228・主人公と勇者のいない戦場

「ホーリーウォーターアタッーク!!」


 足の速さを生かし、いち早くかの者の背後を取ったレアリエルが、割れやすく加工された瓢箪を、不意打ちにそぐわない大声を出しながら、無駄の多い動作で投擲した。


 アイドルとして鍛えに鍛えられたレアリエルのよく通る声と、隠す気の一切ない無駄に大きな存在感に、一瞬、だが確実に、かの者の意識が背後へと向けられる。


 直後、レアリエルの存在感に自らの気配を紛れ込ませたカロンとガリムが、無言かつ最小の動作で、かの者の左右から瓢箪を投擲した。


 瓢箪の中身はすべて聖水。魔物を著しく弱体化させる劇物が背後と左右から迫る中、かの者は視線を前方に固定することを余儀なくされる。正面にいるフローグが、かの者がレアリエルへと意識を向けた一瞬の隙をつき、両足を膨張させながら、剣を構え直していたからだ。


 迎撃の準備を万端整えて、かの者の動きを注視するフローグ。そんな彼の背後には、水鉄砲を構えるザッツたち『不落の木守』の姿があった。


 聖水入りの瓢箪を避けるために前に出れば、フローグと真正面から切り結ぶこととなり、その最中に放水を浴びる。跳躍し、上に逃げても同様。直近の危機を避けることはできるだろうが、その後に待っているのは、機敏に動けない空中で一斉放水を浴びるという未来だ。


「ガァ!」


 そんな状況下でかの者が取った行動は、左腕を振り上げ、戦斧――キルフーフの斧を、天高く掲げることであった。


 直後、かの者と外界とを遮断する小さな竜巻が発生。投擲された三つの瓢箪すべてを弾き飛ばす。


 突如発生した風の防壁を前にして、水鉄砲を構えていたすべての開拓者が目を見開いて動きを止め、フローグすらも攻めあぐねる中、紅葉が動いた。迦具夜の切っ先を地面へと向け、そのまま突き立てたのである。


 次いで叫んだ。


竹殺物語たけとりものがたり!」


 使い手の声に反応し、霊槍・迦具夜が、その内に秘めた魔力を解放。迦具夜が突き刺さった場所から、地下茎が土中を突き進むかの如く光が走り、竜巻の内側へと向かう。


 次の瞬間、満月の如き光円が竜巻の真下に形成され、その中から迦具夜と同じ輝きを放つ無数の筍が顔を出し、爆発的に成長。内側から竜巻を突き破った。


 竜巻が霧散すると同時に、開拓者たちが月光を放つ竹林へと水鉄砲を構える。が、かの者の姿が見当たらない。皆が視線をさ迷わせる中、誰かが叫ぶ。「上だ!」と。


 そう、かの者は上にいた。立派に成長した竹、その横枝に足を乗せながら、開拓者たちを――否、紅葉を見下ろしている。


 かつて痛撃を受けた魔法攻撃を、無傷でやり過ごしたかの者は「同じ手は食わん」とばかりに得意げに顔を歪めた。一方の紅葉は、幼さが色濃く残るその顔を獰猛に歪め、次のように呟く。


爆竹ばくちく


 再度魔力を解き放つ迦具夜。直後、月光を放つ竹が一斉に爆発する。


「ガ……!?」


 爆心地にいたがゆえに、為す術もなく爆発に巻き込まれ、竹林から放物線を描くように投げ出されるかの者。ここで、フローグが貯めに貯めた両足の力を解放し、かの者の着地を待つことなく強襲した。


「っしぃ!」


 裂帛の気合と共に、全体重を乗せた上段切りを繰り出すフローグ。テンサウザンド級の魔物すら瞬殺するであろう膂力と速度を備えた斬撃が迫る中、かの者は空中で体勢を立て直し、キルフーフの斧で迎え撃つ。


 甲高い金属音が再び希望峰に響く中、ミシリ――と、不吉な音と手応えが、剣を握るフローグに届いた。


 武器の限界が近い事を示す不協和音。だが、フローグは何食わぬ顔でかの者と空中で切り結んだ。そして、ミリオン同士による空中での攻防が続く最中、周囲の開拓者からの一斉放水が、フローグとかの者を襲う。


 マナを含んだ水が大量に迫りくる中、カエルの顔になんとやらだとばかりに剣を振り続けようとするフローグ。一方かの者は、血相を変えてキルフーフの斧を発動。再度竜巻を発生させ、風の防壁でフローグもろとも水を吹き飛ばすことで難を逃れた。


「本当に厄介ですわねぇ、あの斧。風の壁に阻まれて、主に水を浴びせかけることができませんわぁ」


【厄災】から数千年。レベル、スキル、魔法を失った人類を、魔物から守り続けた鉄板の防衛手段、マナの溶けた水による放水。それが通用しない相手を目の当たりにし、アルカナが辟易した様子で呟いた。


 そして、それを聞き取ったランティスが、次のように口を動かす。


「だが、これでいい。こうも魔力を放出し続けて、長続きするはずがないのだから」


 異世界であろうと、無から有は生まれない。紅葉の迦具夜が能力を使用する際に月光を消費するように、キルフーフの斧もまた、風を生み出す際になにかを消費しているはずなのだ。このまま無計画に風を出し続ければ、遠からず風の勢いは弱まるはず。


「風が弱まれば、主は放水と大気中のマナによる弱体化を避けることができなくなり、わたくしたちに有利ということですわねぇ」


「そうだ。だが、ミリオン級の魔物との長期戦はできれば避けたい。この戦いを早期に終わらせるには、アルカナ。君の働きにかかっているよ」


「ええ、ええ。もちろん承知しておりますわぁ」


 アルカナはこう答えた後、アップにまとめていた髪から引き抜いた簪、計八本を、両手の指と指の間に挟みながら、その両目を怪しく光らせた。


「ガァアァアァ!」


 ランティスとアルカナが話をしている最中も、かの者との戦いは続く。フローグが竜巻で弾き飛ばされたことで、一時的に戦線を離脱。唯一かの者と互角に渡り合えるフローグがいなくなり、開拓者たちに緊張が走った。


 テンサウザンド以下の開拓者がかの者の攻撃対象になれば、一撃で絶命しかねない。それを避けるべく、標的を見失い、仕方なく手近な相手に噛みつこうとしたかの者の前に、紅葉が立ち塞がった。


「紅葉がいることを忘れんじゃねぇでやがりますよ!」


 相手の方が格上と承知で、臆することなく自分から挑みかかる紅葉。


 迦具夜を手に必死に食い下がるが、一合、二合、三合と打ち合う度に、じりじりと後退し、徐々に態勢が崩れていく。そして、後一合か二合で、紅葉が痛撃を受けるというギリギリのタイミングで、フローグが戦線に復帰した。背後からかの者へと切りかかる。


 仕方なく紅葉への攻撃を切り上げ、フローグの斬撃を対処するかの者。ここで紅葉が痺れの残る体に鞭を撃って攻撃に転じようとするのだが、横薙ぎに振るわれた尻尾で脇腹を殴打され、容易くあしらわれてしまった。


 これでは、先の攻防のほぼ焼きまわしである。


 ――フローグ、紅葉以外に、攻め手がもう一枚ほしい。


 誰もがそう思い、ないものねだりをした次の瞬間、不意に、一匹の可憐な蝶が、かの者の間合いへと舞い込んだ。


 そう、揚羽である。


 超聴覚を有するがゆえに、初手で他者よりも大きな被害を被った揚羽が、ようやく〔咆哮ハウル〕スキルの効果から脱し、刀を手にかの者へと切りかかったのだ。


『――っ!?』


 この予期せぬ行動に、誰もが目を疑い、盛大に息を飲む。


 開拓者として無名。今回が事実上の初陣である揚羽が、ミリオン級の魔物に切りかかるなど、無謀を通り越して自殺行為に等しい。たとえ、月読命流剣術免許皆伝の達人であろうとも、だ。


「ダメだよアゲハちゃん!? フローグさんの言葉と、ランティス君の指示を聞いてなかったの!?」


「いや、たぶんなにも聞こえとらんぞあれはぁ!」


 そう、ガリムが言うように、今の揚羽には誰の声も届いていない。


 鼓膜が破れた上に、耳穴が血液で塞がれてしまった。今の揚羽に聞こえている音があるとすれば、耳鳴り以外にないだろう。


 超聴覚という最大の長所を失ってなお、躊躇なく虎口に飛び込んでみせた兎に対し、かの者は容赦なく後ろ回し蹴りを見舞った。その風切り音は凄まじく、並の人間ならば、かすっただけでも肉塊に姿を変えるだろう。


 一瞬後に揚羽が惨殺される未来を、誰もが幻視する。そんな中――


「待ちくたびれたでやがりますよ、揚羽!」


 幼馴染であり、武の好敵手である紅葉が、笑みと共に叫ぶ。


 直後、揚羽はかの者の放った回し蹴りを紙一重で掻い潜り、擦れ違いざまに刀を一閃。寒気がするほどに美しい斬撃で、かの者の体に小さくない傷を負わせた後、危なげなく間合いから離脱した。


「――っ!?」


 フローグに対処しつつ、紅葉にも意識を割きながらの、片手間のような攻撃であったが、かわされた上に手痛い反撃を受けるとは思っていなかったのか、傷の痛みも忘れて絶句するかの者。一方の揚羽は、油断なく刀を構え直し、かの者へと向き直る。


「ほう……」


「今の動きは、まさか……」


 揚羽の見せた動きに、フローグが感心したように声を漏らし、ランティスが驚嘆の言葉を紡ぐ。


 それもそのはず。先の動きは、常人どころか、テンサウザンドの開拓者であっても、できるものではない。


 揚羽は、狩夜と別れた後も、パーティメンバーの証である花を肌身離さず身につけていた。そして、世界樹の種を内包したレイラが用意したパーティメンバーの証は、やはり特別である。


 他の魔物では不可能な距離でもソウルポイントの供給を続け、揚羽を白い部屋へと誘い続けた。


 そして、パーティメンバーに供給されるソウルポイントの量は、パーティリーダーと同量である。頭割りされるようなこともなく、パーティメンバーの人数が一人でも、十人でも変わらない。


 つまり、揚羽は手にしていたのだ。


 別れた後も、狩夜が稼いだのと同量のソウルポイントを。


 聖獣。そして、【厄災】と呼ばれた男がこの世に残した、三十億ものソウルポイントを。


 そう、美月揚羽は、開拓者として無名でありながら、すでに『最高峰ハンドレットサウザンド』であり、狩夜と同じく『未到達領域ミリオン』への高み、その八合目に足を踏み入れている。


 加えて、彼女は天才でありながら努力家だった。


 花を通して送られてくる、愛する者の努力の成果を、ただ漫然と享受することを決してよしとはせず、それを真の意味で自分のものにするべく、日夜努力を続けた。毎日剣を振り続け、身体能力が上昇する度に発生する僅かな技のずれを、最適の状態に修正し続けた。


 その結果、揚羽はハンドレットサウザンドの身体能力に振り回されることなく、その力と、月読命流剣術の技を、いつでも十全に使いこなすことができるようになっている。


「叉鬼狩夜の一党にして、月読命流剣術皆伝、美月揚羽……推して参る」


 人知れず数多の開拓者をごぼう抜きし、フローグ次ぎ、狩夜に並ぶ位置に躍り出た月下の武士が、威風堂々と名乗りを上げた。

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