252・幸せになる方法
「おうおう。粉塵爆発で吹き飛ばされたメタルスケーリーフットどもが、巣穴へと戻っていきよるわ」
遠征メンバーが鉱毒地獄の主撃破に沸く最中、同様の憂き目にあったガリムが、異形の巻貝を見つめながら呟く。
巣穴の上層にいたメタルスケーリーフットは、粉塵爆発によって天高く舞い上げられ、僅かばかりの空中旅行を楽しんだ後、一様に地面に墜落していた。
持ち前の防御力で爆発と墜落の衝撃に耐え抜いた彼らは、触手を使って態勢を整えると「我々はあそこでしか生きられない」とばかりに、今だ煙が立ち上る巣穴へと帰還していく。
鉱毒地獄最後の罠の生き残りたち。環境という強みを失った生きた財宝を見つめながら、遠征メンバーの多くが武器を構えた。そして、誰ともなしに呟く。
「今なら周囲の環境を気にせず、一網打尽に――」
「迂闊に攻撃しないほうがいいですよ。そいつら身の危険を感じると、心中上等の即死攻撃つかってきますから」
防塵処置が施された戦闘服を、あえて裏返しになるように脱ぎ、毒粉塵まみれの表面が肌に触れないよう着替えつつ、狩夜は注意を促した。
この指摘に「なんて面倒くさい魔物だ!」と言いたげに、遠征メンバーの表情が盛大に歪む。
「それに、あいつらは生かしておいた方がいいんじゃないかなって、僕は思いますけどね。放っておけば、毒鉱石が大量に産出される危険な鉱山で、採掘から精製まで勝手にやってくれるんですよ? 上手く利用した方がお得じゃないです?」
「私もカリヤ君の意見に賛成だ。当初は勇者レイラによる採掘作業を主軸に人の手で――と考えていたが、あの魔物を利用しない手はない。今回のような遠征を定期的に行い、ほど良く育ったメタルスケーリーフットを間引き、鱗を採取するというのが最適解だろう」
「ここを人の手で採掘するのは、ファフニールを倒して光の精霊を解放してからになりそうじゃな。魔物が弱体化すれば、鉱毒に耐性のある地の民の工夫たちを、大量に投入できるからのう」
狩夜に続き、ランティスとガリムの両名がこう口にすると、遠征メンバーらは渋々といった様子で武器を収めた。
生きた財宝に手を伸ばしたい気持ちは誰しもにあるが、それは愚者の選択。金の卵を産むガチョウは、絞めるよりも飼い続ける方が得なのである。
「主と、爆発に巻き込まれて死んだメタルスケーリーフットの死骸はちゃんと回収してあるので、遠征の成果としては十分かと。報酬は当初の予定通り人頭割りでいいですよね?」
『異議なし』
「よし! これより我々はエムルトへ帰還する! レッドラインを越えるその時まで、決して油断するな!」
『はい!』
ランティスの号令に力強く返事を返した遠征メンバーは、速やかに移動を開始した。
一度遠征メンバーが通ったことで、一時的に魔物が少なくなっているルートをそのまま戻り、少なくはないが特筆するような戦闘もなくレッドラインを越えることに成功。誰一人欠けることなく、無事に安全圏へと帰還する。
第一回となるギャラルホルン探索遠征は、こうして幕を――
「そなたが爆発に巻き込まれたときは肝が冷えたぞ。妻をあまり不安にさせるでない。まったく、困った旦那様じゃ」
閉じたりはまったくしなかった。
レッドラインを越え、周囲の警戒をする必要がなくなった揚羽は、狩夜へのアタックを再開。毒粉塵まみれの服という障害はなくなり、狩夜が主と単独戦闘していたときの不安もあってか、狩夜に対して積極的に身を寄せてきた。
レアリエルは、そんな狩夜と揚羽のやり取りを少し離れた場所から剣呑な表情で見つめているし。カロンはカロンで、狩夜に対してなにやら話したげな様子で視線を向けている。
異世界イスミンスールでは求婚の証になるらしい、狩夜から贈られた花を頭に刺す女性が三人。主と単独で戦う方が遥かに気楽な状況に身を置きながら、狩夜は胸中で絶叫した。
――恨むぞ、過去の僕! どうしてこんな厄介事を、今の僕に押しつけた!?
「それで、式はいつにする? 余は別に今日明日でも構わぬぞ?」
「ごめん、揚羽。お友達で」
「むう……」
行き道と変わらず、帰り道でも気のない返事ばかりする狩夜に、徐々に表情を曇らせていく揚羽。そして、終には業を煮やしたのか、目尻を吊り上げながら大声で叫ぶ。
「ええい! つれない返事ばかり何度も何度も! いったいなんなのじゃ! 旦那様は余のことが嫌いなのか!? 余のなにが不満じゃ! ダメなところがあるのなら遠慮なく言うがよい! 絶対に直してみせる――とは言えぬが、努力はしよう!」
「ああもう! なんでこういうときに『好き』か『嫌い』かの二択を迫るかなぁ!? 嫌いなわけないだろ! 好きだよ! 僕、叉鬼狩夜は、今隣にいる美月揚羽が大好きだ! 君に慕ってもらえて嬉しいよ! こんな美人で気立ての良い人と結婚なんて夢のようだね! 小躍りして喜びたい! 男冥利につきるとはこのことさ!」
「そ、そうか……」
声を荒げながらべた褒めされ、なんともいえぬ表情で言葉を詰まらせる揚羽。そんな揚羽に対し、狩夜は心底申し訳なさそうな表情を浮かべ、声量を落とし、次のように言葉を続ける。
「でも、ごめん。嬉しいけど……本当に嬉しいけど、困るんだ。この僥倖に、僕は手を伸ばせない。この夢に、僕は浸っていられない」
嫌ではない。むしろ、凄く嬉しい。
でも、困る。
それが、揚羽の思いに対する狩夜の返答であり、揺るぎようのない結論だった。
「旦那様の身の上話に出てきた、不治の病を患っているという妹御のためか?」
揚羽の確認に、狩夜は大きく首を縦に振る。
叉鬼咲夜。
かつて、心無い言葉で狩夜が傷つけた、最愛の妹。
今も病気と闘う彼女のもとに、レイラという万病を癒す薬を届け、幼き日に犯した罪を清算する。
それこそが、狩夜の目的。
命を懸けるに値するほどの
すべての精霊を解放し、世界樹の完全復活を目指すのは、偏に元の世界に帰るためだ。英雄になりたいわけでも、自分の国が欲しいわけでもない。
休憩と食事、それ以外の時間のすべてを目的達成のために費やす。狩夜はそう心に決めていた。そして、心置きなく元の世界に帰るために、誰とも男女の関係にはなるまいとも。
「この際だからはっきり言っておく。僕はこの世界で、誰とも結ばれるつもりはない。今の僕には、お嫁さんを貰って幸せな生活を送る意思も、資格もないんだ」
『……』
狩夜の断言に、二人の会話に聞き耳を立てていた遠征メンバーがなにか言いたげな表情を浮かべる。そんな中、揚羽は首を左右に振り、皆を代表するかのようにこう反論した。
「旦那様、それは違う。今以上の幸せを目指す権利は、貴人、罪人を問わず誰しもにある。それに……会ったこともない妹御について余が語るのは不愉快かもしれぬが、あえて言わせてもらう。きっと妹御も、旦那様の幸せを願って――」
「そんなことはわかってるよ。妹は、誰に似たのか凄く優しい子でさ、きっと誰よりも僕の幸せを願ってくれてる。自分のために僕が戦ってるって知ったら、妹は間違いなく怒るよ。私のために危ないこと、痛いことをしないでって」
「……」
「だから、これは僕のわがままだ。僕が幸せになるには、まず妹が幸せじゃなきゃならない。それだけ」
フランスの著名な小説家、ジュール・ルナールは言った。
人は、自分が幸福であるだけでは満足しない。 他人が不幸でなければ気がすまないのだ――と。
これは、人間の負の側面であり、一つの真理。
だが、それとは真逆の。自分が幸福でも、他人が――手が届く範囲の人々が、不条理な不幸に見舞われていると、我慢ならないという人間が存在するのも、また事実。
叉鬼狩夜は、圧倒的なまでに後者であった。
今も続く冒険の日々は、そんな狩夜の手が届く範囲が、勇者レイラと心を通わせたことで、劇的に広がったことに起因している。
要するに、狩夜が戦うのは、妹のためであると共に『自分のため』でもあることだ。
自分のためだから止まれない。
今より幸せになりたいから終われない。
目的地にたどり着く。もしくは、ボロボロになり動けなくなるその時まで、叉鬼狩夜はこれからも走り続ける。そして、決して脇道にそれはしない。
――覚悟を決めよう。
こう胸中で呟いた後、狩夜は神妙な面持ちで口を動かした。
「美月揚羽さん。無自覚に求婚し、その気にさせてしまったことについては謝罪します。何度でも、何度でも謝ります。でも、ごめんなさい。僕にはやらなくちゃならないことがあります。あなたと添い遂げることはできません。そして、どうかお願いします。これは、僕のまがまま。妹の――咲夜のせいでとだけは、どうか思わないでください」
ついに紡がれた、明確な拒絶の言葉。
フヴェルゲルミル帝国の至宝が男に振られるという、まずありえない光景を目の当たりにし、周囲の者たちが盛大に息を飲む最中、当の揚羽は――
「そうか。なれば余は、そなたを心変わりさせるべく、できうる限りの努力を、時間が許す限り続けるとしよう」
拒絶の言葉を素直に受け入れつつ不敵に笑い「諦めません。これからもアタックを続けます」と、自信満々に明言した。
「ふえ?」
まったくこたえた様子のない揚羽を凝視しつつ、間の抜けた声を漏らす狩夜。一方の揚羽は小首をかしげ、次のように言葉を続ける。
「なにを呆けておる? 惚れた腫れたは人の自由であろう? そして、相手にも選ぶ権利はある。余が誰かを好けば、相手も余を好いてくれるのか? 誰かが余に惚れたら、余も相手に惚れねばならぬのか? 違うであろうが。余がそなたに求めるのは、政略結婚ではなく自由恋愛。そなたは人として当然の権利を行使し、一人の女を振っただけのこと。なに一つ気に病む必要はない。堂々としておれ」
「……僕、罵詈雑言と共に放たれる平手を甘んじて受けた後、あばらの二、三本圧し折られる覚悟だったんだけど……」
ペシペシ。
――私が止める? 空気読んでくださいレイラさん。
「余は、心底そなたに惚れておる。もう他の相手など考えられないほどにな。そなたが幸せを得るには、まず妹御が幸せにならねばならぬように、余が女の幸せを得るには、もはやそなたと添い遂げる以外にない。故に、何度袖にされようと、余は決して諦めぬ。これは余の権利であり、わがままじゃ。それに、まだ時間は多分にある。そなたが余を好いてくれているとわかっただけで御の字よ。勝負はむしろこれから。友人として、パーティメンバーとして、今後ともよしなに頼むぞ、旦那様?」
「いや、あの、パーティメンバーとしてなら大歓迎なんだけど、周囲に誤解を与えかねないその呼び方を変える気は――」
「それはない!」
「……はぁ。わかった。こちらこそよろしく、揚羽」
「うむ!」
困り笑いを浮かべる狩夜と、振られた直後とは思えぬ朗らかな顔で笑う揚羽。
両者、共に譲らず。
長期戦の様相を呈してきた男女の駆け引き。周囲の者たちが期待と不安にざわつく最中、観察するような視線を向け続けていたレアリエルとカロンが、誰にも――それこそ、超聴覚を有する揚羽にすら聞こえない声量で、こう呟く。
「そっか。なら、ボクにもチャンスはあるよね」
「誰とも結ばれるつもりはない――ですか。なるほど」
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