201・美女と、美少女と、凡人と

 ペシペシ! ペシペシ!


「残り五分! でも、あと少しだから大丈夫!」


 希望岬の入口付近、防壁だった石山の横を通り過ぎたあたりでレイラが発した警告に、狩夜は冷静さを残した声色で答える。


 絶叫の開拓地スクリーム・フロンティア脱出のため、ディープラインを目指して全力でひた走る狩夜たち。そんな彼らを追撃する魔物の姿は――ない。


 瞬間的な最高速度ならともかく、敏捷重視のハンドレットサウザンドである狩夜に長時間追いすがることのできる魔物は、ミズガルズ大陸西部にはほとんどいない。たとえいたとしても、レイラが適宜排除する。


 ゆえに狩夜には、先ほどのようにレイラと会話したり、広い視野を維持するだけの余裕があった。


「――うん?」


 だから気づける。


 希望岬に散乱する天幕の残骸の中、「俺はまだ戦える」とばかりに陽光を反射する、金属装備の存在に。


「よっと!」


 進路を僅かに変更し、身を屈めながら左手を伸ばす狩夜。見つけた金属装備を最小の動きで回収する。


 それは、鉄がふんだんに使われたポールアクスであった。


 鉱物資源が非常に乏しいユグドラシル大陸において、金属装備はかなりの貴重品だ。王族に名を連ねる者や、大きな功績を挙げた開拓者しか所持することのできない、強者の証でもある。


 エムルトを放棄する際、名の知れた開拓者が撤退の邪魔になるからと、泣く泣く手放したであろうそれを手に、狩夜は希望岬を駆け抜け、岸壁の先端から大跳躍。


 人間離れした驚異的な脚力と、海面までの高低差を利用して、希望岬からディープラインまでの距離、おおよそ二百メートルを、文字通りの一足飛びで移動。着水直前に展開された葉っぱの舟に飛び乗り、狩夜とレイラは絶叫の開拓地スクリーム・フロンティアからの脱出を無事成功させた。


 世界救済後、はじめてとなる冒険は、こうして幕を閉じる。



   ●



「わかった。僕とレイラだけじゃどうにもならないってことが、よーくわかった。うん、大収穫だ」


 場所は城塞都市ケムルト。回収した身の丈を超えるポールアクスを手に、ウルザブルンと同じく人通りがまばらな大通りを歩きながら、狩夜は言う。


 実際問題、二人だけではどうにもならない。


 狩夜はハンドレットサウザンドの開拓者なので、レッドラインの向こう側へとソロで足を踏み入れる資格がある。事実として、テンサウザンド級の魔物を地の利も小細工もない真っ向勝負で撃破し、生きてミズガルズ大陸へと帰還することにも成功した。


 だが、である。


 テンサウザンド級の魔物が二匹同時に襲ってきたら厳しいし、三匹同時ではまず勝てない。相手が群れだったら逃げるしかなく、ミズガルズ大陸の主、すなわちハンドレットサウザンド級の魔物と遭遇したら、逃げることすらおぼつかない。むしろ高確率で殺されるだろう。


 開拓者が魔物と戦う場合、相手が同級なら三倍以上の戦力で挑むのが通例だ。【厄災】の呪いによって弱体化し、精霊の封印と共に魔法を失った人類は、知能を除く基本性能で魔物に負けているのである。


 そして、数でも。


 現状、その圧倒的な戦力差を覆すには、制限時間を承知でレイラの力に頼るしかない。本来は魔王との戦いまで温存しなければならない切り札で急場をしのがなければ、狩夜たちは先に進むことすらできないのだ。


 そして、帰り道のことも考慮すれば、レイラの活動時間が十五分を切ったところで引き返すしかないのが実情である。


 以上の理由から、狩夜は確信した。


 現状の戦力では、ミズガルズ大陸を踏破し、“邪龍” ファフニールを打倒することは不可能である――と。


「さて、どうしたものか……」


 この困窮した状況を、いかにして打開しようかと狩夜は頭を悩ませる。そんなとき――


「あれ? あそこにいるのは……」


 悲観的な世界情勢のなかでも、通常営業を続けるオープンカフェのような飲食店。そのテーブル席でアンニュイな表情を浮かべながら向かい合う、絶世と評して差し支えない美女と美少女の姿が、狩夜の視界に飛び込んできた。


 席の配置の関係で、美女だけが狩夜の存在に気づき目を見開く中、狩夜は数少ないタメ口をきける相手である美少女に背後から近づき、次のように声をかける。


「やあ! そこにいるのは大開拓時代に舞い降りた白亜の大天使! スーパーラブリーミラクルアイドルレアリエル様じゃないか! 久しぶりだな!」


「はぁ!? 誰よいきなり! ボクに喧嘩売ってるわけ!?」


 アイドルのステージ衣装を彷彿させる青を基調としたミニスカワンピースから、一目で走鳥類系の風の民とわかる発達した鳥脚を伸ばす美少女――レアリエルは、ツインテールにまとめた膝まで届く白髪を翻して体ごと後ろを振り返り、世界一可愛いと公言する顔を真っ赤にしながら、狩夜を睨みつけた。


「うおーい!? 前にそう呼べって言ったのはそっちだろ!? それで怒るのは理不尽じゃないかなぁ!?」


 両の目を吊り上げて怒りを表現するレアリエルの剣幕にやや引きながらも、狩夜はすぐさま言葉を返した。返して、後悔した。


 今でこそ互いに認め合っているが、狩夜とレアリエルは基本的に相性が悪い。これを切っ掛けに、幾度目とも知れぬ不毛な言い争いが――


「え? あれ? カリ……ヤ?」


 始まらなかった。


 先ほどまでの怒りはどこへやら。狩夜の名前を呼んだ後、レアリエルはポカンとした顔でフリーズ。その動きを完全に止めてしまう。一方の狩夜は困惑顔で首を傾げ、右手で頬をかいた。


「おーい、レア? レアさん? レアさんやーい? ……なんだよ、調子狂うな。あ、カロンさん。こんにちは。お久しぶりです」


 レアリエルのときとは打って変わり、ドラゴニュートの証である紅玉の如き二本の角を眉間から伸ばす火の民の美女――カロンに対し、狩夜は小さく会釈をしながら敬語で挨拶をした。


 真紅の髪を後頭部でシニヨンにし、赤を基調とした露出過多なチャイナドレスを身に纏うカロンは、一番の特徴である豊かすぎる胸を木製の丸テーブルの上に乗せながら「え、ええ。久しぶりですね、少年」と答えた後、次のように言葉を続ける。


「生きていたのですね、安心しました。あなたが行方不明と聞き、私やレアはもちろん、多くの人が心を痛めていたのです。この半年、いったいどこで何をしていたのですか? 答えなさい」


「えっとですね、まともな方法じゃ勝ち目のない、厄介極まる相手とずっと戦っていまして、終わったのが昨日です。御心配をおかけして申し訳ありません。レアもごめんね。心配かけちゃったかな?」


「ふえ!?」


 狩夜の謝罪でフリーズから回復するレアリエル。怒りではなく照れで顔を赤くした後、慌ててそっぽを向いた。


「ちょ、ちょっと、カロンちゃん! 変なこと言わないでよ! ボクはカリヤのことなんて、これっぽっちも心配なんてしてないし! って、違う違うちがーう! ボクは心配じゃなくて怒ってたんだった! ちょっとカリヤ! 招待したライブをすっぽかしておいて、よくボクの前に顔を――」


「それと、素敵な二つ名をありがとう」


「ふみゅう!?」


 呆けたり、照れたり、慌てたり、怒ったりと、ころころ表情を変えていたレアリエルが、二つ名というワードに反応し、全身を震わせる。そして、気まずげに視線を泳がせてからこう弁明した。


「その件に関しては悪いと思ってるよ! ごめんなさい! でもカリヤだって悪いんだからね! 大活躍して多くの人に期待されているのに、突然失踪しちゃうんだもん! 期待を裏切ったカリヤに対する失望感があったから、“根無し草ムーブウィード” なんていう不名誉な二つ名が定着しちゃったんだぞ!」


「別に謝らなくていいよ、気に入ってるから」


「なんでこんなかっこ悪い二つ名を気に入っちゃうのかな!? 知らないうちにいなくなったと思ったら、突然目の前に現れるし! もうわけわかんない!?」


「まあまあ、レア。落ち着きなさい。少年、もし時間があるのなら、話がてら一緒に食事でもどうですか? さあ、そこの開いている席に座りなさい」


 お誘いなのか、命令なのか。どちらにもとれるカロンの言葉に素直に従い、二人と同じテーブルに着く狩夜。直後、あることを思い出し、レアリエルに向かって両手を合わせながら頭を下げる。


「ごめんレア。僕、お金ないんだ。何か奢って」


 仲間以外では、同い年の喧嘩友達であるレアリエルにしかしない、実に遠慮のない要求。それを見聞きしたレアリエルは、とたんにジト目になった。そして、ジト目を維持したままこう口を動かす。


「なんでカリヤが金欠なんだよ? エムルトじゃ派手に稼いでたって聞いたよ? それこそ三国の都の一等地に豪邸建てられるくらい。そのお金はどうしたのさ?」


「次の時代に懸けてきた」


「いや、かっこいいこと言ってるつもりかも知れないけど、男の子が女の子にご飯奢ってもらおうとしてる時点で、色々と台無しだからね?」


 決め顔でもっともらしいことを言ってきた狩夜を、呆れ顔でダメ出しするレアリエル。その後「まあ、ご飯くらいいくらでも奢ってあげるけどさ。カリヤには山ほど借りがあるからね」と小声で呟き、近くを通りかかった店員を呼び止め、この店で一番値段の高い料理を注文した。

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