189・世界の命運をかけた戦い

 ――【厄災】!? アレが!?


 かつて全人類と敵対し、文明の初期化の元凶となった、元人間の魔物。


 人類の弱体化、世界樹の機能不全、精霊の封印、魔物の活性化、人類の版図喪失、世界人口の激減、数千年にも及ぶ文明の停滞、他にも、他にも。『魔人』とも『邪気の集合体』とも呼ばれるソレによって引き起こされた悲劇は、列挙していけば切りがない。


 多くの犠牲と引き換えに、四代目勇者によって打倒されたはずの、人類史上最悪の【厄災】が、狩夜たちの前に突如として姿を現した。


 急変した状況に理解が追いつかず、狩夜が動けずにいる中、ソレは――いや【厄災】は、自身の通り名を口にしたスクルドに赤い瞳を向け、皺一つない白磁器のような唇を震わせる。


「久しいな、女神スクルド。ユグドラシル大陸上空で殺し合って以来か。我が最大の怨敵。忌々しい世界樹の番犬め」


 ――喋った!?


 中まで真っ白な口から紡がれた、流暢なユグドラシル言語。それを聞きながら、狩夜は胸中で驚きの声を上げる。


 そう、【厄災】は確かに喋った。これは、現状の【厄災】に、人間であった頃の意識が備わっていることの証明に他ならない。


 この事実に、スクルドは険しい表情を維持したまま僅かに目を細める。次いで、最終確認を取るかのようにこう問いかけた。


「以前とは姿形が違いますね?」


「それはお互い様だ」


「やはり意識がある……しかし、以前ほどの、四代目勇者様と戦った時ほどの力は感じません。随分と弱体化しているようですね」


「それもお互い様だ。いや、そっちは私以上に深刻か。今の貴様からは、羽虫の如き弱々しい力しか感じんぞ。マナの固体化は? 戦死した勇者の魂エインヘリヤルはどうした? アースやヴァン、数多の魔物たちからユグドラシル大陸を守り抜き、この私をたった一人で撃退したあの時の力を、今一度見せてみろ」


 スクルドの問いかけに、再度流暢なユグドラシル言語で返答する【厄災】。ここまでくれば、もう意識の有無を疑う余地はないだろう。


 スクルドと【厄災】との間には浅からぬ因縁があるらしく、双方共に大昔の話題で探りと挑発を繰り返す。そんな中「以前ほどの力はない」と今の【厄災】を評したスクルドの言葉に、狩夜は顔を引きつらせた。

 

 ――嘘だろ? この一年で色々と見てきたけど、その中で断トツの、レイラ以上の化け物だぞ?


 目算した【厄災】の力量に対する、狩夜の率直な感想であった。これで以前ほどではないとか、悪い冗談としか思えない。


 全盛期の【厄災】には、いったいどれほどの力が備わっていたのだろう? そう狩夜が身震いする中、【厄災】は次のように言葉を続ける。


「貴様さえ……貴様さえいなければ、私は更なる力を求める必要などなかったのだ。邪気を吸収する過程で意識を失い、愛する世界を必要以上に傷つけることも、クリフォダイトで汚染することもなかった。世界樹と邪悪の樹、そして人間どものいなくなった平和な世界を、動植物がただ静かに暮らすだけの理想郷を、この手で創り上げていたはずなんだ。貴様の存在が、私の計画を狂わせた。貴様が私に刻んだ敗北が、世界を破滅寸前にまで追い込んだ」


「世迷い言を!」


「ふん、まあ貴様はそう言うだろう。私と貴様ら女神は決して相容れない。どれほどの年月がたとうと平行線だ。未来永劫敵同士。それを再確認できたところで、先の質問に答えよう。なぜ私が聖域ここにいる――だったか? 私なら、数千年前からここにいたよ。勇者に敗れた後、聖剣を触媒にして世界樹に直接邪気を注ぎ込んだ、あの時からずっと、な」


「「「――ッ!?」」」


「聖剣に邪気を送り込む最中、私の意識は肉体を離れ、邪気と共に世界樹の内部へと注ぎ込まれた。ああ、意図してのことではないよ。本当だ。なぜこのような現象が起こったのかは、私自身今でもわからない」


 狩夜たちが目をむいて驚きを表現する中、【厄災】は口を動かし続けた。今ここにいる理由を自分自身にも言い聞かせるように、己が目的を再確認するかのように、丁寧に説明を続ける。


「その後、私は内部から世界樹を食い破ってやろうと暴れ回ったわけだが、世界樹も黙ってはいなかった。マナを大気中に放出する機能を破壊したところで女神ウルドからの激しい抵抗に遭い、私の意識は消滅寸前にまで追い込まれた。だが――」


「あなたは世界樹から聖獣へと意識を移し替え、難を逃れた」


「その通り。二回目ともなると慣れたものでね。私は聖剣のときと同様に、世界樹との繋がりを利用して、私の意識と邪気を、聖獣へと注ぎ込むことに成功した。まあ前述した通り、私の意識はすでに消滅寸前で、聖獣の体を乗っ取ることまではできなかったがな。できたことは、世界樹との繋がりを絶ち、女神ウルドからの追撃と、聖獣への命令を遮断すること。そして、守護すべき対象である世界樹を、食料と誤認させることだけだ」


「だから聖獣は、世界樹を食べはしても、攻撃しようとはしなかったのか」


 【厄災】が姿を現してから沈黙を貫いていた狩夜が、謎が解けたとばかりに口を動かす。


 ずっと疑問ではあったのだ。確かに聖獣は世界樹を傷つけ、世界を破滅へと導いていた。しかし聖獣は、世界樹を食らいはしても、決して攻撃しようとはしなかった。


 聖獣が【厄災】の意識に支配され、世界樹を直接攻撃していれば、イスミンスールはとうの昔に滅んでいたはずである。だが、聖獣がしていたのはただの食事であり、そこに【厄災】の介入はあっても、意識はなかった。だからこそ、イスミンスールは今日まで持ち堪えることができたのである。


 狩夜の声に反応し、【厄災】はスクルドから狩夜へと視線を動かした。次いで、人形のような笑顔と共にこう告げる。


「五代目勇者と異世界からきた少年よ。心より御礼申し上げる。君たちが聖獣を打倒し、その命を断ってくれたおかげで、私はダーインの体を乗っ取り、再び表舞台に立つことができた。これで私は、自らの手で世界樹に、全人類に引導を渡すことができる」


「そんな……それじゃ、僕たちがやったことは――」


「……!」


 ペシペシ! ペシペシ!


 狩夜の口から自らの行いを否定する言葉が飛び出す直前、レイラが「動揺しちゃだめ~!」と言いたげに、力強く狩夜の背中を叩いた。スクルドもそれに追随する。


「【厄災】の口車に乗せられてはいけません! あのまま聖獣を放置していれば、どのみち世界は滅んでいました! 自信を持ちなさい、オマケ! あなたは間違ってなどいない! この私が、女神スクルドが、全力であなたを肯定します! 難しく考える必要などありません! 目的を達成するために越えなければならない壁が一つ増えた! ただそれだけのことです!」


「――っ! ああ! その通りだ!」


 予期せぬ事態に崩れかけた気持ちを仲間の言葉で立て直した狩夜は、【厄災】を鋭い眼光で睨みつけた。


 元より退路はない。眼前の敵と戦い、勝利する以外に未来へ続く道はなく、負けても退いても世界が滅ぶ。


 この世界が滅べば、最愛の妹を救う術は失われ、狩夜が大切に思う人々が死に絶える。


 それだけは、絶対に許容できない。


 叉鬼狩夜は【厄災】と、己が大切な者を害する存在と、戦う覚悟を決めた。


「少年。勇者であるならばともかく、ただの異世界人でしかない君と敵対する理由が、私にはない。決して追わないと約束しよう。五代目勇者とそこの女神を置いて、今すぐここから消えてくれ」


「仲間と妹を見捨てて逃げろってんですか? お断りです!」


「私と戦えば、君は死ぬ」


「死んだ方が幾分かましですね!」


 もう揺らがないとばかりに即答する狩夜。そんな狩夜の言動に、【厄災】は諦めたように小さく溜息を吐いた。そして、明確な殺意と戦意を声に乗せて、こう言い放つ。


「そうか、残念だ。ならば始めよう。俗に言う、世界の命運をかけた戦いを」

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