212・専門家の意見

「酒じゃあ~。酒を持ってこ~い」


 今日も今日とて酒場で飲んだくれているイムルが、空になった酒壺をカウンターに叩きつけながら、正面にいる店主へと追加を要求。


 が、店主は無言で首を横に振り、それを拒否。寡黙な店主に代わって、恰幅の良い女性店員がこう答えた。


「ちょいとイムルさん! こんなご時世だし、あんたの気持ちもわかるから今まで黙ってたけどね! 毎日毎日、仕事もせずに真っ昼間から酒飲んでていいのかい!? 金はあるんだろうね!?」


「金じゃと? 藪から棒に……今まではツケで飲めたじゃろうが」


「開拓者ギルドが依頼の受注業務を停止しちまったせいで、入荷が滞ってるんだよ! 当代随一の石工職人様が相手でも、これ以上のツケはお断りだね!」


「かー! けち臭いことを言いおって! ふん! もういいわい!」


 イムルは不貞腐れた様子でこう言うと、カウンターの上に突っ伏した。そして、次のように言葉を続ける。


「はぁ……あの坊主……今日もきてくれんかのう……あの坊主がいれば、適当に話をしとるだけでタダ酒が飲めるんじゃが……」


「なんだよイムルの旦那! 大嘘教えてたのかよ!」


「だっはっは! やっぱりな! 傍から聞いててもおかしいと思ったぜ!」


「子供相手にひっで~!」


「人でなしだ! お~い! ここに人でなしがいるぞ!」


 イムルと同じように昼間から飲んだくれていたログの住人たちが、突然のカミングアウトに大爆笑。こぞってイムルを罵倒するが、その表情と声に非難の色はまったくない。


 騙された方が悪いと言わんばかりの飲んだくれたち。が、それでも悪口を言われたことが気に食わないらしく、イムルは心外だとばかりに鼻を鳴らした。


「ふん! 酷いわけがあるか! あの坊主『基本的な石の組み方が書かれた設計図だけでいい』とかぬかしおったんじゃぞ! なにが『だけ』じゃ! なにが! わしら地の民の職人たちが長年研究し、多大な犠牲と艱難辛苦の末に編み出した技術! 【厄災】を乗り越え、今日まで受け継がれた知識! それらの価値を、あの坊主はまったくわかっておらん! くれと言われてやれるものではないわ!」


 この言葉の直後、店内の様子は一変。飲んだくれていた石工職人たち全員がイムルの言葉に同意し「まったくだ!」と声を上げたからだ。


 店内は無礼で無知な子供への非難一色となる。言っていることが一貫しない酔っぱらいたちに、女性店員は「やれやれ」と肩を竦めた。


 そんなとき――


「あ、いらっしゃ――い!?」


 店の出入り口を潜り、一人の男が店内へと入ってくる。


 女性店員が、店主が、飲んだくれたちが、有名すぎるその男の登場に硬直する中、酩酊しながらカウンターに突っ伏しているイムルだけが男の存在に気づくことなく、口を動かし続けた。


「奢らせた酒は授業料じゃよ、授業料! 世を知らぬ馬鹿な子供に、わしは格安でものを教えてやっただけじゃ!」


「なら、言葉でそう諭せばよかろう? その後で無礼者と怒鳴り散らして追い返すなり、お主の技術と知識に見合う報酬を提示すればよい。なぜ騙すようなまねをした? なぜ誤った知識を故意に植えつけた?」


 店内に入った後、真っ直ぐにイムルへと近づいた男が、仁王立ちしながら問いかける。それでもイムルは男の存在に気づくことなく、問われるがままにこう答えた。


「酒じゃよ、酒! ただ酒が飲みたかったんじゃ! 適当に教えた方法で橋を造り失敗すれば、あの無礼者はまた話を聞きにくるかもしれんじゃろう!? そうなれば、また酒が飲めるじゃろうが! 大開拓時代の終わりからこっち、虚無感と無力感が絶えず体に纏わりついてきよる! 何もする気がおきんのに、じっとしておると気が狂いそうになるんじゃ! それを少しでも忘れられるのは、酒を飲んでおるときだけ――ぬ?」


 イムルは、言葉を最後まで言い切ることができなかった。すぐ横で仁王立ちしていた男が左手を伸ばし、胸倉を掴み上げてきたからである。


 無理矢理顔を上げられたことで、視界に飛び込んできた男の顔。誰もが知る自国の英雄の姿に、イムルは驚愕した。


「んな!? ガリム!?」


 男――ガリム・アイアンハートは、名前を呼ばれたことを意に介さず、右手を握り締め――


「ごほぉあぁあぁぁぁ!?」


 酒気で赤くなったイムルの顔面を、躊躇なく殴り飛ばした。


 死なない程度に手加減された拳に顔面を殴打されたイムルは、石壁に背中から激突。その後、口と鼻から血を撒き散らしつつ、店の床を転げ回った。


 店内の人間すべてが息を飲む中、ガリムは瓢箪を手に足取り荒くイムルに近づくと、その中身を血まみれの顔面にぶちまける。


 瓢箪の中身は聖水。治療と酔い覚ましを終えたガリムは、その野太い腕で床に転がるイムルの体を抱え上げながら、底冷えするような口調でこう述べた。


「お主の浅慮が何を招いたか見せてやる。こい」


「な、なん……じゃと? は、離せ! 離さんかぁ!」


 自身を拘束するガリムからどうにかして逃れようと、遮二無二に暴れ回るイムル。しかし、テンサウザンドの開拓者であるガリムの腕はビクともしない。


 大の大人を抱えながらも、空手のときとなんら変わらぬ様子で歩き出すガリム。そして、店の出入り口へと向かいながら、すっかり酔いがさめた様子で自身を見つめる石工職人らに向けて、先ほどと変わらぬ口調で言い放つ。


「何しとる? 貴様らもじゃ。わしにどたまかち割られたくなかったら、黙ってついてこい」


 有無を言わさぬ様子のガリムに、石工職人たちは即座に首を縦に振り慌てて立ち上がると、その後に続いて歩き出す。


 ガリムとイムル、石工職人たちはログの町を後にし、森の中へ。


 ソウルポイントで強化されていない石工職人たちが、森の魔物と、他ならぬガリムに怯えながら歩みを進める中、先頭を歩くガリムは、人間を優先的に攻撃する魔物が(ユグドラシル大陸に生息する最下層の魔物ではあるが)戦意を喪失し、すごすごと逃げ出し道を開けるほどの覇気を纏いつつ、木々をかき分け森を突き進んでいく。


 そして――


「ほれ、ついたぞ。酒に濁り、光を失った目ん玉ひん剥いて、全員あれを見るんじゃ」


 ミーミル王国とウルズ王国の国境付近。


 森が不自然に開けた場所で足を止めたガリムが、こう言いながら担いでいたイムルを地面に放り出す。次いで顎をしゃくり、背後にいる石工職人たちに前を見るよう促した。


 身を起こしたイムルと、石工職人たちは、促されるまま顔を動かし、アンドヴァリ大瀑布のすぐそばに建造されたソレを見る。


『――っ!?』


 次いで目を見開き、誰もが言葉を失った。


 大渓谷を横断する、積み重なったアーチ橋。


 森を切り開いて造られた、すでに整地済みの建設予定地。


 天高くそびえ、連なる、水道橋のものと思しき細長い橋脚。


 大空を駆け、彼方へと消えていく、建造の指針と思しき赤い線。


 そして、一人黙々と石を積み続ける。子供の背中。


 まるで時間が止まったかのように石工職人たちがそれらに見入る中、イムルが震える唇で言葉を紡ぐ。


「馬鹿な……一週間じゃぞ? あの坊主がわしのところにきてから、まだ一週間しかたっとらん……あのでたらめな設計図を参考に……たった一週間で……たった一人で……あれを……あれを造ったというのか!?」


 その仕事量を誰よりも正確に理解できるからこそ、イムルは目の前の光景が信じられない様子である。


 イムルが何度も何度も両目をこすり、目の前の光景が幻でないことを確かめている最中、誰かが言った。


「おい? なんで大渓谷内のアーチ橋が、全部同じ大きさなんだよ? 上にいくごとに、少しづつ小さくしないとダメだろうが?」


 これを切っ掛けに、石工職人たちの止まっていた時間が動き出す。


「あれ、両側が谷に支えられてるから自立してるだけだぞ」


「最上段のアーチも、下部のアーチと同じ大きさ? あれじゃ崩れて当然だろうに。もっと間隔を狭くしなくちゃ」


「作業の効率化を考えて石の規格を統一したんだろうが、素人の浅知恵だな。その部分部分で最適な大きさにしないと」


「ひでぇ積み方だな、おい。もっとましなやり方があんだろが。石ってもんをまるでわかってねぇ」


 次々に上がる指摘。目の前の水道橋は、プロフェッショナルである彼らから見れば問題点ばかりであった。正直、良い所を見つける方が難しい。


 狩夜はソレをトランプタワー、イムルは砂の城と評したが、正にその通り。この水道橋は、ちょっと小突けば崩れ去る、賽の河原の石の塔。


 レイラの石積み作業が正確すぎて、それでも自立してしまうものだから、余計にたちが悪い。


 自立してしまうから、狩夜とレイラはイムルの設計図と助言を信じてしまった。


 途中までうまくいってしまうから、疑えなかった。


 まさに徒労。


 水道橋建造に費やした狩夜とレイラの一週間は、ほとんどすべてが無駄だったのである。


 しかし――


『……』


 石工職人たちは、誰も笑いはしなかった。


 水道橋は、超高度かつ専門的な技術と知識があって、初めて建造が可能となる。その難易度を考えれば、目の前の光景は必然であった。いや、むしろ奇跡と言える。


 そう、悪いのは素人である彼らではない。


 悪いのは、彼らからの依頼をにべもなく断った専門家。自分たち石工職人と、誤った知識を故意に植えつけた誰かである。


「わしは……わしはなんということを……」


 後悔の言葉を血を吐くように述べた後、イムルが四つん這いの体勢で泣き崩れた。


 そんな中、ガリムはこの上なく真剣な口調で、当代随一の石工職人だけはすでに気づいているであろう、狩夜たちが成し遂げようとしている大事業を口にする。


「あそこで石を積んでおる、貴様らが言うところの無礼で無知な子供はな。あの水道橋を希望峰まで伸ばし、マナが溶けた水をミズガルズ大陸にまで届けるつもりであるらしい」


『なぁ!?』


 石工職人たち、再びの絶句。


 彼らの時間がまたも止まりそうになるが、ガリムはそれを許さなかった。真剣な口調を継続しつつ、こう尋ねる。


「鍛冶が専門のわしでは、可能か不可能かの判断がつかん。石工が専門である貴様らの、率直な意見を聞かせい」


『……』


 石工職人たちは一斉に沈黙。だが、茫然自失しているわけじゃない。


 先ほど聞いた夢物語のような大事業と、目の前の奇跡のような光景。その二つを秤にかけながら、職人としての、専門家としての知識を総動員し、計画の可不可を判断していく。


 そして――


「……できるんじゃないか?」


 石工職人の一人が、可能の方に一票を投じた。

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