180・作戦開始

「戻ってきたな……この場所に……」


 時刻は深夜。眼前に広がる月明りに照らされた聖域を――結界という名の光の幕で外界と遮断された、世界樹のためだけの空間を見つめながら、狩夜は小声で呟く。


 世界樹を取り囲む円形の山脈。その直径はおおよそ五十キロほどであり、山脈の内側は一面が世界樹の根に埋め尽くされている。他の動植物はおろか、土の姿すら見ることはできない。


 そんな聖域の中心には、巨大にして荘厳なる神木、世界樹が生えている。


 世界樹は、天を突くほどに高く幹を伸ばし、結界のすぐそばにまで横枝を広げ、青々とした葉で聖域の空を覆い尽くしていた。それらは、世界樹を取り囲む山脈の頂上にいる狩夜から見てもはるか上空。どれほど手を伸ばしても、決して手の届かない場所にある。


 なんと神秘的な光景であろうか。地球では決してみられない景色。この場所にくるのが二度目である狩夜でも、人間という存在の矮小さを感じずにはいられない。


 ここは、まさしく聖域だ。この世界、イスミンスールの創造主たる世界樹が根づく、不可侵の地である。


 そんな聖域の僅かに外。円形の山脈東部、結界のすぐ手前に、狩夜たちはいた。


 希望峰を飛び降りた後、狩夜たちは舟路でユグドラシル大陸に向かい、そのままミーミル川を遡上、源流へ。そこから迷いの森へと入り、スクルドの案内でそれを攻略。特筆するような事件もないまま、ここへとやってきた。


 よって、狩夜たちに消耗はない。怪我とうは皆無であり、体力は満タンだ。


 普段と違う点を挙げるとすれば、狩夜の服装だろう。現在狩夜は、普段着ている長袖のハーフジップシャツとトレッキングパンツではなく、黒一色のライダースーツのようなものを着ていた。


 今日のために狩夜が設計し、レイラが自身から採れた素材のみで完成させたその服には、背中と両脇腹に空いた円形の穴以外に飾り気は一切ない。闇に紛れることを目的とした戦闘服であることは、誰の目にも明らかである。


 その戦闘服と、ここにくるまでの道中で慣らしを終えた体。双方の最終確認をするかのように、狩夜は小さく飛び跳ねながら体を小刻みに動かす。次いで、戦闘服に空いた背中の穴を覆うように張り付く相棒と、胸中の仲間に向かって声をかけた。


「レイラ、スクルド。いよいよだね。準備はいい?」


「……(こくこく)」


『はい。こちらはいつでもいいですよ、オマケ』


「大丈夫だよ~」と言いたげに頷くレイラと、覚悟を感じさせる声色で言葉を返すスクルド。それらに大きく頷きながら、狩夜は体の動きを止めた。そして言う。


「よし、なら作戦開始だ。レイラ、一思いにやっちゃって」


「……(コクコク)」


 狩夜の言葉に頷き返した直後、レイラは背中から直径一センチほどの蔓を七本出し、それら蔓のうち、三本を狩夜の首に、四本を両脇へと伸ばす。


 そして――


「――っ!!」


 首に伸ばした一本を、狩夜の首の付け根へと突き立てた。次いで、頚椎けいついの一つへと蔓の先端を触れさせ、そこから極細の根を伸ばし、奥へ奥へと削り進んでいく。


 頸椎に植物が根を張るという、ほぼすべての人間が経験せずに一生を終えるであろう激痛に、狩夜が歯を食いしばって耐える中、レイラの根はついに脊髄にまで到達。そこで動きを止めた。


 次の瞬間、狩夜の顔から苦悶の色が消える。狩夜の脊髄を自身の支配下に置いたレイラが、痛覚をカットしたのだ。


 次いでレイラは、狩夜が痛みを感じなくなったことをいいことに、残り六本の蔓を狩夜の体の中へと突き入れる。それだけではない。腹の方からも蔓を三本伸ばし、狩夜の背中を突き破って、体内へと伸ばしていく。


 レイラは普段から蔓を使い、自身と狩夜とが離れないよう体を固定しているが、今回のは明らかに様子が違った。レイラは更に蔓を伸ばし、狩夜の体内を突き進んでいく。


 蔓の目指す先は、狩夜の心臓や肺、肝臓や腎臓といった各種主要臓器。そして、大動脈と大静脈だ。


 レイラは、迷うことなく主要臓器に蔓を到達させると、頸椎のときと同じように蔓から極細の根を伸ばし、自身の蔓と、狩夜の主要臓器を、物理的に繋ぎ合わせる。


 大手術と表現してなんら差し支えないこれら一連の作業を、数秒という短時間かつ、麻酔なしの出血極小で終わらせたレイラは、大動脈と結合した蔓から、普段は治療用の蔓の先端についた棘から体内に注入している回復薬を放出。狩夜の体を速やかに治療し、それと並行して痛覚を復元した。


 これにより、二人の体は生体レベルで結合。今、狩夜とレイラは、文字通り繋がっている。


「……ふむ」


 レイラと繋がった自身の体の調子を確かめるべく、狩夜は先ほどと同じように小さく飛び跳ねながら体を小刻みに動かす。そんな中「どこかおかしなところはない~?」と言いたげに、レイラがペシペシと狩夜の背中を叩いた。


「ん、大丈夫。痛みもなければ痺れもないよ。それじゃ次、お願い」


「……(コクコク)」


 狩夜の言葉に頷き返したレイラは、背中から木製の拳銃のようなものを射出した。


 グリップから蔓が伸び、レイラの背中と繋がっているそれを右手で受け取った狩夜は、ロシアンルーレットでもするかのように銃口を自身の頭に向け、躊躇することなく引き金を引く。


 次の瞬間、銃口から極小の飛沫となった液体が噴出し、狩夜の頭部を薄っすらと濡らす。


 そう、レイラが射出したモノの正体は、拳銃ではなく霧吹き機。噴き出したのは、カテキンを主成分とした、レイラ謹製の消臭剤だ。


 カテキン。


 茶の苦み成分として広く知られる、天然に存在する有機化合物群・フラボノイドの一種。血圧上昇抑制作用、血中コレステロール調節作用、血糖値調節作用、抗酸化作用、老化抑制作用などの、実に多様な生理活性がある。


 上記の他に、カテキンには抗菌、消臭効果があり、化学反応によって臭いの成分を捕らえ、それを消し去ることが可能だ。


 狩夜は霧吹き機を使い、消臭剤を全身にまんべんなく吹きかける。世界樹の種を内包するレイラが生成したカテキンの消臭効果は凄まじく、瞬く間に狩夜の体臭を消し去った。


 これをもって、作戦の第一段階は終了。安全かつ、後戻りができるのはここまでだ。第二段階から先は、いよいよ結界の内側、聖域での作業となる。失敗は決して許されない。


 大一番を前に、ゆっくりと、深く深呼吸をする狩夜。次いで、スクルドにこう問いかける。


「スクルド、最後にもう一度確認させてほしい。聖獣を倒して、世界樹を救いさえすれば、僕は地球に、元の世界に帰れるんだよね?」


 ウルザブルンから聖域に向かう道中、スクルドは言った。聖獣を倒しさえすれば、狩夜は元の世界に帰ることができる――と。半年前のやり取りを再確認する狩夜の言葉を、スクルドは即座に肯定する。


『はい、その通りです。聖獣を倒しさえすれば、ウルド姉様があなたを、必ずや元の世界に送り届けてくれるでしょう』


 聖獣を倒せば、狩夜は元の世界に戻ることができる。


 家族のいる家に、帰ることができる。


 病気に苦しむ妹に、万病を癒す薬を届けることができる。


 大願成就まであと僅か。その事実に、狩夜の体には自然と力が入り、小刻みに震えた。武者震いである。そんな狩夜を戒めるように、スクルドは、歴戦の戦乙女は言う。


『オマケ、私からも最後に一つ、よろしいですか? すでに聖獣についての情報は、私の知るすべてをあなたに伝えました。ですが、聖獣たちは数千年もの間、世界樹を取り込み続け、格段に強くなっています。もしかしたら、私の知りえないなんらかの能力を、新たに習得している可能性もある。留意なさい。どのような事態にも動じないよう、心を強く持つのですよ』


「え? あ、うん。わかった、気をつけるよ。でも、作戦内容は変わらないし、変えられない。たとえスクルドの知らない新能力があったとしても、それを使う間もなく、ドゥラスロールの息の根を止めてみせる。そのための奇襲作戦だ」


 スクルドとのやり取りの最中、気持ちがはやりかけていたことに気がついた狩夜は、いけないいけないと頭を振る。次いで、首だけで後ろを振り返り、レイラと視線を重ねた。


 狩夜の視界の中で、「なに?」と言いたげに小首をかしげるレイラ。世界の命運を決める戦いの前でも、普段となんら変わらない彼女の様子に、狩夜は平静を取り戻す。


 頼りになる相棒を見つめながら、狩夜は自身が万全となったことを自覚し、微笑を浮かべた。そして、緊張を感じさせない軽い口調で言葉を紡ぐ。


「なんでもないよ。それじゃ、害獣どもを駆除しにいきますか。終わったら盛大に祝勝会、鹿肉パーティと洒落込もう。あいつら全員、僕とレイラで食ってやるんだ」


「……!(コクコク!)」


 それこそが聖獣に対する最高の供養だとばかりに笑う狩夜に、レイラは力強く頷き返す。それを見届けた後、狩夜は聖域に向き直り――


「〔未来道フューチャーロード〕発動」


 作戦の第二段階、その要となるスキルを行使した。

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