206・鹿角家訪問

「粗茶ですが」


「あ、どうぞお構いなく」


 鹿角家への突然の訪問。にもかかわらず、下にも置かぬ扱いで客間に通され、促されるままに上座に敷かれた分厚い座布団に正座していた狩夜は、右後方から恭しくお茶を出してくれた奉公人の女性に小さく会釈した。


 こういった扱いに慣れていない狩夜が、木製の座卓に置かれた茶碗を緊張した面持ちで凝視していると、奉公人の女性はお手本のような礼儀作法で客間を後にし、襖の手前で正座。そして、三つ指をついて頭を下げてから、次のように告げる。


「叉鬼様のお相手は、当主代理・鹿角青葉が務めます。大変恐縮ではございますが、もう少々お待ちください。わたくしどもは客間の外に控えておりますので、御用の際は、なんなりとお申し付けください」


「いや、その……ほんとお構いなく。すぐにお暇しますので」


 正座しながら両手で襖を閉める奉公人をそう言って見送り、頭上のレイラ共々客間に残された狩夜は、再度茶碗と向き直る。そして、一目で高級品と分かるそれに恐る恐る両手を伸ばし、口へと運んだ。


「蓮茶か……美味しい……」


 出されたお茶は、フヴェルゲルミル帝国のいたるところに自生し、帝国国民の主食でもあるセイクリッド・ロータスを使った花茶であった。


 一般流通している大衆茶であるはずなのに、花がいいのか、腕がいいのか、はたまた高級茶碗の副次効果か、むやみやたらと美味しく感じる。


 フヴェルゲルミル帝国有数の名家である鹿角家。その家格を肌と舌で感じながら、狩夜は喉を潤し、静かに青葉を待った。


「ん? きたかな?」


 ほどなくして、客間の外から走ってきたと思しき足音が聞こえてきた。青葉がきたのだと判断した狩夜は、茶碗を茶托に戻し、背筋を伸ばす。


 直後、「狩夜殿!」という声と共に、客間の襖が開け放たれ――


「ああ、青葉君。お邪魔してま――」


「カーリーヤーさーんー♪」


「す!?」


 走ったことで着崩れたのか、肩と胸元を激しく露出させ、花魁から夜鷹スタイルへと変貌したアルカナが、両手を伸ばしながら狩夜に飛びついてきた。


「誰ですか!?」


 が、普段のナイトドレスではなく、髪も和風に結い上げられていたからか、狩夜は自身に飛びついてきた女性をアルカナと認識できず、咄嗟の判断でその場を退避。


 敏捷重視のハンドレットサウザンドである狩夜の動きに、バランス重視のテンサウザンドであるアルカナはついていくことができず、その両手が虚しく空を切った。そして、闇の民の背中に生えた蝙蝠のような羽は、ほとんど飾りであり、飛翔能力は備わっていない。


 結果――


「へぷ!?」


 アルカナは客間でヘッドスライディングを決めることとなり、畳の上を豪快に滑った後、壁に激突した。


「「「……」」」


 客間に訪れる沈黙。


 狩夜も、青葉も、レイラも、腹這いの体勢で客間の壁に頭をぶつけているアルカナを、ただただ無言で見つめ続ける。


 そんな中、アルカナは狩夜たちに背中を向けながらゆっくりと身を起こし、両手を使って体についた埃を払う。


 そして、振り返るなり狩夜との間合いを詰め、次のようにまくし立てた。


「酷いですわぁ! 酷いですわぁ! 酷いですわぁ! カリヤさん! どうして避けるんですのぉ!?」


「知らない人に突然あんな速度で飛びつかれたら、誰だって避けますよ!」


「わたくしですわよ! わ・た・く・し!」


「……うん? アルカナさんですか!? すみません! 服装も、髪形も、化粧も普段と全然違ったので、まったく気づきませんでした!」


「ますます酷いですわぁ! カリヤさんが行方不明になったと聞いてから今日まで! 運命を信じ、再会のときを心待ちにしておりましたのにぃ!」


「ほんとすみません! ごめんなさ――っ!?」


 アルカナに向かって頭を下げ、真摯に謝罪しようとした狩夜の動きと口が止まった。豪快にヘッドスライディングを決め、ますます着崩れた和服から覗くアルカナの蠱惑的な姿態が、超至近距離で視界に飛び込んできたからである。


「あら? あらあらあら♪」


 狩夜からの雄の視線に気がついたアルカナは、即座に機嫌を直し、舌なめずりをしながら両手を動かした。そして、自らの秘部と胸をかろうじて隠している衣服に指をかけ、少しずつ少しずつ、焦らすように横へとスライドさせていく。


「ちょ! な、何やってるんですかアルカナさん!」


「いえいえ、カリヤさんからの熱い視線を感じましたので、てっきり見たいのかなーと。ささ、どうぞご遠慮なく。わたくしの大切な場所、心ゆくまでご堪能くださいな。あ、お触りも自由ですわよ?」


「そ、そそ、そんなわけないじゃないですか! 今すぐ隠してください困ります! 青葉君もそう思いますよね!? ね!?」


 首を左右に振り、口では否定しつつも、瞳だけはアルカナに固定しながら、助けを求めるように狩夜は言う。


 一方、突然話を振られた青葉は――


「え? いえ、ボク――じゃない、俺は別段困りません。アルカナ先生がどんな格好をしていようと、なんとも思いませんから」


 と、本当になんとも思っていないであろう真顔と声色で、こう答えた。


「「「……」」」


 再び客間に訪れる沈黙。狩夜はばつが悪い様子で頬をかき、アルカナは興ざめの様子で肩を竦め、衣服を整えはじめた。



   ●



「そっか。青葉君たち月の民の男性は、普段は性欲皆無なんでしたっけ」


 落ち着きを取り戻した後、青葉、アルカナの両名と、座卓を挟んで向かい合いながら、狩夜は言う。


 月の民の男性が、平時に性的興奮を抱くことは決してない。


 月に一度の満月の夜。発情期を迎えた月の民の女性が分泌する特殊なフェロモンを、獣化して鋭敏化した嗅覚で感じ取ったときのみ、月の民の男性は性的興奮を抱くのだ。


【厄災】の呪いによって獣化能力を失った今、月の民の男性は全員が不能状態であり、闇の民が作る薬の力を借りなければ、子作りもままならない。


 薬で無理矢理準備を整えた性交渉は快感が薄く、恋愛感情もないため、今を生きる月の民の男性にとって、子作りはただの義務であり、仕事でしかないのだ。


「なら、奥さんが多くても辛いだけですよね……」


「あはは……外の様子を御覧になられましたか?」


「まあ、あれだけ騒がしければ。門を潜るときに、自然と目に入りましたよ」


 狩夜は苦笑いを浮かべる青葉から視線を切り、客間の外へと顔を向けた。


 障子と土塀によって姿こそ見えないが、狩夜の視線の先には今も鹿角家を取り囲む、自称・青葉の嫁たちがいるはずである。


「女であるわたくしの目から見ても、この歪な男女関係に幸せがあるとは思えませんわぁ。夫婦間にあるのは利害関係と法のみ。まだ顔目当て、体目当ての関係の方が健全でしてよ。そこにはれっきとした動物としての本能と、人としての欲望がありますもの。屋敷を取り囲んでいる方々も、内心そう思ってはいるのでしょうが、こんな時代ですから」


「これも絶望の時代の余波ってわけですね……そう言えば紅葉さんは? 青葉君が当主代理を務めてるってことは、留守なんですよね?」


 視線を前に戻しながらした狩夜の問いに、青葉は小首をかしげ、次のように答える。


「お会いしていませんか? 行方不明になった狩夜殿を探すと、揚羽様と共に旅立ち、もうずいぶんと経つのですが……」


「いえ、会っていません。行き違いですね。って言うか真央――揚羽様が紅葉さんと旅? 将軍なのに? 仕事は大丈夫なんですか?」


「揚羽様はすでに職を辞しておりますから、将軍ではなく大御所となります。現将軍は将軍家三女、木ノ葉様ですね」


「ああ……そういえば揚羽様、カルマブディス・ロートパゴイの一件の責任を取るとか言ってましたっけ……」


 とある闇の民の名前が狩夜の口から語られた瞬間、アルカナの表情が曇った。彼女は狩夜に向かって頭を下げ、次のように言葉を紡ぐ。


「その節は、わたくしの同族が多大なご迷惑をおかけいたしました。誠に申し訳ございません。事の顛末を紅葉さんから伝え聞いたときには、愕然といたしましたわぁ。カリヤさんがいなければこの帝国はどうなっていたことか」


「いえいえ! あの事件はアルカナさんが悪いわけではありませんから!」


 ここで一旦会話が途切れ、しばらく三人のお茶を飲む音だけが客間に響く。


「して、狩夜殿。此度の鹿角家への訪問、どのような御用向きで?」


 茶碗を置き、真剣な表情で訪問の真意を問う青葉。狩夜もつられるように真剣な表情を浮かべ、鹿角家を頼った理由を口にする。


「帝国内で立場のある人に聞きたいことがありまして。鹿角家でなくともよかったのですが、せっかくなので青葉君と紅葉さんの顔を見たいな、と」


「聞きたいことですか? なんでしょう?」


「僕と青葉君が閉じ込められたギョッルの廃坑なんですが、あそこの権利はどうなっていますか? わけあって石が大量に必要になりまして、あの岩山の石を譲ってほしいなと思っているのです」


 ドーム状の巨大地下空間を造っても、テンサウザンド級の魔物が地下で暴れ回っても、終ぞ崩れることのなかったギョッルの廃坑。そんな廃坑のある頑強な岩山から石を切り出し、水道橋の素材にしたい。


 そう考えた狩夜は、石を採取する許可を貰うため、帝国有数の名家であり、縁もある鹿角家を訪ねたのである。


「石ですか?」


 狩夜からの返答を聞いた青葉は、きょとんとした顔を浮かべた後、なんだそんなことかと破顔した。そして、次のように言葉を続ける。


「そんなものでしたらどうぞいくらでも。鉱石が掘り尽くされた今、廃坑周辺は完全に放棄されております。あそこはもう、誰のものでもない魔物の領域。開拓者の権利に基づき、必要なだけ、ご自由にお持ちください」


「そっか、良かった」


 青葉の言葉を聞いた後、狩夜はすっくと立ちあがる。そして、狩夜の突然の行動に青葉とアルカナが目を剥く中歩き出し、客間を出るべく縁側へと続く障子に手をかける。


「それじゃ、必要なだけ貰っていきますね。お茶、ご馳走様でした。美味しかったです」


「狩夜殿!? どちらに!?」


「許可がもらえましたので、今すぐギョッルに向かいます。青葉君の顔も見れましたし、ね。元気そうで安心しました」


 狩夜はそう言い残し、障子を開けて客間を後にした。玄関に向かって足早に歩いていく。


「カリヤさん! お待ちになって!」


「そうです、お待ちください! 先ほども言いましたが、姉上と揚羽様が狩夜殿を探して旅をしているのです! 連絡が取れ次第エーリヴァーガルに戻るようお伝えしますので、帰ってくるまで当家に――」


 こう口を動かしながら慌てて立ち上がり、自身も客間を飛び出して狩夜の後を追おうとする青葉であったが――


「「「「「見つけましたよ、青葉様!!」」」」」


「ひぃ!」


 屋敷の外に足場でも組んだのか、土塀から顔を出した自称・青葉の嫁たちに見つかり、すぐさま客間に戻り障子を閉めてしまう。


 青葉が障子を閉めてしまったことで、同じく狩夜の後を追おうとしていたアルカナの足が止まる。そんな中、狩夜の申し訳なさげな声が鹿角家の屋敷に響いた。


「慌ただしくてごめんなさい! でも、これは青葉君のためでもあるんです! お話は今度時間がある時にゆっくりと! お邪魔しましたぁ!」


「うわぁあぁぁん! また姉上に怒られるぅぅうぅ!」


 こうして、鹿角家と帝都エーリヴァーガルを後にした狩夜は、空路にて鉱山都市・ギョッルへと移動。意気揚々と鉱山へと赴き、石を採取。レイラの体内へと次々に保管していった。


「丈夫な石。ゲット」

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