閑話 進化の軌跡 その2

「ガアァアアァア!」


 ミズガルズ大陸のとある森で、かの者が明確な殺意を込めた咆哮と共に、左腕を豪快に振りかぶる。


 相手取るのは、体高三メートルを超える赤毛の巨躯。ゴリラ型の魔物、バーサクコングであった。


 かの者のお気に入りにして、右前脚を失う切っ掛けにもなった魔物。体を作り変えたことで自身よりも大きくなった相手に臆することなく肉薄し、かの者は左腕を横薙ぎに振るう。


 筋肉という名の鎧に覆われた巨体を難なく両断し、自身を確殺するであろう不可避の一撃が迫る中、バーサクコングは――


「ゴアァ!」


 躊躇なく、右腕を捨てた。


 迫りくる爪と胴体の間に右腕を割り込ませたバーサクコングは、肉と骨が断ち切られていく最中も右腕を動かし続け、かの者の攻撃を防ぐのではなく、急所からそらすことを試みる。


 死中に活を求めたこの選択が功を奏し、胸部の肉を盛大に抉られはしたものの、バーサクコングは即死という最悪の結果を免れた。


 胸の傷から盛大に血が噴き出すことも、ことごとく破壊された右腕が肩から離れていくことも意に介さず、バーサクコングは左腕を――野太い棍棒を振り上げる。


 長い指を有する動物。霊長類だけの特権。


 手で、道具を握る。


 バーサクコングは、その特権に己が命運を託した。


 渾身の力と全体重を棍棒に乗せて、左腕を振り切ったことでがら空きとなっているかの者の頭部へと、鬼の形相で振り下ろす。


 腕を切らせて命を絶つ。


 格上を相手に、決死の覚悟で見い出した千載一遇の勝機に向かって、バーサクコングはただただ邁進した。


 が――


「ゴ……!?」


 攻撃目標であるかの者の頭部。それだけを見つめていたバーサクコングの顔面が、死角から飛んできたあるモノに潰され、一瞬後に吹き飛んだ。


 あるモノとは、かの者の足。


 かの者は、左腕を振り抜いた勢いを利用し体を回転。それと同時に作り変えた長い右脚を振り上げ、バーサクコングの視界、そして、意識の外から、頭部を蹴り飛ばしたのである。


〔体術〕スキルではない。


 誰かに師事したわけでもない。


 体を作り変えること数ヵ月。生まれ持った才覚のみを頼りにかの者が編み出した、独自の体さばきであった。


「……」


 かの者は、頭部を失い絶命したバーサクコングに歩み寄ると、その場に座り込む。そして、傍らにある亡骸に牙を突き立てることなく、あえて無傷で残した左腕を、その先にある手を凝視した。


 ――そうだ。これをじっくり見たかった。


 かの者は、いまだ虎のままである自身の手と、バーサクコングの――霊長類の手を、何度も何度も見比べる。


 やがて気が済んだのか、かの者はバーサクコングの手から視線を外し、周囲をぐるりと見回して外敵がいないことを確認。その後、体を横たえ目を閉じた。


 ものの数秒で寝息を立てはじめたかの者の意識は、白い部屋へと向かう。次いでソウルポイントを使い、目に焼き付けたバーサクコングの手を参考にして、己が左手を作り変えていく。


 ほどなくして目を覚ましたかの者の手は、虎のそれではなくなっていた。


 指の数は五本。その全てが細く、長い。


 広い手の平の上に肉球はなく、体毛に覆われてもいなかった。


「……」


 そんな自身の新しい手を満足げに見つめながら、かの者は立ち上がる。そして、近くに転がっていたバーサクコングの棍棒を握り、難なく持ち上げた。


 この、道具を握るという行為こそが、かの者が手を作り変えた最大の理由。


 失った右前脚に代わる爪を、牙を。


 低下した戦闘力を補って余りある、新たな武器が欲しい。そう考えたかの者は、その武器を四肢を欠いた己が肉体にではなく、体外の道具に求めたのだ。


「ガアァアアァア!」


 復讐を誓う相手への憎しみを込めて、棍棒を一振り。


 凄まじい風切り音と共に縦に振られた棍棒は、地面すれすれで停止。その後、縦横無尽に振り回される。


 手に入れた棍棒を――否、霊長類の特権を、思うがままに行使するかの者。その動作一つ一つが、参考にしたバーサクコングのそれを、明らかに超越していた。

 

「――ッ」


 その後「よし、把握した」とばかりに表情を引き締めたかの者は、興味を失ったかのように、棍棒を放り出す。


 ――これは、我に相応しくない。掴みやすい形をしているだけの、ただの石だ。


 密林の王者たるかの者は、この程度の武器では満足しない。


 こんな粗末な得物では、失った右前脚の代わりは務まらない。


 ――もっと鋭い爪を。もっと強靭な牙を。人間の匂いがするあのカエルや、角の生えた人間の雌が振るっていたモノのような、我が肉体に比肩しうるモノを。


「……」


 かの者は、自身が振るうに足る武器を探し、森の外に向かって歩き出す。


 大多数の人間が、習得する前に一生を終えるであろう、完璧な体重移動の二足歩行で。

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