200・世界を救うまでが――

 希望峰は、真西に向かって鋭角的に伸びる岸壁と、その岸壁の右側に形成された岩礁地帯の二つによって構成される。岸壁の左側には延々と切り立った崖が続いており、船が接岸できるような場所は見て取れない。


 岸壁は先端が最も高く、そこからなだらかに下りながら内陸、そして、岩礁地帯へと続く。希望峰だけを見れば、途中でヘアピンカーブする滑り台のような形状だ。岩礁地帯には人の手が加えられ、大型船が停泊できる船着き場が整備されている。


 狩夜とレイラは、そんな岩礁地帯からミズガルズ大陸に上陸し、エムルトがどうなったのか確認するべく歩を進めた。だが、ここは絶叫の開拓地スクリーム・フロンティア。その僅かな道程ですら、人間に楽はさせてくれない。


「前はこんなのいなかっただろ!?」


 いったいどこから湧いたのか、希望峰がディープラインの内側にあったころには生息していなかったフナムシ型の魔物、ジャイアントシースレーターが引っ切り無しに襲いかかってくる現況に、狩夜は辟易した顔で声を上げた。


 体長おおよそ三十センチ。海のゴキブリとも称される見た目と敏捷で、岩礁地帯を駆け回るジャイアントシースレーターの姿は、並の人間にはトラウマものだ。しかも数が多い。


 唯一の救いは、一匹一匹がたいして強くないことだろう。ディープラインとレッドラインの外側に生息する魔物にしては珍しく、身体能力はサウンド級のそれである。


 一般人や『駆け出しハンドレット』の開拓者では、単体でも絶望するレベルの相手を返り討ちにしつつ、狩夜は岩礁地帯を駆け抜けた。そして、足場が岩から土に変わったあたりで足を止め、ようやく見えるようになった岸壁の上へと目を向ける。


 そこには――


「ウミネコ!?」


 原型を残さないほどに破壊された無数の天幕と、ただの石山と化した防壁。そして、我が物顔で崖の上を占拠する、ウミネコたちの姿があった。


 レッドラインに飲み込まれ、人間が去った後のエムルトは、ウミネコの一大繁殖地へと、その姿を変えていたのである。


 人類が多大な犠牲と費用をかけて作り上げた、ミズガルズ大陸開拓の前線基地・エムルト。つわものどもが夢の跡と化したかつての拠点を見つめながら、狩夜は顔を顰めた。


『ミャア、ミャア! ミャア、ミャア!』


 狩夜が一時の感傷に浸る中、ウミネコ型の魔物、プルワーガルが一斉に警戒音を発し、その翼をはためかせた。そして、内陸側に巣を作っていた一羽が地を蹴り、突然現れた招かれざる客へと低空飛行で襲いかかる。


 プルワーとは曲刀の一種であり、名は体を表す。左右に大きく広げられた両翼には、曲刀の如き鋭さと硬度が備わっていた。並の人間ならば容易に両断するであろう斬撃が迫る中、狩夜はその身を深く沈める。


 小柄な体を生かし、低空飛行するプルワーガルの更に下に潜り込んだ狩夜は、斬撃をかいくぐりながらマタギ鉈を一閃。首から臀部までを掻っ捌く。


 主要臓器を破壊されたプルワーガルが力無く地面に墜落する中、狩夜は沈めていた体を起こす。次いで、群れ一番の下っ端を捨て駒にして時間を稼ぎ、天高く舞い上がったプルワーガルたちの姿を視界に収めた。


 人間では立ち入れない高度で旋回しつつ、攻撃の機をうかがうプルワーガル。一方の狩夜は、一切間を置かずに口を動かす。


「レイラ!」


 狩夜の呼びかけに応じレイラが動く。両腕から木製のガトリングガンを出現させ、種子という名の弾丸を轟音と共に吐き出した。


 突然降り注いだ弾雨にその身を貫かれ、次々に墜落していくプルワーガル。すべての曲刀が地に落ちるまで、さほど時間はかからなかった。


 レイラがホクホク顔でプルワーガルを回収する最中、狩夜はあらかた魔物がいなくなった希望峰をぐるりと見回す。それが終わると踵を返し、ミズガルズ大陸の中心部を目指して東進を開始した。


 レッドラインが通過したことで土壌微生物が激減。草原から不毛の荒野へと名を変え始めた場所を、弓から放たれた矢の如く駆け抜ける。そんな狩夜の前に、以前は希望峰周辺で最強。しかし、レッドラインに飲み込まれてしまった今では、むしろ弱い方になってしまった魔物が立ち塞がる。


 オンブバッタ型の魔物、デュアル・ジャベリンホッパー。


 希望峰周辺を埋め尽くしていた草本類が枯れてしまう前に、自分たちで食い尽くしてしまおうと貪っていたつがいが、狩夜に向かって突撃してきたのだ。


 デュアル・ジャベリンホッパーとの戦闘は、初手で多用してくる二段構えの突撃をやり過ごした後、雄と雌を分断して各個撃破するのがセオリーである。しかし、狩夜はそのセオリーを無視し、右足を高く上げながら二段重ねの巨大バッタを待ち受けた。


 もう、お前は僕の敵じゃない。そう表情で語りながら、狩夜は右足を振り下ろす。


 上の雄と下の雌。双方の頭部を踵落としでまとめて粉砕した後、狩夜は先に――


「――っ!?」


 進もうとしたところで目を見開いた。とっさの判断で右に跳び、その場を離れる。


 次の瞬間、遠方から高速で飛来したバスケットボール大の投石が、つい先ほどまで狩夜の頭部があった場所を寸分たがわず通過し、少し離れた地面に着弾。砂埃を巻き上げながら深々と突き刺さる。


「マンゴネルビートル!?」


 かつて辛酸を舐めた相手の出現に、狩夜の顔が強張った。


 出現といっても、タマオシコガネ型の魔物であるマンゴネルビートルのいる場所は遥か遠方。ソウルポイントで強化された狩夜の視力でも、その甲虫の姿を視認することはできない。


 が、マンゴネルビートルの方は狩夜の姿が良く見えているらしく、正確無比の狙撃が二射、三射と、立て続けに飛んできた。


 今の狩夜ならば、マンゴネルビートルの投石を避けることはそう難しくない。しかし、これでは反撃のしようがない。姿の見えぬ狙撃手をどう対処したものかと思考を巡らせた次の瞬間、『リィ、リィ、リィ』という、虫の鳴く声が狩夜の耳に届いた。


「レイラ! マンゴネルビートルは君に任せた! 僕はファントムキラークリケットをやる!」


 コオロギ型の魔物、ファントムキラークリケット。


 自身を一撃で殺しうる攻撃力を備えた魔物の接近に、狩夜は狙撃手への対処を相棒に丸投げした。


 レイラは「了解」と言いたげに狩夜の背中をペシペシと叩いてから、右腕から木製のスナイパーライフルを出し、狙いもそこそこに大型で流線形の種を発射。同刻、マンゴネルビートルも、四射目となる投石を発射する。


 種と投石は、まったく同じ射線軸上を突き進み、中間地点で正面衝突。その後、レイラの種が投石を粉砕し、速度と射線をそのままに直進を続け、技後硬直中のマンゴネルビートルの体を貫いた。


「よお、久しぶり!」


 遥か遠方で狙撃手が息絶えるのとほぼ同時に、狩夜はミズガルズ大陸の通り魔と称される、体長一メートルほどのコオロギと相対していた。


 相手がテンサウザンド級で地の利もないとなると、今までの相手のように一撃必殺とはいかない。高周波ブレードである羽を用いた斬撃を掻い潜りながら、幾度もマタギ鉈を振るい、狩夜は相手の命脈を少しずつ、だが確実に削っていった。


 ほどなくしてファントムキラークリケットは倒れ、その亡骸がレイラの肉食花に放り込まれるところを見つめながら、狩夜は確信したとばかりに言う。


「よし! 今の僕なら、テンサウザンド級との真っ向勝負でも、一人で勝てるぞ!」


 レッドラインの外側での適正戦力は、テンサウザンドならば三人以上。ソロで活動する場合は、ハンドレットサウザンドでなければ必ず死ぬとまで言わている。


 そんな過酷な環境で、狩夜はよくやっていた。ミズガルズ大陸上陸からここまでの道程を振り返ってみても、狩夜に落ち度は見当たらない。


 自分で対処できる魔物は自分で対処し、どうしようもない場面でのみレイラの力を借りる。体力とマナの消費を最小限に抑え、一つの傷も負うことなく、確実に大陸中央に向かって歩を進め続けた。


 強くなっている。


 確かな成長が見て取れる。


 聖域での戦いは、狩夜の心身に大きな成長をもたらしていた。


———————————————


叉鬼狩夜  残SP・19757


  基礎能力向上回数・79104回


   『筋力UP・20000回』

   『敏捷UP・29104回』

   『体力UP・20000回』

   『精神UP・10000回』


  習得スキル

   〔ユグドラシル言語〕


獲得合計SP・3128781717


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 ソウルポイント、おおよそ三十億。


 それが、死後の世界に旅立つ聖獣と、【厄災】と呼ばれた男が残してくれた、狩夜への餞別だった。


 『最高峰ハンドレットサウザンド』の開拓者であり、前人未到の『未到達領域ミリオン』への高み、その八合目に足を踏み入れた狩夜は、超人的な身体能力を駆使し、絶叫の開拓地スクリーム・フロンティアを突き進む。


 だが、そんな狩夜の力をもってしても――


「レイラ!」


 相棒に、勇者の力に頼らざるを得ない場面が、往々にして現れる。


「レイラ! フォローお願い!」


 狩夜はただの人間だ。背中に翼は無く、遠方や地中に潜む魔物を探知できるような感覚器官は備わっていない。


「レイラ! 広域攻撃!」


 そんな狩夜を、魔物たちは空から、地中から、死角から、遠距離から、矢継ぎ早に攻め立てた。迫りくる殺気を帯びた無数の牙が、角が、爪が、毒が、一時たりとも狩夜を休ませない。


「レイラ! クレイモアシード!」


 歩を進め、ユグドラシル大陸から離れれば離れるほど頻度を増す接敵。それらすべてに、その身一つと鉈一本で対処できるはずもなく、狩夜は幾度も幾度も相棒の名前を口にした。


「使うよレイラ! 魔草三剣・葉々斬!」


 そして、その瞬間は、実に呆気なく訪れる。


 ペシペシ! ペシペシ!


 強く叩かれる背中。狩夜は弾かれたように首を動かし、背中越しにレイラと視線を重ねる。


「残り十五分」


 確かな焦燥を感じさせる視線でそう訴える相棒の姿に、狩夜は即断した。


「よし! 逃げるよレイラ! 命大事に! 逃げるは恥だが役に立つ!」


「……(コクコク! コクコク!)」


 相棒からの「異議なし!」という意思表示を背中で感じながら、狩夜は進路を反転。そして、目に飛び込んできた光景に絶句した。


 ――まだ、海が見える。


「はは……ははは……」


 全力を振り絞り、最善を尽くして、いけるところまでいってみてのこの結果に、狩夜の口から乾いた笑い声が漏れる。


 だが、目の前の光景から目を背けることも、絶望することもなく、狩夜は駆け出した。そして、迫りくる魔物に対処しながら、今回の冒険で得た情報と経験を加味しつつ、再度現状を整理する。


 以前は、レイラの力は使い放題で、魔物は基本的に弱く、しかも水辺という安全地帯があり、開拓者ギルドからの手厚いサポートがあった。


 だが今は、レイラの力は制限時間つきで、魔物は基本的に強く、安全地帯と呼べる場所は存在せず、開拓者ギルドからのサポートはない。


「うん、これは……あれだな……」


 狩夜はここで言葉を区切ると「今日までの過酷な冒険を、そう思いたくはないけれど」と言いたげに溜息を吐く。そして、自分の置かれた現状を、次のように言い表した。


「聖獣を倒して、世界を救うまでがチュートリアルだ」

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