229・野生の天才

 名乗りを終えた後、かの者を真っ直ぐに見据えながら前に出る揚羽。それと全くの同時に紅葉も動く。


 揚羽の右斜め後方から、槍を構え直しつつ激走。刹那の後に、一番槍は譲らないとばかりに揚羽を追い越し、勢いそのままにかの者へと接近。そして、間合いに入るなり渾身の刺突を繰り出す。


 その気迫と殺気はすさまじく、当たりさえすればミリオン級でもただでは済まないであろう威力を、ありありと感じさせた。


 そう、当たりさえすれば――である。


 大振りだ。


 予備動作が見え見えだ。


 威力は凄いが軌道は丸わかり。同格の相手ならば避けるのはたやすく、格上相手ならばカウンターを受け、倍返しにされかねないハイリスクな攻撃。


 そんなものが避けられないとでも思ったか! とでも言いたげに、かの者は顔を歪めながらほんの少し体を横にずらし、紅葉の攻撃範囲外へと離脱。次いで、擦れ違いざまに紅葉の息の根を止めるべく、キルフーフの斧を振りかぶろうとして――やめた。


 紅葉の背後に隠れるようにかの者へと接近した揚羽。かの者の後方へと紅葉が消えていく最中、フォローのために飛び出した彼女が繰り出した無数の斬撃に対処するべく、防御を固めるしかなかったのである。


 先の紅葉の刺突とは対照的な、細かく、早い、堅実な斬撃。


 予備動作がほとんどないその斬撃は、一つ一つの軌道が極めて読みづらく、避けづらい。


 紅葉とも、フローグとも、普段命のやり取りをしている魔物たちとも異質な攻撃に面喰い、かの者は防御で手一杯となる。


 そんな中――


「――っ!?」


 かの者の背後で、紅葉の気迫と殺気が、再度爆発する。


 攻撃をかわされた紅葉が即座に反転。背後からかの者へと突撃し、再び渾身の刺突を繰り出したのだ。


 自分が抜かれたら、周囲の者が危険にさらされるからと、今まではできなかった捨て身の攻撃。


 揚羽がいるからこそできる、後のことを一切考えていない攻撃。


 防御を捨て、紅葉はその身すべてを槍と化す。


 やはり大振りだ。


 予備動作が見え見えだ。


 だが、当たれば――


「でぇりゃぁぁあぁでやがりますぅぅうぅ!!」


 一撃必殺。


「ガァアァアァ!」


 濃密な死の気配が背後から迫る中、かの者は余裕のない様子でキルフーフの斧を一閃。力任せの横薙ぎで揚羽を振り払った後、サイドステップで紅葉の攻撃範囲から離脱。この窮地をやり過ごした。


「まだまだいくでやがりますよ、揚羽!」


 渾身の刺突を二度もかわされたにもかかわらず、紅葉に気落ちした様子は微塵も見られない。耳が聞こえていないことを承知で揚羽に呼び掛けた後、三度目の突撃を仕掛ける。


「背中は任せよ、紅葉!」


 すると、紅葉に呼応するかのように揚羽も口を動かし、同時に駆け出した。


 紅葉の声は届いていない。超聴覚で心音や筋肉の動きを聞き取っての先読みでもない。


 剣と槍の違いはあれど、同じ流派。幼馴染であり、武の好敵手。手の内を知り尽くした者同士だからこそできる意思の疎通。そして連携。


 完璧な連携は、それに参加する者の力を何倍にも引き上げる。


 相手はミリオン級で格上。同級の魔物が相手の場合でも、三倍以上の戦力を用意しなければならない。そんな開拓者のセオリーをぶち壊し、紅葉と揚羽はかの者と渡り合う。


 加えて、この場には単独でかの者と互角に戦えるフローグがいる。戦場を俯瞰して的確な指示を出すランティスが、かの者を包囲し援護する、カロン、ガリム、レアリエル、アルカナといった、歴戦の開拓者たちがいる。


 揚羽が戦線に加わり、攻め手が三枚になった瞬間から、戦況は開拓者側に大きく傾いていた。


「ガァアァアァァアァァァアァ!!」


 劣勢であることを自覚し、咆哮を上げ、自らを鼓舞するかの者。そんな彼を、開拓者たちはありとあらゆる手段で攻め立てた。そして、一時たりとも休ませない。


 剣で、槍で、矢で、放水で。


 油断なく、容赦なく、躊躇なく、慈悲もなく。


 それが卑怯などと思う者は、この場には一人もいない。それこそ、かの者すら思っていない。


 元より絶叫の開拓地スクリーム・フロンティアは、野生の世界とはそういう場所だ。


 勝者が正義。


 生き残った者が絶対にして神聖。


 それが野生の不文律である。


「ガァアァアァ!」


 劣勢の中で、かの者がもがき、苦しむ。


 違う、こうじゃない。これじゃだめだ。そう言いたげな顔で、キルフーフの斧を振り回す。


 そんなかの者目掛けて、もう幾度目とも知れぬ突撃を繰り出す紅葉。馬鹿の一つ憶えのように同じことを繰り返す彼女を、今度こそ仕留めるべく、かの者は態勢を整えた。


 どれほど迫力のある攻撃や、完璧な連携でも、こう短時間に何度も見せられれば慣れてくる。最小の動きで刺突をかわし、揚羽がフォローに入る間もなく首をはねるべく、かの者が紅葉を待ち構える中――


「――っ!?」


 紅葉が、かの者の予想を裏切る動きをした。


 突き出した迦具夜の切っ先を、かの者ではなく、地面へと斜めに突き入れる。


 次いで叫んだ。


「竹籠!」


 瞬間、無数の筍が顔を出し、爆発的に成長。キルフーフの斧から噴き出す暴風をものともせずに格子状に組み上がり、かの者の周囲をドーム状に覆っていく。


 繰り返し繰り返し、入念に刷り込まれ、今回も紅葉は突っ込んでくると信じて疑わなかったかの者の反応は遅く、そのまま籠の中の虎となる。


 出口を探すように、かの者が慌てて周囲を見回す中――


「からの、爆竹!」


 紅葉が、連続で迦具夜の魔力を解放。かの者の周囲を覆っていた格子状の竹たちが、一斉に爆発する。


 一度目の爆竹とは違う、逃げ場のない場所での全方位同時爆撃。かの者は爆風と共に吹き飛ぶことすら許されず、その場で、全身で、爆発を受け止めた。


 キルフーフの斧によって爆煙はすぐに吹き飛び、中から変わり果てた姿のかの者が現れる。全身は爆裂傷でボロボロ。口は半開きで、目は完全に白目をむいていた。


「やったか!?」


 開拓者の一人がこう叫ぶ中、キルフーフの斧から発せられる風が止まる。そして、力が抜けたようにかの者の膝が折れ、そのまま地面に――


「ガ……ガァルアァアァァァアァ!」


 崩れ落ちそうになったのだが、途中で目に光が戻った。崩れかけた体を無理矢理立て直し、両の足で直立。キルフーフの斧による風も復活した。


「なんてタフネス!? いい加減に倒れなさい!」


「確かに凄い。だが、勝負はついた」


 カロンの辟易した声を聞きながら、小さく笑みを浮かべるランティス。直後、かの者に異変が訪れる。


「ガ……!?」


 動かない。いや、動けない。


 かの者の体が、金縛りにあったかのように硬直している。


「影縫い、成功ですわぁ」


 直後、希望峰に響き渡る甘い声。そうアルカナだ。


 彼女の手に握られていた八本の簪はすでに手元になく、その全てが、かの者の影に深々と突き刺さっていた。


 影縫い。


 特注の針を対象の影に突き刺すことで、その動きを強制的に停止させる闇技あんぎ。アルカナの得意技である。


「さっすがお姉様! 頼りになる!」


 かの者が意識を飛ばし、暴風が止まった一瞬の隙をついて針を投擲。八本すべてをかの者の影に命中させたアルカナの技量を、惜しみなく称賛するレアリエル。その直後、ランティスからの力強い指示が飛んだ。


「フローグ殿! 今です! 奴に止めを!」


「わかっている!」


 この言葉と共に地面を蹴り、かの者の首を狙うフローグ。紅葉、揚羽の両名も駆け出した。他の者たちもそれを黙って見守ることなく、聖水と水鉄砲による放水で援護する。


 自身を確殺するであろう斬撃と、マナの溶けた水が多量に降り注ごうとしている中、かの者はどうにかして体を動かそうと全身に力を籠める。しかし、八本もの針を用いた影縫いの拘束力はすさまじく、その体はビクともしない。


 目前に迫る敗北。そして死。


 一直線に近づいてくるフローグを真っ直ぐに見つめながら、かの者が土壇場で取った行動は――


「すぅ……はぁ……」


 心を落ち着け、影縫いの影響下でも唯一動く場所、口を使い、大きく息を吸って、吐くことだった。


 次の瞬間、針が音を立ててかの者の影から弾け飛ぶ。


『な!?』


 開拓者たちが目をむいて愕然とする中、かの者は地を蹴りその場を離脱。降り注ぐ放水を掻い潜りながら、接近するフローグ目掛け、キルフーフの斧を叩きつけた。


 真正面から互いの武器をぶつけ合う、フローグとかの者。


 戦いが始まってから、幾度も幾度も繰り返された光景。しかし、今回のそれは結果が違った。


「ガァルア!」


「ぐ……!?」


 キルフーフの斧がグラディウスを弾き飛ばし、鍔迫り合いを許すことなくフローグを押し返す。


 かの者の力が、明らかに増していた。


「馬鹿な!? どうして急に強くなった!?」


「あの呼吸!? それに、関節の曲げ方と筋肉の縮め方は!?」


「紅葉たち月読命流のそれを、見様見真似で再現したでやがりますか!? この短時間で!」


 ランティスの疑問に答えるように、揚羽と紅葉が信じられないとばかりに声を上げる。


 人のそれと、虎のそれでは体のつくりが違いすぎて、ほとんど別物であったが、揚羽と紅葉は、かの者の動きの中に、確かに自流派の色を見た。


 そう、先ほどかの者がおこなったのは、紅葉と揚羽が日常的に使用している特殊な呼吸法。そして、体の動かし方の再現に他ならない。


 かの者は、周囲にいる多くの開拓者の中で、特に洗練され、無駄のない動きをする紅葉と揚羽に着目。更なる力を得るために、自分にも同じことができないかと考えた。


 かの者のセンスならば、そのまま模倣するのは簡単だった。だが、どうにもしっくりこない。


 前述したように、たとえ月の民――獣人であったとしても、人間のそれと虎のそれでは体のつくりが違いすぎて、使い物にならなかったのである。


 だが、かの者は諦めなかった。


 違う、こうじゃない。これじゃだめだ。と、戦いの中で実践し続け、少しづつ、少しづつ、自分用に最適化していったのだ。


 それが終わったのがついさっき。


 死を目前にし、追い詰められたことで、天賦の才が爆発。新たな武器を手にし、かの者は更なる高みへと飛躍した。


「おのれ! 余の耳がまともならば、事前に気づけたものを!」


 揚羽が悔し気に叫ぶ中、押し返されたフローグが着地と同時に最短で体勢を立て直し、野生の天才へと切りかかる。


 相手が強くなろうと、俺のやるべきことは変わらない。


 そう表情で語りながら繰り出された斬撃が、キルフーフの斧によって防がれた。


 その、次の瞬間――


「――っ!!」


 フローグのグラディウスがついに限界を迎え、音を立てて砕け散った。

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