193・私の名は――

 【厄災】が驚愕と困惑の声を上げる中、狩夜は上に向かって跳躍。そして、宙に舞っている【厄災】の右腕に――否、ダーインの頭部へと手を伸ばした。


「――ッ!? させん!」


 狩夜の狙いを見て取った【厄災】は、そうはさせじと体を沈め、自らも跳躍しようとする。


 その、次の瞬間――


「っな!?」


 無数の刃が聖域を疾駆し、全方位から【厄災】に襲いかかった。


 ドヴァリンの角である。


 本体が息絶えた後、分解した状態で聖域に散らばっていた青き聖獣の角が再び動き出し、【厄災】に殺到したのだ。


「がはぁ!」


 不意を突かれた【厄災】は、ろくに防御もできないまま衰えた全身を貫かれ、その場に磔にされる。


 だが、それでも【厄災】は止まらなかった。


 ドヴァリンの角に貫かれた左腕を力尽くで動かし、手首から先を粘土の如く延長。ダーインの頭部を狩夜に先んじて回収しようとする。


 このままいけば、狩夜よりも僅かに早いタイミングで、自身の左手がダーインの頭部にたどりつく。それを確信したのか、【厄災】の表情に僅かばかりの安堵と余裕の色が浮かんだ。


 直後、突如として出現した煉獄の壁に延長した左腕が飲み込まれ、灰も残らずに焼失する。


「なん……だと……?」


 ドヴァリンの角に束縛されている体を、ブリキの人形のように動かし、煉獄の壁の大本へと目を向ける【厄災】。


 そこには、聖剣を再現することをやめ、元の姿に戻ったレイラがいた。


 レイラは、朝顔の蕾のような噴射口を右腕から出現させており、そこから火炎放射器の如く炎を吐き出している。


 ドゥネイルを取り込んだことで、最大の弱点である炎を克服。それだけでは飽き足らず、我が物とした赤き聖獣のちからを十全に振るい、レイラは狩夜を守り、言葉を交わさずとも理解できるその動きをサポートする。


 煉獄の壁によって聖域が分断されている最中も、狩夜はダーインの頭部へと手を伸ばし続けた。そして、ダーインの頭部もまた、まるで意志を持つかのように狩夜へと向かう。


 ほどなくして右手に振れたダーインの頭部を、五指が毛皮を貫き、頭蓋に達するほどの力で狩夜は鷲掴んだ。


「おおぉおおぉぉおぉ!!」


 空中で体勢を整えながら雄叫びを上げ、狩夜は絶対切断と不治の呪いの力を併せ持つ魔剣を、黒き聖獣の角を振りかぶり、【厄災】へと邁進する。


「……!!」


「いっけー! 狩夜ぁ!」とでも言いたげな顔でレイラは炎を操り、煉獄の壁に穴を空け、勝利へと続く道を作り出す。


 そして、両腕を失い、体の自由も奪われた【厄災】目掛け――


「ぜあぁぁあぁ!!」


 狩夜は魔剣を、渾身の力で振り下ろした。


 左肩から【厄災】の体に埋没した魔剣は、一切減速しないまま胸の中心を通過し、右脇腹から突き抜ける。


 右腕を振り抜きつつ【厄災】の左側を通過した狩夜は、着地した後姿勢を正し、そのまま無言で立ち尽くした。そんな狩夜の背後で、【厄災】もまた無言で立ち尽くす。


 そして――


「見事だ。少年」


 この言葉と共に【厄災】の上半身が斜めにずれ、地面に落下。それに一瞬遅れて、下半身が力無く崩れ落ちる。


 あの【厄災】が、圧倒的な力で狩夜とレイラを終始圧倒していた最強の敵が、ついに倒れたのだ。


 ここで狩夜も動き出し、ダーインの頭部を世界樹の根の上に丁寧に置いてから、ゆっくりと振り返る。


 その表情は暗い。とても勝者とは思えない沈痛な面持ちで、狩夜は仰向けに倒れている【厄災】の上半身に歩み寄り、次いで口を開いた。


「まさか聖獣に……この一年、どうやって殺したものかと散々頭を悩ませた相手に助けられるとは思わなかったよ……自分たちをいいように利用したお前のこと、よほど腹に据えかねていたらしいな」


「そのようだ……うん? なんだその顔は? 笑え。そして誇れ。異世界の少年よ。君は私に勝った。世界を救った。紛れもない英雄だ。君の偉業はこのイスミンスールで、未来永劫語り継がれ――」


「ふざけんな。言ったろ、お前はまだ人間だって。僕はただの凡人だ。人間殺して誇れるか。吐き気が酷い。罪悪感で今にも倒れそうだよ。今日から僕は人殺しで、一生お前の命を背負って生きていかなきゃいけないんだ」


「……」


「だけど、後悔なんてしない。涙の一滴だって流してやるもんか。自分で選んで自分で決めた。だから受け入れる。お前を殺してでも守りたい人が、僕にはいたんだ」


「クハハ! この状況で、自分は世界の敵を打倒した英雄ではなく、人を殺して心を痛める凡庸な人間であると!? やはり君は面白い! だが、そうか……ならば言葉を変えよう。気に病むな、心優しき少年よ。本当の私はとうの昔に死んでいる。ここにいる私は単なる残留思念。言わば怨霊のようなものだ。君の両手は白いままだよ」


「そうかよ。ならそんな残留思念さんに質問だ。お前さ、結局最後まで右腕の魔剣でしか攻撃してこなかったけど、スクルドの動きを封じたときみたいに、本当はもっといろいろできたんだろ? なんでやらなかった?」


 狩夜のこの問いに【厄災】は答えない。意味深な笑みを浮かべてはぐらかした後、次のように口を動かす。


「少年。君はこの世界に、絶対に死んでほしくない大切な人がいると言ったな? そんな君に、伝えておかねばならないことがある」


「……なに?」


「私の研究成果さ。君になら……今の私を人間と呼ぶ、君になら託せる」


 この言葉を聞いた狩夜は、僅かに逡巡した後で膝を折った。そして、片膝立ちの体勢で【厄災】の言葉に耳を傾ける。


「動植物の魔物化の原因である邪気は、邪悪の樹の化石であるクリフォダイトが消滅した後に残る魂のようなものだ。その魂に取り憑かれた生物は、肉体が強化変質し、異形の怪物となる。この私のように」


「え? 魂による肉体の変質……それって、ソウルポイントと同じ……」


【厄災】の言葉に目を丸くしながら狩夜は言う。

  

 言われてみれば、ソウルポイントによる肉体強化と、邪気による人間の魔物化は似ている部分が多い。


 ソウルポイントを使い魂を直接改竄すれば、若返りや、体の整形、性別の変更すら可能だ。永久脱毛や肌の色を変えるくらいは普通にできる。


 そう、【厄災】の外見を再現するだけなら、誰にだってできるのだ。


 ソウルポイントと邪気に違いがあるとすれば、取り込んだ生き物が自由にコントロールできるか、できないかの違いだけである。


「そっか。邪気って、邪悪の樹の魂なんだな」


「ほう。現代では魂の存在と、それを改竄することによる肉体の変質が認知されているのか。どういった経緯で発見された?」


「人類が魔物をテイムして、心を通わせることで」


「なるほどな……ああ、そうとも。魂の改竄を人間が実感するには、どのような形であれ魔物と繋がるしかない。どんな検査機器を使おうと無駄だ。魂の存在を証明できる機械など、ありはしないのだから」


 どこか自嘲気味にこう述べた後、【厄災】は視線を下げた。そして、自身の胸部を見つめながら次のように言葉を続ける。


「邪気は、取り憑いた生物を変質させた後、その体内で結晶化し、核を形成する。ああ、難しく考えることはない。要は、もう一度クリフォダイトに戻るということだ。クリフォダイトによって汚染された水もそう。汚染された水を摂取した生き物を魔物化した後、その体内で結晶化し、もう一度クリフォダイトに戻る」


「まさか!?」


「理解したようだな。そう、クリフォダイトは、世界中に散らばった邪悪の樹の総量は、減ってなどいない。加えて、魔物は共食いをして強くなる。倒した魔物の血肉を摂取する際、体内で結晶化しているクリフォダイトもまた、勝者に取り込まれるわけだ。それを繰り返すことで、クリフォダイトは魔物の体内で一つとなり、徐々に大きくなっていく」


「――ッ!」


 【厄災】の言葉に目を見開き、息を飲む狩夜。そして思う。“落ち目殺し” の体内から出てきたクリフォダイトは、連綿と続く食物連鎖の果てに、そうやって形成されたのか――と。


「滑稽だろう? クリフォダイト動力を手に入れた人類は、邪悪の樹の完全消滅をうたい、世界中からクリフォダイトをかき集め、それを使い続けた。だがその実、邪悪の樹が再び一つになる手助けをしていたのだから」


「良かれと思ってやったはずなのに……か。救われないな」


「そのことに気がついた私は、それを自国の中枢に伝えたよ。もっとも、異形の怪物と化した私の言葉に耳を貸す者は、誰一人としていなかったが」


「……」


「これが最後の一押しとなり、私は人類を完全に見限り反旗を翻した。少年、そんな私のことを、君はいったいどう思う?」


「積み重ねた研究成果が、世論の逆風に晒され評価されずに終わる。悲しいけどさ、よくあることだよ。僕はお前のことを、特別不幸とは思わない。当人を前にして、気にするなとは、さすがに言えないけど」


「クハハ……君は強いな。我が身に振りかかったその悲しい現実を『よくあること』と断じて前に進むことが、私にはできなかった」


「僕は強くなんてないよ。どうしようもない現実に直面して、僕も絶望した。僕とお前は、何一つ変わらない。違ったのは周りだよ。絶望して弱り切ってるときに、僕は周りから優しく励まされて、レイラと出会った。お前は周りから冷たく拒絶されて、邪悪の樹につけ込まれた。それだけさ」


「そうか……そうだな……」


 狩夜の言葉にどこか救われたような表情を浮かべる【厄災】。そして、満足げな声色で、なおも言葉を続けた。


「クリフォダイトは、数千年に及ぶ魔物たちの共食いの果てに、九体の魔物の体内にほぼ集約されたようだ。私には、ここからでもその強大な気配が感じ取れる。ユグドラシル大陸を除く各大陸に一つずつ。そして、海に一つ」


「魔王だ。間違いない」


「どれもが、全盛期の私を超える化け物のようだ。だが放置はお勧めしない。その九体は、いずれこの世界の支配者を決めるべく、戦いを始めるだろう。その共食い果てに、体内のクリフォダイトが一つになれば、最悪の場合――」


「邪悪の樹が復活する」


「そういうことだ。見限った人類がどうなろうと知ったことではないが、君は別だ。守りたい人がいるというのなら、頑張るといい」


 これで【厄災】の話は終わりのようだ。託された研究成果を噛みしめながら、狩夜は次のように口を動かす。


「クリフォダイトが消滅する際に放出される膨大なエネルギーっていうのも、人類を都合よく動かすために邪悪の樹が用意した、甘い蜜なのかも……ね。僕の世界にもあるよ。植物による人類奴隷化説がさ」


「いい意見だ……そうだ、私はそんな議論がしたかったのだ……」


「そっか。なら、できて良かった」


「ああ。もう思い残すことは何も――いや、一つあったな。少年。最後に君の名を、私を倒した者の名前を、教えてはくれないか? このまま消えては、君の名は私の中で『オマケ』になってしまう」


 徐々に体が薄くなっていく最中、冗談めかして【厄災】は言う。すると狩夜は「それは困る」とばかりに苦笑いを浮かべた。


「僕は叉鬼狩夜。どこにでもいる普通の中学生」


「マタギ・カリヤ……」


「うん。お前の名前は? まさか【厄災】が本名じゃないだろう?」


「私の名は――」


 すでにほぼ透明な【厄災】の口から、消え入りそうな声で名が紡がれる。常人では聞き取れなかったであろうその声を、狩夜はソウルポイントで強化された聴覚で、確かに聞いた。


 次いで言う。


「――か。憶えとくよ。たとえ世界が忘れても、僕は絶対に忘れない」


「ありがとう」


 この言葉を最後に【厄災】の――否、世界を愛するがゆえに世界を敵に回した、一人の青年の姿が、音もなく掻き消えた。

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