210・賽の河原

 ペシペシ! ペシペシ!


「うん?」


 建造開始から十数時間。切りの良い所で作業を中断し、マナの豊富な水辺だから大丈夫だろうと、アンドヴァリ大瀑布の上で野宿。大地を布団に一夜を明かした狩夜は、慣れ親しんだ感触に目を覚ました。


 目をこすりながら体を起こし、伸びを一つ。そして、先ほどまで自身の頬を叩いていたであろう相棒が背中に飛びついてきたところで、朝の挨拶を口にした。


「おはよう、レイラ」


 ペシペシ。


 レイラが「おはよ~」と言いたげに背中を叩く。直後、右側の葉っぱを動かし「あっち、あっち」と、やけに上機嫌で大渓谷を指し示す。


 そんなレイラの様子に、「まさか……」と呟きつつ立ち上がり、狩夜は大渓谷へと歩みを進めた。


 すると――


「うわ! もう終わってる!?」


 大渓谷の底から地表まで、トランプタワーの如く積み重なるアーチ橋の姿が目に映った。


 それだけではない。アーチ橋は地表を越えてなお重なり、アンドヴァリ大瀑布の上にまで届いている。


 地表の上にあるアーチ橋は、ミーミル王国側と、ウルズ王国側との高低差を一気に埋める橋脚の長い下段と、水道橋の最上部にあたる、橋脚の短い上段に分けられる。


 そして、その上段である水道部分は、狩夜が担当し、今だ建造途中の水門と、すでに繋がっていた。


「夜通しやってたの!? 大丈夫!? 疲れてない!?」


「……(コクコク)」


 心配の声を上げる狩夜に対し、レイラは「全然平気だよ~」と言いたげに笑顔で頷く。相も変わらず規格外な相棒に、狩夜は思わず苦笑いを浮かべた。


 その後、狩夜はすぐ横の水辺で顔を洗い、朝食を済ませてから、レイラの力も借りて水門造りを進め――


「これで水門は完成っと」


 石で作った鉢に植え替えたレーザーフラワーを、水道橋と水門の接合部に用意した円柱形の窪みにはめ込みながら、作業の終了を宣言する。


 まだ水門と、水道橋の始まりである大渓谷の上だけ。全体で言えば一パーセントほどの完成率ではあるが、ひとまずこれで、作業は一区切りである。


「それじゃ、テストをしてみようか……」


「……(コクコク)」


 水道橋も、水門も、イムルから受け取った設計図通りに造ってはみた。ちゃんと自立しているし、今のところ崩れる様子はない。が、狩夜とレイラは土木工事の専門家ではなく、むしろずぶの素人である。実際に水を流してみなければ、眼前の水道橋がきちんと機能するかどうかはわからない。


 故に、ここで一度水門を開き、水が流れるかどうかを確かめるのは必須事項であった。


 狩夜はレイラの同意を得た後、水門にはめ込んでいた分厚い石の仕切りを外し、モルタルによって隙間が埋められた水路へと、水を流し込む。


 アンドヴァリ大瀑布へと流れ込む水の量を制限したりはしない。今回はあくまでテスト。水の一部が水道橋へと流れてくれれば十分だ。


 狩夜とレイラが見守る中、水は水門を潜り、レーザーフラワーの間を通って水道橋へ。そして、水門と同じくモルタルによって隙間を埋められた水路を突き進み、大渓谷の半ばへと差しかかる。


 次の瞬間――


「あれ?」


 狩夜とレイラの苦労を嘲笑うかのように、水道橋上部が崩壊。流れ込んだ水もろとも、大渓谷の底へと消えていった。



   ●



「イムルさん、いますかぁ!」


 今めちゃくちゃ困ってますと、表情と声色の双方で語りながら、狩夜は再び石の町を訪れた。


 ミーミル王国南東部に位置するログは、アンドヴァリ大瀑布とそう離れてはいない。レイラによる多種多様な移動手段を有する狩夜から見れば、目と鼻の先だ。ものの数分で到着する。


「うん? おお、この間の坊主か。このわしに、なんぞ用かのぉ?」


 前回と同じく酒場で飲んだくれていたイムル。そんな彼に足早に近づき、狩夜は己が窮状を訴えた。


「この設計図通りに水道橋を組んでみました! そしたら組めはしますし、ちゃんと自立もするんですけど、水を流すと崩れちゃうんです! 何度試しても駄目で! 僕じゃどこが悪いかもわからなくて! お願いします! 助言をください! 前にも言いましたけど、他に頼れる人がいないんです!」


「おお、そうかそうか。それは大変じゃな。よしわかった。乗り掛かった舟じゃ。手ずから石を積む気にはならんが、相談くらいならいくらでも乗ろう。じゃがその前に、こう、酒で喉の滑りをじゃなぁ……」


「すみませーん! 追加注文お願いしまーす!」


「お、すまんのう」



   ●



「また……失敗だ……」


 あれから一週間。狩夜とレイラは諦めることなく石を積み、水道橋を造り続けた。


 しかし、何度組み上げても、テストとして水を流すたびに、水道橋上部が崩壊してしまう。


 石を積む。崩れる。


 石を積む。崩れる。


 石を積む。崩れる。


 どこが悪いか分からないので石工職人の工房を訪ねる。門前払いされる。


 唯一話を聞いてくれるイムルに助言を聞きに行く。財布が軽くなる。


 そして助言のまま石を積み、また崩れる。


 ただただ、それの繰り返し。


 そんな成果の上がらない日々の中で、狩夜はふと思う


 ああ、そうか。賽の河原ってこういう場所か――と。


 死者があの世へ行く途中に渡るという三途の川。その水辺は賽の河原と呼ばれており、親に先立って死んだ子供がいきつき『自身の身長と同じ高さまで石を積み上げる』という苦行を受ける場とされている。


 死んだ直後に異世界に転生して、チーレム無双ができるのは極一部。早死にした子供の大多数は、この河原へと送られる。


 賽の河原にいきついた子供たちは、朝に六時間、夜に六時間。ただひたすらに石を積み続けなければならない。


 そして、あと少しで完成というときに、獄卒の鬼がやってきて、せっかく積んだ石を崩してしまう。


 今までの努力と苦労を無にされた子供たちは、泣く泣く石を積み直し、またも完成間近に崩される。


 なぜ純粋無垢な子供たちが、こんな責苦を受けねばならないのかと問われれば、答えは一つ。


 それは、罪を犯したから。


 仏教において、親より先に子供が死ぬということは、どのような理由であれ大罪なのである。


 一つ積んでは父の為、二つ積んでは母の為。


 子どもたちは、犯した大罪を償うために、石を積んでは崩され、石を積んでは崩されの無間地獄を、ただただ延々と繰り返すのだ。


 まあ、自分はそれでもいい――と、狩夜は思う。


 狩夜は、聖域での戦いで一度死んでいる。ドゥラスロールのスキルで蘇り、こうして生きているが、本来ならば、今頃賽の河原で石を積んでいたはずなのだ。


 だから、自分が石を積むのはいい。甘んじて受け入れよう。


 だが――


「妹を、咲夜をこんな場所にいかせるわけにはいかないんだよ」


 親より先に死んだ子供は、全員賽の河原へと送られる。人格も、死因も関係ない。あの優しい妹が、病気で親より先に死んだという理由で大罪人だ。死後、賽の河原で石を積むことになる。


 長い入院生活で衰えた体力で、細くなった腕で「お父さん、お母さん、ごめんなさい」と泣きながら、石を積み続けることになる。


 異議あり――だ。


 叉鬼狩夜は、その罪状に、その判決に、断固として異を唱える。


 妹がいったい何をした? 妹は加害者じゃなく被害者だ。情状酌量の余地があってもいいだろう。


 加害者である自分が地獄に落ちるのは一向に構わないが、妹はだめだ。それは決して認めない。


 だが、神ならざる身であり、悟りも開いていない狩夜では、どれだけ声を張り上げても、喉を枯らしても、あの世の理には干渉できない。


 罪状は変わらない。判決は覆らない。


 ならば、死にゆく妹の運命を変えてやる。


 妹を、賽の河原にはいかせない。石なんて詰ませない。病気なんぞで死なせるものか。


 万病を癒す薬レイラと共に、必ず元の世界へと帰ってみせる。


 そして、そのためには水道橋が必要なのだ。


 だから、石を積もう。橋を造ろう。


 何度崩れようが関係ない。


 指の皮がむけても、肉が裂けても、骨が露出しようとも。


 体が動く限り、幾度でも石を積む。


 この無間地獄に、幾度でも身を落とす。


 そう、幾度でも。


 幾度でも、幾度でも、幾度でも。


「前例はあるんだ……不可能じゃない……なら、絶対諦めない……僕は絶望なんてしない……」


 決意を新たに、鬼気迫る表情で狩夜が石を積んでいると――


「精が出るな、小僧」


 聞き覚えのある、大山が鳴動したかのような野太い声が、耳に届いた。

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