202・特別な誰か

「美味しいよう、美味しいよう……半年ぶりのまともな食事だよう……」


 運ばれてきた料理、上下に切り分けた白パンの間に、アウズンブラ(牛)とセーフリームニル(豚)の合いびき肉を練って焼いたものを、ヘイズルーン(山羊)のチーズと一緒に挟んだもの――つまりは、地球で言うところのチーズバーガーに、狩夜は涙ながらにかぶりつく。


「泣くほどですか……」


「カリヤってば、どんな食生活してたのよ?」


 不眠不動の点滴生活とはさすがに言えないので、狩夜は料理に夢中になることでカロンとレアリエルの言葉をさらりと流す。そして、食べ終わると同時に礼を述べた。


「ごちそうさまでした! レア、本当にありがとう。恩に着る。代金は、これをお金に変えた後で払うから」


 椅子の下に置いておいたポールアクスを手に取り、軽く掲げてみせる狩夜。大型武器が放つ重厚な存在感に引き寄せられ、周囲の視線が自然と集中する。


「さっきから気になってたけど、どうしたの、それ? 見た感じ、結構な業物だよね? 新調したの?」


「先ほど言っていた、厄介な相手とやらの対策ですか? ですが、少年の身長では扱い辛いでしょう。武器は体に合ったものを選びなさい」


 狩夜が武器を手に取った瞬間、女ではなく、開拓者としての顔を浮かべるレアリエルとカロン。目の前にいる二人が同業者であり、種族を代表する英傑であることを再確認しつつ、狩夜は言う。


「えっと、これは僕のじゃなくて、ついさっき希望峰で拾った――」


「「――っ!?」」


 希望峰という言葉に反応したレアリエルとカロンが、両手でテーブルを叩きながら勢いよく立ち上がり、興奮した様子で身を乗り出してくる。


「「その話、詳しく!」」


 美女と美少女の顔。そして、膨らみ過ぎと膨らみかけな胸の谷間。別種の魅力を備えたそれらが視界を覆い尽くすという幸運に見舞われた狩夜は、男の幸せを噛みしめつつ、小一時間前の出来事を二人に語り出す。


「――という経緯でミズガルズ大陸を脱出した僕とレイラは、一番近いケムルトへとやってきて、ここで二人と再会したってわけ。以上、説明終わり」


「……そっか、カリヤも頑張ってたんだ」


 叉鬼狩夜直近の冒険を聞いた後、レアリエルは小声でこう呟き、脱力した様子で椅子に座る。カロンもそれに続いた後、次のように口を動かした。


「大変でしたね、少年。そして、ディープラインを越えての他大陸上陸。並びに、ユグドラシル大陸への生還、おめでとうございます。どちらも世界で二例目となる快挙ですね。誇りなさい」


「こてんこてんにされて、尻尾巻いて逃げてきたんですよ? 無理です。誇れません。やっぱり、フローグさんみたいにはいきませんね」


「彼は特別ですから」


 狩夜が比較対象として挙げた名前に、カエルを苦手とするカロンが苦笑いを浮かべた。


 “流水” フローグ・ガルディアス。


 世界最強の呼び声高い、水の民の訳あり剣士。誰よりも早くハンドレットサウザンドの高みに足を踏み入れた、孤高の開拓者。


 フローグは、狩夜がどうにもならないと断じたミズガルズ大陸をソロで冒険し、その奥地への単独先行偵察を、一年以上も前に成功させている。


 なぜ彼は、それほどの偉業を成し遂げることができたのか? その理由は、彼だけが持つ特異な体質に起因する。


 水の民の王族が秘密裏に行っていた人体実験により生まれた、人間と魔物、双方の特性を有した生体兵器。その唯一の成功例であるとされるフローグは、自己の強化にテイムした魔物を必要としない。ソウルポイントの吸収と、白い部屋での自己強化を、その身一つでこなすことができる。


 元々の身体能力も非常に高く、同級の魔物を相手に一人で互角以上に渡り合うことが可能。加えて、人類を優先的に攻撃するという魔物の特性の対象外であるらしく、他者と比べて明らかに魔物に襲われにくい。


 これらを聞くと、フローグは人間ではなく魔物ではないのか? とも思えてくるが、その一方で、フローグはマナによる弱体化もしないのだ。


 その出自と見た目から、絶えず疑惑がつきまとう最強剣士。彼は今、どこで、何をしているのだろう?


「なんにせよ、カリヤが無事でよかったよ。少なからず成果もあったみたいだしさ」


「まあ、無一文を脱することができるのは素直にありがたいよ。レア、これの持ち主に心当たりない? 持ち主が誰か分かるなら、その人と直接交渉してもいいかなって思うんだけど」


「ボクは知らないかな。カロンちゃんは?」


「私も知りません。そして『開拓者が開拓の際に見つけたアイテム、装備品、貴金属、魔物の素材等は、全て開拓者本人に所有権がある』が、我々の原則です。よって、その武器はもう少年の所有物。売るなり使うなり溶かすなり、あなたの好きなようになさい」


「そうですか。ちなみに、カロンさんはこれ、欲しかったりしません? 適正な金額を払ってくれるなら、今この場でお譲りしても構いませんよ? あ、もちろんレアでもいいよ」


 狩夜のこの提案に、カロンとレアリエルは閉口し、思案顔を浮かべた。が、数秒で頭を振り、拒否の意思表示をする。


「いえ、不要です。私には愛用の戟がありますから。パーティメンバー用としても要りませんね。不運な事に、魔物の再テイムにいまだ成功していないのです」


「ボクも要らないかな。理由はカロンちゃんと一緒。それと、売るならガリムのおじ様のところがいいと思う。カリヤの持ち込みなら、きっと高く買ってくれるよ。おじ様もカリヤのこと心配してたし、顔を見せにいったほうがいいんじゃないかな?」


「ガリムさんか……わかった、そうする」


 こう答えた後、狩夜は体を曲げ、ポールアクスを再び椅子の下に置いた。そして、体を起こすと同時に真剣な表情をうかべ、次のように言葉を続ける。


「あのさ、レア。もしよかったら、この後僕と一緒に絶叫の開拓地スクリーム・フロンティアにきてくれないかな? カロンさんも、お願いします」


「「……」」


 狩夜からの突然の提案に、レアリエルとカロンは沈黙をもって答えた。そんな二人に向かって、狩夜はなおも言う。


「僕一人じゃ無理なんだ。引っ切り無しに魔物が襲ってきて、息が続かない。でも三人なら――」


「この三人でも、日帰りが限界だよ。夜は越せない」


「レアの言う通りです。我々人類が、絶叫の開拓地スクリーム・フロンティアで長期間活動するには、人間を優先的に攻撃する魔物が、攻撃をためらうほどの質と量を兼ね備えた軍を形成する以外にないと知りなさい」


「それでもいい。レアはアイドルで、カロンさんは火の民の王族だ。知名度と人気、実力を兼ね備えた二人が絶叫の開拓地スクリーム・フロンティアにいって、それなりの成果を上げて帰ってくることに意味がある。そして、多くの人の前で言うんだ、まだ人類は他大陸にいける。大開拓時代は終わってなんかいないって」


「「……」」


「そしたら何かが変わるかもしれないだろ? 人類が希望を取り戻して一致団結。開拓者ギルドへの融資が再開されて、精霊解放遠征をもう一度って流れができるかもしれない。僕とレイラが責任をもって、二人を無事に送り届ける。だから――」


「いえ、事ここに至っては無駄でしょう。その案は諦めなさい」


 狩夜の言葉を遮り、それは無理だと断言するカロン。そして、次のように言葉を続けた。


「少年、なぜ大開拓時代が始まったのか。なぜ人々があれほどまでに熱狂し、誰もがソウルポイントを求め、他大陸を目指したのか。その理由がわかりますか?」


「それは――」


「答えは『誰にでも、平等に、チャンスがあったから』です」


 狩夜の回答を待つことなく、自ら答えを口にするカロン。その答えに、狩夜は深く、ゆっくりと頷いた。


 未開の土地を切り開き、人が住める環境を構築すれば、その開拓地の支配権を得ることができ、王を名乗ることすらも可能。信仰の象徴たる精霊の解放に成功すれば、英雄として未来永劫語り継がれる。


 成り上がりの代名詞。それが開拓者という職業だ。


 始まりである魔物のテイムに成功できるかどうかは、完全なる運。たとえ王族であろうとスタートラインは同じ。そして、たとえ凡人であろうと、やり方次第で超人になれるのが開拓者だ。狩夜はそのことを、誰よりも知っている。


「自分以外の特別な誰かが、どこか遠くで活躍するだけではダメなのです。それでは人は狂わない。それでは時代は動かない。それでは命は懸けられない」


 誰もが物語の主役でいたい。舞台の上に立って、華々しい活躍をしたい。


 だが悲しい事に、ほとんどの物語はキャストの人数が有限であり、主役どころか脇役端役として舞台に立てる人間すら稀なのだ。大多数の人間は、その他大勢の観客止まりであり、特別な誰かの活躍を、お金を払って見る側である。


 それが普通で、当たり前。


 だが、大開拓時代という、イスミンスール全土を舞台にした物語は違った。


 キャストに人数制限はなく、世界という舞台に限りはない。衣装も、振り付けも、台詞も思いのままだ。それでいて、参加の際に持参しなければならないものは、己が命と勇気のみというお手軽さである。


 ゆえに、誰にでも、平等に、チャンスがあった。


 希望峰が、ディープラインの内側にあるまでは。


「誰もが平等に他大陸にいける。誰しもに平等にチャンスがある。そんな状況を再び作り出さない限り、大開拓時代の復活はあり得ないと理解なさい」


「……」


 ぐうの音も出なかった。カロンに完全論破された狩夜は、暗い顔で頭を抱える。


「私たちも手をこまねいていたわけではないのです。魔物の再テイムに勤しむ傍ら、同族を鼓舞したり、王に嘆願書を書いたり、前途有望な同業者に声をかけたり。ですが、ダメでした。民を元気づけるべく、著名な歌い手であるレアをこうしてミーミル王国に呼び、主要な町で歌ってもらってもみたのですが、それも――」


 名前が出たところで狩夜から視線を外し、当の本人へと視線を向けた瞬間、カロンの口が止まる。何事かと思い、狩夜もまたレアリエルへと視線を向けた。


 すると、そこには――


「ごめんね……カロンちゃん……」


 下を向き、しわができることも構わず、両手でスカートを握り締めながら、止めどなく涙を流すレアリエルの姿があった。


「ボクの歌……この町でも絶望に負けちゃった……ボク、アイドルなのに……みんなが下を向いてるときにこそ……光にならなきゃだめなのに……」


「――っ! レア!」


 席を立ち、レアリエルへと駆け寄るカロン。そして、カロンの手が肩に触れた瞬間、レアリエルは泣き崩れる。


「カロンちゃんの言う通りだね……もう、特別な誰かじゃダメなんだ……ボクじゃ……アイドルじゃ……希望への架け橋には……なれないよぉ……」


 今、わかった。


 狩夜はようやく理解した。


 レアリエルほどの開拓者が、背後から近づいたとはいえ、狩夜とレイラという強者の存在に、声をかけられるまで気づかなかった理由を。


 振り返ったとき、顔を真っ赤にしていた理由を。


 あのときもレアリエルは――いや、きっともっと以前から――


「レア……」


 自らの無力を嘆き、狩夜の知らないところで、ずっとずっと、泣いていたのだと。

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