181・秘密兵器
スキル〔
未来を司る女神であるスクルド。そして、そのスクルドと同化している者のみが使用できる、固有スキル。
使用者の視界に未来へと続く道を、選ぶべき最適解を、光の道という形で示すというそのスキルの利便性はすさまじく、神の力と呼ぶにふさわしい強スキルと言える。
しかし、神の力である〔
未来を見るという多大な負荷に脳が耐えられず、長時間使用すると全身の神経が機能障害を起こし、行動不能に陥ってしまうのだ。最悪の場合脳細胞が焼き切れ、脳死しかねない。
それらリスクを重々承知した上で、狩夜は〔
勝機はある。確かにある。後は、この作戦を完遂し、聖獣を打倒するのみ。
「レイラ」
自信を強めたことを感じさせる声色で狩夜が名前を呼ぶと、レイラは口を大きく開き、体内に保管していたものを二つ吐き出す。
一つは、狩夜が普段着ているハーフジップシャツ。
もう一つは、丁寧に折り畳まれ、ハンカチサイズとなった純白の布。
空に舞い上がったそれらを、レイラが蔓でハーフジップシャツを絡めとり、狩夜が右手で純白の布を掴むと同時に、狩夜は足を前へと踏み出した。
一歩目で体が前傾姿勢となり、二歩目で急加速、三歩目には一陣の風となり、聖域に向かって疾駆する。
次の瞬間、狩夜の体が結界へと触れ、なんの抵抗もなく突き抜けた。
作戦の第二段階が始まる。ここから先は時間との勝負――と、その表情で語りながら、狩夜は光の道が指し示すままに、聖域を全力でひた走る。
今頃聖獣たちにも、聖域に何者かが足を踏み入れたことが伝わっているに違いない。今は深夜で、鹿は
よって、狩夜たちが聖域に足を踏み入れた直後に、聖獣たちは行動を開始するわけだが、彼らはここで、次の行動を迷うこととなる。理由は、結界を越えた者が一人だからだ。
結界には、結界を越えた者の人数と、越えた場所を聖獣に伝える機能はあるが、越えた者を個別に識別したり、その現在位置を把握し続けるといったことはできない。そして、現在レイラは狩夜と生体レベルで繋がっており、スクルドは狩夜と同化している。
この状態で結界を越えた狩夜たちを、結界は三人ではなく一人であると判断し、その誤情報を聖獣たちに伝えてしまう。そして聖獣たちは、自分たちの命を狙う者が、狩夜、レイラ、スクルドの三人組であることを、半年前の戦いですでに知っている。
聖獣は考える。侵入者は一人。だが、相手は三人組。これは陽動で、本命は別。つまりは罠ではないか? と。
だが、そう考えたところで、彼らが取る行動は一つしかない。
一旦合流し、四匹で侵入者に対処する――だ。当然である。侵入した一人がもしレイラだった場合、四匹で連携して戦わなければ負けてしまう。そうなったら最悪だ。彼らは必ず合流することを選び、それを最優先に行動する。
よって、しばらくの間聖獣たちは、狩夜たちに近づいてこないどころか、むしろ遠ざかる。作戦の第二段階の成否は、聖獣たちが合流するまでの僅かな時間で、狩夜たちが目的を果たせるかどうかにかかっているのだ。
――見えた!
全力疾走を続ける狩夜の視界の中に、光の道の終着点が見えた。そこまでの道程をすべて記憶した後、狩夜は胸中で叫ぶ。
――いって、スクルド!
『了解しました! あなたの――いえ、我々の勝利を信じていますよ、オマケ!』
狩夜の脳内にこの言葉が響いた直後、スクルドは同化を解除し、狩夜の胸から飛び出した。聖域の宙を大きく旋回した後、狩夜が進む方向とは正反対、聖域の外に向かって全力で飛翔する。
スクルドとの同化が解除されたことで、狩夜の視界から光の道が消失。進むべき道を指し示す神の指針を失った狩夜であるが、その移動速度は決して衰えない。目に焼きつけた光の道の終着点に向かって、ただただ走り続ける。
そんな中、ハーフジップシャツを絡めとっていた蔓を、レイラが根元から自切し、その場に放棄。それらが世界樹の根についてしまう前にスクルドが回収し、振り返ることなく聖域の外に向かって飛んでいった。
一分もせずに、スクルドは結界を越えるだろう。そしてそのときには、聖域から何者かが脱出したことが聖獣たちにも速やかに伝わる。その人数は、当然だがスクルド一人だけだ。
聖域への侵入者は一人。聖域から脱出した者も一人。よって、聖獣たちはこう考える。
侵入者は、我々と接触する前に聖域から脱出した? と。
だからといって、確認しないわけにはいかない。聖獣は合流を終えた後、この場を訪れ、現場検証をするはずだ。侵入者が罠の類を仕掛けていった可能性もある。調べずに放置するという選択肢はない。
調べて、聖獣たちはすぐに気づく。なにも異常がないことに。罠の類は仕掛けられていないことに。自分たちの考えが間違っていないことに。
侵入者の残り香。レイラが聖域の浅部まで運び、スクルドが結界の外へと持ち出した、ハーフジップシャツに染みついた狩夜の匂いが、侵入者が一人であり、途中で引き返したことを、聖獣たちに教えてくれる。
誤情報であるそれが、あたかも真実であるかのように。
一方、スクルドと別れた無臭状態の狩夜とレイラは、目的地である光の道の終着点へと無事到着した。
その場所とは、聖域の各地に点在する成長の途中で地表から飛び出し、陸橋のごとくアーチを描く太い根の一本。巨大な根が地面へと吸い込まれていく、アーチの末端にあたる場所であった。
かなりの巨体と、大きな角を持つ聖獣たちでは、よほどのことがない限り顔を突っ込んだりはしないであろうそこに、狩夜はレイラと共に滑り込んだ。次いで、右膝を立て、左膝を世界樹の根につける片膝立ちの体勢で座り込む。
直後、右手に握りこんでいた純白の布を、この日のために用意した秘密兵器、第三次精霊解放遠征で紅葉の窮地を救った古代アイテムの名を、狩夜は小声で口にする。
「《朧月の衣》」
狩夜の望むものを必ず用意するという約束のもとに引き受けた、鹿角青葉からの救国の依頼。その報酬として受け取ったそれは、使用者の姿を透明化し、気配を完全に消すことができるという、破格の効果を持つ、三代目勇者が残した潜伏系アイテムだ。
狩夜の呼びかけに応じ、ハンカチサイズに折り畳まれた《朧月の衣》が一瞬で展開。月を覆う薄雲の如く狩夜とレイラを覆い尽くしていく最中、狩夜は思う。
ここから先は我慢の時間だ――と。
狩夜が対聖獣ように用意した作戦。それは、聖域の防衛機構を逆手に取った、人間の専売特許とでもいうべき情報戦に、祖父から教わった猟師としての心得をハイブリットしたものである。
かつて、猟師である祖父は狩夜に語ったのだ。
猟師にとっての基本。そして、最も大切な仕事は――
――害獣どもめ、人間の、猟師の戦い方を見せてやる。
息を殺し、獲物を確実に仕留められる瞬間が訪れるのを、心静かに『待つ』ことだと。
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