238・そのころ女性陣は―― 上

「今戻ったぞ」


「おお、ご隠居様! お帰りなさいなのです!」


 家の出入り口が開けられると同時に聞こえてきた声に、弾かれたように椅子から立ち上がる峰子。向き合っていた書類を放り出し、トコトコという擬音が実に合う走り方で玄関に向かい、敬愛する人物の姿を視界に収めた。


 紅玉のように赤い瞳。雪のように白い肌と長い髪。先天性色素欠乏症アルビノである体に、白を基調とした可憐かつ優美な着物を纏っている。


 腰には刀を下げ、頭上には長い耳。武士であり、兎の獣人でもある彼女の名は、美月揚羽。狩夜のパーティメンバーにして、フヴェルゲルミル帝国の元将軍、現ご隠居である。


 もう幾度も目にしているにもかかわらず、フヴェルゲルミル帝国の至宝とも称されるその美貌に、一瞬目を奪われる峰子。次いで気がつく。揚羽の背後に、いくつかの人影があることに。


「お邪魔しやがります」


 短く切りそろえられた若草色の髪と、前髪の生え際から伸びる二本の角。袖なしの白衣、丈の短い膝上袴、太ももまで届く長足袋。それらを起伏の少ない小柄な体に纏う鹿の獣人、鹿角紅葉。


「峰子様、おっひさ~」


 露出過多でミニスカートな白とピンクの忍び装束を着込み、桃色の髪をツインテールにした女性。猪牙忍軍副棟梁、牡丹。


「牡丹! 貴様、峰子様になんという口の利き方だ!」


 肌の露出が極めて少ない黒の忍び装束を着込む、濃紫の髪をショートカットにした女性。猪牙忍軍棟梁、矢萩。


「こんにちは、ミネコさん。カリヤさんの許可、下りまして?」


 アップにまとめられた夜天のように優しい闇色の髪。ぞっとするほどに整った顔は化粧で、匂い立つ色気を放つ肢体は背中が大きく開いたナイトドレスで彩った闇の民の女性。アルカナ・ジャガーノート。


 ハンドレットサウザンド二人に、テンサウザンド三人。自国の最高戦力が集結したかのようなその顔触れに、峰子は目を丸くする。


「帰り道で偶然見かけてな、一緒に夕餉でもと思い連れてきた。突然で悪いが対応を頼む」


「承知したのですぞ。それでご隠居様、三国合同視察団のお相手の方は?」


「そちらは無難に終わらせた。火の民の視察員の一人が、なにやら腹に一物抱えていたようだが、問題はなかろうよ。旦那様は――まだ帰ってきておらぬようじゃな」


「それが、狩夜殿は一度戻られた後、ガリム殿の呼び出しに応じ、スミス・アイアンハートに向かわれたのです。向こうを呼びつけてはどうかと提案したのですが、柄ではないとのことで」


「ふふ、そうか。人を支配できる側に立っても、旦那様の人柄は変わらぬか。そして、夕餉の席に見知った顔が増えて嫌な顔をするような御仁でもない。勝手に進めるとしよう」


 そんなところが好ましいと言わんばかりの笑顔で、家の奥に向けて歩き出す揚羽。それを見送った後、峰子は紅葉たち四人を家の中へと促す。


 揚羽を先頭にリビングの中へ足を踏み入れる六人。すると、峰子はお茶を用意するべくキッチンへと消え、示し合わせていたのか、他の五人は身分の差を気にすることなく同じテーブルにつく。


 直後、牡丹がテーブルの上に上半身を投げ出し、豊満な胸をクッション代わりにしつつ、次のように口を動かした。


「つっかれた~……牡丹、もう動きたくないぃ……矢萩、肩もんで~」


「同席を許されたとはいえ、気を抜きすぎだぞ牡丹! ここは貴様の実家ではないのだぞ! 今すぐに姿勢を正せ! 揚羽様と紅葉様のご前だぞ!」


「いいじゃん、今日は無礼講だって揚羽様も言ってたし。って言うか、最近ほんと頑張り過ぎですよ紅葉さまぁ~。ついていくこっちの身にもなってほしいんですけど――って危な!? ちょっと矢萩、いきなり苦無投げないでほしいし!? 牡丹じゃなかったら死んでたし、今の!?」


「黙れ不忠者が! 我々草は、ただ主の命に従い、淡々と仕事をこなしていればよいのだ! こんな基本中の基本を何度も言わせるな!」


 真面目と不真面目。正反対の性格をした非公式パーティメンバーが、いつものやり取りを披露する中、パーティリーダーの紅葉は、気分を害した風もなくこう答える。


「先の虎野郎強襲の際に、自身の力不足を痛感したでやがりますからな。紅葉は、もっともっと強くならないといけないでやがりますよ」


 ビフレスト建造の最終工程。その真っ只中に、突如として現れたかの者。主化したマーダーティグリスとの死闘は、今だ記憶に新しい。


 その戦いで、紅葉は善戦こそしたものの敗北。負傷し、戦線離脱を余儀なくされた。狩夜とフローグがいなければ、今頃生きてはいないだろう。


 その敗北に奮起した紅葉は、ここエムルトでの猛特訓を敢行。絶叫の開拓地スクリーム・フロンティアにいくことのできなかった絶望の時代での遅れを取り戻す勢いで、屈強な魔物たちを日夜狩り続けている。


 いつまでも、狩夜やフローグの後塵を拝してるわけにはいかない。なにより、眼前にいる武の好敵手には負けられない。


 決意の視線でそう語りながら、紅葉は向かいの席に座る揚羽を見つめる。


「ふふ、なにやら情熱的な視線を感じるのう。どうじゃ紅葉? 茶の湯の後に余と腹ごなしでも?」


「望むところでやがります」


「まったく、このお二人は……年頃の女性がテーブルを囲んで、これからお茶会だというのに、他に話題はありませんの? 服とか、お化粧とか、お菓子とか、恋愛とか、色々とありますでしょうに」


 戦闘狂の気がある二人の横で、アルカナが呆れたようにこう呟く。すると、湯を沸かす空き時間を有効活用しようとでも思ったのか、峰子がキッチンからリビングへと移動。三枚の書類を手に、アルカナへと近づいた。


「アルカナ殿。こちら、エムルトでの酒、薬類の販売。及び、娼館経営の許可証なのです。そちらに貸し出す物件は、場所と建物を吟味しなければならないですので、また後日」


「はい、確かに受け取りましたわぁ。ふふ、ふふふ。同胞たちと協力し、早速準備を進めませんとねぇ」


「しょぉうぅかぁんん? 必要でやがりますかぁ、それぇ?」


 アルカナが大事そうに抱える書類を、害虫を見るような目で見つめながら紅葉が言う。すると「やれやれ、またか」と言いたげに峰子が溜息を吐き、こう言葉を続けた。


「それが必要なのですよ、紅葉殿。それがあるとないとでは、町の治安に目に見えた差が生じるのです。開拓の最前線たるこの町では、ことさらに」


「数字は無情ということじゃな。アルカナよ、旦那様が許可した以上、娼館の経営に関して余がとやかく言うことはないが、防音だけはしっかり頼むぞ?」


「ええ、ええ。もちろん承知しておりますわぁ。峰子さん、木造ではなく、石造りの建物を特注できませんこと? 建築にかかる費用はこちらが持ちますから」


「ねねね、アルカナさん! アルカナさん! 情事の最中に男が漏らした情報、ここでも猪牙忍軍に売ってほしいし! ほら、同郷のよしみってやつ!」


「かまいませんけれど、安売りする気はありませんわよ?」


「う~ん……これもお茶会に相応しい会話とは思えないでやがりますが……」


「ふむ、それもそうですわねぇ……なら、恋バナをいたしましょう!」


「うげ!? 藪蛇でやがりました!」


「アゲハ様? カリヤさんとのご関係、実際にはどこまで進んでいるのです? わたくし、とっっっても興味ありますわぁ? 教えてくださらなぁい?」


 白に限りなく近い青色をした、薔薇に酷似した花。揚羽の左側頭部に刺さる、狩夜のパーティメンバーの証であるそれを見つめながら、アルカナは興奮気味に問いかける。


「「「んな!?」」」


 いくら無礼講とはいえ、フヴェルゲルミル帝国で二番目に偉いと言っても過言ではない揚羽への、あまりに無遠慮な問いに、紅葉、矢萩、峰子の三名は絶句する。


 そして、牡丹だけが興味津々といった様子で目を輝かせる中、揚羽は無言で視線を左右に動かした。そして、意気消沈と言った様子で、消え入りそうな声量でこう告げる。


「いや、これと言ってなにも……」


「まあ!? ご冗談はおよしになってくださいましアゲハ様! わたくし、それなりの覚悟をもってこの質問をしているのです! 求婚の証たる花を受け取っておいて、なにもないだなんて、そんな――」


「し、仕方なかろう! 求婚を受け入れた直後に別離! 再会したらしたで、世間は絶望の時代の只中! 旦那様はビフレストの建造に掛り切りで、逢引きの提案などできる雰囲気ではなかったのじゃ! 満月の夜も何度かあったが、声が外に筒抜けの天幕の中や、森で致すわけにもいかぬじゃろう!?」


 アルカナの追及を遮り、怒涛の勢いで事情を吐露する揚羽。息は荒く、顔は真っ赤。両目にはうっすらと涙が浮かんでいる。


 その様子に、その場にいる誰もが察した。


 ああ、これは……本当に狩夜とはなにもないんだなぁ――と。


 ちなみに、月の民の女性は発情期――つまりは満月の夜以外で男性に体を許すことは、快楽を得るためだけの恥ずべきおこないと考えているため、他種族と違い、いつでも行為に及べるわけではない。


「胸を揉まれたり、押し倒されたこともあるにはあるが、あれらはどれも事故みたいなものじゃし……それに狩夜は……ごにょごにょ……」


「ご隠居様……おいたわしや……」


「じゃが!」


 同情の視線が自身に集まる中、今までの流れを断ち切るかのように揚羽は強く叫んだ。そして、覚悟を感じさせる声色で言葉を紡いでいく。


「ビフレストが完成し、大開拓時代が復活した今、誰に気兼ねする必要もない! 次の満月の夜に、余は旦那様と結ばれてみせようぞ!」


「「「「おお~!」」」」


 揚羽の決意表明に、家の中はやんややんやの大騒ぎ。同胞たちの声援を浴びながら、揚羽はその豊かな胸を張った。その様子を、アルカナが意味深な笑みで見つめている。


 はたして揚羽は、この宣言通り、次の満月の夜に狩夜と結ばれることができるのであろうか?


 その答えは、まだ誰にもわからない。

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