218・狩夜は知らない
「いつまで胸の谷間に顔を埋めてるのかな!? はい、離れる!」
狩夜を抱きしめるメナドに足取り荒く近づいたレアリエルは、この言葉と共に狩夜の後ろ襟を掴むと、強引に引き離した。
アイドルらしからぬ力技。人目のある場所でそれを断行したレアリエルと、胸の谷間という指摘で自分が何をしていたのか自覚し顔を赤くするメナド。そんな二人を楽しげに見つめながら、イルティナは言う。
「ほほう? その言動から察するに、レアもカリヤ殿のことを認めているようだな? 以前は私に『期待するだけ無駄』だの『脇役にも劣る端役』だの言っていたのに?」
「どうもイルティナ様ご機嫌麗しゅう! そのお話はまた後ほど! ボクはカリヤと話がありますので!」
「わかった。後で根掘り葉掘り聞いてやろう」
ぷくく、という含み笑いと共に言葉を返すイルティナ。先の過激なスキンシップといい、完全に地が出ている。どうやら開拓者への復帰を機に、猫を被ることをやめたようだ。
そんなイルティナに対し「失礼します!」とレアリエルはやけくそ気味に頭を下げた。次いで後ろ襟を掴んだまま歩き出し、ドスドスと足音を立てて狩夜を引きずっていく。
「レア……」
「なにさ!?」
「きてくれて嬉しいよ……レアは無理かなって思ってたから……」
「……ふんだ。見損なわないでよね。ボクはそんな弱い女じゃない」
「よく言いますよ。ギルドで少年の伝言を聞いた私が、レアにもきているのではと思い、無理矢理宿から連れ出さなければ、あなたは今頃――」
「カロンちゃんは黙ってて!」
「聞いてくださいましカリヤさん。実はレアさん、ついさっきまでは「あんな別れ方をしたのに、どんな顔して会えばいいのかわからない」と、柄にもなくしおらしいことを言って、わたくしたちの背に隠れて――」
「アルカナお姉様もです!」
カロンとアルカナからの指摘を、最後までは言わせないとばかりに大声で遮るレアリエル。そんな彼女を見つめながら、狩夜は笑った。
「元気出たみたいだね?」
「まあ、あんなもの見せられたら、ね。カリヤとガリムのおじ様が頑張ってるのに、落ち込んでなんていられないでしょ? と言うか、今は君の方が元気ないじゃん。ほら、しゃんとする! そんでもって自分の足でしっかり立つ!」
こう言って、レアリエルは狩夜の体を持ち上げてから後ろ襟を放す。狩夜は両足で着地した後、次のように口を動かした。
「ならよかった。無い知恵を絞ったかいがあったよ。レアのためってのも、少しはあったからさ」
「ふみゅう!?」
狩夜が何気なく口にした言葉にレアは目を丸くし、両肩を跳ね上げながら奇声を上げた。そして、その場にいる女性陣が「おお!」と声を漏らす中、体を小刻みに震わせ、途切れ途切れに言葉を紡いでいく。
「ボ、ボボ……ボクのため? カ、カリヤは、ボクの……ボクのために頑張ってくれたの?」
「うん。ほら、あのとき何も言えなかったからさ、どうやったらレアを元気づけられるかなって、色々考えたんだよ」
屈託のない笑顔を浮かべながらそう答える狩夜に、レアリエルは顔を真っ赤にした。そして、女性陣が胸の前で両手を握り締めながら前かがみになる中、レアリエルは次のように答える。
「あ、あり……ありがとう……ボ、ボク……すごくうれ――」
「おお! 見知った顔が大勢いやがります! ちょっと出遅れてしまいやがりましたか?」
精一杯の勇気を振り絞るようなレアリエルの謝辞。それを遮るかのように、突如として聞こえてきた大きな声。
空気を一切読まないその声に反応し、狩夜はレアリエルへと向けていた顔を横に動かす。
すると、テイムモンスターと思しき黒き四足獣、ベヒーボアのうり坊を連れ歩く紅葉と――
「やっと……やっと見つけた!」
両の目を潤ませながら駆け寄ってくる、揚羽の姿が視界に飛び込んできた。
「旦那様ぁあぁぁあぁ!」
白を基調とした可憐かつ優美な着物の袖と、その着物の下に隠されている豊満な胸を揺らしながら、揚羽は走る。
この一年間、狩夜が唯一パーティーを組んだ相手。精霊解放軍敗走という突然の凶報により、別れの言葉すら言えぬまま引き離された仲間。
互いの背を守り合った女性との再会。その瞬間に、狩夜は――
「ははー!」
と、揚羽の旦那様発言をスルーし、印籠を見せられた悪代官の如く、その場に平伏した。
「んな!?」
この突然の行動に、揚羽は驚愕の表情を浮かべながら急制動。狩夜にぶつかる直前に、どうにかこうにか停止した。
人の心理状態や虚言をも聞き分ける超聴覚。そして、月読命流免許皆伝の先読みをもってしても予想できなかったらしいこの事態に、狩夜を抱き締めるつもりで伸ばしていた両手をわきわきと動かしながら、揚羽は叫ぶ。
「いったい何をしているのだそなたは!?」
「いえ。以前「兎の耳は将軍家の証。無礼討が嫌ならば、見た瞬間平伏せよ」と教えられたものですから」
ここイスミンスールでは、うさ耳は水戸黄門の印籠のようなもの。
以前聞いた説明からそのように理解し、見た瞬間平伏すると決めていた狩夜は、顔を上げることなく、さも当然のようにこう答えた。
が、どうやらその認識は間違っていたらしく、揚羽は目を吊り上げ、次のように怒鳴り立てる。
「それは、フヴェルゲルミル帝国国内のみの話じゃ! そして、たとえフヴェルゲルミル帝国国内であったとしても、そなたは余に平伏する必要などない! 敬語もいらぬ! 普通に喋れ!」
「え? そうなの?」
この言葉と共に顔を上げた狩夜は、ざっと周囲を見回し、平伏している者が自分一人であることにようやく気づく。
皆々一様に、揚羽の頭に挿さっている、パーティメンバーの証たる一輪の花を凝視しながら呆然とする中「あ、ほんとだ。早く言ってよもう、恥ずかしいなぁ」と呟き、狩夜は立ち上がる。
「呼んでおいてなんだけど、仕事はいいの? 美月揚羽将軍様?」
敬語は不要という揚羽の言葉を受け、真央として接していたときと同じ口調で問いかける狩夜。すると揚羽は「まだ不満じゃ」とばかりにツンと顔を背け、こう答える。
「もう青葉から聞いておるのであろう? 余はすでに将軍職を辞しておる。今の余は一介の剣客にすぎぬゆえ、敬称も不要じゃ。揚羽――と、気軽に呼び捨ててたもれ」
「ああ、うん……たもる前に……紅葉さん、ちょっといいですか?」
「なんでやがりますか?」
「そもさん!」
「せっぱ! でやがります!」
「将軍職を辞した美月揚羽、すなわち現大御所が、フヴェルゲルミル帝国でどれくらい偉いか簡潔に答えなさい!」
「『超偉い』でやがりますよ! 現将軍様も、ちっとも頭が上がらないでやがります!」
「やっぱり滅茶苦茶偉いんじゃん! 全然一介じゃないだろ! ぶっちゃけ今でも御帝の次に偉いんだろ!? いいよ! やっぱり敬語使うよ! 様もつけるよ!」
「ええい! いらぬと言うておろうが! なぜなら、そなたと余は――!」
揚羽はこの言葉と共に足を前に踏み出し、次の瞬間には狩夜の右隣に現れていた。次いで揚羽は、狩夜の右腕に両腕を絡め、右肩を胸の谷間へと導きながら、蜂蜜のように甘い声色で告げる。
「と・く・べ・つ・な、関係であろ?」
「……」
揚羽の言葉に狩夜は沈黙をもって答えた。
揚羽の胸の柔らかさに昇天していた――とか。甘い囁きが脳髄を直撃して悶絶していた――とかでは断じてない。
ハンドレットサウザンド終盤にまで強化された自分が、気を抜いていたとはいえ、反応すらできずに間合いを詰められ、腕を取られたということに驚愕していたのである。
以前の揚羽と比べて、明らかに身体能力が向上している。通常の鍛錬ではまずありえない、驚異的な振れ幅で、だ。
「もう離れぬぞ。たとえ地獄であろうと、余はそなたと共にいく。常に隣を歩き、命ある限り支え続けてみせる。この場所は、相手が誰であろうと譲りはしない」
「揚羽、君は――っ!?」
紡ぎかけた言葉を途中でとめ、全身に鳥肌を立てながら両肩を跳ね上げる狩夜。脊柱に氷塊が突き刺さったかのような凄まじい悪寒が、突然全身を駆け抜けたからである。
次いで、錆びついたブリキ人形のような動作で、すぐ隣にいるレアリエルの方へと視線を向ける狩夜。
向けて、心の底から後悔した。
なんとも名状しがたい双眸で、揚羽の頭に挿さる花を穴が空くほどに凝視するレアリエルの姿が、視界に飛び込んできたからである。
――何その目!? 怖っ!
「おいレア大丈夫か!? アイドルが絶対しちゃいけない顔してるぞ!? 変な異名とかつきそうだぞ今の顔!?」
「……」
レアリエルは、狩夜の呼びかけにすぐには答えなかった。
名状しがたい双眸を維持したまま、亡者のような緩慢な動作で右腕を上げ、震える指先で揚羽の花を指さした後、ようやく口を動かす。
「ねぇ、カリヤ……?」
「はい! なんでしょう!?」
「その凄く奇麗な花……君が彼女に贈ったの……? 君がその手で直接……彼女の頭に花を挿したの……?」
「え? うん、そうだけど?」
『……』
狩夜が肯定の言葉を口にした直後、その場に静寂が訪れた。
そして、狩夜だけが「え? なになに? 皆どうしたの?」と、頻りに顔を左右に振る中――
「カリヤの……ばぁかぁぁあぁぁあぁ!!」
レアリエルが、あらん限りの怒声をもって沈黙を打ち破り、狩夜の頭部目掛けて、手加減なしの右上段回し蹴りを繰り出してきた。
「うわっ!?」
「おっと」
狩夜はその場にしゃがみ込み、揚羽は狩夜の右腕を解放しながらバックステップを踏むことで、レアリエルの回し蹴りを紙一重で回避する。
――白とライトグリーンのストライプ!? じゃなくて!
「いきなり何するんだよ、レア!? 危ないだろ!?」
「うっさい! カリヤは大人しくボクに蹴られればいいんだ!」
そして始まる鬼ごっこ。
くすくすと意味深に笑う揚羽をその場に残し、必死に逃げ惑う狩夜を、レアリエルが追いかける。
「この! 何がボクのためだ! このこの! ちょこまか逃げるなぁ!」
「いや、逃げるって! 当たったら、僕はともかくレイラが怒る! そしたらレアがやばいから! 最悪スプラッタだから!」
狩夜は知らない。
ここイスミンスールにおいて、未婚の女性の頭に、男性が自らの手で花を挿すという行為に『あなたのことを誰よりも愛しています。結婚してください』という意味があることを。
狩夜は知らない。
男性から刺された花を、女性が外すことなくつけ続けるという行為に『あなたからの求婚を受け入れます』という意味があることを。
「僕がいったい何をしたぁぁあぁぁあぁ!」
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