204・水道橋
水道橋。
川や谷を超えて水を運ぶための橋。水路橋や水管橋とも呼ばれる。
メキシコのパドレ・テンブレケ水道橋や、イギリスのポントカサステ水路橋。日本国内にも、熊本県の通潤橋や、京都南禅寺の水路閣などが存在する。
このように、世界各地には様々な水道橋が現存しており、かつて栄華を極めた文明の名残を現代に伝えているわけだが、やはり最も有名なのは、フランスのポン・デュ・ガール水道橋を含む、かのローマ水道だろう。
ローマ水道。
古代の土木建設で、もっとも偉大な業績のひとつであるとされる、古代ローマにて建設された水道群の総称。
石、セメント、モルタル、コンクリート、レンガ等によって造られており、ほぼ全ての水道で水道橋が使用されている。
十一本もの水道によりローマに供給された水量は、一日に百万立方メートルにもなり、国民一人当たりに換算した場合の使用量は、おおよそ千リットル。これは、現代の東京都民の使用量を、遥かに上回る数字である。
古代ローマ滅亡後、千年以上もの期間、これに匹敵する水道は造られることはなく、この古代の水道は現代においても多くの都市で実用に供され、今なお人々に水を供給し続けているという。
驚くべきはその技術力の高さであり、距離にして五十キロメートル。両地点の高低差、わずか十七メートルの場所から、重力のみで水を運んだ。
言うまでもなく、水が流れるには必ず傾斜がなければならない。つまり、一キロメートルあたり平均して三十四センチの傾斜を、五十キロメートルの間でつけ続けたという計算だ。
世界文化遺産にも登録されているポン・デュ・ガール水道橋の高さは、川の最低水位から四十九メートルにもなり、水上部分だけでも十二階建てのビルに相当する。重機なしに積み上げられた石のアーチは、二千年もの経年劣化に耐え、川の水の浸食と、風雨に抗い続けた。
そして、驚くことに古代ローマ人は、五十キロメートルに渡るこの高度な水道を、僅か五年で完成させたという。
「古代ローマ人マジぱない。異世界からの転生者が、知識チートだの、技術チートだのをしてたんじゃないのか?」
なにかと異世界や異世界人が取り沙汰される昨今だが、地球人も十二分に凄いと狩夜は思う。ローマ水道もそうだが、ピラミッドや万里の長城などを見たら、エルフやドワーフでも驚くのではなかろうか?
「ケルラウグ海峡の全長は二十キロ足らず。水深も海底を目視できるくらい浅いし、海溝もない。海底は世界樹の成長の際にプレートから切り離された硬い岩盤が延々続いてるから、地盤整備の必要はないはずだ。その上に橋を造るのは、そこまで難しくない……と思う」
「……(コクコク)」
レイラが「なるほど」と言いたげに首を縦に振る中、狩夜はなおも口を動かし、無謀とも言える大事業に挑戦しようとしている自分自身を鼓舞するべく、こう断言した。
「とにかく、前例はあるんだ! 前例がある以上は不可能じゃない! 少しづつでも前に進んでいけば、いつか必ずゴールにたどり着く! いくよレイラ! まずは材料集めだ!」
「……!(コクコク!)」
こうして、ユグドラシル大陸とミズガルズ大陸を水道橋で繋ぎ、マナの溶けた水を希望岬に届け、大開拓時代を復活させるという、狩夜とレイラの途方もない挑戦が始まった。
●
「希望峰近海に生息する最下層の水棲魔物。それらと衝突した際に転覆しない程度の中型船で十分です。【厄災】以前にあったという鉄の船のように、船底を高硬度の金属で覆えませんか?」
「厳しいのう……技術的にはともかく、材料がな……」
光と火と地の都・王都ミーミスブルン。
三つ葉葵――徳川家の家紋の如く区画整理されたその町の、地の民の商業区域に、スミス・アイアンハートはある。
出入り口に『臨時休業』と書かれた看板のかけられた店内、その奥にある作業部屋で、二人の男性が神妙な顔つきで言葉を交わしていた。
一人は、金髪をオールバックにした、長身骨太の美男子だった。筋肉という名の全身鎧と、タンクトップにズボンだけという、実にラフな格好をしている。
もう一人は、腹部にまで届く立派な髭を蓄えた、筋骨隆々の厳つい男。岩石のような体は頭でっかちの五頭身で、年季の入った作業着を纏っている。
光の民のトップ開拓者にして、第三次精霊解放遠征で司令官を務めた男、ランティス・クラウザー。そして、地の民のトップ開拓者にして、ユグドラシル大陸随一の鍛冶師である、ガリム・アイアンハートの二人であった。
数少ないテンサウザンドの開拓者でもある二人は、木製の図面台の上に置かれた船の設計図を見つめながら、あーでもない、こーでもないと意見をかわしつつ議論を煮詰め、理想と現実とのすり合わせをおこなっていた。
すると、突然――
「ガリムさんいますかぁ!」
と、店の出入り口が勢いよく開け放たれ、まだ幼さが色濃く残る声が店内に響き渡る。
誰もが知る地の民の英傑。“鉄腕” の二つ名を持つ開拓者が店主を務める店に、真昼間から無理矢理押し入る命知らずがいることに驚きつつ、二人は作業部屋から勢いよく飛び出した。
「いったい誰じゃ藪から棒に! 外にある臨時休業の看板が見えんかったんか大馬鹿もんが――って、小僧!?」
「カリヤ君!?」
二人は、店内に押し入ってきた無法者が知人、半年もの間行方不明だった狩夜であったことに驚き、目を丸くしながらその身を硬直させた。一方の狩夜は、そんな二人にポールアクス片手に早歩きで詰め寄り、次のようにまくしたてる。
「あ、ガリムさん! ランティスさんも、お久しぶりです! 突然なんですけど、この金属装備の査定と買い取りをお願いします! 後、セメントとモルタル、コンクリートとレンガの作り方を教えてください!」
●
「一歩目から躓いちゃったなぁ……」
ポールアクスの買い取りと、この半年の簡単な説明を終え、ランティス、ガリムと別れた狩夜は、教えてもらったセメント、モルタル、コンクリート、レンガの材料と、その作り方が書かれたメモに目を落しながら、暗い顔でミーミスブルンを歩いていた。
狩夜の顔を曇らせているのは、これらすべてに共通して使用したい、とある材料である。
「火山灰かぁ……」
ユグドラシル大陸には、火山がない。
ユグドラシル大陸は、世界樹がこの世界に根づき、成長する際に、プレートから引きはがされ根の上に残った岩盤に、長い年月をかけて土砂が堆積することでできた大陸である。そのため、火山は一つとして存在しない。ユグドラシル大陸の鉱物資源が極めて乏しい理由がこれだ。
火山が存在しないのだから、当然だが火山灰も存在しない。
焼成粘土や陶器片等で代用できなくもないのだが、その強度は目に見えて低下し、塩害にも弱くなるとのこと。並の建造物ならいざ知らず、海峡を横断し、全長数十キロにも及ぶ水道橋に使用するには、あまりに心もとない。
「しかたない……全部石造りだ……水路部分の隙間埋めだけに、代替素材で作ったモルタルを使おう……」
狩夜は小さく溜息を吐き、次いでメモから顔を上げる。そして、気持ちを切り替えようと、ランティス、ガリムと言葉を交わした際に垣間見た、船のものと思しき設計図を思い出し、小さく笑みを浮かべた。
――諦めが悪いのは、僕だけじゃない。
まだこの世界には、人々に希望を取り戻そうと、あがいている人がいる。
大多数の人間が「できる訳ない」と首を振る方法で、現状を打開しようともがく馬鹿がいる。
――僕は、一人じゃない。
自分とは別の道を模索する同類の存在に勇気づけられた狩夜は、大量の石を手に入れるべく、次なる目的地を目指した。
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