191・異世界の政治家と地球の凡人
「ぐぎ、ぎぃいぃ!」
右膝を世界樹の根につけた態勢で、真上から迫る【厄災】の斬撃を堪える狩夜。
掌の皮がはがれるほどに聖剣を柄を握り締め、口の端から血が流れ落ちるまで歯を食いしばり、目を見開きながら懸命に斬撃を押し返そうとする。しかし、【厄災】の魔剣はこゆるぎもせず、狩夜の体を聖剣ごと押し潰そうとしてくる。
――ここまでか!?
両の肘と膝がほぼ曲がり切り、魔剣の刃が顔面すれすれの場所にまで迫ったとき、狩夜はこう思った。
その、次の瞬間――
「異世界の少年よ、君の世界の人間はどのようにして生まれたのだ?」
【厄災】が、唐突にこんな問いを投げてきた。
この問いと共に魔剣の下降を止める【厄災】。そんな【厄災】に「こんなときに、何言ってんだこいつ!?」と言いたげな視線を向ける狩夜。
死が目前に迫る中、敵の問いに答える余裕もなければ義理もない。狩夜は【厄災】の言葉を無視し、この窮地を打開しようと思考を巡らせる。
すると、狩夜の頭の中を見透かしたかのように、【厄災】は言う。
「答えなければ殺すぞ?」
再び始まる魔剣の下降。狩夜は、もうどうにでもなれとばかりに叫んだ。
「猿が少しづつ進化して人間になったんだよ! それがどうした!?」
狩夜が問いに答えると、謝礼のつもりか【厄災】が魔剣から力を抜いた。すかさず聖剣で魔剣をはじき返し、狩夜はその場を離脱する。
「ふむ。つまり君の世界の人間は、天然自然の中から生まれたわけか。そういった意味でも、君と戦う理由が私にはないな」
こう呟いた【厄災】は、先ほどと比べて明らかに精彩を欠いた動きで狩夜の後を追い、斬撃と共に次の言葉を言い放つ。
「だがな少年よ、この世界の人間は、八種の人類は違うのだ」
「――ッ!?」
体勢を整える間もなく迫りくる斬撃を、狩夜は聖剣で必死にさばく。それができているのは【厄災】が意図して手を抜いているからであり、相手が本気を出した瞬間、首が飛びかねないといった状態だ。
「この世界の人類は、邪悪の樹が生み出す魔物に対抗するべく、世界樹によってしかたなく生み出された存在だ。言わば戦うための道具。野蛮で下賎な生体兵器。外敵がいなければ、世界が健全であるならば、必要とされなかった存在だ。そんなもの、滅んでしまった方が良いとは思わないか?」
再びの問いに狩夜は答えない。すると、【厄災】は言う。
「答えなければ殺すぞ?」
この言葉と共に放たれる、本気の斬撃。
――防げない!?
こう即断した狩夜は、半ば強制的に厄災の問いに答えさせられる。
「僕はまったく思いません! 絶対に死んでほしくない大切な人がたくさんいます!」
余裕が一切ないがゆえに、嘘偽りない本心がそのまま口から出た。そして、自身の主張にそぐわない答えであったにもかかわらず、【厄災】はまたしても魔剣から力を抜く。
とたんに弱くなった斬撃を、聖剣ではじき返す狩夜。そして、次のように言葉を続ける。
「さっきからなんなんですか!? これは今する話ですか!?」
「なに、政治家だったころの名残だよ。大衆の意見が気になるのさ。後は承認欲求かな? 見限り、袂を分かった人類や女神。勇者と問答をするつもりは今更ないが、君は違う。ただの異世界人である君になら、私の考えを理解してもらえるのでは――と、思ってね」
こう答えた後、【厄災】は再度精彩を欠いた動きで斬撃を繰り出し、虚言は許さないとばかりに狩夜の余裕をはぎ取りにかかる。そして、要所要所で本気の斬撃を繰り出し、生存と引き換えに狩夜に返答を強要してきた。
「私が生まれた時代の人類は、自らが世界を守るために生み出された存在であることをすっかり忘れていたよ。クリフォダイト動力の利便性におぼれ、誰もが豊かな生活を追い求めた。私腹を肥やすために守るべき世界を汚し、傷つけ、動植物の死骸を山のように積み上げていたのだ。そのことについて君はどう思う?」
「耳が痛いですかね! 地球の人間も似たようなもんですよ! だから僕は肯定も否定もしません!」
「君たちは猿が進化したことで生まれたのだろう? 他の生物との公平な生存競争に勝ち、独自の進化を重ね、生態系の頂点に立ち、万物の霊長たる地位を手に入れた。ならば資格もあろう。その世界を我が物顔で支配する資格がな。他の生物が、君たちに先んじてその地位に就く可能性もあったのだから。だが、この世界の人類は違う」
「どう違うってんですか!?」
「スタート地点だ。魔物と戦うために生み出され、レベルとスキルという自己強化手段を有する特別な生命体に、他の生物がどうして抗える? 出来レースで生態系の頂点に立った人類は、世界を守るために使うべきその力を、あろうことか守るべき対象に向けたのだ。私はそれが許せなかった」
「だから取り上げたんですか!? だから滅ぼすんですか!?」
「そうとも。人類はすでに壊れている。ただでさえ危険な戦いの道具が、壊れて更に危険になった。それを処分しようとして何が悪い。私は正しい。なぜなら人類は、世界を守るために生み出されたのだから」
その気になればいつでも殺せる状況を維持しつつ、狩夜との問答を続ける【厄災】。そして、幾度目とも知れぬ本気の斬撃と共に、締めくくりとも言うべき最後の問いを、真剣な声色で狩夜に投げかけた。
「以上が、人類が魔物以上の害悪であり、それを滅ぼさなければならない理由だ。それを成し遂げるために人間であることをやめ、今まさに大願を成し遂げようとしている私のことを、ただの異世界人である君はいったいどう思う?」
答えなければ切り殺される。たとえ答えてもこれで問答が終わり、【厄災】から異世界人である狩夜への興味が消えても切り殺される。
そんな状況下で、狩夜が口にした【厄災】への返答は――
「お前は……雑な答えに逃げた弱虫だぁあぁぁあぁ!!」
であった。
「は?」
この返答に呆気にとられたような表情を浮かべる【厄災】。そんな敵に構わず、狩夜は迫りくる魔剣を聖剣で打ち据えた。
「っく!?」
狩夜がなんと答えても力を抜こうと考えていたのだろうが、予想の斜め上をいく返答に必要以上に脱力してしまったらしい。狩夜との打ち合いに初めて負けた【厄災】が、僅かに後退する。
そんな【厄災】に、狩夜は間髪入れず追撃を仕掛けた。予期せぬ反撃と返答に動揺している【厄災】目掛けて聖剣を縦横無尽に振るい、幾度も幾度も切り付ける。
「環境問題だの、人類が生まれた意味だの、御大層なお題目を延々並べやがって! ああ、それ自体を否定はしないよ! 環境保全や動物愛護も、性善説と性悪説の研究も、お前の自由だ好きにしろ! お前はそれらに気をかけられる余裕のある生活を送ってたんだろうな! 羨ましいよ本当に!」
「何を――!?」
「その日暮らしのホームレスや、子供を育てるために寝る間を惜しんで働く未亡人! 生きるか死ぬかの難病を抱える女の子に、ワオキツネザルだのマレーバクだのを気にかけてる余裕があると思うか!? ねぇよ! それでも! そんな辛い境遇でも、人として真っ当に生きようとしてる人間が世の中には一杯いるんだ! そんな人たちと悪徳企業の重役だの密猟者だのを一括りにして、人間イコール悪なんていう雑な結論出して、したり顔でこの世の真理みたいに語ってんじゃねぇ!」
「雑!? 私の崇高な目的を雑と言うのか君は!?」
「この上なく雑だろうが! どんなに文明が発展しても、人間が平等になったりはしない! 絶対にない! そんでもって平等じゃない以上、人間が生きるってのは大変なんだ! 誰もが勝った負けた! 比べ合いせめぎ合い! 挫折と失望の連続なんだ! その中で何かしらの失敗をしたり、大切なものを見落としたりすることぐらい、誰にだってあんだよ!」
狩夜から繰り出される怒涛の連撃を魔剣で巧みにさばく【厄災】。だが言葉の方はそうはいかないらしく、困惑顔で口を動かした。
「ならば人類による環境汚染や、動植物の絶滅をなんとする! 私の出した答え以上のものを、君に出せるというのか!?」
「無理だな! 不可能! 誰か他の奴に聞け! 考えるだけ時間の無駄だ!」
「即答!? しかも他人に丸投げか!?」
「だって無理だからな! 僕の何に期待してんだお前は! 凡人にそんな難題の答えが出せるか! 決めてるんだよ、絶対無理なら諦めるって! いいかよく聞け政治家崩れ! 経験者として言ってやる! 絶対無理な事を諦めずに頑張り続けると、大抵の人間は不幸になるんだ! 世の中には答えのない問題がいっぱいあって、その手の問題に無理矢理答えを出しちゃだめなんだよ! 追い詰められててんぱった人間が出した答えなんざ、ろくでもないものになるって相場は決まってんだ! 諦めてもいいんだよ! 人間なんだから!」
「それはあまりに無責任ではないか!?」
「取り返しのつかない間違いを犯すよかましだ! 無理矢理答えを出した人間のなれの果てがお前で、その結果がこの世界だろうが! お前はこんな世界が見たかったのか!? 魔物に世界のほぼすべてが支配され、人間だけじゃなく、世界樹を起源とする生き物すべてが滅びかけてるこんな世界が! お前はそっちも守りたかったんじゃないのかよ!?」
「それは――」
「それを忘れて! 進退窮まった挙句、無理矢理出した雑な答えにお前は逃げた! そんな自分を正当化するために、御大層なお題目で理論武装する卑怯者なんざ、弱虫で十分だろうがぁあぁぁあぁ!!」
「――ッ!?」
狩夜の言葉に目を見開く【厄災】。そして、言葉と同時に放たれた狩夜渾身の一撃を、魔剣で真正面から受け止める。
大上段から振り下ろされた聖剣が、【厄災】を大きく後退させた。
後退した【厄災】は、四本の足で体を支え勢いに抵抗し、ほどなくして停止する。その後、小刻みに震える自身の右腕を見つめた。
そして――
「クハ……クハハ、クハハハ! 面白い! 面白いぞ異世界の少年! そんなことを言われたのは初めてだ! クハハハハハハ!」
左手で顔を覆いながら大笑い。愉快痛快とばかりに笑い続ける。そんな【厄災】とは対照的に、狩夜は不愉快だとばかりに顔をしかめた。
「おい!? 何笑ってんだお前は!? 僕は笑い話をしたつもりはない!」
「クハハハ! 君からの罵倒など、政治の闇に巣くう老害どもの嘲笑と比べたら可愛いものだよ! 虚言もしがらみもなく、愚直に感情をぶつけられることが、こんなにも清々しいとは思わなんだ! そうか! 私は雑な答えに逃げた弱虫か! なるほど、君の主張は理解した! ならば、君の主張と私の主張! どちらが正しいか勝負といこう!」
こう言いながら、魔剣を構え直す【厄災】。そんな【厄災】の言動に、狩夜のこめかみに青筋が立つ。そして、怒りに震える体で聖剣を構えつつ、次のように言葉を紡いだ。
「僕の話聞いてたか!? その『戦いで勝った方が正しい』とかいう答えが雑だってんだよ! 人間の世界はもっと複雑で面倒なんだ! 誰もがソレと、どうしようもない化け物と戦ってんだ! 力で弱者をねじ伏せるんじゃなく、言葉で
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