187・終わりの先に待つモノは
「気の抜けた顔で座り込んで……だらしないですよ、オマケ。しゃんとしなさい。ほら立って。傷は浅いですよ」
「浅くないよ! 神様はどうだか知らないけど、脇腹と両腕に穴があいたら、人間的には重傷なんだ! ソウルポイントで強化されてなかったら死んでたかもだよ!」
「その、痛い……ですか?」
「痛いに決まってるだろ! 今にも泣きそうだよ! 本当に、泣きそう……」
後半には震えだした声でこう答えた後、狩夜は戦いの最後を見届けるべく前に向けていた視線を、自身の両足の間へと落した。
涙に揺れる瞳をスクルドから隠しつつ、狩夜は思う。
終わった――と。
四匹の聖獣は倒れ、イスミンスールは滅亡の危機を免れた。後は、世界樹の力でレイラと共に地球へと戻り、病身の妹を治療さえすれば、すべてが終わる。
無知で愚かな自分が口にした呪いの言葉からはじまった、後悔と贖罪の日々も。祖父の家の裏庭でマンドラゴラを引き抜いたことからはじまった、過酷な冒険の日々も。ようやく終わる。
その終わりの先で、求め続けたごく普通の生活が。痛みと苦しみ、泥と血潮にまみれた時間を補って余りある、平穏な日常が、叉鬼狩夜を待っている。
そう思うと、涙が込み上げてくることを抑えることができなかった。自身の周りでオロオロしつつ飛び回るスクルドを意に介さず、狩夜は声を殺して涙を流す。
が、その涙が世界樹の根に落ちることはなかった。小柄な体を生かし、狩夜の顔の下へと潜り込んだレイラが、狩夜の涙を受け止めたからである。
「……」
レイラは、狩夜の顔を不安げに見上げながら「大丈夫?」と言いたげに小首をかしげた。次いで、治療用の蔓を出し、狩夜の首筋を一突き。
ドヴァリンの角には、ダーインの魔剣のように不治の呪いは付与されていない。狩夜の体は瞬く間に治療され、脇腹と両腕にあいていた穴も、傷一つ残らず奇麗に消える。
腱が修復した右腕を早速動かし、狩夜はレイラの頭を優しく撫でた。
次いで、泣き笑いを浮かべながら、言う。
「大丈夫だよ。ありがとう」
その後、狩夜は左腕で荒っぽく涙を拭うと、勢いよく立ち上がった。そして、聖域の中心にそびえる世界樹を凛とした表情で見つめながら、次のように言葉を続ける。
「それじゃ、ウルド様に会いにいこう。一年も待たせてごめんなさいって謝らないと、ね」
「はい。世界樹の状態を見るに間に合ったとは思いますが、お声を聞くまでは私としても不安です。同胞たる聖獣たちを今すぐに弔いたい気持ちもありますが、ウルド姉様の安否確認を優先いたしましょう。勇者様もよろしいですか?」
「……(コクコク)」
この世界で一番偉い人に会いにいく――と、気持ちを切り替えた狩夜は、しっかりとした足取りで世界樹に向かって歩を進めた。スクルドはそんな狩夜の斜め上を飛翔し、レイラは狩夜の背中に跳びついて、頭上を目指して登頂を開始する。
聖獣たちの亡骸をひとまずはその場に放置し、世界樹の枝葉によってできた木陰の下を、黙々と進み続ける一行。そして、レイラが狩夜の頭上に到着したとき、スクルドが意を決したように口を動かす。
「オマケ。今までよく戦いました。この世界が救われたのは、大部分は勇者様のおかげですが、あなたの活躍もなきにしもあらずです。だから、その、世界樹の女神の一人として、あなたに感謝を。ありがとうございました」
狩夜の顔ではなく、目的地である世界樹を見つめながら紡がれたお礼の言葉。実にスクルドらしい謝意の表現方法に、狩夜は苦笑いを浮かべる。
「どういたしまして。でも、別にお礼なんて言わなくてもいいよ。見返りはちゃんと貰うからさ。それに僕は、世界を守ったんじゃなくて、個人的な約束を守っただけだし」
思い出すのは、この世界にきてすぐの出来事。森の中で優しい女性とかわした、一つの約束。
『次に誰かがカリヤ様に助けを求めたら、その人をはじめて会ったときの私だと思って、助けてあげてください』
自責の念に縛られた狩夜を助けるべく口にされたであろうこの言葉に、狩夜は同意をもって答えた。そして、次に自分に助けを求めた誰かを、どんなことをしても助けてみせると心に誓う。
この、次に助けを求めてくる誰かが、世界樹の三女神の一人、女神ウルドになるなどと、この時は思ってもみなかった。
助ける相手が相手なだけに、正直死ぬほど大変だった。というか、実際何度も死にかけた。だが、一年越しとなったこの約束を、狩夜はもうすぐ果たすことができる。
――メナドさん。あの時の約束、ようやく果たせます。今度こそ、僕はあなたを助けてみせる。
こう胸中で呟いた後、狩夜はこの約束に関連するあることを思い出す。
約束を交わす最中、狩夜はこう考えていたのだ。この約束を守ることで弱い自分と決別し、強くかっこいい男になってやる――と
「ねぇ、スクルド。僕、少しはかっこいい男になれたかな?」
「言葉には力がある」そう狩夜に説き、言葉だけで狩夜と咲夜を救ってくれた年若い医師。かつて、否、今でも憧れているあの人のようなかっこいい男に、叉鬼狩夜はなれたのだろうか?
不意に飛び出したこの言葉に、スクルドは目を丸くする。次いで、悪戯っぽい笑顔を浮かべてから、こう断言した。
「全然ダメダメですね! もっともっと精進なさい! あなたのような未熟者では、女の子一人振り向かせることもできやしませんよ!」
「むぐぅ!? ダメダメかぁ……そっかぁ……そうだよなぁ……」
本人としては、今の僕はそこそこイケてるかも? と思ったのだが、あえなく切り捨てられてしまった。叉鬼狩夜という凡人が、強くかっこいい男になるための道のりは、果てしなく険しいらしい。具体的にいうと、異世界を滅亡の危機から救うよりも。
僕なんてやっぱりそんなもんか――と、両肩を深く落として意気消沈する狩夜。そんな狩夜の横でクスクスと笑った後、スクルドは飛翔速度を上げ狩夜の前へと回り込む。次いで、頬をほんのりと染めながら、こう告げた。
「でも、聖剣を手に聖獣へと切りかかる姿は、遠目からでも心惹かれるものがありましたよ。その姿を見たことのある女性が私だけであることに、優越感を抱けるくらいには」
「え……?」
普段の勝気な表情は鳴りを潜め、恋する乙女そのものの顔で狩夜を見つめつつ、スクルドは言葉を紡ぐ。
今の彼女の美しさは、正に女神のそれだった。スクルドが天上の美貌の持ち主であることを、狩夜は今更に自覚する。そして、もうすぐお別れとなる仲間の、最高に美しい姿を目に焼きつけるべく、その姿を真摯に見つめた。
聖域で、一人の男と女神が見つめ合う。そんな中、スクルドはなにかに気がついたのか、視線を僅かに横に、狩夜の背後へと向ける。
次の瞬間、スクルドの表情が恋する乙女のものから、歴戦の戦乙女のものへと豹変した。そして、目を見開くと同時に叫ぶ。
「横に跳びなさい、オマケ!」
狩夜はこの指示に即応。理由を尋ねることなく、頭上のレイラ共々左へと大きく跳躍する。
直後、つい先ほどまで狩夜がいた場所を、不治の呪いを帯びた魔剣が、超高速で通過した。
「「――っ!?」」
空中で体を捻り、自分たち以外は誰もいないという心の隙を突いて背後から奇襲を仕掛けてきた相手へと体ごと向き直りながら、狩夜とレイラは驚愕の表情を浮かべた。そして、着地と共に声を上げる。
「ダーイン!? まだ生きて――え?」
奇襲してきた相手の全容を視界に収めた瞬間、狩夜はスクルドと同じように目を見開き、口の動きを止めた。次いで思う。
――なんだ、あれは?
そこにいたのは、ダーインであって、ダーインではなかった。
下半身はダーインのものなのだが、レイラの葉っぱによって断ち切られた首のつけ根から、首の代わりに人間の上半身が生えている。ただし、その上半身は一切混じりけのない白一色で、陶器のごとき光沢を帯び、体毛一本生えてはいなかった。左腕の形は人間のそれと酷似しているが、右腕の先にはあるべき右手がなく、魔剣を生やしたダーインの頭部がそのままついている。
首から上も人間のそれとほぼ同じ造りであるが、頭髪や眉毛は生えておらず、眼球は白目も黒目もない赤褐色で、鮮血のごとき赤い光を放っており、活性化したクリフォダイトを連想させた。
ソレは、半人半馬ならぬ
狩夜には、ソレがなんなのかはまったくわからない。だが、一つだけ確かなことがあった。
――さっきまでのダーインより、間違いなく強い。
奇襲が失敗に終わり、力を抑えることをやめたであろうソレから感じる圧は、今まで相対したなによりも強く、聖域全土を包み込むほどに大きかった。
ソレが有する底知れぬ力に狩夜が戦慄する中、レイラは険しい表情で狩夜の背中へと移動し、スクルドはワナワナと身を震わせ、親の仇のようにソレを睨みつけた。そして、ソレの存在自体を糾弾するかのごとく、有らん限りの声で叫ぶ。
「どうしてあなたが
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます