196・これまでのあらすじと、今後の方針

「抜けたー!」


 ユグドラシル大陸三大河川の一つ、ウルズ川。その源流にあたる泉のほとりで、一人の男性が歓喜の声を上げた。


 童顔、低身長。長袖のハーフジップシャツと、トレッキングパンツを身に纏う、見た目小学生の中学生。いつの間にやら十五歳になっていた、叉鬼狩夜その人である。


 狩夜は、迷いの森と呼ばれるユグドラシル大陸中央部に広がる密林を、つい先ほど踏破したところであった。


 いや、狩夜が踏破したのは迷いの森だけではない。


 異世界イスミンスールに転移してからおおよそ一年。狩夜は、幾多の困難に直面してきた。


 謎の奇病によるティールの村壊滅の危機と、奇病の元凶たるヴェノムティック・クイーンとの戦い。


 世界樹が枯れることによるイスミンスールの滅亡と、呪いによって害獣の王と化した四匹の聖獣。


 フヴェルゲルミル帝国が抱える深刻な社会問題と、カルマブディス・ロートパゴイによるクーデター。


 敗走した精霊解放軍の救助と、ヴァンの巨人との死闘。


 そして、【厄災】と呼ばれた男との、世界の命運をかけた戦い。


 苦心惨憺くしんさんたんの末にそれらすべてを乗り越えて、狩夜は今、ここに立っている。


 狩夜と仲間たちの活躍により、イスミンスールは滅亡の危機を免れた。しかし、病身の妹を救うという狩夜の願いを叶えるためには、世界樹を万全の状態にしなければならない。


 大願成就のため、世界各地に封印された精霊を解放するという、叉鬼狩夜の新たな冒険が、これから始まるのだ。


「さてと、僕たち以外で唯一事情を知ってるフローグさんが、何かとやきもきしてるだろうから、もう大丈夫だって伝えにいかないと。今どこにいるかわからないから、とりあえずウルザブルンに向かおっか。半年も聖域に潜伏してたから、滅茶苦茶人恋しいしね。町にいきたい。誰かと喋りたい。美味しもの食べたい。暖かい布団で寝たい」


「……(コクコク)」


 世界樹の第一防衛ラインである迷いの森を抜け、神々の領域から俗世に戻り気が抜けたのか、覇気のない声色で言葉を紡ぐ狩夜。すると、狩夜の頭上を腹這いの体勢で占拠する不思議植物が、同意を示すように頷いた。


 人の形をした茶色の根と、左右に伸びる二枚の大きな葉っぱ。三十センチほどの大きさで三頭身。手足に指はなく、顔に当たる部分に本来植物には存在しないはずの目と口を備えた彼女こそが、世界樹の種をその身に宿す救世の勇者にして、狩夜のパートナー。マンドラゴラのレイラである。


 レイラとしても、直近の危機を退けた今、休息をとることに異論はないらしく、狩夜の提案に一も二もなく従った。


 相棒の同意を受け、狩夜は泉から伸びる小川に沿って歩き出し――ほどなくして足を止めた。次いで、口を動かしながら振り返る。


「どうしたのスクルド? ほら、いくよ」


 狩夜の視線の先には、空中を浮遊する妖精の姿があった。


 身長、おおよそ二十センチ。三つ編みにされた若葉色の長髪と、陶磁器のような白い肌。背中からは半透明の羽が生えており、露出が多めで所々が半透明なドレスと、白い長手袋を纏っている。


 名をスクルド。


 世界樹の三女神の三女にして、世界樹の防衛を担当する戦乙女である。この一年、艱難辛苦を共にした狩夜の仲間でもあった。


 スクルドは、迷いの森での先導役を務めた後、その場に留まり続けている。狩夜が先を促しても動こうとしない。


「ひょっとして、僕にでたらめ教えたこと気にしてる? いいよ、もう許したから。よくあることだよ。望んだ時間に送ってくれるみたいだし、冒険を終えて地球に戻ったら、もう妹は死んでいた、みたいな展開にはならな――」


「勇者様、そしてオマケ。ここでお別れです。私は一緒にいけません」


「え?」


 突然の申し出に狩夜が目を見張る中、スクルドは次のように言葉を続けた。


「現在、世界樹は傷ついた体を少しでも早く癒すため、休眠状態に入りました。聖域の管理者であるウルド姉様も同様です。守護者である聖獣がいない今、私まで聖域を離れては、もしものときに対処できる者がいなくなってしまいますから」


「……そっか、寂しくなるな」


 確固たる意志を感じさせる説明を聞き、それなら仕方ないとばかりに狩夜は了承の意を示す。言葉通り寂しげな顔を浮かべる狩夜を見つめながら、スクルドもまた寂しげな顔を浮かべた。


「そう思うのなら、一刻も早く光の精霊を解放してください。以前ウルド姉様が言っていたでしょう。封印された八体の精霊の内、一体でも解放することができれば、その力で世界樹の傷を癒すことができる――と。自然治癒では何千年という時間がかかりますが、精霊さえ解放できればウルド姉様は目を覚まし、私は聖域を離れられる。再びあなたと共に戦えます」


「わかった、頑張るよ。なら、お別れの前に一つ教えて。これから僕とレイラは、光の精霊を解放するためにミズガルズ大陸の中心部を目指すわけだけど、そこってどんな場所? ほら、僕たち西側の端っこしかしらないから」


「それは――いえ、やめておきましょう。知ったかぶりをして管轄外のことにあれこれ口出しすると、ろくなことにならないと、身をもって知ったばかりですので」


「と言うと?」


「よくは知りません。実を言いますと私、【厄災】以前にユグドラシル大陸の外に出たことがないのです。勇者様のお供や、人間たちとの折衝は、ヴェルダンディお姉様の管轄ですから」


「へー。以外に箱入り娘なんだね」


「ええ、恥ずかしながら」


「そのお姉さんは? まだ会ったことないけど」


「四代目勇者様と共に聖域を旅立ち、【厄災】との戦いの後に行方知れずとなりました。以前の私と同様に、休眠状態になっているものと思われます」


「そう言えば、スクルドも初めて会ったときは人面樹だったっけ」


「はい。私同様、勇者様ならば休眠状態を解けるはずです。勇者様、もし見かけるようなことがありましたら、ヴェルダンディお姉様のことを、なにとぞよろしくお願いいたします」


「……(コクコク)」


「レイラみたいに広範囲の探知能力で――とはいかないけど、僕もお姉さんを探してみるよ。それじゃあね、スクルド。また」


「ええ、オマケ。また」


 再会を望む別れの言葉をお互いに口にした後、狩夜とスクルドは同時に踵を返した。そして、一度も振り返ることなく、自らの意思で選んだ、自分の道を進む。


 その道が、いつか再び交わると信じて。


「それじゃレイラ、また二人に戻ったところで、今後の方針を決めよう」


「……(コクコク)」


「さっきも言ったけど、僕らはこれから光の精霊を解放するために、ミズガルズ大陸の中心部を目指す。そんな僕らの前に立ちはだかる最大の障害が、かの魔王、“邪龍” ファフニールだ」


 魔王。


 大陸、もしくは大海を丸ごと支配し、莫大な量のソウルポイントを千年単位で独占してきた別次元の魔物に送られる称号にして、全人類からの畏怖の証。


 千年単位で強化を繰り返した魔物である魔王の力は、歴代の勇者たちや、聖獣、かの【厄災】よりも強いとさえ言われている。


 魔王討伐を試みた精霊解放軍が敗北の憂き目にあい、這う這うの体でユグドラシル大陸へと逃げ帰ってきたことは、いまだ記憶に新しい。


「精霊解放軍は、今この世界で組織できる最強の戦闘集団だ。それが負けてしまった以上、魔王に対抗できそうなのはレイラ、勇者である君を措いて他にいない」


「……(コクコク)」


「で、ここで問題になるのが、君の弱点。マナが完全に枯渇した環境での戦闘可能時間だ」


 レイラが内包する世界樹の種は不完全であり、マナの出力、生成、貯蔵の三つに、大きな障害を抱えている。


 マナの生成に至っては、単独でおこなうことができず、一部外部に頼っている状態だ。


 そのため、レイラはマナが枯渇した環境、すなわち、絶叫の開拓地スクリーム・フロンティアでは、長時間戦えないのである。


「前は、全力で戦える時間は三分だったよね? 今は? 四匹の聖獣を取り込んだことで世界樹の種は成長、色々とパワーアップしたんでしょ? 今の君は、マナの枯渇した環境でどれくらい戦える?」


「……(ビシッ!)」


 狩夜の問いに対する回答は行動だった。レイラはどこか誇らしげな顔で頭上の葉っぱを操作し、左右で別々の数字を描く。


 それは『3』と『0』。


「すごいでしょ~!」と言いたげな顔で笑みを浮かべるレイラの下で、狩夜は右手で顔を覆った。


 次いで呟く。


「三十分かぁ……そっかぁ……」


 以前の三分から十倍になったと言えば聞こえはいいが、やはり短い。


 自陣営の現況を理解した狩夜は、今後の展望を思い描きつつ、暗い顔で顔を伏せた。が、数秒後に諦めたような溜息と共に顔を上げ、覚悟を感じさせる声色で言葉を紡ぐ。


「つまり僕の仕事は、絶叫の開拓地スクリーム・フロンティアで三十分しか戦えない君を、いかに万全に近い状態で、魔王の前に送り届けるかってことだよね?」


「……(コクコク)」


「やったろうじゃねーか」

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