227・見解の相違

「これで、岩礁地帯で作業していた人は全員避難できた!」


 暴風吹き荒れる中、水上橋と岩礁地帯を往復すること数十回。目に見える範囲にいた工夫たち全員を暴風域の外へと運び終えた狩夜は、安堵の声を上げた。


 〔咆哮ハウル〕スキルの効果により、いまだ腰を抜かしたり、気絶したままの工夫らは、レイラの背後で所狭しと横になっており、水上橋と水道橋同様、レイラが出した蔦によってその体を覆われ、風と飛来物から守られている。


 ――これで僕も戦いにいける!


 先ほど運んだ工夫がレイラの蔦に覆われていく最中、狩夜はそう胸中で叫び、視線を断崖の上へと向ける。


 仲間たちがかの者と戦っている場所を険しい表情で見つめながら、狩夜は走り出し、レイラの横を通り抜け、再び希望峰に――


「へぶ!?」


 向かおうとしたところで、豪快に転倒。その顔面を強打した。


 一般人では大怪我をしてもおかしくないが、狩夜はハンドレットサウザンドの開拓者である。転んだ程度でダメージを受けるはずもなく、無傷の顔を転倒した原因に、突然違和感を覚えた右足へと向けた。


 すると、自身の右足首に足枷の如く絡まる、青々とした蔦の姿が目に飛び込んでくる。


 狩夜があわててその蔦を視線で辿ると――


「私を置いてどこにいくつもり?」


 そう言いたげに、真剣極まる表情を浮かべるレイラと目が合った。


「離してレイラ! 僕は戦いにいくから、君はここで皆と水道橋をまも――」


「……(ぶんぶん)」


 狩夜の言葉を最後まで聞くことなく首を左右に振り、拒否の意思表示をするレイラ。次いで彼女は、狩夜にこう訴える。


 狩夜が戦いにいくなら、私も一緒にいく――と。


「ダメだ! 君がここを離れたら、イムルさんたち石工職人や、工夫の人達はどうなる! この暴風だ! 本体から切り離されて弱体化した君の体じゃもたないかもしれない!」


 レイラが狩夜に同行するとなれば、戦いの邪魔になるであろう蔦は本体から切り離すしかない。そうなれば、蔦の強度は著しく低下し、水道橋と水上橋が連鎖倒壊する可能性が再浮上する。


 人間は、僅か十センチの水深で溺れ死ぬ。そして、工夫の大半は体質的に水に浮けない地の民だ。動けない者が多い状態で海に投げ出されればどうなるかなど、火を見るよりも明らかである。


 よしんば水道橋と水上橋が倒壊しなくとも、飛来物の危険は絶えずつきまとう。暴風域の外で横になっているとはいえ、かの者との戦闘で巻き上げられた石材等が、工夫らを直撃する可能性は多分にあった。


「仮設水路や仮橋だってそうだ! 仮設水路が壊れて水が届かなくなれば、魔物が陸と海から希望峰に押し寄せるし、仮橋が壊れたら、ランティスさんたちは退路を失って孤立するんだぞ!」


 かの者が希望峰を強襲し、防壁を破壊したときも、レイラの体でできた仮設水路だけは無事だった。ゆえに、希望峰への水の供給自体は続いている。


 かの者が風を止めないのはそれが理由だ。かの者が弱体化を避けるには、風で大気中のマナを吹き飛ばし続ける以外に方法がないのである。そして、外堀を経由し海へと流れ出る水は、水棲魔物が希望峰に再接近するのを、今も阻んでいた。


 現在の希望峰の環境は、人間にとって極めて有利なのである。激変した状況に目を曇らせ、それを忘れてはいけない。レイラという大戦力を水上橋の上に留め置いてでも、希望峰への水の供給は継続する価値がある。


「君はここにいなきゃいけないんだ! それぐらいわかるだろう!?」


「……」


 なら、狩夜もここにいて。私の目の届かない場所で死なれたら困る。すごく困る。


 そう視線で訴えるレイラに、狩夜はこう反論した。


「そんなことができるわけないじゃないか! 僕はこの事業の発起人で、ハンドレットサウザンドの開拓者なんだ! 他の人に戦わせて、安全な場所にいるなんて――」


「……」


 私にとっては、他の人間全員の命よりも、狩夜一人の命の方が大事。


「――っ!」


 普段は狩夜の意志を尊重し、指示通りに動いてくれるレイラであるが、特定の状況下では、狩夜の意志を無視して我を通すことがある。


 その一つが『狩夜の身に命の危険が迫ったとき』だ。


 勇者であるレイラには、狩夜にすら詳細を伏せている本当の目的があり、イスミンスールの救済は、その目的を達成するための手段でしかない。


 目的を達成するためには、叉鬼狩夜という人間の存在が必要不可欠らしく、それゆえにレイラは、狩夜と常に行動を共にし、体を張って守り続けているのだ。


 レイラにとっては狩夜の身の安全が第一であり、それ以外は二の次、三の次。そしてレイラは、ここで狩夜を一人でいかせたら無事では済まず、最悪死んでしまうと判断したようだ。


 それはつまり、かの者の力をレイラが非常に高く評価している証拠であり、そんなかの者を相手取るランティスたちは、極めて危険な状況にあるということ。


「僕は希望峰にいって、君はここに残る! 全員助かる可能性が一番高いのがこれなんだ! レイラ、わかって!」


「……」


 こんなことをしている場合じゃないとばかりに、腹這いの体勢のまま石材の間にある僅かな隙間に指をかけ、少しでも希望峰に近づこうとする狩夜であったが、レイラの「ダメ。いくなら一緒。残るのも一緒」という確固たる意志を感じさせる蔦に前進を阻まれ、まったく先へと進めない。


 一人も死なせたくない狩夜と、狩夜だけは絶対死なせたくないレイラ。


 珍しく見解を違えた二人のせめぎ合いは続く。



   ●



「っし!」


「ガァルア!」


 狩夜とレイラが互いに譲れない部分でせめぎ合う中、フローグとかの者は幾度も幾度も武器を打ち合わせた。


 ミリオン同士による攻防はすさまじく、暴風吹き荒れる希望峰で、刹那の間に無数の火花が散り、互いの位置が目まぐるしく入れ替わる。


 互角に思えるその攻防を、動けぬ者たちが目をむいて見守る中、唯一動ける紅葉が、戦況を次のように評した。


「まずいでやがりますな……」


 そう、戦況は紅葉の言うように、フローグが不利。その理由は――


「武器に差がありすぎでやがりましょう……」


 互いが有する武器の性能差であった。


 フローグが振るうグラディウスは、ユグドラシル大陸に存在する金属装備の中では最上級の業物であるが、それだけだ。名はなく、素材はただの鋼鉄であり、魔法効果は付与されてはいない。


 一方、かの者が振るう戦斧は魔法武器。素材はありふれた鉱物ではなく、ミスリルやオリハルコン、アダマンタイトといった希少金属。もしくは、名のある魔物からはぎ取られた極上の素材に違いない。


 あの迦具夜と真正面から打ち合い、刃こぼれ一つしなかったほどの魔法武器。それと切り結ぶ度に、フローグのグラディウスは目に見えて消耗していった。このままでは、遠からず折れてしまうだろう。


 戦いの均衡が、徐々にかの者側へと傾きつつある。そんな中――


「……っ! よし! 〔咆哮ハウル〕スキルの効果が切れたぞ!」


「私もです! もう奴の好きにはさせません! 全員奮起なさい!」


 ランティスとカロンがスキルの効果から脱し、まだ震えの残る両手で武器を構えた。それを皮切りに、テンサウザンドの開拓者たちが次々に動き出す。


「あーもう! まだ少しクラクラするぅ!」


「〔鑑定〕……ふむ! 種族名・マーダーティグリスに、《キルフーフの斧》! 名持ちの魔法武器か! 滅多にお目にかかれないお宝じゃぞ!」


「モミジさん! フローグさん! お待たせいたしましたわぁ! 今すぐ援護に向かいます!」


 レアリエル、ガリム、アルカナの三人が、かの者を包囲するようにテキパキと動き出す中、少し遅れてザッツたち『不落の木守』と、イルティナたちが動き出す。


 初めて相対するユグドラシル大陸の主。それもミリオン級。その圧力に一瞬気圧されるザッツであったが、負けてなるものかと表情を引き締め、パーティメンバーに向けて指示を飛ばした。


「よ、よし! 先生を助けるぞ! まずは俺が――」


「くるな!」


 状況の変化に思考が追いつかず、勇敢と無謀を履き違え、不用意にかの者へと近づこうとした教え子を、フローグが一喝。『不落の木守』の四人だけでなく、同じようにかの者へと攻撃を仕掛けようとしていた者たちが一斉に両肩を跳ね上げた。


「俺とモミジ以外は、奴の間合いに入るな! 援護と非戦闘員の救助に専念しろ!」


「テンサウザンドの開拓者は、主を包囲するように動きつつ、遠距離から聖水と放水でフローグ殿とモミジを援護! サウザンドの開拓者は、動けるようになり次第非戦闘員を抱えて水上橋まで退避!」


「臆することはありません! ユグドラシル大陸からの水の供給は続いています! 奴に惜しむことなく水を浴びせかけてやるのです! 地の利は我々にあると心得なさい!」


 フローグ言葉を引き継ぐかのように指示を飛ばすランティスと、すかさず仲間を鼓舞するカロン。そして、指示が飛ぶ前に、かの者を包囲するように動いていた精霊解放軍の幹部たち。


 越えてはならない一線を越えかけた直後に歴戦の開拓者らとの差を見せつけられ、悔し気に歯を食いしばるザッツ。パーティメンバーらがオロオロする中、昔馴染みのイルティナが背後から近づき、小刻みに震える肩を優しく叩いた。次いで言う。


「さあ、私たちと一緒にフローグ殿の援護にいくぞ。主を包囲して放水だ。ヴェノムティック・クイーンとの戦いを思い出せ」


「……うん!」


 気持ちを立て直し、大きく頷きながら言葉を返すザッツ。イルティナとメナド、そして、ほっとした様子のリースたちと共に、主を包囲するべく動き出す。


 そんな中――


「やってくれたな……」


 頭上のうさ耳から噴き出した鮮血で、白い髪の一部を真紅に染め上げた揚羽が、不敵な笑みを浮かべながらゆっくりと立ち上がった。

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