211・人の性

「ガリムさん?」


 声が聞こえた方向へと狩夜が顔を向けると、ミーミスブルンでモルタル等の作り方を教えてもらったとき以来となる、ガリムの姿があった。


「どうしてここに? ランティスさんと進めていた船の方はいいんですか?」


 狩夜は地表部の下段、橋脚の石積み作業を継続しつつ尋ねる。


 重さ数百キロにもなる直方体の石材を、ソウルポイントで強化された両腕で持ち上げた狩夜は、レイラが用意した木製の階段を一段一段踏みしめるように上っていく。


 一方のレイラはというと、大渓谷内部で最上部崩壊時の落石により損傷したアーチ橋、その修復作業の真っ最中であった。無事だった部分が崩れないよう支保工で支えながら、ひび割れた石材を新しいものと入れ替えていく。


 レイラと共に、十歳前後にしか見えない体で石を運ぶ狩夜。抱える石材との対比で、いつも以上に小さく見える背中を見つめながら、ガリムはつまらなそうに鼻を鳴し、次いで口を動かす。


「ふん。ありゃあ企画倒れじゃな。わしやランティスがなんど嘆願しても、国の上層部が頑として首を縦に振らん。設計図ができても、肝心の材料が集まらんのではどうにもならんわ」


「それはそれは……どこも財布の紐が固くなってますね」


 これでまた一つ、大開拓時代復活への道筋が断たれた。


 軽い口調とは裏腹に、その事実を重く受け止めた狩夜は、石材を運ぶ体を僅かに強張らせる。


「わしがここにきたのは、計画が頓挫して暇しとるときに、ラグから流れてきた噂を聞いたからじゃよ。『生きていた “根差し草ムーブウィード” が、国境付近に新しい町を造るつもりらしい』とな」


「へぇ、そんな噂が」


「セメントだの、モルタルだのの作り方を聞きにきたときから、気にはなっておったんじゃが、こんな場所でこんなものを造っておったとはのう」


 大渓谷を横断する水道橋を見つめながら言うガリム。そして、落胆した様子で溜息を吐いた後、次のように言葉を続けた。


「人類の版図が広がるならめでたいことじゃな。それで、新しい町とやらの建設予定地はどこじゃ? この水道橋を使って、どこに水を運ぶ?」


「希望峰に」


「――っ!?」


 間髪入れずに返された答えに「お前も諦めるのか」と暗に語っていたガリムの表情が激変。目を剥きながら顔を動かし、アンドヴァリ大瀑布の上から伸びる赤い光線を辿る。


 そして、赤い光線が北東へ、希望峰のある方角へと消えていくの見届けてから、大声で叫んだ。


「小僧、本気か!?」


「本気です」


 またも間髪入れずに、決意と共に紡がれた返答。これを聞いたガリムは、狩夜とレイラ、水道橋と赤い光線との間で、何度も何度も視線を行き来させる。


 その後、生唾を飲み下すと同時に何かしらの結論を出したらしいガリムが、この上なく真剣な表情を浮かべつつ、狩夜に尋ねた。


「わかった。お前さんが本気だということはよーくわかった。じゃが解せん。なぜお前さんは、一人で石を積んでおる? これほどの大事業を、お前さんとあのちっこいのだけで完遂できるとでも思うておるのか? なぜ人を頼らん? なぜもっと大々的に喧伝せん? なぜ……なぜあのとき、わしとランティスに声をかけてくれなんだ?」


「報いるものと、確信がないからですよ」


 責めるようなガリムの問いに、狩夜は苦笑いを浮かべながら答える。


「ガリムさん、僕はですね、『水道橋このほうほうが、大開拓時代復活へと続く唯一の道筋だ』なんて思ってません。特にいいわけじゃない僕の頭じゃ、これ以外の方法が思いつかなかったからやってるだけです」


「……」


「もっと合理的で簡単な方法が他にあるかもしれない。それどころか、この素人考えは実際には実現不可能で、ただの徒労に終わる可能性すらある。そんな状況で、誰かれ構わずに声をかけ、とにかく手伝ってくれと、あなたなら言えますか?」


 報いるものがあれば――金で雇えるならばそれでもいいだろう。だが、多くの人を使うには莫大な資金が必要だ。ポールアクスを売ったことで得た金はまだあるが、その程度で足りようはずがない。このイスミンスールにおいて、人類は絶滅危惧種。奴隷という使い潰しても構わない格安労働力は、一人として存在しないのだ。


 無条件、無報酬で手伝ってくれそうな知り合いは何人かいる。が、それらは例外なく、狩夜の大切な友人か、尊敬すべき偉大な先人たちだ。


 そんな人たちに向かって『可能かどうかもわからない。可能だとしても成功するかはわからない。そして、成否にかかわらず報酬は払えない』などという恥知らずな要求をすることが、狩夜にはできなかった。


 狩夜から声をかければ、彼らはきっと断らない。いや、。内心はどうあれ、きっと笑顔で手伝ってくれる。


 それが怖かった。


 無茶な要求をして、嫌われたくなかった。


 恩を笠に着てと、軽蔑されたくなかった。


 友達だから。


 尊敬する人たちだから。


 大切に思う人だからこそ、言えなかった。


 僕と一緒に、ただ石を積み続けるだけの無間地獄に落ちてくれなどと、どうして言える。


「僕には無理です。僕の口から『手伝ってくれ』なんて言えません」


 言えるとすれば、この無謀な大事業が実現可能であると、決して夢物語ではないと、確信を持てたときだけ。


 その確信を得るために、一人でいいから石工職人を雇いたかった。


 専門家からの「できる」という言葉が聞きたかった。


 結局、それも叶わなかったが。


「そうか……そうじゃな……わしがお前さんの立場でも、そんなことは言えんな……」


「でしょう? だから、待ちます」


 この言葉と共に、狩夜は持ち上げていた石材を、建造途中の橋脚、その天辺へと置いた。そして、階段を飛び降り、次に運ぶ石材のもとへと向かう。


「僕よりずっと頭のできがいい誰かが、もっと画期的な方法を思いついてくれる瞬間を。諦めずにあがき続ける僕の姿を見て奮起した誰かが『見返りはいらないから手伝わせろ』と、向こうから言ってくれるその時を」


「……」


「それまで、ここで石を積みながら踏ん張ります。希望の光と、開拓の火は、僕とレイラが消させない。僕たちがいる限り、大開拓時代は終わらない」


 有言実行とばかりに、狩夜は石材を持ち上げた。そんな狩夜の背中を見つめ続けながら、ガリムは言う。


「そんな気骨のある者が、はたしておるかのう?」


「信じます」


「ほう、いったい何を? お前さんは、この程度の苦境に絶望した根性なしどもの、いったい何を信じると?」


「人のさがを」


「――っ」


 狩夜の返答に、ガリムは絶句し体を小刻みに振るわせた。そんな彼に向かって、狩夜は石材を抱えながらなおも言う。


 人間は、そうやって文明を発展させてきたのだと。


 言葉には力があるのだと。


 そう信じて。


「不可能に直面したとき、それを可能にしなければいられない、人間という生き物を」


「……」


 狩夜の言葉を噛みしめるように、ガリムは石材を運ぶ小さな背中を目で追い続けながら、両の手を強く強く握り締めた。


 職人の命である両手から、血がしたたり落ちることも厭わずに。


 そんなガリムに対し、今度は狩夜の方から問いかける。


「ガリムさん。僕からも聞きたいことがあるんですけど、いいですか?」


「……なんじゃ?」


「この水道橋、石と金属と大地のスペシャリストである地の民から見て、どうですかね? 一応、当代随一の石工職人であるイムルさんに書いてもらった設計図と、助言の通りに造って――」


「へたくそじゃ。まるでなっとらん」


 狩夜の言葉を途中で遮り、こう断言するガリム。この遠慮のない評価が耳に届いた瞬間、狩夜は意気消沈し、深く両肩を落とした。


「専門が鍛冶であるわしの目から見ても、問題点がいくつもあるぞ。これでは崩れて当然。幼子が手遊びに作った砂の城みたいなもんじゃ」


「そこまで言う!?」


 これまでの努力をほぼ全否定された狩夜は、今にも泣きそうな顔で天を仰いだ。もっとも、それでも石を積む作業を止めようとはしない。すでに「もうトライアンドエラーの繰り返ししかない」と、覚悟を決めているのである。


 そんな狩夜の、見つめ続けていた小さい背中から、何かを振り切るように視線を外し、その勢いのまま踵を返したガリムは、水道橋の評価に次のように付け加える。


「じゃが、断固たる決意と、信念を感じる。わしは嫌いじゃない」


 こう言い残し、ガリムは振り返ることなく歩き出す。獣道すらない魔物ひしめく森の中へ、それがどうしたとばかりに荒々しく踏み入り、木々の中へと消えていった。


 人里に戻るのか、最寄りの町であるログへと最短距離で進みゆく彼を引き留めることなくただ見送り、狩夜は石を積み続ける。

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