188・【厄災】と呼ばれた男

 クリフォダイト動力による産業革命の絶頂期。生活環境の飛躍的向上と、空前の好景気に全人類が熱狂した時代に、その男は生きていた


 今よりも裕福な生活を。


 今よりも更に富める国を。


 誰もがそれを求め、森を切り開き、工場が乱立する世の中で、男は自然との融和を唱えた。


 男は言う。


 人類はクリフォダイト動力と決別すべきだ――と。


 自然と寄り添ってきた古き良き時代に戻ろう――と。


 当時の社会において、男の存在と主張は異端であった。賛同する者は少なく、いたとしても少数意見だと切り捨てられるか、白い目で見られるかのどちらかだ。酷いときは非国民、売国奴と罵られ、暴行を受けることさえもあった。


 だが、男はそれでも諦めない。自分なりのやり方でこの世界を変えるべく、孤独な戦いを続ける。


 男の言う自分なりのやり方とは、産業が発展する裏で多発している動植物の魔物化、その原因究明であった。


 魔物化の原因は、クリフォダイトを動力源とした機械から排出される工業廃水や排気ガスであると推測していた男は、それが事実であることを証明し、その危険性を周知させることで、世論を脱クリフォダイト動力へと誘導できると考えたのだ。


 男は、クリフォダイト動力から放出されているの、実在するかどうかすら定かではない魔物化の原因に邪気という仮称をつけ、政治家として活動する傍ら、できたばかりの国営の調査機関に入り浸り、私財を投げ打って研究に没頭する。


 当初はクリフォダイト動力が不完全で、動力源であるクリフォダイトが消滅しておらず、工業廃水や排気ガスと共に排出されているのでは? と、考えたのだが、どのような検査機器を使おうと、工業廃水と排気ガスからは、クリフォダイトはおろか、環境基準を超える汚染物質すら検出されることはなかった。


 どれほど研究しても上がらぬ成果。日々の研究で証明されるのは、魔物化の原因ではなく、クリフォダイト動力の優秀さと、その利便性だけ。


 天才的な研究者集団である二代目勇者の子孫たちが、邪悪の樹の完全消滅を目指し、数百年の歳月を費やして完成させたクリフォダイト動力。全世界から称賛され、人類の生活を一変させた世紀の大発明。その中にあるかもしれない欠陥を見つけ出すことは、一国の小規模な研究機関と、一政治家でしかない男にとって、荷が勝ちすぎる難事であったのだ。


 魔物化の原因究明のために立ち上げられた研究機関が証明したのが、クリフォダイト動力の危険性ではなく、世界中でまことしやかに囁かれる安全神話の方であったのだから皮肉である。


 当然だが、成果の上がらない研究機関と、時代にそぐわない主張をしている政治家への風当たりは強い。


 実在しない邪気の危険性を声高に叫び、人心を惑わせたとして、男への排斥の機運が高まる中、進退窮まった男は、とある賭けに出た。


 それは、己の体を使った人体実験。


 邪悪の樹を起源とする生き物と、世界樹を起源とする生き物とでは、魂のありようが根本的に違うというのが、イスミンスールに生きる全人類の共通認識である。


 今まで魔物化した動植物は、すべてが邪悪の樹を起源とする生き物であった。この現象が強く問題視されないのは、そこに起因している。この実験で世界樹を起源とする生き物である男に、すなわち人間の体になんらかの変化が確認されれば、困窮している現状を打破すると共に、クリフォダイト動力の危険性を周知させることができる。男はそう考え、その考えを実行した。


 男は、もう失うものはなにもないとばかりに、工業廃水や排気ガスを、自身が存在すると信じて疑わない邪気を、ありとあらゆる方法で体内に取り込んだ。取り込み続けた。


 まず結論から言おう。男は賭けに勝った。


 実験は成功したのだ。


 変異した男の体からは体毛という体毛、色素という色素が抜け落ちた。血液までも白色となり、臓器群は活動を停止。飲食と睡眠は不必要となり、体内に形成された核によって、生命活動を半永久的に維持できるようになった。


 体に残った唯一の色、無機質な赤い瞳で世界を見つめる、未知の生命体がそこにいた。


 世界初となる、元人間の魔物。魔人ともいえる存在の誕生である。


 実在した邪気。


 崩れさる安全神話。


 世界樹を起源とする生き物、人類も魔物化する可能性があると知り、人々はクリフォダイト動力の危険性を周知した。そして、知ったときには手遅れだった。


 生まれたばかりの白い魔人が、元同族に牙を剥いたのである。


 そう、男は賭けに勝ちすぎた。実験に成功しすぎてしまったのだ。


 変異した男の体には、人外の力が宿っていた。


 過ぎた力は人のありようを一変させる。魔人へと姿を変えた男は、世論の誘導などという回り道をやめ、力によるクリフォダイト動力の――否、人類の根絶を開始したのだ。


 人類は魔物以上の害悪だと叫び、男は世界中のありとあらゆる人種、国家に対し、無差別攻撃を開始。それに並行して、世界に溢れる邪気を吸収。自身の力を増大させ続けた。


 力を求めて邪気を取り込み続ける男であったが、力の増大に反比例するかのように、人間であった頃の意思と記憶は希薄していく。


 男が当初の目的を忘れていく中、クリフォダイト動力破壊の際に、活性化したクリフォダイトが周囲に飛び散り、水源を汚染する事故が多発。クリフォダイトによって汚染された水を摂取した邪悪の樹を起源とする生き物はすぐさま魔物化し、その数を爆発的に増やした。魔物は汚染水によって増大された力を本能のまま振るい、人類に襲いかかる。


 人間であったころの意識が完全に消え去り、かつて愛した世界そのものを滅ぼす勢いで破壊活動を続ける男と、強化された魔物たちにより、人類は恐怖のどん底に突き落とされる。


 一人の人間が魔物化したことに端を発する、長きに渡る闘争の時代の幕開けだ。そして、事態は世界樹による四代目勇者の召喚にまで発展する。


 そんな中、男の故郷にあたるとある国は、国の恥部を隠蔽するべく、男の全記録の抹消を画策した。


 魔人となった男の容姿からは、八種の人類のどれに属していたのかさえ判別できなかったことと、人間であった頃の意識が男から消えていることが幸いし、とある国は、男の記録と戸籍を、戦火の中に焼失させることに成功する。


 ゆえに、男の名前は後世はおろか、その時代を生きた人々からも完全に忘れ去られた。


 国からも、民からも、家族からも、世界からも、神からも見限られた一人の男。意思、記憶、名前、戸籍、人権、アイデンティティの全てを失った男は、全人類と女神から、畏怖と侮蔑を込めてこう呼ばれた。


 ソレは、人類史上最悪の【厄災】である――と。

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