226・ミリオン
「ガァ!」
紅葉の口から衝撃の情報が告げられた直後、かの者は後退した紅葉との距離を再び詰め、暴風を生み出し続ける戦斧を振りかぶり、力任せに幾度も切りかかる。
紅葉は迦具夜を巧みに操りそれをさばくが、余力がないのは一目瞭然。かの者と武器をぶつけ合う度に後退し、その表情を歪め、体を軋ませた。
月読命流槍術の技を駆使し、秘伝の呼吸法や歩法、関節の曲げ方や筋肉の縮め方とうを使っているにもかかわらず、かの者の膂力と速度に伍することができない。
技では決して埋めることのできない身体能力の差が、そこにはあった。
「っく!」
かつて同階級であった相手が、再戦を予感していた相手が、自身よりも先に壁を破り、次の領域に足を踏み入れていたという事実に、紅葉は盛大に歯嚙みする。
魔王との戦いでテイムモンスターを失った紅葉は、開拓者としての活動の休止を余儀なくされた。
行方不明の狩夜を探すという揚羽の旅に同行する傍ら、魔物の再テイムに挑み続け、運よくベヒーボアの子供をテイムすることに成功するが、時すでに遅し。すでにレッドラインは希望峰を飲み込みこんでおり、エムルトは壊滅。ケルラウグ海峡にはディープラインが形成されていた。
ハンドレットサウザンドである紅葉は、単身レッドラインを越える資格を有してはいるが、ディープラインとなると話は変わる。陸上でどれほど強くとも、水中で水棲魔物にはかなわない。
こうして紅葉は、他の開拓者同様
一体当たり、ソウルポイントにして一や二にしかならないユグドラシル大陸の魔物をいくら倒したところで、紅葉にとっては焼け石に水。紅葉の身体能力は、精霊解放遠征に参加した時から、ほとんど変化していない。
一方かの者は、その身を
四肢のかけた体で、復讐の成就を、更なる高みを、大陸の王への反逆を目指し、日夜魔物を狩り続け、その身を酷使し、変化させ続けてきた。
おおよそ一年。停滞の日々をやむなく過ごしてきた紅葉と、地獄の渦中で牙を研ぎ続けたかの者。
その差が如実に表れた。
かの者の猛攻を前にして、反撃もできず防戦一方となる紅葉。
ハンドレットサウザンドである紅葉が圧倒される光景を目の当たりにし、ランティスたちは確信する。
先ほどの情報に誤りはない。
相手はミリオン級の魔物である――と。
「そうか。ミリオン級か」
ランティスたち歴戦の開拓者が動けぬ体で戦慄する最中、異形の剣士が〔
「お前も」
次の瞬間、倍以上に膨れ上がった両脚で地面を蹴ったフローグが、倍どころではない勢いで激増していく剣気と殺気を纏いつつ、鉄砲水の如き勢いでかの者へと肉薄する。
その小さな体から放たれる、以前とは比べ物にならない強大な圧力に、紅葉とかの者が目を剥く中、腕がなく、攻守ともに隙が多い右側から、かの者へと切りかかるフローグ。
かの者は紅葉への攻撃を中断し、大きくバックステップを踏むことでフローグの間合いの外へと離脱。迫りくる斬撃をやり過ごした。だが、攻撃をかわされた後もフローグの動きは止まらない。瞬時に方向転換し、かの者へと追い迫る。
フローグから放たれる二度目の斬撃。紅葉から離れ、フローグ一人に集中できるようになったかの者は、今度は避けようとしなかった。振りかぶった戦斧で、迫りくる斬撃を迎え撃つ。
鋼鉄製のグラディウスと、風を生み出す戦斧が激突し、先の迦具夜と同様、周囲に甲高い金属音が響き渡る。
結果は――
「「――っ!」」
互角。
体格でかの者に大きく劣っているフローグが、突進力でそれを補い、鍔迫り合いをしてみせたのである。
ミリオン級の魔物と互角に切り結べることを、目に見える形で証明したフローグ。それを目撃したランティスたちは、四半日前に再会したばかりのフローグの身に、ある変化が起こっていたことを察した。
そう、フローグ・ガルディアスは、長らく『未到達領域』とされていたミリオンの高みに、誰よりも早く到達していたのである。
聖域へと向かう狩夜とレイラを見送り、教え子であるザッツたち『不落の木守』がテンサウザンドとなって手を離れた後、フローグは単身アルフヘイム大陸へと向かった。
アルフヘイム大陸の北端は、〔水上歩行〕スキルを有するフローグのみが立ち入れる、完全未開拓区域である。他の開拓者と獲物の争奪戦が起こりえず、ソウルポイントを独占できる代わりに、一切の援助を期待できない孤高の狩場。
その地で、フローグは己を極限まで追い込むために『ミリオンに至るまでは、決してユグドラシル大陸の地は踏まぬ』そう心に誓っての、長期滞在を敢行した。
アルフヘイム大陸の北端は、
そんな生活の中で、肉体は悲鳴を上げ、精神は摩耗していった。
死んだほうがまし。誰しもがそう思うであろう日々の中、フローグは狩夜から聞いていた、聖獣を打倒するために考えたという作戦を思い出し「カリヤはもっと過酷な環境に身を置いている」と自らを鼓舞。迫りくる魔物の爪牙と、心身が訴える限界に抗った。抗い続けた。
この世界、イスミンスールを滅亡の危機から救うため、死地へと向かった
“世界蛇” ヨルムンガンドと、“邪龍” ファフニール。二体の魔王から『見逃された』という屈辱。
それすらも力に変え、フローグは最後まで挫けることなく生き続け、前人未到のミリオンの高みへと至ることに成功した。
目標を完遂し、心身共に成長したフローグは、狩夜たちが聖獣に敗北していれば、もうすべてが終わっているであろう時期に、ユグドラシル大陸へと戻る。
かつて口にした「お前たちが聖獣を倒し、世界を救ってくれると勝手に信じて、やれることをやるだけだ」という言葉を体現しての帰国。そんな彼の目に飛び込んできたのは、滅ぶことなく存在し続ける母国と、他大陸にいく術を失い絶望する人類の姿であった。
知らぬ間に訪れていた絶望の時代。そして、そんな現状を打破すべく、狩夜は既に動いており、仲間を募っているというではないか。
不味い。出遅れた――と、慌てて駆けつけたのが四半日前。
最終工程が始まる直前に協力を申し出るのは今更感が強く、いささか以上に気が引けただろうが、フローグは素直に頭を下げ、謝罪の言葉と共に仲間に加わった。発起人である狩夜を筆頭に、主要メンバーらには温かく迎え入れてもらえたが、信頼の薄い相手に影で色々と言われるのは避けられない。
しかしフローグは、名誉挽回とばかりにガツガツ仕事を要求したり、アルフヘイム大陸での武勇伝や、ミリオンに至った経緯を喧伝したりはしなかった。元より訳ありの身。特徴的すぎるその顔で言葉を尽くしたところで、信じてもらえる方が稀だった。
はみ出し者が信を得るには、行動で示すより他にない。
ゆえに、フローグはずっとそうしてきた。男は背中で語ればいい。それでも足らぬときには覚悟と共に言葉を用い、その言葉を決して曲げずに、全力で責任を持てばいい。
そうやって、フローグ・ガルディアスは生きていく。
そして、紅葉がかの者との再戦を予見したときに返した「ならば、俺はそれ以上の力を身につけ、あいつを返り討ちにするだけだ」という言葉にも責任を持つべく、フローグは告げる。
「いくぞ。あの時にはつかずじまいだった、決着をつけてやる」
かの者と同じく地獄に身を置き続けていた一人の男が、『
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