224・みつけた
「開拓者として事実上の初陣。叉鬼狩夜の隣に美月揚羽あり――と、世に知らしめる絶好の機会であったのじゃがな……」
「捕らぬ狸の皮算用でやがるな。どんなに目を凝らしても、ラビスタン一匹いねーでやがりますよ」
フローグや、ザッツたち『不落の木守』同様、防壁の上で周囲の警戒に従事する揚羽と紅葉が、ミズガルズ大陸の奥地に油断なく耳と視線を向けながら口を動かす。
先の発言には、僅かばかりの棘が含まれていた。戦闘狂の気がある二人は、最終工程の開始から今に至るまで、一度も魔物との戦いが発生していない現状に不満があるらしい。
もっとも、その不満を大っぴらに表に出したりはしない。希望岬から魔物が消えた現状は、大多数の者――とりわけ発起人であり、一人の犠牲者も出したくないと考えている狩夜にとっては好都合である。
これに不満を述べては白い目で見られることは、揚羽はもとより、空気が読めないことに定評のある紅葉もわかっていた。なので、胸中はともかく表面上は、真面目に周囲の警戒に従事する。
四半日にも及ぶ平穏かつ退屈な時間に、緊張を緩め、ダレてくる者も多く出てきた中、常在戦場の姿勢を崩さない揚羽と紅葉に「あれこそ武士の鏡!」と、月の民の開拓者が熱い視線を送り、中には「さすがです揚羽様!」と感涙する者も出る中、二人の視界の中で何かが光った。
鏡、もしくはそれに近しいものに陽光が反射したようなその光は、規則性を感じさせる間隔で明滅し、ほどなくして消える。
それを最後まで見届けてから、揚羽にだけ聞こえる声量で紅葉は言う。
「『敵影無し』。一年前にレッドラインがあった場所辺りまで探らせてみたでやがるが、やっぱり魔物はいないみたいでやがりますよ」
希望峰の先へと探索にいかせた、矢萩と牡丹からの光を使った連絡。優秀な草が調べ上げた現況に、揚羽は「そうか」と小さく頷く。
「紅葉たちがエムルトを造った時とは、何もかもが違う……あの時にも水道橋があればと、思わずにはいられないでやがるな……」
かつてこの場所に存在し、先の第三次精霊解放遠征の要にもなった、ミズガルズ大陸開拓の重要拠点、前線基地エムルト。
エムルトを造る際に、人類は多大な費用と犠牲を支払った。スターヴ大平原攻略戦をもしのぐ激戦となったその戦いは、参加した者の中では語り草である。
あの凄惨な戦いに比べて今はどうだ? 場所は同じ希望峰だというのに、費用面はともかく、人的被害は今のところ零。
断末魔の絶叫は、人間のものも、魔物のものも上がらず。流れるのは血潮ではなく、ユグドラシル大陸から運ばれた、飲むことすら可能な清流のみ。
これほどの差を見せつけられれば、紅葉でなくとも思うだろう。
あの時にも、水道橋があれば――と。
なぜ我々は、
「気持ちはわかる――とは、その戦いを伝聞でしか知らず、被害を数字の上でしか見ていない余の口からは言えぬが、それは栓無き事であろう。水道橋の建造は、旦那様とレイラ抜きには不可能じゃ」
船で上陸という手段しか考えつかなかった、かつての自分たちを嘆く紅葉。そんな彼女を元気づけるように、揚羽は言う。
仮に、人類がもっと早く――それこそ【厄災】直後に、ユグドラシル大陸とミズガルズ大陸を水道橋で繋ごうと考え、その建造に着手していたとして、今という時代に完成していたかどうか?
結論。完成していない。
レベルとスキルを失い、ソウルポイントもまだなかったころの人類では、魔物ひしめく森を切り開き、水道橋が通る道を作ることすらできなかっただろう。たとえそれができたとしても、海はどうにならない。
重機どころか、簡素な鉄の道具すら満足に用意できず、木を切るだけでも命懸けになる世界で、全長数十キロにもなる水道橋が、造れるはずもない。今回の大事業は、強大な力を有するレイラの協力があったればこそだ。
揚羽の言葉に「それもそうでやがりますな」と力なく苦笑した後、紅葉は声量を戻し、次のように言葉を続ける。
「エムルトと違うと言えば、『人が住める環境』もでやがります。普通の人間が恒久的に暮らせるとは終ぞ認められなかったエムルトとは違い、ここは人が住める環境であると、誰しもに認められやがりましょう」
ソウルポイントで強化されていない地の民の工夫たちが、何不自由なく水路の建造作業に従事できているのだから、普通の人間でもこの地で生きていけるのは明白である。
そして、この地が『人が住める環境』と認められた場合、誰がその支配権を有するのかも、また明白であった。
「国持ともなれば、言い寄る女も増えやがるはず。少しは焦った方がいいんじゃねーでやがりますか?」
「余は、旦那様が何人妻を娶ろうと気にせんぞ? 古来より『強き血を優先して後世に残すべし』が月の民の倣いじゃ。もっとも、正妻の座は誰にも譲らんが」
一夫多妻制の国。その国政を担っていた者として、当然のように言ってのける揚羽。それを聞いた紅葉は、チャームポイントであるどんぐり眼を半眼にして、次のように言葉を返す。
「その考え方は紅葉にじゃなく、木ノ葉の奴にこそ言ってほしいでやがりますよ。結婚するなり人が変わったって、青葉が怖がってるでやがります」
「いや、まったくもってその通りじゃな。姉である余も、木ノ葉の豹変ぶりには驚いておる。いったいどうしてああなったのじゃ?」
ごまかすように「あっはっは」と笑う揚羽と、呆れた様子で小さく溜息を吐く紅葉。そして、この話題はまずいとばかりに、揚羽はやや強引に話の流れを変えようとした。
「紅葉こそ良いのか? そなたも旦那様に――狩夜に気があるのじゃろ?」
「んな!?」
揚羽からの指摘に、その名の如く顔を真っ赤にする紅葉。次いで、目に見えて動揺しながら口を動かした。
「な、ななな、なんのことでやがりますか!? も、紅葉は別に、狩夜のことをそういう目で――」
「ご歓談中、申し訳ございませんけれど、交代の時間ですわぁ。お二人はご休憩なさってくださいまし」
紅葉の言葉を遮るように、二人の背後から放たれた声。
その声に反応し、揚羽と紅葉が声の聞こえた方向、防壁の内側へと目を向けると、先ほどの声の主であるアルカナ。そして、レアリエルとカロンの姿がある。
すぐ隣で、フローグと『不落の木守』の面々が、ランティス、ガリム、イルティナらと交代する中、慌てふためいていたところを見られた紅葉が、ばつが悪い様子でこう告げる。
「お、おお、もうそんな時間でやがりますか……」
「はい。周囲の警戒は私たちが引き継ぎますので、二人は後ろに下がり休みなさい」
こう言ながら膝を僅かに折り、防壁の上へと飛び乗ろうとするカロン。だが――
「――っ!? 待て、カロン殿!」
揚羽が、凄まじい剣幕でそれを押し留めた。
超聴覚を有する感知タイプである揚羽の言動に、周囲に緊張が走り、視線が彼女に集中する。
そんな中、揚羽は真剣な顔でこう言い放った。
「その服装で防壁の上で立てば、下から中を覗かれるぞ! レアリエルもじゃ! 着替えたほうがよい!」
次の瞬間、揚羽の言葉に耳を傾けていた者、すべての体が横にずれる。
そして、そういった話題に慣れているのか、いち早く気持ちと体勢を立て直したレアリエルが、呆れ顔で言葉を返した。
「もう! 紛らわしいことしないでよアゲハちゃん! 大丈夫だよ! 今日は見られてもいいパンツはいてるから!」
舞台の上に立ち、ファンに下から見上げられてこそアイドルだ――とばかりに、防壁の上に飛び乗り、揚羽の隣に立ってみせるレアリエル。
一方のカロンはというと――
「カロンさん、見られていいものをはいていますの?」
「ノーコメントです! 察しなさい!」
指摘されて気がついたのか、両手で露出過多なチャイナドレス――
「見られてもいいパンツ……じゃと? そんなものがこの世に存在するのか?」
「いや、何を今更。アゲハちゃんだって、袴の左右に入ってる謎のスリットから、紐パンの結び目が丸見えだし」
「これは褌じゃから恥ずかしくないのじゃ」
レアリエルの発言にショックを受けたのか、心底理解できないとばかりに右手で顔を覆う揚羽。ゆえに彼女は気づかない。レアリエルもまた「ごめん。ちょっと理解できないや」と呟いていることに。そして、自身の頭に刺さる花に、レアリエルがチラチラと視線を送っていることに。
そんなレアリエルの様子に、同じ国の出身であり、昔からの知己であるイルティナが気づいた。そして、数秒間逡巡した後、思いつめた表情で揚羽とレアリエルに歩み寄る。
「ああ……その……アゲハ殿、少しいいだろうか?」
「うん? おお、イルティナ殿。余に見られてもいいパンツとやらのことを教授しにきてくれたのか?」
「あ、いや、それに関しては、私もまったくもって理解できない」
イルティナはここで言葉を区切ると、コホンと一つ咳払いをした。そして、狩夜が異世界人と知る者として、狩夜にこの世界の常識を教えた者として、言わねばならないとばかりに、決意を感じさせる声色で言葉を紡ぐ。
「アゲハ殿。カリヤ殿から贈られたというその頭の花なのだが、もしかしたら――っ」
不意に、イルティナの口の動きが止まる。
いや、止まったのはそれだけではない。
この場にいる誰もが目を見開き、全身の体毛を逆立てながら、刹那の間沈黙。体の動きどころか呼吸すら止めた。
希望峰全土を一瞬にして覆い尽くした、凄まじい殺気によって。
そして、彼らは聞こえるはずのない声を聞く。
――みつけた。
と。
「くるぞ! 全員戦闘準備! 非戦闘員を守れ!」
現場の指揮権を狩夜から譲渡されたランティスが、感知タイプらに意見を求めることなく、余裕の一切ない声色で周囲に警戒を促す。
その、次の瞬間――
「ぐ……!?」
「きゃあぁあぁあ!?」
嵐と見紛うほどの暴風が、突如として希望峰を襲った。
何の前兆もなく、東から西に向かって唐突に吹き抜けた、あまりにも不自然な風。それにより、大気中のマナがことごとく吹き飛ばされた後、殺気の大本たる黄褐色の影が、魔物のいなくなったミズガルズ大陸西部を、一直線に駆け抜ける。
複数人の感知タイプによって何重にも構築された警戒網も、歴戦の開拓者たちの目視による監視も、まるで意味をなさぬほどの速度で接近したその影は、マナの溶けた水で満たされた外堀を難なく飛び越えた後、希望峰に築かれたばかりの防壁に躊躇なく突撃した。
巻き起こる大破壊。
石造りの防壁を障子紙の如くぶち破り、着地の際の衝撃で防壁の大半を破壊、外堀の半分以上を埋め立ててみせた『かの者』の姿は、虎。
円形の刃の中央に埋め込まれた緑色の宝石から際限なく風を生み出す、魔法武器と思しき戦斧を左手で握り締めた、隻腕、二足歩行の虎だった。
「あいつは――!」
「あの時の――!」
多少姿が変われど、あれほどの難敵を見間違うはずがない。
あの時感じた再戦の予感が、現実のものになったのだと理解しながら、フローグと紅葉が戦慄と共に叫ぶ。
「嵐が……きた……」
激変した状況。初めて目にしたミズガルズ大陸の主から放たれる埒外の圧力と、その殺気に、ザッツが小刻みに震えながら、こう呟く中――
「ガァアアァアァアァァァァアァアァ!!」
かの者、渾身の〔
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