの内側にいるうちに、やれることはやっておこうと思います」
「やれること? カリヤ様、それはいったい――」
「レイラ、前方に向かって指向性広域探知」
「……(コクコク)」
メナドが口にした疑問を遮るように出された狩夜からの指示。それに頷いた直後、レイラの体に変化が起こる。
頭から生える二枚の葉っぱ。その葉っぱの裏側に、茶褐色で薄い袋状の物体が無数に出現したのだ。
種でも果実でもないそれの正体は
シダ植物。
維管束植物かつ非種子植物である植物の総称。
シダ植物最大の特徴は、非種子植物という分類が示す通り、種子を形成せず、胞子で増えることだろう。そして、その胞子を生成する器官が、先ほどレイラが出現させた胞子嚢だ。
胞子嚢本体は円盤状であり、側面を厚い細胞壁を持った細胞が囲んでいる。胞子が熟すると乾燥によって縮み、裂けると同時に跳ね飛ばすようにして内部の胞子を放出する。
胞子嚢から放出された胞子の飛距離は、状況に応じてまちまちであるが、陸地から遠く離れた新たな火山島でも、割と早い段階でシダ植物が発見されることから、ときに数千キロにもなることが確認されている。
レイラは、そんな胞子嚢が敷き詰められた二枚の葉っぱを大きく広げ、裏側をレッドライン外側へと向けながら、目を見開いた。
次の瞬間、すべての胞子嚢が一斉に収縮し、内部の胞子を余すことなく弾き飛ばす。
狩夜を避けるようにして発射された夥しい数の胞子群は、一つ一つの大きさが二十~七十マイクロミリメートルほどなため、肉眼での確認こそできないが、確実に前方へと散布され、跳ね飛ばされた際の勢いがあるうちは一直線、扇状に広がっていく。
胞子が広がっていく最中もレイラの動きは止まらない。広げていた葉っぱを脱力させた後、右腕から木製のスナイパーライフルを出現させ――
「……(にたぁ)」
口裂け女のような凄絶な笑みを浮かべると同時に、種子という名の弾丸を躊躇なく発射した。
ミズガルズ大陸西部に甲高い銃声が響く中、レイラはその余韻が消える前に銃口の向きを変え、狙いもそこそこに第二射、第三射と続けざまに発砲。胞子に触れたことで居場所が筒抜けとなった魔物に向けて、次々に弾丸を吐き出していく。
ほどなくして、レイラはスナイパーライフルを引っ込め「終わったよ」と言いたげに背中をペシペシと叩き、先の狙撃での戦果を狩夜へと伝える。
「ロックスコーピオンが五。アサルトエカルタデタが三。マンゴネルビートルが二。ファントムキラークリケットとスカベンジャーコンドルが一ね。おみごと」
「え? それ皆仕留めたの? 今?」
「うん。胞子による広域探知に引っかかって、レイラの射程内、かつ射線が通った魔物だけね。それと、殺してはいないよ。重傷を負わせたうえで、種子に仕込んだ神経毒で体をマヒさせた。相手が遠すぎると、倒してもソウルポイントの回収ができないからね。ギャラルホルンに向かう途中で止めを刺そう」
レアリエルの疑問に「無駄な殺生はしない」と遠回しに答える狩夜。そして、救世の希望たる勇者、その力の一端を目にしたことで興奮したのか、ランティスのパーティメンバーである光の民の男がわなわなと体を震わせる。
「おお、さすがは勇者様だ!
勇ましい言葉と共に、意気揚々とレッドラインに近づいていく光の民の男。そんな彼の肩をランティスが血相を変えて掴み、強引に制止した。
「待て! 早まるな!」
「なぜ止めるのですかリーダー!? 早く先に進まねば、勇者様が切り開いた道に、別の魔物が――」
「カリヤ君。先の広域探知で居場所を把握できたのは、地表と空中にいる魔物まで。そうだろう?」
パーティメンバーの言葉を遮るように狩夜に確認を取るランティス。一方の狩夜は、光の民へと伸ばしかけた右手をおろしながら、安堵した様子でランティスの言葉を肯定した。
「はい、その通りです」
「なら、さっきの狙撃は気休め程度に考えていた方がいいでやがりましょう。この荒野地帯には、地面に穴を掘る魔物が多いでやがりますからな」
「モミジさんの言う通りですわねぇ。ぱっと思いつくだけでも、ロバストアルマジロに、ソードヘッジホック。ミズガルズスリカータに、それから――」
アルカナは、魔物の名前を列挙するのを途中で止め、訝しげな視線をレッドラインの向こう側に――見た目だけはなんの変哲もない地面へと向けた。
狩夜もまた訝しげな視線を地面に向けつつ、隣にいるカロンにこう尋ねる。
「ここにいますかね? あいつら?」
「いるという前提で行動なさい。その方が賢明です」
「レイラには胞子だけじゃなく、普段から使っている花粉を用いた無作為広域探知能力もあるんですけど、どのみち地中や水中はカバーできないんですよねぇ」
脳裏に過るのは、かつて相対した難敵の姿。以前レッドラインを越えた際、レイラが奴らの存在を看破できなかったのはこれが理由である。
「勇者つってもできねーこともあるんだな。となると、別の角度からアプローチできる感知タイプの出番か」
「そういうことだね。というわけで……
ババッ! という効果音がつきそうな動作で揚羽の前を開け、期待の眼差しを向けるザッツと狩夜。そんな二人だけでなく、ほぼすべての遠征メンバーの視線が自身に集中する中、揚羽は苦笑いを浮かべながら簡潔に述べた。
「余は用心棒ではないのじゃがな……おるぞ。数は三じゃな」
「やっぱりいるんだ。まあ、普通に戦っても負けないだろうけど、避けられる消耗は避けとこう。レイラ、やっちゃって」
「……(コクコク)」
狩夜の呼びかけに応じ、早速行動を開始するレイラ。両脚から二本の根を伸ばし、土中へと高速で突き入れる。
際限なく伸び続けるレイラの根が「居場所がわからないなら虱潰しに探せばいいじゃない」とばかりに土中を縦横無尽に疾駆すること十数秒。突然レッドラインの外側の地面が盛り上がり、土中から三つの影が飛び出してくる。
それは、体長一メートルを超える巨大なケラ。そう、グリロタルパスタッバーだ。
テンサウザンド級の魔物の登場に、武器を手に身構える開拓者たち。だが、すぐにそれが無用な行動であったことに気づく。
グリロタルパスタッバーは、全身をレイラの根で拘束されたうえで胸部を貫かれており、すでに事切れる寸前であったのだ。
「三匹の内、二匹は番か。もう少し退治するのが遅かったら、三百匹ぐらい増えてたかも」
狩夜がこう呟く中、レイラは根を操作してグリロタルパスタッバーをレッドラインの内側へと運び、笑顔を浮かべながらランティス、ガリム、アルカナの前へと、ゆっくりと横たえた。
この行動に、レイラの意思を解することのできないランティスたちが首をかしげる中、狩夜は身振り手振り交えながらの通訳をする。
「えっと……『ソウルポイントはあげる。止めをどうぞ』だそうです。『私が動けない間、狩夜をよろしく』とも」
「ふむ……ちっこいのが言わんとしていることはわかったが、お主はいいのか小僧? ソウルポイントは、大開拓時代において最も価値のあるものの一つ。それをわしらに譲ってしもうて?」
聖獣を倒す前の狩夜ならば、ガリムに言われるまでもなくソウルポイントを自分のものとしていただろう。だが、すでに状況は変わっている。
「構いませんよ。僕とレイラだけ強くなっても、ファフニールには勝てませんからね。余裕があるうちはサウザンドの開拓者が多くいるパーティを優先した方がいい。と、僕は思います」
「ランティスさん、ガリムさん。ここはレイラさんのご好意に甘えさせていただきましょう。メンバーの半数以上がサウザンドであるわたくしたちのパーティが力不足なのは、紛れもない事実ですわぁ」
「そうだね。勇者レイラからの施し、ありがたく受け取らせていただく。この借りは、かの “邪龍” との戦いで、必ず」
アルカナに促されたランティスは、礼を述べた後で剣を構え、半死半生のグリロタルパスタッバーに止めを刺した。ガリム、アルカナもそれに続く。
こうして、あったであろう地中からの奇襲を回避し、狩夜たちは何事もなくレッドラインを踏み越え、無傷のまま真なる
ちなみに、頭上から出した肉食花で絶命したグリロタルパスタッバーを豪快に貪り食らい、レイラが皆を「これが勇者か……」とドン引きさせていたことは、言うまでもない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます